第四十八話:早朝の朝食と、図書室の誓約
妹たちの足音が遠くの裏山へと完全に消え去り、境内に再び静寂が戻ってきた。
「……はぁ……っ」
神楽殿の太い木柱の影で、俺は大きく息を吐き出し、壁に頭を預けた。
背中を打つ心臓の鼓動が、まだ警鐘のように激しく脈打っている。壁一枚向こう側に妹たちがいたあの数分間は、まさに寿命が縮む思いだった。
「……ふふ。……行って、くれたね……」
俺の胸元に密着したままの涼風瑠愛が、萌え袖の手で俺の頬を優しく撫でながら、甘く蕩けた笑みを浮かべた。
距離にして、ゼロセンチ。
琥珀色の瞳は勝利の快感に濡れ、彼女の吐息はまだ熱く湿っている。俺の首元には、妹たちがすぐそばにいた極限状態の中で瑠愛が刻みつけた、新たな愛の痕跡がしっかりと残されていた。
「……瑠愛、お前なぁ……。もし見つかってたらどうするつもりだったんだよ」
「……見つかったら見つかったで、いいかなって……思ってた」
「え……?」
瑠愛はつま先立ちになり、俺の耳元へ唇を寄せると、甘く密やかな声で囁いた。
「……『黒木くんは私のものだから、手を出さないで』って……妹さんたちの前で、はっきり言えるチャンスだったから……」
「っ……」
学園の「氷の姫君」と呼ばれる彼女のどこまでもまっすぐで、どこまでも重い執着。その熱量に圧倒されながらも、俺の胸の奥は甘い痺れで満たされていく。
「……でも、黒木くんが困る顔も見たくないから……今日はこれで我慢してあげる」
瑠愛は萌え袖の手で俺の学ランのホックを丁寧に留め直し、第一ボタンをパチンと固定した。手際よく俺の首元を隠すと、自分の萌え袖の先端で俺の乱れた髪を優しく整えてくれる。
「……はい。これで、完璧……」
「サンキュ……。それにしても、妹たちは裏山へ向かったみたいだが、これからどうする? 学校が開くまで、まだ一時間以上あるぞ」
「……お腹、空かない……?」
瑠愛はそう言うと、持っていた通学カバンから、小さな可愛らしい紙袋を取り出した。
「……これ、今朝早く起きて作ってきたの。……一緒に、食べよ?」
「え、わざわざ作ってきてくれたのか!?」
「……うん。……黒木くんのために、朝4時に起きて……」
ふたりで神楽殿の古い木造の縁側に並んで腰を下ろした。
瑠愛が紙袋から取り出したのは、綺麗にラップで包まれた出来立てのサンドイッチだった。ハムとタマゴ、そして瑞々しいキュウリがサンドされている。
「……はい、黒木くん。……あーん、して……?」
瑠愛は萌え袖の手でサンドイッチをひとつ摘むと、自分の口元へ運ぶのではなく、俺の口元へと差し出してきた。
「あ、いや……自分で食べられるよ……!」
「……ダメ。……私の手から、食べてほしいの……。……ダメ……?」
上目遣いで射抜いてくる、破壊的なまでに可憐な眼差し。朝露に濡れた咲きたてのやわらかい花のような可憐さに、俺は抗う術を持たなかった。
「……わかったよ」
俺が意を決して口を開けると、瑠愛は嬉しそうに目を細め、ゆっくりとサンドイッチを俺の口へと運んでくれた。
「……ん……うまい」
「……本当……? よかった……」
瑠愛は自分の萌え袖の手で、俺の口元についた小さなパンくずを優しく拭うと、なんとその指先を躊躇なく自分の口元へと運んでペロリと舐めとった。
「っ……!? 瑠愛、それ俺の……!」
「……黒木くんの味……美味しい」
さらりと言ってのける瑠愛。その無自覚かつ大胆な行動に、俺の顔は一瞬で爆熱を帯びた。
朝日がゆっくりと差し込み、境内を黄金色に染めていく。早朝の誰もいない神社で、ふたりだけの甘い朝食。妹たちの追撃の恐怖すら忘れてしまうほど、濃厚で幸せな時間が流れていった。
◇◇◇
午前七時三十分。
無事に開門した私立蒼雲高校の校門を、俺と瑠愛は時間差でくぐり抜けた。
裏山を捜索していた妹たちは、まさか俺たちがすでに学校の敷地内に滑り込んでいるとは夢にも思っていないだろう。昇降口で靴を履き替え、俺は誰にも見られないように旧校舎側の図書室へと向かった。
朝の読書時間前、まだ誰もいない静まり返った図書室。
本棚の奥、古い歴史書の棚が立ち並ぶ影のスペースに、瑠愛が待っていた。
「……黒木くん」
図書室の薄暗い木漏れ日の中で、瑠愛は萌え袖の手で俺の制服の袖口をキュッと引いた。
「……今日の放課後も……旧校舎の資料室、来てくれる……?」
「ああ、もちろん行くよ。……妹たちの包囲網をどう突破するか、また考えないとな」
「……ううん。妹さんたちだけじゃないの……」
瑠愛の表情が、すっと真剣なものへと変わった。琥珀色の瞳が、俺を逃がさないという強い光を宿す。
「……私ね、決めたの。……今年の秋の文化祭までに……黒木くんとの関係を、もっと……誰にも引き裂かれないくらい……深くしたいの」
「文化祭……?」
「……うん。文化祭の夜のジンクス……知ってるでしょ……? 後夜祭の終わりに、一番特別な人と一緒にいると……永遠に結ばれるって……」
瑠愛は萌え袖の手で俺の手を包み込み、指を強く絡めてきた。
「……私、絶対に黒木くんと……その瞬間を迎えたい。……妹さんたちにも、学園のみんなにも……文句を言わせないくらい……完璧に、黒木くんの『特別』になりたいの」
「瑠愛……」
距離にして、再びゼロセンチ。
朝の図書室、本棚の影という密室で、彼女の強い眼差しが俺の心を深く射抜く。
妹たちの怒涛の過保護監視、そして近づく季節の中で、瑠愛の執着と愛は、秋の文化祭という大きな目標に向かってさらに過熱し、深化していくのだった。




