第165話 三つの軒で休める
昼の便が着いたあと、空き家の軒下には八人いた。
湯から戻ったおばあさんが二人。豆と布を運んできたルーナの人が三人。塩水を移し終えるのを待つノルテの男の人が一人。それから、今夜は村に泊まりたいという母親と、小さな女の子。
軒下には布束も三つ置かれている。
「人と荷が、同じところで待っています」
ミオが言った時、女の子が足を伸ばした。踵が布束の包みへこつんと当たり、慌てて引っ込む。
「ごめんなさい」
「濡れていないから大丈夫だよ」
布を運んできた女の人は笑ったが、今度は井戸へ桶を運ぶ村人が、軒下からはみ出した肩棒を避けて遠回りした。
荷は入口を塞がなくなった。
けれど、着いたあとの人と荷が、村の暮らしへ少しずつはみ出している。
「皆さん、ここで何を待っていますか」
ミオが一人ずつ尋ねると、同じ軒下でも用事は違っていた。
湯帰りのおばあさんたちは、火照りが引くまで座りたい。ルーナの三人は、水を飲んで足を休めたら、空の荷車で帰る。ノルテの男は、夕方前の塩水を壺へ移し終えるまで待つ。
母親と女の子は、明日の朝に神官へ薬草を渡すため、夜を越したい。
「休む人と、眠る人と、荷を待つ人ですね」
「同じ待つでも、要るものが違います」
白狐さんは軒下の端へ寄り、井戸道を通る桶を見送った。
「眠る方には静かで乾いた場所が要ります。荷には、人の寝床より出し入れしやすい場所がよいでしょう」
「休むだけなら、湯場の近くが楽だね」
湯帰りのおばあさんが、自分の膝をぽんと叩いた。
「ここまで歩いてきたら、もう一度休みたくなるよ。湯場の横なら、上がってすぐ座れる」
村人たちは、札より先に三つの場所を見に行った。
湯場横には、薪を置いていた低い庇がある。薪を奥へ寄せれば、長腰掛けを二つ置けた。湯気は届くが、湯場の水が流れる溝からは離れている。
空き家は、前に傷んだ戸と屋根を直してある。床板も乾いていた。ただし窓際には薄く土埃が積もり、隅には畳んだ古い筵が残っている。
倉庫横には、空箱を仮置きする台が二つあった。軒は短いが、壁の木杭へ油布を渡せば、荷車一台と肩棒二組ぶんは雨露を避けられそうだった。
「湯場横は、夜には湿ります」
白狐さんが鼻先を上げた。
「眠る場所には向きませんね」
「はい。布を置くのもやめます。湯気の近くですから」
「空き家は寝られるよ」
村のおばさんが戸を開け放ち、箒を持ってきた。
「でも、泊まる人が来るたびに村の布団を運ぶんじゃ間に合わない。乾いた藁を袋へ詰めて、敷く分だけ置いておこう」
「使ったあとは日に干せます」
「雨なら、泊まった人が朝に壁へ立てておけばいい」
母親も袖をまくった。
「泊めてもらうのに、見ているだけでは落ち着きません」
ぱたぱた、さっさ。
窓を開け、床を掃き、古い筵を外へ出す。村の子どもたちは乾いた藁袋を二つ運び、女の子はその上へ洗った布を広げた。
白狐さんが床を一周し、前足で板の端を軽く踏む。
「ここは沈みません。奥の壁際も乾いています」
「白狐さん、寝床の確認が上手ですね」
「床下へ落ちたくないだけです」
空き家には、眠るための場所だけを残した。荷物は戸脇の小さな台へ上げ、火は使わない。夕食は村の料理場で受け取り、湯と水は外で済ませる。
次は倉庫横だった。
倉庫番のおじさんが空箱を一つ持ち上げると、下には乾いた台板が残った。ルーナの運び手たちは荷車を壁へ寄せ、車輪留めの石を置く。ノルテの男は肩棒が転がらないよう、低い木枠を二つ並べた。
「布は上。豆は下でも、地面には置かない」
「空壺は向こうだ。荷車の車輪とぶつかる」
村人と運び手の手で、待つ荷の高さと向きが決まっていく。
ミオは油布の端を持ち、倉庫壁の木杭へ掛けた。反対側は新しい柱を立てず、荷台の外側にある古い柵へ結ぶ。雨が落ちても、倉庫の戸口と井戸道へ水が流れないよう、外側だけを低くした。
ぽつ。
ちょうど一粒、油布へ落ちた。
続いて、ぽつ、ぽつ、と音が増える。
「間に合った」
ルーナの女の人が布束を抱え、油布の下の高い待機台へ載せた。豆袋も隣の乾いた台板へ上がる。ノルテの男は肩棒を木枠へ置き、空壺の口へ布を掛けた。
ざあ、と雨が来た。
油布の低い端から、細い水が外へ流れる。荷車の車輪は濡れたが、高い台の布束は角までさらりとしたままだった。豆袋にも泥は跳ねない。
「倉庫へ入れなくていいんですね」
「今夜の物と、ここで待つ物を混ぜずに済む」
倉庫番のおじさんは戸を大きく開けた。
中から夕食用の豆と干し菜が運び出される。待ち荷を避ける必要はない。井戸道では桶を担いだ人がまっすぐ通り、雨水を踏まずに料理場へ水を届けた。
きい。しゃあ。
井戸の滑車が、いつもの音を立てる。
湯場横では、雨を見たルーナの三人が長腰掛けへ座っていた。湯番のおばさんが、湯気の立つ白湯へ少しだけ干し草を浮かべて配る。
「湯には入らなくても、ここは使っていいのか」
「足を休めるところだからね」
湯帰りのおばあさんたちは、もう一つの腰掛けで涼んでいる。濡れた手拭いは湯場側の縄へ掛けられ、飲み物の椀だけが庇の下へ並んだ。
休む人の足元に、布束も豆袋もない。
荷を気にして膝を縮める必要もない。
「伸ばせます」
ミオが足を前へ出すと、白狐さんがその横で尾を丸めた。
「ミオは運んでいませんが」
「油布を持ちました」
「では、少しは休んでよいでしょう」
雨が弱くなるころ、ルーナの三人は白湯を飲み終えた。荷を下ろした空の荷車を倉庫横から出し、村人の夕食の支度を邪魔せずに帰っていく。
ノルテの男も、塩水を移し終えた空壺を肩棒へ掛けた。倉庫横の木枠から持ち上げ、そのまま入口へ向かう。人が休む腰掛けをまたぐことも、空き家の寝床を横切ることもなかった。
夕方、空き家には藁袋の寝床が二つ並んだ。
母親と女の子は村の料理場で、豆と葉の汁を受け取った。食べ終えた椀を返し、水桶を一つ持って空き家へ戻る。
「床、冷たくない」
女の子が藁袋へ横になると、敷いた布がふわりと沈んだ。雨は屋根を細く叩いているが、頬の下も足先も乾いている。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい。明日の朝は、神官さんのところまで案内します」
ミオが戸を半分閉めると、中から母親の柔らかな返事がした。
広場へ戻れば、村人たちはいつもの軒下で夕食を食べていた。井戸道には肩棒がなく、倉庫の戸口にも荷車はない。料理場から湯気が上がり、子どもが椀を持って走っても、待ち荷へぶつからなかった。
湯場横では日帰りの人が足を休めた。
空き家では泊まりの二人が眠れる。
倉庫横では荷が雨に濡れず、倉庫仕事の順番を待てた。
三つの場所を使ったあとも、村の水と夕食と倉庫仕事は、普段の道を通っていた。
「これなら、来た人にどこへ行けばいいか聞けます」
ミオが言うと、白狐さんは空き家の小さな灯りを見た。
「はい。けれど、何人でも休めるわけではありません」
湯場横の腰掛けは二つ。空き家の乾いた寝床も、今夜は二つだけだ。倉庫横の油布にも、まだ空きはあるが、荷車が増えれば戸口へ近づく。
「どこで休むかは決まりました」
ミオは、雨粒の残る三つの軒を順に見た。
「次は、どこまでなら休めるかですね」
空き家の中で、女の子が寝返りを打った。
乾いた藁が、かさりと優しく鳴った。
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