第161話 三本の道に帰りの印
朝の広場に、籠と壺と豆袋が三列に並んだ。
一列目は空っぽ。二列目には、普段の半分だけ荷が入っている。三列目は、いつもの便と同じ重さだった。
「今日は、これを全部運ぶんですか」
ミオが聞くと、倉庫番のおじさんは空籠を持ち上げた。
「全部じゃない。持って、歩いて、戻って、次の人へ渡す。腹が減ったら、それも書く」
「書くんですね」
「腹は大事だろう」
板の端には、出た時の影を写す線と、戻った時の影を写す線が引かれていた。細かな時刻ではなく、井戸の影が石のどこへ届いたかで見る。
北小屋場道、ノルテ道、ルーナ道。
三本とも、昨日までに荷を往復させている。けれど空身の日と重い日の違いを、誰も同じ言葉では話していなかった。
「白狐さん、私も三本歩いた方がいいでしょうか」
「ミオが三人にならない限り、一度には無理です」
「二人でも困ります」
「では、使う方々に歩いていただきましょう」
白狐さんは丁寧に答え、三列の荷を見回した。
「ミオは、戻った方の足と荷を見てください。道は、帰ってきた時に分かることもあります」
最初に戻ったのは、北小屋場道の空籠だった。
ハンナと村の若い働き手は、井戸の影がまだ縁石へ触れないうちに広場へ入ってきた。息は弾んでいるが、草履の泥は薄い。
「空なら、朝に出て朝のうちに戻れます。日向も走らなくていいです」
次は、半分の葉籠だった。
日陰の受け渡し台で一度荷を置き、濡れ布を掛けて、運び手を替える。戻ってきた葉は冷たく、先を折ると、ぱきりと鳴った。
「半分でも、台で一度休む?」
「人より葉を休ませるんです」
ハンナが答えた。
「そこで水を飲めば、人も一緒に休めるけど」
最後の籠は、葉をいつもの量まで入れてあった。重さより、背中から横へ張り出す方がつらい。低い枝を避けるたびに歩幅が縮まり、戻った働き手の袖には細い葉傷が増えていた。
「重いというより、大きいです」
「日が上がると、急いでぶつけるね」
畑のおばさんが葉を一枚ずつ持ち上げる。下の葉が二枚、籠の縁で折れていた。
「満籠は朝だけ。日陰台で必ず持ち替え。井戸の影が縁石を越えてからは、半籠までだね」
決めたのは、毎日葉を触る人たちだった。
北道の木札には、朝日を表す丸と、日陰台を表す四角が彫られた。雨の日は、草が寝て籠へまとわりつくほど降ったら止める。小雨なら半籠にして、走らない。
「聖女様が道の限界をお定めになった」
「葉を折ったのは籠です」
「折れた葉がお告げを」
「それを見つけたのは、おばさんです」
白狐さんが木札を見上げた。
「よく見て決めたのであれば、呼び方はどちらでもよいと思います」
「白狐さんまで、お告げ側です」
昼前には、ノルテ道の人たちが戻った。
空壺を二つ下げた肩棒は、からん、からん、と軽い音を立てる。半分だけ水を入れた壺は、かえって中身が揺れた。
「満ちた壺より、半分の方が振られるぞ」
壺運びの男が肩をさすった。曲がりの手前で止めた時、水が一拍遅れて壺の腹へ当たり、担ぎ棒まで引いたらしい。
「軽荷なのに、楽ではないんですね」
「壺は空か、満ちているかだ。半分なら、一つずつ持つ」
満ちた壺二つの組は、平石で一度下ろし、白布の杭を倒して向こう側を確かめた。それでも帰りは、空身の組より井戸の影ひと幅ぶん遅かった。
遅れた男たちは、広場へ着くとすぐ壺を下ろした。縄の跡が肩へ赤く残っている。
「平石でもう一度休めば、遅くても手が震えなかった」
「一度ではなく?」
「行きで一度、帰りで一度だ。満ちた壺なら、同じ場所でも帰りの足は違う」
ノルテ道の札には、壺を置く平石が二本線で彫られた。空壺は日帰り。満ちた壺は平石で往復とも休む。中途半端な水量は一人一壺に分ける。
雨の印は、曲がりの黒土で決めた。草履の縁より泥が上へ付いたら、満ちた壺は出さない。空壺だけを返し、塩水は次の乾いた便へ回す。
「塩は待てるが、割れた壺は戻らん」
倉庫番のおじさんが言うと、壺運びの男もうなずいた。
午後、ルーナ道の荷車が戻った時には、空が少し白く曇っていた。
空荷の車は軽すぎて、石を踏むたびに跳ねた。布と豆を普段の半分だけ載せると落ち着く。いつもの量まで積んだ車は坂で重くなり、押す二人の息がそろわなければ、轍の片側へ寄った。
三枚の休み石では、荷車を止めて人だけが休んだ。背負い荷の人は袋を石へ下ろし、車を押す人は柄から手を離して肩を回す。
「重い日は、三枚の石で必ず止まる。軽い日は?」
「止まるよ」
ルーナの女の人が即答した。
「軽いと早く着くから、止まりたくなくなる。そうすると帰りに足が笑うんだ」
試しに軽荷で休まず歩いた若者は、戻った時、椀を受け取る手より先に膝が小さく震えていた。
「笑ってます」
「笑ってません」
「膝です」
「膝も笑ってません」
白狐さんが若者の足元を見た。
「では、静かになるまで座ってください」
ルーナ道は、荷の重さにかかわらず三枚の石で休む。重荷の荷車は、押す人を途中で前後入れ替える。雨は、車輪の跡へ水が残ったら荷車を止める。背負い荷も、休み石の手前が滑る日は半分まで。
女の人が木札へ、三つの丸石と車輪を彫った。雨の止め印は、斜め線を一本入れた雲だった。
三本の札が入口の横棒へ掛かった。
北は、朝の丸と日陰台。
ノルテは、二本線の平石と壺。
ルーナは、三つの休み石と車輪。
文字を読めない人も、どこで休み、何を減らし、どの雨で止まるか分かる。出る人は札の表を見て、戻った人は裏へ返した。
翌朝、決めた基準で実便が出た。
北の満籠は朝露のうちに日陰台へ着き、半籠ずつ村へ運ばれた。ノルテの塩水壺は満ちたまま二つ届き、運び手は平石で休んだぶん、入口でも肩棒を静かに下ろせた。ルーナの荷車には布と豆を積み、三枚の石で一度止まってから、曇り空の下を戻ってきた。
葉は折れていない。壺は欠けていない。布は泥を吸わず、豆袋の口もほどけていなかった。
そして運び手たちは、井戸の影が広場を横切る前に全員戻った。
鍋では、北の葉がやわらかく煮え、ノルテの塩水から取った塩がひとつまみ入った。ルーナの豆は丸いまま、湯の中でふっくら膨らんでいる。
「今日は、全部の道が間に合いました」
ミオが椀をのぞくと、白狐さんも小さな椀へ鼻先を寄せた。
「無理をしなかったからです」
「急がない方が、早く戻れるんですね」
「戻れなければ、便とは呼べません」
運び手たちは湯気の立つ椀を両手で包み、肩の赤い跡を笑い合っていた。午後の分の葉はもう日陰へ分けられ、塩は保存鍋へ、布は繕い物の台へ運ばれている。
ルーナ村の女の人だけは、椀を置くと、荷車に掛けていた布を軒下へ広げた。荷は濡れていなかったが、布の外側には細かな雨粒が残り、押してきた二人の袖は肘まで湿っている。
「休み石で曇り待ちはできた。でも、水筒は帰りの坂で空。雨がもう少し強かったら、荷へ掛ける布しかなかったね」
「人に掛ける分は?」
「ないよ。縄が緩んでも、結び直す予備もない」
ミオは三つの丸石が彫られた札を見た。休める場所はある。そこで何が足りなくなるかも、今日の帰り便で見えた。
「明日、休み石で使うものを見ましょう」
「置くなら、誰が足すかも必要ですね」
白狐さんが丁寧に言った。ミオはうなずいたが、今日は濡れた布を火の近くへ干すだけにした。
三本の道は、遠くの品を一度だけ連れてくる道ではなくなった。
帰れる重さと、休む場所と、止まる雨が分かったから、明日の鍋にも入れられる道になった。
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