第15話 領主の使いが、村を見に来た
銅貨三枚は、小さな木箱の中に入っていた。
村長は朝から、その木箱を三回開けた。開けて、銅貨を見て、また閉める。閉めたあとで、少しだけ表情を引きしめる。見なかったふりをするには、まだ早かったらしい。
リュミナ村の広場では、麻袋の口紐を直す作業が続いていた。ノルテ村から来た若い男が、紐を少し長くする方法を教え、リュミナ村の女たちが乾燥野菜の小袋を入れては結び、ほどいてはまた結ぶ。子どもたちは、売れた時のことを何度も話していた。
「からん、って音がしたよね」
「銅貨って、けっこう小さいんだな」
「でも三枚だぞ」
「三枚って、どのくらいすごいの?」
「村長が泣くくらい」
ミオは教会の前で、その会話を聞いていた。
笑っていいのか、困っていいのか分からなかった。村長は昨日、本当に泣いた。けれど、子どもたちにとっては、それも村が変わった証みたいになっている。
足元で白狐が麦がゆの椀をのぞいていた。
「白狐さん、それは私の朝ごはん」
「確認しているだけです」
「何を?」
「量を」
「減らさないでね」
「減る場合もあります」
「確認じゃないよね、それ」
白狐はきりっとした顔で、麦がゆをひと口食べた。
ミオはため息をつきながら、透明板を開いた。
昨日の売上のあと、村の表示は少し変わっていた。水系と保存庫だけだった画面に、交易品という項目が増えている。
[VILLAGE STATUS]
――――――――――
水系:安定
食料:改善
交易品:発生
交通:改善
外部注目:上昇
防護結界:負荷増加
――――――――――
「外部注目、上昇……」
昨日から、そこだけが気になっていた。
銅貨三枚はうれしい。麻袋が売れたことも、村の人たちが自分たちの手で直し始めたことも、いいことだった。けれど、道が通り、品物が売れれば、人が見る。人が見ると、話が動く。
白狐は椀から顔を上げた。
「来るでしょうね」
「誰が?」
「村の外で、村を見る立場の者です」
「ぼかしたね」
「ぼかしたい時もあります」
その時、村の入口の犬が吠えた。
昨日より早い。
ミオは顔を上げた。
村の入口へ続く道に、馬が一頭見えた。馬といっても立派な軍馬ではない。荷を運ぶための小柄な馬だ。その横を、薄い灰色の外套を着た男が歩いている。後ろには、荷持ちの少年が一人。男の腰には短い剣があったが、手はかけていない。
村人たちの声が、すっと小さくなった。
白狐がつぶやく。
「早いですね」
「昨日の今日だよ」
「道が通ったのでしょう」
男は村の入口で立ち止まり、外套についた土を払った。
「リュミナ村の村長はいるか」
声は大きすぎず、荒くもなかった。けれど、村人たちはすぐに道を開けた。
村長が木箱を抱えたまま出てきた。慌てて木箱を後ろの若い者に渡し、腰を曲げる。
「わしです。何用でございましょう」
「領主館の記録係、バルドだ。巡回の途中で寄った。道が通ったと聞いている」
領主館。
その言葉だけで、広場の空気が固くなった。
ミオは透明板を布で包み、胸元に寄せた。隠すというほどではない。けれど、見せたくはなかった。
バルドと名乗った男は、村を見回した。
壊れた家。補修中の屋根。保存庫の前の麻袋。井戸のそばの桶。広場に並んだ乾燥野菜の小袋。ひとつずつ、目で確かめていく。
「水が戻ったそうだな」
「はい。井戸が少し安定しまして」
「道も直った」
「完全ではございません。人と軽い荷車が通る程度です」
「荷袋も売れたと聞いた」
村長の肩が小さく跳ねた。
誰から聞いたのか。
小商人だろう。昨日ここで荷袋を買い、ノルテへ向かった。その先で、誰かに話したのかもしれない。あるいは、領主館の巡回の耳が早いだけかもしれない。
バルドは責めるような顔ではなかった。ただ、帳面を取り出し、淡々と書きつけている。
「村の状態を確認する。税の記録にも関わる」
「税、でございますか」
村長の声が少し細くなった。
広場の端で、女たちが麻袋をそっと隠しかけた。白狐がするりとその前へ行き、しっぽを一回振った。女たちは動きを止める。隠せば、隠したことになる。
白狐は小さいのに、こういう時だけ変に強い。
バルドは保存庫の前へ歩いた。
「去年の記録では、リュミナ村は水不足と不作。納税猶予の申請が出ている。間違いないか」
「はい」
「今年、急に水が戻り、交易品が出た。なら、状態の再確認が必要になる」
言っていることは、おかしくない。
けれど、村人たちの顔は青かった。水が戻ったばかり。袋がひとつ売れただけ。ここで税を増やされれば、すぐに息が詰まる。
ミオは透明板を見たくなった。
けれど、ここで取り出すと目立つ。
我慢する。
バルドの目が、ミオに向いた。
「そちらは?」
「教会の下働きです。ミオといいます」
「村では、聖女と呼ばれているようだが」
「呼びやすいだけだと思います」
白狐が足元で小さく咳をした。
嘘ではない。
多分。
バルドは少しだけ眉を上げたが、それ以上は突っ込まなかった。
「水路を見たのは、あなたか」
「見ました」
「直したのも?」
「村の人たちが、泥や根を取りました。私は、詰まっている場所を見ただけです」
これは本当だった。
全部ではないけれど。
バルドは帳面にまた書いた。
「村の水量、食料、交易量を確認したい。保存庫を開けられるか」
「はい」
村長が答える。
ミオは一歩前へ出た。
「その前に、少しだけ説明してもいいですか」
「説明?」
「村は、よくなり始めています。でも、まだ余ってはいません」
バルドの目が、ミオを見る。
広場の人たちも見る。
急に、自分の声が細くなった気がした。
ミオは透明板を布の上から押さえた。ここで技術語を出しても通じない。ノードもリンクも権限もだめ。村人に分かる言い方で、領主の使いにも届く言い方にする。
「井戸の水は戻りました。でも、畑はまだ全部戻っていません。保存庫も、空だったところに少しずつ入れ直している途中です。荷袋は昨日、ひとつ売れただけです」
「ひとつ」
「はい。銅貨三枚です」
村長がびくりとした。
隠した方がよかったのかもしれない。けれど、隠して後で分かるより、今言った方がいい。
バルドは表情を変えない。
「銅貨三枚か」
「はい。大きな売上ではありません。でも、村にとっては、とても大きいです」
ミオは広場の台を見た。
麻袋が二つ。乾燥野菜の小袋。塩の小袋。
「井戸は戻りました。でも、畑はまだ半分も戻っていません。保存庫も、空いた棚の方が多いです。昨日売れた袋も、ひとつだけです」
ミオはそこで一度、言葉を切った。
「今、税を増やされたら、来月にはまた足りなくなります」
言ったあと、少しだけ後悔した。
言いすぎたかもしれない。
白狐が足元で、静かに座っている。止めない。つまり、たぶん大丈夫。
バルドは帳面を閉じなかった。
「保存庫を見せてもらう」
「はい」
保存庫の扉が開けられた。
中には、乾燥野菜の束、根菜のかご、塩の壺、薬草、古い木箱、麻袋がいくつかある。以前よりは増えた。けれど、広い保存庫を埋めるには遠い。棚には空きが多く、壁際にはまだ何も置かれていない場所がある。
バルドは中を見て、帳面に書いた。
「たしかに、満ちてはいないな」
「はい」
ミオは透明板をそっと取り出した。
村人の後ろに隠れるように、保存庫へ向ける。
[STORAGE STATUS]
――――――――――
食料備蓄:低〜中
交易品化可能:少量
塩:小分け可能
薬草:少量
村内消費優先:高
過剰販売:危険
――――――――――
ミオは表示を短く読んだ。
「村で食べる分を優先しないと、冬まで持ちません」
「冬の分まで計算しているのか」
「だいたいです」
本当は透明板が出した。
でも、だいたいと言った。
バルドは少しだけミオを見た。
「あなたは、数字が読めるのか」
「少しだけ」
「教会で?」
「たぶん、前から」
まずい。
ミオは言ってから気づいた。
前から、とは何だ。
白狐が足元で、すごく小さく「みゃ」と鳴いた。
ミオは目をそらした。
「ええと、教会で帳面を見せてもらうことがあるので」
「そうか」
バルドはそれ以上聞かなかった。
助かった。
白狐が小声で言う。
「今のは、雑でした」
「分かってる」
「あとで反省です」
「はい」
バルドは保存庫を見終え、今度は井戸へ向かった。
井戸には、朝から水を汲みに来る人がいる。桶は並んでいるが、奪い合いにはなっていない。水は出る。けれど、無限ではない。ため池も畑の水路も、まだ調整しながら使っている。
ミオは井戸の縁に透明板を向けた。
[WATER STATUS]
――――――――――
井戸:安定
ため池:安定
畑水路:低出力
ノルテ支流:接続
水系負荷:増加傾向
過剰使用:警告
――――――――――
「水は出ます。でも、使いすぎるとまた弱ります」
「隣村へも流れているそうだな」
「はい。ノルテ村です。向こうの石樋が詰まっていたので、村の人たちと取りました」
「リュミナ村だけの水ではない、ということか」
「古い水路がつながっていました。ひとつの村だけで使い切ると、たぶん下が困ります」
バルドが、ここで初めて少し考える顔をした。
「隣村と共同の水系か」
「たぶん」
「水争いになりかねんな」
「だから、今は少しずつ使っています」
バルドは帳面に書き足した。
ミオはほっとした。
税の話から、水の管理の話へ少しずれた。ずれたというより、村を単純に「豊かになった」と見られずに済みそうだった。
だが、安心したところで、バルドは広場の麻袋へ視線を戻した。
「とはいえ、交易品は発生している」
「はい」
「今後も売るのか」
「村が困らない範囲で」
バルドはミオではなく、村長を見た。
「村長。今日の確認では、即時の税見直しはしない。だが、次の巡回で、交易品と通行の記録を見る」
「はい……はい、ありがとうございます」
村長が深く頭を下げる。
広場の空気が、少しだけゆるんだ。
即時の増税は避けられた。
それだけで、村人たちは肩の力を抜いた。麻袋を持っていた女が、そっと息を吐く。ノルテ村の若い男も、口紐を握ったまま固まっていた手をゆるめた。
バルドは帳面を閉じた。
「ただし、道が通ったなら、人も入る。領主館にも知らせる必要がある」
「はい」
「見張りは置いているか」
「見張り、ですか」
「外から来る者を誰が確認する。商人、巡礼者、盗人、税逃れ、魔物の噂を追う者。道が戻れば、よいものだけが来るとは限らない」
ミオは白狐を見た。
さっき白狐が言ったことと、ほとんど同じだった。
白狐は得意そうな顔をしている。
今は得意そうにしなくていい。
「見張りは……まだです」
「なら作れ。大げさな門でなくていい。誰が来たかを村で記録しろ。売ったものも、数を残せ。あとで揉める」
バルドは村長に言った。
「銅貨三枚でも、記録があるかないかで扱いが変わる」
「記録……」
「紙がなければ板でもよい。日、相手、売ったもの、数、受け取った金。最低限、それだけだ」
ミオは思わず顔を上げた。
記録。
それは、できる。
透明板ではなく、村の板でもできる。
「村長さん。教会に古い木札があります。あれを使えば、売ったものを書けると思います」
「そうか。そうじゃな。書かねばな」
村長はまだ少し慌てていたが、目は戻ってきていた。
バルドがミオを見る。
「あなたが書くのか」
「最初は手伝います。でも、村でできるようにした方がいいと思います」
「その方がいい」
意外だった。
バルドは、ただ取り立てに来た人ではないらしい。領主側の人間ではある。村を見に来たことも、税の記録に関わることも本当だ。けれど、村をすぐ潰したいわけではない。
そのことが分かると、ミオは少しだけ息がしやすくなった。
バルドは馬のほうへ戻る前に、もう一度広場を見た。
「水、袋、道。どれも急だ。急な変化は、よいものでも周囲を呼ぶ」
「はい」
「隠せとは言わん。だが、数を残せ。説明できるようにしておけ」
それだけ言って、バルドは村の入口へ向かった。
荷持ちの少年が、後ろから小さく手を振った。子どもたちが小さく振り返す。バルドは振り返らない。
犬がまた吠えた。
馬の足音が遠ざかる。
村人たちは、しばらくその背中を見送っていた。
村長が、力が抜けたように座り込んだ。
「税が上がるかと思った」
「今回は、大丈夫そうです」
「今回は、じゃな」
村長は苦く笑った。
ミオは透明板を開いた。
[VILLAGE STATUS]
――――――――――
水系:安定
食料:改善
交易品:発生
交通:改善
外部注目:上昇
記録管理:未整備
防護結界:負荷増加
――――――――――
新しい項目が増えていた。
記録管理:未整備。
ミオは小さくうなった。
「また増えた」
「よかったですね。やることが分かりやすくなりました」
「よくないよ」
「では、悪かったですね」
「そういうことでもない」
白狐は木箱の上に戻り、すました顔で座った。
村人たちは、少しずつ動き出していた。麻袋をしまう者、保存庫の数を数える者、教会へ木札を取りに行く者。さっきまでの喜びとは違う。今度は、守るために動いている。
ミオは広場の隅に置かれた小さな台を見た。
昨日、銅貨が鳴った台。
今日は、その横に記録用の木札が置かれることになる。
売るものができた。
だから、数えるものもできた。
外へつながった。
だから、見張る必要もできた。
ミオは透明板を閉じた。
「白狐さん」
「はい」
「豊かになるって、面倒だね」
「面倒です」
「でも、昨日の銅貨の音は、よかった」
「なら、面倒も込みです」
白狐はそう言って、ミオの足元に来た。
「それで、麦がゆは?」
「今それ?」
「怖がるのは明日でも間に合う、と言いました」
「言ったね」
「つまり、今日は麦がゆです」
ミオは少し笑った。
広場の向こうで、村長が木札を持ち、何を書けばいいのか若い者に聞いている。ノルテ村の男は、売る前に紐の長さを測るための棒を作り始めている。子どもたちは、銅貨三枚の絵を木の板に描こうとして、丸がうまく描けずに揉めていた。
リュミナ村は、昨日より少しだけ忙しくなった。
忙しさの中に、不安も混じっている。
けれど、それは何もない村の不安ではなかった。
守るものができた村の、不安だった。
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