30
朝起きると、シリウスは、すーすーという心地よい寝息を立てていた。
窓から差し込む朝の光が、シリウスの頬をうっすら照らしている。
まだ、起きる気配はない。
僕は、彼の髪の毛をさらっと触り——
柔らかい。
昨日のお互いに洗いっこした髪が、ちゃんと、ふわっとしてる。
そして、おでこに、軽くだけど、キスを落とす。
ちゅ、と、小さな音。
これがきっと、僕の今できる、好きという表明。
昨日の夜、シリウスの気持ちは聞いた。
でも、まだ、僕は、自分の気持ちに、ちゃんと言葉をつけられない。
でも、これくらいなら、できる。
これくらいの「好き」なら、今の僕にも、伝えられる。
その直後——
手首を掴み取るシリウス。
「へえ……」
どきり。
目が、開いてる。
いつから起きてたんだろう。
寝息は、まだ、すーすーって、聞こえてたのに。
(ね、寝たフリだった!?)
心の中で叫ぶ。
でも、もう、遅い。
そのまま、彼の胸にダイブしてしまう。
手首を引かれた反動で、ぼすっと、シリウスの胸に倒れ込む。
「……ぁ」
小さな声と一緒に、耳元で、
「お前……こういうのは恥ずかしくないのな?」
(うわ……)
顔が、もう、真っ赤になってる気がする。
髪の毛を、わしゃわしゃされる。
いつもの「リルド分補給」とは、ちょっと違う、からかうような撫で方。
「いや、これは……不意打ちだったから、つい……」
「不意打ちって、お前がやったほうだろ」
「うっ……」
言い返せない。
たしかに、そうだ。
寝顔のシリウスに、勝手にキスしたのは、僕のほうだ。
「べ、別に、おでこなら、いいかなって……」
「……ふ」
シリウスが、小さく笑う。
その笑い方が、なんだか、すごく、優しい。
それから——
僕はシリウスの顔を見る。
目が、合う。
昨夜の真剣な目とは、ちょっと違う、でも、ちゃんと真剣な目。
彼は、僕の頭を押さえ、ゆっくりと自分の近くに持っていく。
(……ぇ!?)
頭の中が、真っ白になる。
(こ、これって……)
ある程度、唇付近まで持っていくと——
僕は慌てて、彼の顎を手で押してしまい、
「うぎ!?」
「……ぁ」
二人とも、止まる。
ベッドの上、変な体勢で固まる。
手のひらで、シリウスの顎を、ぐいっと押し上げてしまった形。
(や、やってしまった……!)
慌てて、手を離す。
「ご、ごめん……!」
「……いや」
シリウスが、ちょっと顎をさすりながら、苦笑する。
「びっくりした……」
「ごめんね、咄嗟に……」
「いや、別に、いい」
お互い、ちょっとだけ、気まずい沈黙。
でも、その沈黙が、なんだか、嫌じゃない。
「リルド」
「な、なに」
「焦らなくていいって、昨日言っただろ」
「……うん」
「だから、今、急がなくていい」
シリウスが、ちょっとだけ、優しい声で、そう言ってくれた。
その言葉に、ほっとする。
でも、なんだか、ちょっとだけ、申し訳なくもなる。
「シリウス、ごめんね……顎、押しちゃって」
「いいって。むしろ、ちゃんと、自分のペース守れてて、偉い」
「えっ、褒めてるの?」
「褒めてる」
シリウスが、にかっと笑う。
その笑顔に、また、心臓が、きゅんとなる。
(また、これだ……)
でも、もう、この感覚の正体は、ちゃんと、知ってる。
昨夜、シリウスが教えてくれたから。
「シリウス」
「ん?」
「あのね、おでこへのキスは……あれは、僕なりの『好き』のつもりだったんだ」
「……知ってる」
「えっ」
「分かるよ、それくらい」
シリウスが、ちょっとだけ、照れたように、目を逸らした。
耳が、もう、赤い。
「だから、嬉しかった」
「……うん」
なんだか、僕も、ちょっとだけ、泣きそうになる。
でも、悲しい涙じゃない。
ちゃんと、伝わったんだなって、思える、嬉しい気持ち。
「シリウス、今度はちゃんと、唇には、まだ無理かもしれないけど」
「うん、いい。それでいい」
「でも、いつかは——」
「いつかは、な」
シリウスが、優しく、頷いてくれる。
その「いつかは」っていう言葉が、すごく、心地いい。
急かされてない。
でも、ちゃんと、未来を、一緒に見てくれてる。
「起きるか」
「うん」
ベッドから起き上がる。
シリウスが伸びをして、僕の頭を、もう一回、ぽんと撫でる。
「今日、最終撮影だな」
「うん。最後まで、ちゃんと歌おうね」
「ああ、もちろん」
二人で、顔を見合わせて、ふっと笑う。
着替えながら、シリウスが、ぽつりと言った。
「リルド」
「ん?」
「俺、お前のこと待つの、全然苦じゃないからな」
「シリウス……」
「だから、変に焦って、無理しなくていい」
その言葉に、胸が、じんわり熱くなる。
(こんな優しい人を、好きにならないわけがない)
まだ、自分の気持ちに、はっきりした名前はつけられないけど。
でも、この温かさは、ちゃんと、本物だって、分かる。
一階に降りる。
みなとさんが、もう朝ご飯を作り始めていた。
「おはよう2人とも」
「おはよう、みなとさん」
「おはよう、親父」
いつも通りの朝。
でも、僕とシリウスの間には、昨日までとはちょっと違う、新しい何かが、ちゃんと、芽吹いていた。
朝ご飯の準備を手伝いながら、ちらっとシリウスを見る。
目が合うと、シリウスがふっと笑う。
その笑顔に、また、心臓が、跳ねる。
でも、もう、怖くない。
この気持ちの名前は、まだ、はっきりとは分からないけど。
いつか、ちゃんと分かったら、ちゃんと、伝えよう。
今は、これくらいの「好き」で、十分。
甲斐多町の朝が、また、優しく始まる。
今日は、最終撮影日。
シリウスと一緒に、最後まで、歌い切ろう。
二人の気持ちを、ちゃんと、歌に乗せて。




