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聖女は世界をハックする 〜見た目は魔法!?超古代技術で貧しい村を天空都市に育てます〜  作者: 七森ふれあ
貧しい村は、蓄え始める

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第16話 結界のすきまを、夜のものが通った


 その夜、リュミナ村の犬が、また吠えた。


 昼間の吠え方とは違っていた。人が来た時の、少し遅れて思い出したような声ではない。短く、続けて、何かを追い払うような声だった。


 ミオは教会の寝台で目を開けた。


 窓の外は暗い。月は細く、村の家々の屋根は黒い形だけになっている。少し前までなら、夜の村はただ静かだった。水が戻り、道が通り、人が来るようになってから、夜にも小さな音が増えた。桶を片づける音、保存庫の戸を確かめる音、見張り当番が足元を鳴らす音。けれど、今聞こえているのは、それとは違う。


 犬が、また吠えた。


「……白狐さん」


 寝台の足元で丸くなっていた白狐が、耳だけを立てた。


「起きています」

「最初から?」

「寝ていましたが、起きたことにします」

「そこ、正直でいいよ」


 白狐はすっと起き上がった。昼間は麦がゆの椀に顔を近づけていた小さな狐なのに、今は目だけが静かだった。


「村の端です」

「分かるの?」

「嫌なものが、結界に触れました」


 ミオは上着を羽織り、透明板をつかんだ。


 教会の外へ出ると、空気がひんやりしていた。水が戻ってから、夜の湿り気が少し増えた気がする。土の匂いと、草の匂い。それに混じって、かすかに焦げた葉のような匂いがした。


 広場には、もう何人かが出ていた。村長もいる。手には小さな灯り。寝間着の上に上着を引っかけただけで、顔が青い。


「ミオ、すまん。犬が急に」

「どっちですか」

「東の家畜小屋の方じゃ」


 その時、子どもの泣き声が聞こえた。


 ミオがそちらを見ると、母親に抱きついた男の子が、震えながら村の端を指していた。


「白いのがいた」

「犬か?」

「犬じゃない。細くて、ふわってして、目がなかった」


 母親が男の子を抱きしめる。


「寝ぼけたんだよ。そうだろ」

「でも、羊が鳴いたんだ」


 東の家畜小屋から、羊の低い鳴き声が聞こえた。落ち着かない声だった。柵の木が、かた、と鳴る。


 ミオは透明板を開いた。


 昼間は水系や保存庫、道の線が見える。夜の村にかざすと、別の線が見えた。村の外周をぐるりと囲む、うすい光の輪。第一章で少し補修した、防護結界のラインだ。


 その一部が、東側だけ細くゆれていた。


[BARRIER STATUS]

――――――――――

リュミナ外周結界:維持

東側境界:ノイズ

通行許可条件:拡張中

街道ライン接続:影響あり

境界フィルタ:再調整推奨

――――――――――


「通行許可条件、拡張中……?」


 ミオは小さくつぶやいた。


 白狐が透明板をのぞき込む。


「道を通しましたからね」

「人が通れるようになったから、結界もゆるんだ?」

「正確には、村へ入ってよいものの条件が広がっています。荷車、人、馬、通行者。そこに、余計なものが混じりました」

「余計なものって」

「夜に来るものです」


 村人たちは不安そうに二人を見る。


 ミオは言葉を選んだ。境界フィルタと言っても通じない。通行許可条件もだめだ。


「道が戻ったせいで、結界のすきまが少し広がってるみたいです。人や荷車を通しやすくなった分、夜の変なものも近づきやすくなっています」

「魔物か」

「まだ中には入っていません。たぶん、端で引っかかっています」


 言った直後、家畜小屋の方で柵が鳴った。


 かたん。


 村人たちが肩をすくめる。


 白狐が前へ出た。


「村人は灯りを持って、広場から動かないでください。家畜小屋へ近づくのは、ミオとわたしだけです」

「白狐さん、小さいのに仕切ってる」

「今それを言いますか」

「ごめん」


 ミオは透明板を胸に抱え、東側へ向かった。


 家畜小屋の近くは暗かった。灯りを持つ村人たちは広場に残っているので、月明かりだけが頼りだった。羊たちは小屋の奥にかたまり、黒い目でこちらを見ている。犬は柵の前で低く唸っていたが、ミオを見ると少しだけ下がった。


 柵の外。


 畑との境目。


 そこに、白っぽいものがいた。


 人ではない。獣でもない。布の切れ端を縦に伸ばしたような、輪郭のはっきりしない影だった。風もないのに揺れている。目はない。口もない。ただ、結界の薄い線に沿って、ゆっくり指のようなものを動かしていた。


 ミオの喉がきゅっと縮んだ。


「……あれ、なに」

「残りものです」

「残りもの?」

「道が古くなると、通れなかったものも道端に溜まります。名前をつけるほど強いものではありませんが、村に入れると面倒です」

「十分こわいよ」


 白狐は、ミオの足元でしっぽを立てた。


「怖がっても構いません。近づきすぎないでください」

「うん」


 ミオは透明板をかざした。


 白い影に、表示が重なる。


[BORDER NOISE]

――――――――――

種別:低位漂流反応

侵入権限:なし

結界接触:継続

原因:通行条件の過拡張

推奨:境界フィルタ再設定

――――――――――


「やっぱり、条件が広がりすぎてる」

「直せますか」

「たぶん。人と荷車と村の関係者は通して、それ以外は止める。えっと……どう言えばいいんだろ」

「わたしに聞かれても、あなたの板の言葉はだいたい変です」

「だいたいって言った」


 ミオは透明板の上で、結界の条件を探した。


 村人。


 家畜。


 登録済み通行者。


 荷車。


 水系作業者。


 領主館巡回者。


 小商人。


 ノルテ村関係者。


 そこまでは分かる。問題は、その下にある「街道漂流反応:一時許可」という項目だった。


「これだ。一時許可になってる」

「いりません」

「うん。いらない」


 ミオは指先で項目を切ろうとした。


 その瞬間、白い影が動いた。


 柵の外から、すっとこちらへ寄る。結界の線が細く伸び、押される。羊が鳴いた。犬が吠える。ミオは反射で一歩下がった。


 透明板の表示が赤くなる。


[BARRIER WARNING]

――――――――――

東側境界:圧力上昇

街道漂流反応:接触

内部侵入:未成立

境界保持:不安定

――――――――――


「白狐さん」

「急いでください」

「急いでる」


 ミオの指が少し震えた。


 透明板の文字がぶれる。


 怖い。


 でも、村人たちは広場にいる。羊も犬もいる。ここを通したら、たぶん小屋へ入る。小屋へ入ったら、次は家へ行くかもしれない。


 ミオは指を押しつけた。


「街道漂流反応、一時許可を取り消し。村人、家畜、登録通行者だけ。荷車は昼の間だけ」


 表示が一度止まった。


[FILTER PATCH]

――――――――――

街道漂流反応:拒否

登録外反応:拒否

荷車通行:日中限定

外周結界:再同期待機

実行:確認

――――――――――


「実行」


 ミオが触れた瞬間、結界の線が一度だけ光った。


 けれど、白い影はまだ押している。


 光った場所が、また細くなる。


「閉じない」

「条件だけでは足りません。結界の外周そのものが弱っています」

「物理じゃない方の詰まりか」

「言い方は変ですが、近いです」


 ミオは透明板の外周図を見た。


 東側の結界を支えている古い石が、家畜小屋の裏に三つある。そのうち一つが、ずれていた。昼間の荷車か、雨水か、草の根か。理由は分からない。小さな石だ。村人にはただの境石に見えるもの。


「支え石がずれてる。あれを戻さないと」

「行きます」

「白狐さんが?」

「わたしが押します」

「小さいよ」

「言いましたね」


 白狐は少しだけ目を細めた。


 ミオはあわてて首を振る。


「ごめん。でも本当に危ないから」

「わたしは小さいですが、無力ではありません。たまに」

「たまに」

「今は、そのたまにです」


 白狐が前へ出た。


 白い影が、結界の外で揺れる。白狐の小さな体が、その前に立つ。月明かりに照らされて、白い毛が少しだけ光った。


 ミオは透明板を構える。


「私は結界を押さえる。白狐さんは石を戻す。無理ならすぐ下がって」

「命令が多いですね」

「心配してる」

「なら、許します」


 白狐が、家畜小屋の裏へ走った。


 小さいので速い。草の上をすっと抜け、ずれた境石の前に立つ。石は白狐の体より少し大きい。普通に押して動くようには見えない。


 白狐の背に、金色の細い線が浮かんだ。


 ミオは息を止めた。


 白狐の後ろに、大きな影が立つ。


 小さな体の背後に、何倍も大きな白い狐の形が重なった。尾が広がり、耳が高く立ち、村の外周をゆっくり見渡す。村人たちが広場で声をなくすのが、遠くから分かった。


 白狐が前足を石に置いた。


 小さな前足。


 その後ろで、大きな白狐の影も同じように前足を置く。


 ず、と境石が動いた。


 ミオの透明板に、表示が走る。


[BARRIER ANCHOR]

――――――――――

東側支点石:再配置

守護体反応:確認

結界外周:再同期中

境界圧力:低下

――――――――――


「いける」


 ミオは透明板に指を走らせた。


 結界ラインを石に戻す。通行条件を絞る。昼の荷車、登録された村人、ノルテ村の通行者、小商人。夜間は閉じる。領主館巡回は記録後のみ。


 文字だけを見ると、なんだか村の門番規則みたいだった。


「夜は閉じる。知らないものは入れない。通す時は、名前を残す」


 ミオは小さく言いながら、実行した。


[BARRIER FILTER]

――――――――――

夜間通行:制限

登録外反応:拒否

街道漂流反応:拒否

記録連動:未整備

外周結界:再同期

――――――――――


 結界が、ふわっと戻った。


 音はなかった。


 ただ、空気が変わった。家畜小屋の周りにあった冷たい感じが薄くなり、羊の鳴き声が静かになる。犬が吠えるのをやめ、鼻を鳴らした。


 白い影は、結界の外で一度だけ薄く伸びた。


 それから、風にほどけるように消えた。


 ミオはしばらく動けなかった。


 手がまだ透明板に触れている。指先が少し冷たい。怖さが遅れて戻ってきて、膝が軽く震えた。


「……消えた?」

「消えました」


 白狐の声がした。


 ミオはそちらを見る。


 巨大な影はもうなかった。白狐は小さいまま、境石の横に座っている。背の金色の線が一本、ほんの少しだけ明るくなっていた。


 ただ、白狐本人は、ちょっとふらついていた。


「白狐さん!」


 ミオは駆け寄った。


 白狐はすました顔をしようとして、前足を一歩ずらした。ちょこん、と座り直す。


「問題ありません」

「今、ふらってした」

「していません」

「した」

「地面が傾きました」

「地面のせいにした」


 ミオは白狐を抱き上げた。


 軽い。


 けれど、体が少し熱かった。


「大丈夫?」

「当然です」

「本当に?」

「……椀を一ついただければ、もう少し強く言えます」


 ミオは息を吐いた。


 怖かったぶん、少し笑ってしまった。


「帰ったら、少しだけね」

「少し、の定義を広めにお願いします」

「それ、前も聞いた」

「重要な交渉です」


 広場の方から、村人たちが少しずつ近づいてきた。


 誰も大声を出さない。さっき大きな白狐の影を見たからか、足音まで静かだ。村長が一番前に来て、白狐を見た。いつもの小さな白狐。その後ろに、さっき見えた大きな影の名残を探すような顔をしている。


「今のは……」

「結界の支えを戻しました」

「白狐さまが、なされたのか」


 白狐はミオの腕の中で、少しだけ顔を上げた。


「ミオが直しました。わたしは、石を少し押しただけです」

「少し……」


 村長は境石を見た。


 村人たちも見た。


 白狐の体より大きい石が、元の位置に戻っている。


 誰も、少しとは思っていない顔だった。


 けれど、白狐がそう言うので、ミオも合わせた。


「少しです。たぶん」

「そこは断定してください」


 白狐が小さく言った。


 村人たちの間に、こわばっていた空気とは違うものが広がった。安心と、少しの畏れ。それから、見慣れた小さい白狐がミオの腕の中で麦がゆの話をしているせいで、どう反応すればいいか分からない感じ。


 男の子が、母親の後ろから言った。


「白狐さま、ちっちゃいのに大きかった」

「余計なところを拾いましたね」


 白狐がぼそっと言う。


 ミオは笑いをこらえた。


 透明板が、最後の表示を出した。


[BARRIER STATUS]

――――――――――

リュミナ外周結界:再調整済

東側境界:安定

夜間通行:制限

街道漂流反応:拒否

守護体反応:微弱回復

――――――――――


 守護体反応:微弱回復。


 ミオは白狐を見た。


 白狐のしっぽの根元に、細い金色の線が一本増えている。月明かりのせいかと思ったが、違う。白い毛の奥に、ほんのり灯っている。


「白狐さん」

「はい」

「しっぽ、光ってる」

「月です」

「月、そっちじゃない」

「では、気のせいです」

「気のせいじゃないよ」


 白狐はミオの腕の中で顔をそむけた。


「戻っていません」

「まだ何も言ってない」

「言いそうでした」

「ちょっと戻った?」

「戻っていません」

「本当に?」

「麦がゆをいただければ、確認しても構いません」


 ミオは村長を見た。


 村長は何度もうなずいた。


「麦がゆを。すぐに」

「いえ、そんな大げさにしなくても」

「白狐さまのお椀を用意せい」


 村人が走っていった。


 白狐は小さく咳をした。


「そこまで求めてはいません」

「顔はうれしそうだよ」

「気のせいです」


 ミオは白狐を抱いたまま、村へ戻った。


 家畜小屋の羊は静かになり、犬はミオの足元を一度だけ嗅いでから、小屋の前に座った。夜の空気はまだ冷たい。けれど、さっきの変な冷たさはなくなっていた。


 広場では、灯りがいくつか揺れている。


 村人たちは、家へ戻りながらも東の境を何度も振り返っていた。怖さは残っている。けれど、それは何もできない怖さではない。結界があり、直せる人がいて、小さいけれど石を動かす白狐がいる。


 ミオは透明板をしまった。


 外へつながるということは、外からも来るということだ。


 道を直せば、人が来る。荷が来る。銅貨が来る。領主の使いも来る。夜のものも来る。


 それでも、閉じたままでは村は戻らない。


 開くなら、守る。


 そのための条件を、これから少しずつ作らなければならない。


「ミオ」

「なに?」

「今、難しいことを考えていますね」

「うん」

「麦がゆのあとにしてください」

「白狐さん、今ちょっと神獣っぽかったのに」

「神獣にも順番があります」


 白狐は真面目な顔で言った。


 ミオは、今度はこらえずに笑った。


 その夜、白狐の椀には、いつもより少しだけ濃い麦がゆが入った。


 白狐はそれを見て、しっぽの金色の線をほんの少しだけ揺らした。


 本人は、最後まで気のせいだと言い張った。


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