第十話:すれ違う足音と、秘密の約束
㊗️10話!
我が家の放課後は、いつも戦場だ。
中一の三つ子の妹たち——陸上部の愛陸、水泳部の愛空、バドミントン部の愛海が部活から帰ってくると、我が家は一気に運動部の合宿所のような騒がしさに包まれる。
「お兄ちゃん! 愛海のバド用の靴下どこー!? また愛陸が間違えて履いて行ったんでしょ!」
「言いがかりはやめてよ! 陸上部は靴下なんかで走らないし! 洗濯機の一番上にあるから!」
「二人とも声が大きい! 愛空のプロテインシェイカー洗ったの誰!? 筋トレの時間がズレるじゃん!」
昨日の夜も、リビングで巻き起こる三つの怒号を宥めながら、僕はふと頭を抱えていた。
運動部特有のパワフルすぎる妹たちに揉みくちゃにされる日常。それはそれで賑やかで悪くはないのだけれど、ふとした瞬間に、一人で静かに冷えた夕飯を食べようとしているであろう瑠愛の姿が頭をよぎるのだ。
——『いつか、黒木くんが作ってくれたやつが食べたいな』
マフラーに顔を埋めながら、どこか寂しげに言った彼女の言葉。
あの言葉が、夕飯の準備をしながらも、布団に入ってからも、ずっと胸の奥で心地よい重みとなって残っていた。
(三つ子たちの分と一緒に、すずかぜさんの分も作っていけたら……いや、でもそれじゃ冷めちゃうか……)
そんなことを真剣に悩みながら迎えた、金曜日の放課後。
「……遅いな」
ぽつりと呟き、僕は壁の古びた時計を見上げた。長針がすでに四時半を回っている。
いつもなら放課後のチャイムが鳴ってから十分と経たずにこの旧・第一資料室にやってくる瑠愛が、今日は二十分が過ぎても現れない。
(部活のミーティング? それとも……何かあったのかな)
窓の外では冬の夕日が急速に沈み、廊下の冷気がドアの隙間から足元へと忍び寄ってくる。
僕はパイプ椅子に座ったまま、落ち着かない心地でシャープペンを指先で弄っていた。
ガラ、といつもよりどこか遠慮がちな音を立てて、ドアが開いたのはそれからさらに数分後のことだった。
「……ごめん、遅くなった」
滑り込んできた瑠愛は、どこか疲れ切ったような表情をしていた。
いつもの整った長い黒髪が少し乱れていて、制服のカーディガンの袖をぎゅっと握り締めている。
「すずかぜさん……大丈夫? 顔色、すごく悪いけど」
僕が立ち上がって心配そうに声をかけると、瑠愛はハッと弾かれたように顔を上げ、小さく首を横に振った。
「ううん、体調が悪いわけじゃないの。……ただ、クラスの女子に話しかけられてて」
「話しかけられた……?」
瑠愛は自分の席に着くと、深々と溜息をついた。その細い肩が、寒さとは違う理由で少しだけ震えているように見えた。
「『涼風さんって、放課後いっつもすぐいなくなるけど、どこ行ってるの?』って聞かれちゃって。……最近、私があいさつもそこそこに教室を出て行くから、周りで少し噂になってるみたいで」
「っ……」
心臓がドキンと嫌な跳ね方をした。
学年一の美少女と称され、常に周囲から注目を集める涼風瑠愛。
そんな彼女が、毎日放課後になるとどこかへ消える。もし、誰かが好奇心で後をつけたりして、僕と一緒にこの古い資料室にこもっていることが知られたら——。
「……私のことは、別にどう思われてもいいんだけど」
瑠愛は膝の上で固く拳を握りしめ、視線を落とした。
「黒木くんに迷惑がかかるのは……絶対に嫌だから。もし変な噂が立って、黒木くんがクラスで居づらくなったら……私、耐えられない。……だから、少しここに来るのを控えようかと思うの」
彼女の声は途切れ途切れで、消え入りそうだった。
学校での孤立には慣れているはずの彼女が、自分ではなく「僕」を守るために、この唯一の居場所を手放そうとしている。
寂しがり屋で、誰よりもこの空間を愛おしそうにしていた彼女が、必死に唇を噛み締めて自分を殺そうとしているのだ。
胸の奥が、焼け付くように痛かった。
「……だめだ」
「え……?」
気がつくと、強い言葉が口から突いて出ていた。
「来ない日を作るなんて、絶対だめだ」
「でも……! このままじゃ、黒木くんが周りから何か言われるかもしれないし、この部屋のこともバレちゃったら——」
「噂なんて、どうでもいい!」
僕は瑠愛の言葉を遮り、彼女の机の前まで大股で歩み寄った。
「僕が周りにどう思われようが関係ない。それよりも、すずかぜさんが一人で寂しい思いをする方が……僕にとっては百倍嫌だ」
「黒木くん……」
「妹たちに揉みくちゃにされる賑やかな日常も嫌いじゃない。でも……僕にとっても、ここはすずかぜさんと二人でいられる、世界で一番大切な場所なんだ。誰に何と言われようが、諦めたくない」
真っ直ぐに彼女の目を見つめて告げると、瑠愛は息を飲んで僕を見つめ返した。
大きな瞳が揺れ、そこに溜まっていた透明な雫が、ぽろりと一筋、彼女の頬を伝って落ちた。
「……バカ」
瑠愛はマフラーに顔を深く埋めると、涙声のまま小さく呟いた。
「そんなこと言われたら……私だって、我慢できなくなるじゃん……っ。ここに来るの、本当は毎日楽しみで仕方ないのに……っ」
彼女はそっと手を伸ばし、僕のブレザーの裾を、まるで縋り付くようにギュッと強く掴んだ。
「……じゃあ、絶対にバレないようにする。放課後は時間差でここに来るし、廊下でも絶対に知り合いとすれ違わないルートを使う。だから……居場所を無くすなんて言わないで」
「うん。僕ももっと気を配るから」
「それと……」
瑠愛は涙を指先で拭うと、マフラーの隙間から悪戯っぽく、でも少しだけ照れくさそうに唇を綻ばせた。
「約束の……黒木くんの手料理。絶対に作ってきてね。愛陸ちゃんたちに横取りされないように、秘密で」
「……わかったよ。三つ子の怪獣たちに見つからないように、特製のお弁当作ってくる」
僕が答えると、瑠愛は嬉しそうに、まるで花がほころぶように微笑んだ。
二人の居場所を守るための、新しい「秘密の約束」。
周囲の視線や噂という壁が立ちふさがろうとも、繋がった僕たちの心が離れることは絶対にないのだと、冬の空き教室で強く確信していた。
3つ子自分で書いたのにやばすぎぃw




