CROSSOVER 5-Prelude / REN 祠道の芽に、灰色の庭の影が混じる
道の芽は、祠地図の上に残っていた。
入口祠。
環祠。
星見台。
小祠一。
小祠一の先の点三つ。
戻り石の印。
そして、仮枝道。
線ではない。まだ道とも呼ばない。けれど、点三つはばらばらではなくなった。戻れる順番ができて、入口祠から見ても、外へ伸びるものとして受け取られた。
リタは祠地図を作業台の上に広げ、昨日書き足した文字を指でなぞっていた。
道の芽。
戻れる。
まだ濃くしない。
「これ、消えませんね」
「うん。祠が受け取ったからだと思う」
「墨は薄いのに、見えます」
「不思議だね」
「はい。ちょっと、うれしいです」
リタの声は小さかった。
ミオも同じ気持ちだった。
大きな奇跡ではない。小祠二を見つけたわけでもない。暗い穴も開けていない。それでも、村の外側に次へ進む足場ができた。
その足場が、地図に残っている。
それだけで、朝の入口祠の前は少し明るかった。
ベンは戻り石袋を抱えて、子どもたちに説明していた。
「これは戻り石。道の石とは違う」
「どう違うの」
「戻る時に見る」
「行く時は?」
「行く時も見るけど、戻る時が大事」
「じゃあ、戻る石じゃん」
「だから戻り石」
「そのままだ」
子どもたちが笑う。
白狐は入口祠の横で、その様子を静かに見ていた。尾はゆっくり揺れている。環祠の暗い穴の話をしていない時の白狐は、少しやわらかい。
ミオは透明板を祠地図にかざした。
[祠道表示]
祠地図:更新済み
道の芽:残っている
小祠一の先:次の確認先
暗い穴:まだ触れない
最後の行で、ミオは少しだけ息を止めた。
暗い穴。
まだ触れない。
分かっている。分かっているけれど、表示されると気になる。環祠の石台にあった、星見台の並びにも合わない黒い穴。白狐が気にしていて、ミオも触らないと決めた場所。
まだ触れない。
それでいい。
「ミオ」
「見てない」
「表示を読んでいます」
「見てないより高度なやつだった」
「今日は道の芽の確認だけがよいと思います」
白狐の声は静かだった。
「うん。今日は道の芽の確認だけ」
ミオは透明板の表示を一段戻した。
その時だった。
祠地図の上に、薄い灰色の影が混じった。
「……え?」
リタが顔を上げる。
「どうしました?」
「今、灰色の線が入った」
ミオは透明板を近づけた。
祠地図そのものには何もない。墨の線も、点も、戻り石の印も、昨日のままだ。けれど透明板越しに見ると、道の芽の外側に、別の影が重なっている。
白石道の光ではない。
祠のぽう、という反応とも違う。
もっと硬い。
もっと冷たい。
どこか、金属の中を走る線に似ている。
[祠道表示]
外側に別の影
祠道ではない
けれど、戻る点に似ている
「祠道ではない。けど、戻る点に似てる……?」
ミオが読み上げると、白狐の耳が立った。
「戻る点」
「うん。点が三つ……いや、三つに見える。そこから戻ってる」
透明板の上で、祠地図とは別の薄い点が三つ浮いた。
小祠一の先ではない。環祠の上でもない。もっと遠い。祠地図の外側に、無理やり重なっているような位置だった。
点が三つ。
そして、戻る。
ミオは息を止めた。
それは、昨日見た道の芽に似ていた。
けれど、違う。
白い石ではない。草の道でもない。戻り石でもない。
灰色の、冷たい点。
ミオの頭の奥に、別の場所の空気が入り込んだ。
金属の床。
黒い円。
低い端末音。
粉の匂い。
誰かの手袋。
レン。
名前が、先に出た。
「レン?」
リタが目を丸くした。
「レン、ですか」
「あ、ごめん。今のは……」
ミオは言いかけて、止まった。
ごまかすより、言わない方がいい。村の人に、今ここで現代の恋人の話をしても伝わらない。しかも、確定していない。
通信ではない。
声が届いたわけでもない。
ただ、意味だけが重なった。
白狐がミオを見上げる。
「前に言っていた、レンという方ですか」
「うん。たぶん」
「たぶん」
「うん。まだ、たぶん」
白狐はそれ以上聞かなかった。
その代わり、祠地図の上に浮かぶ灰色の点を見た。
「祠道ではありませんね」
「うん。違う。たぶん、設備の点。外側に三つ置いて、戻る順番を見てる」
「誰かが、向こうで同じようなことをしているのですか」
「同じ、ではないと思う。でも、似てる」
ミオは透明板を操作した。
表示はまだやわらかい祠道表示のままだ。けれど、その下に、ミオにしか分からない構造が見える。点列。戻り順序。未確定の外周。接続なし。通信なし。
それでも、意味は入ってくる。
開けない。
線にしない。
戻れるようにする。
それは、ミオが最近ずっとやっていることだった。
そして、レンも今、それをしようとしている。
なぜか、そう思った。
「白狐さん、これ、向こうから来てる気がする」
「向こう」
「レンの方。あっちの世界。たぶん、すごく硬くて、灰色で、危ない場所」
「祠ではないのですね」
「うん。祠じゃない。庭、みたいな……いや、庭って言っていいのか分からないけど、灰色の庭」
口にした瞬間、透明板の表示が小さく揺れた。
[祠道表示]
灰色の庭:未確認
戻る点:三つ
接続:まだない
「灰色の庭……」
ミオはその文字を見つめた。
灰色の庭。
自分が知っている言葉ではない。でも、透明板はそう表示した。祠道の表示としては浮いている。草も石もない。なのに、そこに混じっている。
白狐が静かに言った。
「近づきすぎない方がよい気配です」
「うん。分かる」
「ですが、完全に遠ざけるものでもないように見えます」
「白狐さんも、そう思う?」
「はい。戻る点を持っています」
戻る点を持っている。
それは、今のミオには大きかった。
ただ危ないだけなら、閉じればいい。触らなければいい。けれど、戻る点があるなら、そこには慎重に進もうとしている人がいる。
たぶん、レンが。
ミオは透明板を握る手に少し力を入れた。
前なら、すぐに何かを書き換えようとしたかもしれない。接続しようとしたかもしれない。呼びかけようとしたかもしれない。
でも、今はしない。
リンクはまだ成立していない。
相手の世界の構造も分からない。
祠道の暗い穴と同じだ。見えたからといって、触っていいわけではない。
「今は、見て記録するだけ」
「よいです」
白狐の返事は早かった。
リタは不安そうにミオを見ていた。
「ミオ様、大丈夫ですか」
「大丈夫。ちょっと変な表示が混じっただけ」
「祠道ではないのですか」
「うん。祠道じゃない。でも、道の考え方は似てる」
「道の考え方」
「行く前に、戻る場所を作る。そういうやつ」
リタは少し考えてから、うなずいた。
「それなら、大事ですね」
「うん。かなり大事」
ベンが戻り石袋を抱えたまま近づいてきた。
「戻り石、向こうにもいる?」
「たぶん、いる」
「石あるかな」
「石じゃないかも。金属とか、ビーコンとか」
「びーこん」
「ええと、向こうの戻り石みたいなもの」
「じゃあ、戻り石仲間」
「そうだね。戻り石仲間」
白狐が少しだけ目を細めた。
「言い方はゆるいですが、意味は悪くありません」
「白狐さん判定、通った」
「ぎりぎりです」
ミオは笑った。
透明板の灰色の点は、まだ残っていた。三つ。戻る。三つ。戻る。弱いけれど、消えない。
それは通信ではない。
言葉もない。
でも、向こうで誰かが慎重に点を置いている。その気配だけが、祠道の地図に混じっている。
ミオは胸の奥が少し熱くなるのを感じた。
「レン、そっちも戻れるようにしてるんだね」
返事はない。
当然だ。
けれど、灰色の点が一度だけ淡く揺れた。
ぽつ。
ぽつ。
ぽつ。
戻る。
ぽつ。
ぽつ。
ぽつ。
祠の音ではない。けれど、ミオには返事のように思えた。
神官が入口祠の前で静かに手を合わせた。
「ミオ、今のものも、祠地図へ記しますか」
「いいえ。村の地図にはまだ書きません」
「なぜです」
「村の道じゃないからです。ここに書くと、みんなが行ける道だと思ってしまう」
「なるほど」
神官は納得したようにうなずいた。
「では、あなたの板にだけ」
「はい。私の板にだけ、仮で残します」
ミオは透明板の端に、小さく記録を置いた。
[祠道外記録]
灰色の庭:未確認
戻る点:三つ
接続:まだない
相手:RENの可能性
触れないこと
最後の行は、自分で足した。
触れないこと。
白狐がそれを見て、満足そうにうなずいた。
「とてもよいです」
「今日は七割超えた?」
「八割です」
「やった」
「残り二割は、今後のミオ次第です」
「厳しい」
リタが小さく笑った。
その笑いで、入口祠の前の空気が少し戻った。村人たちは祠地図を見ている。子どもたちは戻り石袋の中身をのぞきたがって、ベンに止められている。いつもの朝だ。
でも、ミオの透明板には、灰色の点が残っている。
向こうにも道の芽がある。
まだ接続はない。
けれど、レンはたぶん、灰色の庭の外側で戻る点を置いている。
それが分かっただけで、ミオは少し息がしやすくなった。
待つだけではない。
こちらはこちらで、祠道を伸ばす。
向こうは向こうで、灰色の庭に近づく準備をしている。
同じ場所にはいない。話せもしない。手も届かない。
それでも、やっていることが少し似ている。
ミオは透明板を下ろした。
「白狐さん」
「はい」
「今日は、道の芽の確認を続ける。灰色の庭は記録だけ」
「はい。それがよいです」
白狐は静かに答えた。
その時、透明板の端に、さらに別の細い反応が出た。
灰色の点ではない。
祠道でもない。
レンの気配とも違う。
もっと遠く、もっと変な場所から、短い文字だけが引っかかった。
ミオは眉を寄せた。
「……なに、これ」
表示はかすれている。意味はほとんど読めない。けれど、二つの単語だけが、はっきり浮いた。
URL。
NCODE。
ミオの指が止まった。
その二つは、この世界の言葉ではない。
祠でも、神官の祈りでも、古い超文明のやわらかい表示でもない。
現代のにおいがした。
ぞくり、と背中が冷える。
「現世……?」
白狐が耳を立てる。
「ミオ?」
「今の、祠道じゃない。レンの灰色の庭でもない。たぶん、もっと別。現世からの断片かもしれない」
透明板に、短い記録が残る。
[外部断片]
由来:現世側の可能性
抽出語:URL/NCODE
送り元:不明
追跡:しない
ミオはすぐに追跡を止めた。
今は触らない。
灰色の庭も、現世の断片も、同時に追ってはいけない。全部が混ざる。混ざったものに、手を入れてはいけない。
白狐が静かに言った。
「閉じますか」
「記録だけ残して、閉じる」
「はい」
ミオは透明板の表示を閉じた。
けれど、二つの単語だけは、頭に残った。
URL。
NCODE。
レンの気配とは違う。
祠道の光とも違う。
現世から来たかもしれない、短い断片。
ミオは入口祠の前に立ったまま、少しだけ息を吐いた。
道の芽は、外へ伸びた。
灰色の庭の点も、見えた。
そして、さらに遠い現世の断片が、ほんの一瞬だけ混じった。
世界は、思っていたよりも多くの場所で、細くつながりかけているらしい。
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