第138話 倉庫下の荷重調整室
倉庫の床板の隙間へ、白い灯りがころんと入っていった。
入った、と思った次の瞬間、倉庫の中で、ふわ、と風が丸く回った。棚の麻袋が、また少し浮く。木箱の角が、ことん、と棚板を離れる。吊るしてあった干し草の束が、ゆら、ゆら、と揺れて、そこだけ風の中にいるみたいだった。
村人たちは、倉庫の入口で止まった。
中へ入る者はいない。
ミオも、正直入りたくはなかった。
「白狐さん」
「はい」
「荷物が浮いてます」
「浮いていますね」
「倉庫で、これは良くないですよね」
「普通の倉庫なら、とても良くありません」
「普通じゃない倉庫なら?」
「まだ良くないです」
白狐の返事は丁寧だったが、内容はぜんぜん安心できなかった。
この倉庫は、もともと村に普通に建っていたものではない。
ミオが最初の頃に見つけた、地下倉庫だ。土と草に隠れていた入口を開け、使える場所だと分かって、それから少しずつ荷を入れるようになった。だから、村人たちも全部を知っているわけではない。むしろ、使えるところだけを使っていた。
その床下が、いま、勝手に風を吹かせている。
「……まだ下があったんですね」
「ミオ様が見つけた倉庫の、さらに下ですか」
「言わないでください、リタさん」
「はい」
「言われると、私が変なものを掘り当て続けている人みたいです」
「ミオ様」
「はい」
「だいたい、そうです」
「否定が欲しかったです」
リタは入口の横で、透明の板を見ないようにしている。村人たちには聖なる石板に見えるから、うかつに覗き込むのも怖いらしい。それでも気になるのか、ちら、ちら、とミオの手元へ視線が来る。
「ミオ様、石板は、また何か出ていますか」
「少し待ってください」
ミオは透明の板を持ち直した。板の中では、さっきの表示が薄く残っている。倉庫下:空洞反応。その文字だけが、前より濃い。下に、新しい線がじわっと走る。
[STOREHOUSE LOWER SPACE]
――――――――――
床下:空洞あり
荷重:偏りあり
上向きの風:弱
白い灯り:床下へ移動
確認:床板中央
――――――――――
「床板中央、だそうです」
「ミオ様、床板中央に何が」
「空洞です」
「空洞」
「はい」
「倉庫の下に」
「はい」
「それは、落ちませんか」
「落ちたくないですね」
ミオが透明の板を倉庫の床へ向けると、村人たちが息をのんだ。
ミオには、ただの確認だった。白い文字が少し濃くなり、床下の線が板の中でゆっくり動くだけだ。
だが、村人たちには、聖なる石板から白い光が落ち、倉庫の床を探っているように見えるらしい。
「聖女様が倉庫に術を……」
「術ではないです」
「では、何を」
「確認です」
「確認の魔法……」
「増やさないでください」
ミオは倉庫の中へ一歩入った。
床板が、ぎし、と鳴る。
その下で、こん、と軽い音が返った。
ミオは足を止めた。
「今、返事しましたよね」
「しましたね」
「床下が返事するの、どう思います?」
「礼儀正しい床下かもしれません」
「白狐さん」
「はい」
「今、少し雑に言いましたね」
「少しだけです」
白狐はミオの隣まで来た。白い衣の裾が、倉庫の風でふわりと上がる。風は上へ向かっている。床から天井へ、すう、すう、と細く抜ける。ほこりが舞うのではなく、白い粉だけが線みたいに上がっていく。
ミオは床板中央へ近づいた。
そこには、古い板が一枚あった。周りの板より少しだけ色が薄い。継ぎ目に白い粉が詰まっている。板の端には、小さな丸いくぼみが三つ。釘穴ではない。指で触れると、ほわ、と白く光った。
入口で、村人たちが息をのむ。
「ミオさん、それは」
「たぶん、開きます」
「開けるのか」
「開けないと、倉庫がふわふわしたままです」
「それは困る」
「私も困ります」
村人の一人が、棚の麻袋を見上げながら言った。
「ここ、ただの地下倉庫じゃなかったのか」
「そのつもりで使ってました」
「ミオさんが見つけた場所だしな」
「はい」
「なら、まだ何か出るか」
「そういう納得の仕方はやめてほしいです」
リタがそっと近づいてきた。
「ミオ様、手伝います」
「ありがとうございます。では、そこの麻袋を押さえていてください」
「はい」
「浮いたら」
「押さえます」
「浮かなかったら」
「押さえます」
「頼もしいです」
リタは麻袋を両手で押さえた。少し真剣すぎる顔だった。麻袋は今のところ浮いていない。だが、いつ浮いてもおかしくないので、誰も笑わなかった。
ミオは床板のくぼみに指を置いた。
透明の板の表示が、すっと細くなる。
板の文字が変わった。
[FLOOR CENTER]
――――――――――
中央板:固定弱い
白い粉:残留
開放:可能
注意:荷物の浮き上がり
――――――――――
「注意、荷物の浮き上がり」
「ミオ様」
「リタさん、押さえていてください」
「はい」
村人たちは、ミオの指先と聖なる石板を交互に見ていた。
ミオが文字を読んでいるだけとは思っていない。白い光を指先へ移し、床板の封じ目をほどいているように見えている。たぶん、そう見えている。
「聖女様が、床を開かれるぞ」
「開けるのは床板です」
「封印ではなく?」
「封印ではないです」
「でも、白く光っております」
「それは、そうですけど」
言い返しきれなかった。
ミオは床板の端を持ち上げた。
思ったより軽かった。
ぎ、と鳴るはずの板が、ふわ、と浮いた。板そのものが下から支えられている。白い粉がさらさらと落ち、床下から丸い風が吹き上がった。
ぽん。
麻袋が浮いた。
「出ました!」
「押さえます!」
リタが麻袋に抱きついた。麻袋はリタごと、ほんの少しだけ浮いた。ほんの少しだ。足が床から離れたか離れないかくらい。でも、リタは真剣だった。
「ミオ様、これは、重いです! 軽いのに重いです!」
「言ってることは分かります!」
「分かるのですか」
「いまなら分かります!」
村人たちが慌てて倉庫へ入ってきた。桶を置いたおばさんが木箱を押さえ、鍬を持っていたおじさんが棚を押さえ、別の男が干し草の束を押さえようとして、逆にぽふっと顔に当てられていた。干し草は、ぽふぽふと揺れている。
白狐は床板の下を見ていた。
「ミオ」
「はい」
「下に、輪があります」
「輪」
「はい。石の輪です。大きいです」
ミオは床板を横へずらした。
床下に、空洞があった。
ただの穴ではない。石で囲まれた丸い部屋みたいな空間だ。人が入れるほど深くはないが、倉庫の床下いっぱいに広がっている。中央には大きな石の輪がある。輪の内側を白い粉がくるくる回っていた。
くるくる。
ふわふわ。
すうすう。
音がやわらかい。
やわらかいのに、やっていることはおかしい。
石の輪の内側から、白い線が一本伸びて、倉庫の棚の下へ入っている。もう一本は外へ。井戸の方へ向かっているように見えた。さらに細い線が畑の方へ。古い祠の方へ。
透明の板の表示がまた変わった。
[STOREHOUSE LOWER RING]
――――――――――
床下輪:反応
荷重:分散中
倉庫内重量:仮調整
井戸線:微弱
畑線:微弱
祠線:微弱
――――――――――
「白狐さん」
「はい」
「荷重、分散中って出ました」
「荷物の重さを分けている、ということですか」
「たぶん」
「倉庫が?」
「倉庫が」
白狐は少しだけ黙った。
それから、床下の石の輪を見た。
「ミオ」
「はい」
「この場所は、荷を置くためだけの倉庫ではなかったのですね」
「言わないでください」
「はい」
「言われると、最初に見つけた時の私が、ただ地下倉庫だと思っていたのが恥ずかしくなります」
「仕方ありません。普通は倉庫にしか見えません」
「普通じゃなかったですけどね」
「はい。かなり」
村人たちは、ミオが石板の御言葉を聞いたと思っているらしい。
ミオが「荷重」と言うたび、何人かが神妙な顔になる。村の地下倉庫を前に、聖女が重さの言葉で床下の輪に命じている。そんな感じに見えるのだろう。
「ミオ様」
「はい」
「荷重とは、聖なる重さですか」
「普通の重さです」
「普通の重さを、聖なる石板で」
「言い方が強いです」
「ミオ様の魔法ですから」
「魔法ではないです」
床下の輪が、ふわ、と白く光った。
その瞬間、倉庫全体の荷が、すこし軽くなった。
どすん、と落ちるのではない。ふわ、すとん。麻袋も、木箱も、干し草も、棚も、いちど上へゆるんでから、やさしく戻る。
村人たちが、声を出すのを忘れていた。
リタだけが、麻袋に抱きついたまま言った。
「ミオ様」
「はい」
「この麻袋、さっきより軽いです」
「よかったです」
「でも、中身は減っていません」
「それもよかったです」
「すごいです」
「すごいですが、倉庫にしてはすごすぎます」
透明の板の文字が薄くなった。
[WEIGHT BALANCE]
――――――――――
倉庫下:仮復帰
荷重調整:弱
村底部への接続:一部確認
不足:井戸側・畑側・祠側
――――――――――
「村底部」
「ミオ様?」
「いえ、今、見なかったことにしたい文字が」
「何ですか」
「村底部」
「村の、底ですか」
「はい」
「村に底があるのですか」
「普通は、ありますけど、そういう意味ではない気がします」
白狐が、ゆっくり床下の輪を見回した。
「倉庫だけではありませんね」
「ですよね」
「井戸、畑、祠へ線が伸びています」
「はい」
「では、ここは荷を置く場所ではなく、重さを整える場所でもある」
「倉庫なのに」
「倉庫なのに、です」
村人の一人が、床下を見て、ぽつりと言った。
「ミオさんが見つけた時から、ただの倉庫にしては変だった」
「え?」
「入口が土の下に隠れていたし、床も妙にきれいだった。けど、使えるならありがたいと思って、そのまま使っていた」
「私もそう思ってました」
「まだ下があったか」
「ありましたね」
「ミオさんが見つける場所は、底が深いな」
「褒め言葉ですか」
「たぶん」
「たぶんですか」
男は少しだけ笑った。
ミオは床下の輪を見た。白い粉はまだくるくる回っている。だが、さっきほど暴れていない。荷物ももう浮かない。倉庫の中の風は、すう、と細くなった。
落ち着いた。
落ち着いたが、終わっていない。
透明の板には、井戸側・畑側・祠側、と残っている。
「白狐さん」
「はい」
「次は井戸、畑、祠です」
「順番に行きましょう」
「全部ですか」
「全部鳴っています」
「ですよね」
リタが麻袋からそっと離れた。麻袋は浮かなかった。リタは少し安心した顔をして、でもすぐに井戸の方を見た。
外で、こぽん、と水の音がした。
倉庫の床下の白い線が、井戸の方へすうっと伸びる。
ミオは透明の板を閉じようとして、やめた。
閉じても、たぶん見える。
見えるなら、持っていた方がいい。
「井戸へ行きます」
「はい、ミオ」
「ミオ様、麻袋は」
「もう大丈夫そうです」
「では、私も行きます」
「お願いします」
村人たちは、倉庫の床下をもう一度見た。
床下の石の輪は、ゆっくり、ゆっくり、白く回っている。
ふわふわではない。
ぐらぐらでもない。
ちゃんと、重さを受けている音だった。
外で、井戸がもう一度、こぽんと鳴った。
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