68.七年前の記憶
カイロウが当主トウセンと他ヴァースアックの戦士と共に、出張に出向いていった。
これまでアリナはカイロウと行動を一緒にすることが極めて多かったため、多少不安な気持ちになる。
ヴァースアックの人々は、アリナを良く思っていない者が大多数だ。カイロウという後ろ盾がいたからこそ遠巻きに睨まれるだけで無事にいられたものの、彼が家を空けた今、何をされるか分からない。
そう思い至ったのか、カイロウの穴を埋めるようにミカゲツが付き添うようになった。
「ありがとう」と伝えれば、少年は「自意識過剰なのでは?」と返しつつも彼女のそばを離れることはなかった。
相変わらずカヨウには嫌われ、ヒソラとはまともに会話をしていないが、脅迫関係にあるレイシンとはそこまで険悪ではないし、ミカゲツのおかげで実害もない。
カイロウがいなくとも、何とかなっている。
ただ一つ、憂慮があるとすれば、悪魔と会えないことだ。
ミカゲツが同行してくれている現状で悪魔を呼び出すわけにもいかず、自室で一人になった時に呼んでみても悪魔が現れることはなく。
あの変身男が帰還への重大な手がかりを握っているのは確かなのに、情報は一切引き出せていない。
もどかしい。
しかし、元々敵なのか味方なのかはっきりしない立ち位置にいる者だ。そこにばかり頼るわけにもいかないだろう。
アリナは今日も、ヒントを求めて領地を探る。
カイロウが不在になってから二月が経った。
長い出張の帰りを待つ、というのをアリナが未体験なのもあって、最近は少しずつ心配の念が芽生えてきている。
少し帰りが遅いのではないか。
事故にでも遭ったのだろうか。
彼らは無事なのだろうか。一体どこまで出掛けているのだろうか。
彼らの行く先は、周囲の親しい人間は皆知らず、他に残された者の誰も教えてくれなかったが、ミカゲツは「大丈夫だって。カイロウ兄さんはともかく、父さんがいる」と平然としている。
レイシンも、「父上が無事でないはずがない」と絶対の自信を滲ませていた。
それならいいけれど、と思う。
この世界にやってきて、数ヶ月。刺々しい生活にも慣れてきた。
隅々まで探索して、領地の構造にも相当詳しくなってしまった。
一刻も早く。可能なら今すぐに、帰りたいとは思っている。現実の世界で、自分を待っているであろう人々を憂う気持ちに嘘はない。
だが、「もしかして、帰れないのではないか」という気持ちも、心のどこかにある。
帰れるとしても、何年もかかるのではないか、現実の年齢に追いついてしまうのではないか、という焦りも、ある。
ここは七年前のヴァースアック領地。
アリナの知る人達とは違う人間が暮らす世界。
帰れないなら、この世界に馴染む努力をするべきなのではないか?
そんな思いが浮かんで、体を動かすことで目を背けていた、ある日。
早朝、目覚めたアリナの前に悪魔が現れ、告げた。
「状況が動き出す。さっさと答えを見つけないと、時間切れになるぞ」
「…え?」
時間切れ?
…時間制限がある?
正常に頭が働いて問いただすより先に、悪魔は消えてしまった。
入れ替わるように、声が聞こえた。
「まだ幼い子供だ!親もこの子達を探してるはず!なのに、殺すなんて…!そんなの間違ってるでしょう!」
カイロウの声だ。
しかし、出どころが分からない。まるで直接脳内に響いたかのような声だった。
慌てて身支度を整え、部屋から出てみても、連続する声は聞こえない。
いつも通り、アリナの物置じみた部屋の前は不気味なほどに静まっている。
廊下を走って、異変が起きていないか捜索する。
それはやがて見つかった。
カイロウの部屋の扉が僅かに開いていた。
屋敷の誰も触れようとしない、期待外れの長子の部屋が。
カイロウが、帰ってきていたのだ。
「カイロウさん、おか…」
「安心してくれ。君を殺させなんて、しない。俺が、守る。…父さんを、倒してでも」
久しぶりに見る青年の背中。その向こうに白い髪が見えた。
背丈は小さい。十にも満たない幼児だ。髪と揃うような色の緩やかな服を着ている。覗く肌も異常なほどに白い。
肩にもつかない髪の長さと、佇まいで少年に見えた。
だが違う。アリナは彼女を知っている。
「キリカ…?」
空色の瞳と目が合った。
「お姉さんなんだから、この子を守ってあげてね。約束よ」
優しく微笑む母親の腹は大きく膨らんでいた。臨月だった。
父親はそばにいた。母親たっての希望で、郊外の花畑にピクニックに来ていた。
幸せだった。
わくわくしていた。
弟か妹が生まれる。母も、父も優しい。大好きだ。きっとこの子も優しい子になるのだろう。
私はお姉さんだから、妹を守ってあげる。一緒に遊ぼう。きっと、仲良くなれるだろう。
白い服を着た大人が大勢現れて、父を倒し、母と私を攫った。
攫われた先で母は妹を産んだ。その様子を大人が囲んで見張っていた。
取り上げられた赤ん坊に、母が泣いて手を伸ばしていた。
白服の、灰色の髪の男が叫んだ。「マセキヲ!」何かが渡された。大きな黄色の宝石だった。
それを妹に押し付けると、妹は一際泣き喚き、すぐに連れ出された。「シッパイダ」と男が言った。
次に私を見た。
横たわる母が叫んだ。「キリカ!カエシテ!」母も連れて行かれた。
男は動けない私に宝石を押し付けた。
「二番、お前は僕の最高傑作だ」
マスターは何度もそう言った。
灰色の髪に、白衣。初めて見た時はとても恐ろしかったのに、今はもう何も感じない。
自分は魔石の適合者だった。
魔石は文字通り魔力のある石で、取り込めば底知れない力を手に入れられる。出自は不明だが、人工物ではないらしい。
何人もの子供が集められたけど、特に大きい貴重な魔石に、ここまで合致したのは自分しかいなかった。
同年代の子供はたくさんいた。でも、友達になろうという気持ちは湧いてこなかった。
何も思わなかった。
感情を糧として発動する力。それを、マスターは魔力と呼んでいた。しかし魔力を操るとされているのは、おとぎ話に出てくる悪役、魔族だけ。
ならば己は魔族なのかもしれない。だがそんなことはどうでもよかった。
何も思わなかった。
母とも、妹とも会えず、どころか二人がどこにいるのかも分からない。
故郷の町にも帰れず、父の行方も知れず、マスターの指示に従って訓練するだけの毎日。
大きな魔石を埋め込んでみたのは二人目だから(一人目は失敗したらしい)、機械的に「二番」と呼称され監視される日々。
何も思わなかった。
魔力を持つ子供達を増やして、マスター達は復讐しようとしていた。
マスターはヴァースアックという悪魔を憎んでいた。家族を殺されたと言っていた。奴らを滅ぼしたい、だが奴らには常人を屈させる殺気がある。だからそれが効かない子供達を作って、お前達を使って、復讐するのだと。
マスター達には支援者がいた。アルンという国の貴族だ。援助されてるから、会っても反抗するなと言われた。
何があっても何も思わないのに、反抗なんてするはずなかった。
ある日、男の人が現れた。
優しそうな人だった。
黒髪で黒目だった。
その人が、自分と、他の子供達の話し相手をしている間、奇襲したヴァースアックによって施設の大半が壊滅したなど、知りもしなかった。
全てが終わった時、自分達子供は男の人に導かれ、捕らえられたマスター達と面会した。
瞬間、マスターは叫んだ。
「悪魔め!奪わせない、今度こそ!今度こそ、殺してやる!いけ、二番!」
命令だった。
ヴァースアックの殺気をものともしない自分達は、彼らに立ち向かった。
負けた。
自分達に戦闘能力はほとんどなかった。
本来、自分達は暗殺に役立てるためのものだった。
マスター達はヴァースアックに攻撃され、気絶して連れて行かれた。
ヴァースアックは、次に自分達子供を殺そうとした。「危ない芽は摘んでおこう」と剣を向けた。
何も思わなかった。
それを、あの男の人が庇った。
「まだ幼い子供だ!親もこの子達を探してるはず!なのに、殺すなんて…!そんなの間違ってるでしょう!」
その訴えに、ヴァースアックはしばらく話し合った後、子供達を親元に返すことに決めた。
ただ、自分だけは、親が見つからず、ヴァースアックの家に行くことになった。
あの男の人は、カイロウという名前だった。カイロウは、父親のトウセンに反抗しようとしていた。
トウセンが、一服ののち、連れて帰ってきた自分を殺そうとしたからだ。
「ヴァースアックに刃向かった奴をどうして生かしておく必要がある?他のガキどもは記憶障害に意識混濁で二度と俺達に逆らわねえから見逃してやった。だがこいつは違う。可能性がある。だったら殺す」
「そんなこと、絶対に許さない!こんな子供を…ヒソラより幼いのに…!命を奪うなんてそんな非道が許されるはずがない!」
「お前、どの口でほざいてやがる…何も知らねえ囮として動いただけの奴が…許さないだぁ?立場を弁えろよ恥知らず。そもそもお前は殺さねえんじゃなく殺せねえんだろ。ガキ一人にだって勝てないもんなぁ?弱え奴が何を言おうが、何も変えられねえんだよ!」
トウセンはカイロウを足蹴にすると、「このガキは明日殺す。ああそうだ。レイシンに殺させよう。次期当主としての儀礼だ」と告げて、いなくなった。
カイロウは、よろよろ立ち上がって、自分の手を引くと、部屋に連れて行った。そこには、変な雰囲気の男が待っていて、「…覚悟は決めたか代用品」と聞いた。
「…ああ」
カイロウが頷いた。
「安心してくれ。君を殺させなんて、しない。俺が、守る。…父さんを、倒してでも」
そして―――
「おい!制御できねえなら無理すんじゃねえ!」
アリナは意識を取り戻した。
カヨウの姿をした悪魔が、肩を掴んで強く揺さぶってくる。
「ご、ごめんなさい…?」
必死の形相に咄嗟に謝りつつ、アリナは視線を泳がせる。
今のは、キリカの記憶―――否、それよりもっと鮮明なものだった。
まるでその場に居合わせていたかのように、情報がなだれ込んできた。
そういえば、かつて、この世界で初めて悪魔と会った時、同じようにアリナの記憶を読み取った悪魔が、悶え苦しんだことがあった。
これも、それと同じ原理なのか。だとすれば、自身は本当に、魔力を持った特別な存在―――
「おい、平気か?おい!聞こえてんのか!」
「だ、大丈夫よ。ごめんなさい。聞こえてるわ」
「…っっったく!急に飛び込んできやがって。もぅ、この悪魔がいなかったらあんた、どうなってたと思ってんのよ!自覚しなさいよねぇ!」
「あたしが…どうなってたの?」
「…うるせえな。何事もなかったんだからいいだろ別に。それより…」
そこで悪魔は振り向き、アリナも彼の肩口から恐る恐る少女を覗き見た。
驚くカイロウの正面に立っている、表情のない少女。
雰囲気はあまりにも異なるが、キリカに間違いない。
「あれは…本当なの…?」
今し方見た、彼女の成り立ち。
それが真実であるならば、なるほど―――確かに、現実世界でカイロウがキリカの秘密を隠し通そうとした意味が理解できる。
忘れていた方がいいこともある。キリカにとっても、キリカを救い出し、殺そうとした一族である、彼らにとっても。
「俺は、父さんを止める」
キリカの頭に手を置き、カイロウが呟いた。
「俺は弱い。正攻法じゃ勝てない。だから、今夜…あの人の寝込みを襲撃する。どんな手段だろうと構わない。絶対に殺させなどしない…!俺がここにいる限り、そんなことは絶対に許さない!」
彼の語気は強く、眼差しは険しかった。
これまで平和主義かつ日和見な姿を見せてきたカイロウが、はっきりと憤りを示し、手段を厭わないと断言しているのだ。
…どうも、印象とズレる。
緑色の瞳を瞬くアリナに、悪魔が低く告げた。
「ここは、おれの記憶の中の世界だ。
おれは、この時のことを明確に覚えている。
これまでの、あってもなくても変わらない平和な日々の、幻想に近い記憶と違って、この瞬間はおれの心に刻まれている。
…おれは、この日を絶対に忘れない」
それは、カヨウがあんなにも粗暴な理由について、悪魔の補正がかかっているというアリナの仮説が正しかったことを示唆していた。
妙に安堵しつつ、アリナはハッと思い出し、悪魔に尋ねた。
「…この世界にいられる時間には、制限があるの?」
「逆だ。早くしねえとこの世界から出られなくなる」
「そんな…!いつまで?」
悪魔は、キリカに約束する青年と、カイロウを無表情で見上げる少女から視線を外さず、答えた。
「カイロウが、当主に取って代わるまでだ」




