第43話 外縁の標が、空を向いた
第三標識が起きた翌日、ミオたちは川の向こうへ渡った。
もう、大人数ではない。
ミオ、白狐、神官さん、ラウ、リタ、ベン。昨日と同じ顔ぶれだ。持ち物は少し変わった。縄と木札に加えて、長い棒、薄い布、小さな供物、風で鳴るものを押さえるための紐、石を支える楔がある。
目的は、第三標識の側方線。
高台へ向かう、少し変な光の線だった。
「今日は高台ですね」
「はい」
「川も渡りますね」
「はい」
「供物も」
「あります」
「よいです」
白狐は満足そうだった。
ミオは透明な板を胸に抱え直す。
入口祈り場から、第一標識、第二標識、休み石広場、路肩小祠へ進む。昨日までより、道の光は安定していた。草の下の石列も見えやすい。リタの木札も増えている。
祈り橋跡に着くと、沈み石は九つ、川の中でぽうっと光っていた。
[PILGRIM ROAD STATUS]
――――――――――
入口祈り場:安定
第一標識:安定
第二標識:安定
休み石広場:稼働
路肩小祠:復帰
祈り橋跡:安定
第三標識:起動
次目標:外縁標候補
――――――――――
「外縁標候補、出ています」
「候補、か」
ラウが川を見ながら言う。
「まだ実物を見てないので」
「見たら候補が取れるのか」
「たぶん」
「たぶんが出た」
「見てから決めます」
ラウは笑い、先に川を渡った。
縄を確認し、対岸で手を上げる。神官さん、リタ、ベン、ミオ、白狐の順で渡る。ミオは昨日より足元に迷わなかった。冷たい水の音も、もう「怖い」だけではない。
渡れる場所だ。
そう体が覚え始めていた。
対岸広場では、第三標識が穏やかに光っている。標識の前の石畳は、昨日より少しだけ見えやすくなっていた。リタが新しい木札を確認し、ベンが根元の水抜き溝を覗き込む。
「水、たまってません」
「よかったです」
「昨日の溝、効いてます」
「ベンさんのおかげですね」
「溝です」
「溝も大事です」
ミオは第三標識の右側へ回った。
そこに、側方線がある。
やわらかい巡礼道の光とは少し違う。石列に沿って進むのではなく、地面から少し浮くように、細く高台の方へ伸びている。
白狐が隣に立った。
「やはり、こちらです」
「分かります?」
「はい。覚えていないのに、足が知っているような感じです」
「それ、怖くないですか」
「怖いです」
「言い切った」
「ですが、行く価値があります」
ミオはうなずいた。
神官さんが第三標識の前で短く祈る。
「川を越えた標よ。今日は、その先にあるものを確かめに行く。戻る道を失わぬよう、足元を示したまえ」
第三標識の側方線が、ぽうっと明るくなった。
[SIDE ROUTE TRACE]
――――――――――
第三標識:接続
側方線:起動
方向:東高台
足元石列:不連続
外縁標候補:微弱応答
注意:通常巡礼路と異なる反応
――――――――――
「通常巡礼路と異なる反応」
ミオは小さく読む。
ラウが長い棒を持ち直した。
「道が違うってことか」
「はい。たぶん、歩くためだけの道じゃないです」
「でも歩くんだろ」
「歩きます」
「なら足元を見る」
それは正しかった。
ミオたちは高台へ向かう細い道へ入った。
最初は、普通の山道に見えた。草に隠れた石列。木の根。低い茂み。けれど、少し進むと違いが出た。石列がまっすぐではない。蛇行するのではなく、何かを避けるように、一定の間隔で小さく曲がる。
そして、足元の石のいくつかに、星の形が刻まれていた。
リタがしゃがみこむ。
「星ですか?」
「星みたいですね」
「巡礼道に星?」
「上へ向かう線だからかもしれません」
ベンが石を見て、首をかしげた。
「この石、道石と違います」
「違う?」
「硬いです。あと、表面がつるっとしてます。水で丸くなった石じゃないです」
「作った石?」
「たぶん」
白狐は何も言わなかった。
その沈黙が、ミオには気になった。
さらに進むと、高台の上が少し開けた。
そこに、標があった。
普通の道しるべではない。
地面から斜めに立つ石柱。上部は空へ向き、先端は折れている。周囲には星を模した小石が半円状に埋まっている。細い石片がいくつも吊られていたようだが、今は割れて地面に落ちていた。
風が通る。
割れた石片が、かすかに揺れた。
音は鳴らない。
ミオは透明な板をかざした。
[OUTER MARKER TRACE]
――――――――――
外縁標候補:微弱応答
地上巡礼路:接続
上方線:検出
星石:複数埋没
風鳴り石:破損
――――――――――
「外縁標候補……」
「これがそうか」
ラウが見上げる。
「道しるべにしては、上を向きすぎてるな」
神官さんは石柱の前で足を止めた。
「星へ祈る標、かもしれぬな」
「星へ」
「地の道を歩く者が、空へも祈りを届ける。そういう場所に見える」
「村の言葉だと、それが一番近いかもしれません」
ミオは板の表示をもう一度見る。
上方線。
その言葉が、やけに硬い。
地面に沿った巡礼道ではない。荷を運ぶ道でも、人が歩く道でもない。祈りや信号や記録を、上へ逃がすような線。ミオの感覚では、空へ向かう端子に近かった。
「これ、道しるべじゃなくて、空へ向かう端子かもしれません」
「端子」
リタが復唱する。
「あ、ええと……空へ知らせるための標、です」
「それなら分かります」
「今の言い換え、えらいです」
白狐が言った。
「ありがとうございます」
ラウが石柱の周囲を歩いて確認する。
「足元は悪くない。ただ、こっち側の石が抜けてる」
「星石ですか」
「たぶんそれだな。半分埋まってる」
「ベンさん」
「見ます」
ベンが星石のそばにしゃがんだ。
「抜けてるんじゃなくて、沈んでます。持ち上げれば戻せるかも。でも、下に何かあります」
「何か?」
「空洞じゃないです。硬い板みたいなもの」
ミオは板を向ける。
[STAR STONE ARRAY]
――――――――――
星石:六基検出
露出:二基
埋没:四基
下部構造:あり
上方線補助:停止
――――――――――
「星石が六つ。上方線の補助みたいです」
「石を戻せば、この標も戻るのか」
ラウが聞く。
「すぐ全部は無理です。先に状態を見るだけにします」
白狐が静かにうなずいた。
「それがよいです」
「止めるんじゃなくて?」
「今日は、見つけたことが大きいです。起こすなら、ここを祠として迎える形が必要です」
「祠として」
「はい。これは道具である前に、祈りを受ける場所です」
ミオは標を見上げた。
石柱は、壊れている。
けれど、ただ壊れた機械ではない。周囲の星石、供物皿、風鳴り石。村の人が見れば、ここはきっと祠だと思う。
なら、端子としてだけ扱うのは違う。
「神官さん」
「なんだ」
「今日は、ここを見つけたことと、状態を記録するところまでにしたいです。次に来る時、星祠として整えた方がいいと思います」
「星祠」
「はい。星へ祈りを送る祠、という形で」
「よい名だ」
神官さんは石柱の前に立った。
「ここは、外縁標であり、星祠でもある。村へは、まず星祠として伝えよう」
「お願いします」
リタがすぐ木札を出した。
「星祠、書きます」
「まだ仮で」
「仮星祠?」
「それはちょっと変です」
「では、星祠候補」
「木札っぽくないですね」
「星祠予定地」
「工事みたいです」
ラウが吹き出した。
白狐が少し真面目に言った。
「星祠跡、ではどうでしょう」
「あ、それがいいです」
ミオはうなずいた。
「星祠跡。今は壊れているけど、ここに星祠があった、という感じで」
リタは嬉しそうに書いた。
星祠跡。ひとりで入らない。石を抜かない。割れた石片を持ち帰らない。
「最後、いります?」
「いります」
白狐が言った。
「持ち帰る人、いますか」
「います」
「即答」
ベンが割れた石片のそばで手を止めた。
「……持って帰りません」
「ベンさん向けではないです」
「ちょっときれいだったので」
「やっぱりいるじゃないですか」
ミオは少し笑って、透明な板で星祠跡の周囲を記録した。
壊れた風鳴り石。
沈んだ星石。
空へ向いた石柱。
下部構造。
上方線。
全体としては、眠っている。けれど、第三標識からの線を受けて、かすかに反応している。
[OUTER MARKER RECORD]
――――――――――
名称仮登録:星祠跡
外縁標候補:確認
上方線:微弱
星石:六基
風鳴り石:破損
状態:整備待ち
次作業:祠場清掃/星石復帰/風鳴り石確認
――――――――――
「次は、場の清掃と星石の復帰。風鳴り石の確認」
「風鳴り石って、これか」
ラウが割れた薄い石片を指す。
「たぶん。風で鳴る石です」
「石が鳴るのか」
「薄いので、鳴るのかも」
「鳴ったら面白いな」
「面白いだけじゃないと思います」
白狐が石柱を見た。
「風が鳴れば、ここが起きます」
「分かるんですか」
「はい。音ではなく、合図です」
「合図……」
ミオは風鳴り石を見る。
割れて、地面に落ちている。今は鳴らない。でも、もし戻れば、風が通るたびに音が出る。星祠が起きていることを、道へ知らせるのかもしれない。
その時、細い風が高台を抜けた。
割れた石片が、少しだけ触れ合う。
ち。
ほんの小さな音がした。
全員が黙った。
音は一度だけだった。
それでも、第三標識の側方線が、かすかに明るくなった。
ミオの板にも反応が走る。
[WIND STONE RESPONSE]
――――――――――
風鳴り石:破損状態で微弱反応
第三標識側方線:応答
上方線:一瞬検出
状態:復帰可能
――――――――――
「復帰可能」
ミオは思わず声に出した。
リタが目を丸くする。
「今、鳴りましたよね」
「鳴りました」
「小さかったけど」
「はい。でも、反応しました」
神官さんは静かに頭を下げた。
「なら、ここは死んでいない」
「はい。壊れてるけど、死んでません」
白狐が、珍しくゆっくり息を吐いた。
「よかったです」
「白狐さん?」
「ここは、残っていました」
その言い方に、ミオは胸の奥が少し引っかかった。
白狐は覚えていない。
でも、知っている。
封じられた記憶の近くに、この星祠跡があるのかもしれない。
「白狐さん、ここ、気になりますか」
「はい」
「じゃあ、ちゃんと戻しましょう」
「はい。急がず、でも止まらず」
「それ、いいですね」
「ミオが好きそうな言い方です」
「好きです」
ミオは透明な板を閉じた。
高台の上から見ると、第三標識のある対岸広場が木々の間に少し見える。その向こうに、祈り橋跡。さらに向こうに、リュミナ村へ戻る道。
地上の道は、川を越えてここまで来た。
そしてここには、空へ向かう標がある。
まだ起きていない。
でも、場所は見つけた。
「今日は帰ります」
「はい」
神官さんがうなずく。
「村へ戻り、星祠跡を整える準備をする。布、供物、清めの水、それから風鳴り石を吊るすための紐がいるな」
「あと、石を勝手に持ち帰らない木札」
リタが言った。
「それは重要です」
白狐がうなずいた。
ベンが少しだけ目をそらした。
「持ち帰りません」
「はい」
帰り道、第三標識の側方線は細く光っていた。
高台から第三標識へ。
第三標識から祈り橋跡へ。
祈り橋跡から、リュミナ村へ。
ミオはそのつながりを見ながら、ゆっくり歩いた。
星祠跡で鳴った小さな音が、まだ耳に残っている。
ち。
壊れていても、鳴った。
それだけで、次に進む理由には十分だった。
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