第135話 白い立ち石
低い屋根の北側から、石道はまっすぐ伸びていた。
草は短い。左右に低い石が並び、中央に白い線が続いている。村の祠道ほど整ってはいない。けれど、今までの北側の道より、ずっと迷いが少なかった。灯り場で分かれ、止め石で落ち着き、受け場で渡され、低い屋根の下を抜けた灯りは、ここから先で細くまっすぐになっている。
ミオは低い屋根の北側で透明な板を開いた。
[NORTH STONE PATH]
――――――――――
起点:低い屋根の北側
石道:継続
中央:白い線
左右:低い石
前方:白い立ち物
供物:不要
水:不要
――――――――――
「今日は、あれを見る」
「白い立ち物ですね」
リタが北を見た。
遠くに、白いものが立っている。柱にも見える。細い石にも見える。光そのものにも見える。昨日は距離があって判別できなかったが、今日は石道がそこへ向かっている。
白狐さんは屋根の縁に立ち、耳を北へ向けていた。
「悪い場所ではありません」
「じゃあ、行こう」
「はい」
神官は今日は小祠までだった。
北の受け場より先は、まだ村の手順に入っていない。ミオ、白狐さん、リタだけで進む。供物は持っていない。水袋はリタが持っているが、飲むためのものだ。置くためでも、流すためでもない。
白狐さんが先に歩き出した。
石道は歩きやすかった。
草の下から石を探す必要がない。足を置く場所が続いている。左右の低い石はところどころ欠けているが、道の幅は保たれている。ミオが少し速く歩いても、白狐さんは止めなかった。
リタが後ろからついてくる。
「速い道ではないのに、進みやすいですね」
「うん。足元がはっきりしてる」
「見届ける道、でしたよね」
「たぶん、そう」
道は古い。草も土も乗っている。けれど、ここは通るために作られている。灯りだけではなく、人も歩く。白狐さんの言った「見届ける道」という言葉が、足元で分かる気がした。
[STONE PATH WALK]
――――――――――
歩行:安定
中央線:維持
左右石:断続
前方反応:接近
干渉:低
――――――――――
「近い」
「見えてきました」
リタが声を落とした。
白い立ち物は、柱ではなかった。
細長い石が一本、地面に刺さっている。上が少し開き、二股のようになっていた。その間に、小さな白い輪が浮いている。輪は石に触れていない。石の上で、薄く静かに揺れていた。
白狐さんは石道の端に座った。
「ここで、待っていたのだと思います」
「誰が?」
「灯りを持たない人です」
ミオは立ち石の周りを回った。
中央の白い線は、立ち石の根元を抜けて、さらに北へ続いている。ただし、ここだけ線が少し持ち上がり、白い輪の下をくぐるように見えた。道は地面にある。けれど、灯りだけが一度、上を通る。
ミオは透明な板をかざした。
[WHITE STANDING STONE]
――――――――――
白い立ち石:確認
上部:白い輪
接続:北の石道
南北:往復反応あり
前方:低い影
供物:不要
水:不要
――――――――――
「往復反応」
「戻ってくる灯り……」
リタがつぶやいた。
白狐さんは北を見たままだった。
「少し、思い出しました」
「何を?」
「朝ではありません。夕方です」
「夕方?」
「誰かがここに立って、北を見ていました。灯りが戻ってくるのを待っていたのだと思います」
立ち石の根元には、薄い擦れ跡があった。
南側にもある。
北側にもある。
片道ではない。ここを挟んで、何度も行き来している。灯りを北へ送る道であり、北から戻る灯りを見る道でもある。
リタが白い輪を見上げた。
「入口の輪に似ています」
「うん。でも、地面じゃない」
「見上げる場所なのですね」
「ここで確認したんだと思う。来たか、戻ったか」
白い輪は揺れ続けている。
強くはない。小祠の灯りのように温かくもない。灯り場のように流れもしない。ただ、そこに浮いている。通ったものを覚えているような光だった。
ミオは北を見る。
立ち石の向こうに、低い影がある。
遠いが、これまでの小祠や低い屋根とは違う。横に長い。道の終わりというより、何かの外縁に見えた。石道はそこへ向かっている。白い線も、細くはあるが切れていない。
[NORTH BEYOND STONE]
――――――――――
白い立ち石:通過確認
北側:石道継続
前方:低い影
距離:中
種別:未確定
――――――――――
「まだ続いてる」
「はい」
リタの声は小さかった。
もう驚きだけでは追いつかない。北の道は、次々に場所を出してくる。けれど、今回は違った。白い立ち石は、ただの途中の道具ではない。ここで誰かが待っていた。その気配がある。
白狐さんの耳が、北へぴんと立った。
「音がしました」
「音?」
「戸を開ける音です」
「戸?」
ミオには何も聞こえなかった。
風と、草と、リタの息だけだ。けれど、白狐さんは北を見たまま動かない。
「遠いです。まだ、ここではありません」
「低い影の方?」
「はい」
ミオは北の低い影を見た。
戸がある場所。
小祠でも、灯り場でも、受け場でもない。誰かが出入りする場所かもしれない。村の北に、人が灯りを運び、受け渡し、見届け、戻る灯りを待っていた道がある。その先に、戸の音がする。
透明な板に、短い表示が走る。
[NORTH DISTANT RESPONSE]
――――――――――
前方:低い影
反応:音
内容:戸を開ける音
位置:未確定
接続:北の石道
――――――――――
「戸を開ける音」
「誰かが、いるのでしょうか」
リタが言った。
「分からない」
「でも、戸がある」
「うん」
ミオは立ち石と、その先の低い影を見比べた。
白い輪が浮いている。
その下を灯りが通る。
石道はさらに北へ伸びる。
遠くで、白狐さんだけが聞いた戸の音がある。
ミオは北の低い影を見た。
「低い影の手前まで見る」
白狐さんは立ち上がった。
白い立ち石の横を抜ける。
輪は変わらず、頭の上で淡く浮いている。足元の白い線は一度だけ明るくなり、すぐに細く戻った。拒まれた感じはない。むしろ、通ったことを確かめられたようだった。
立ち石の先は、少し下っていた。
道の左右の石が低くなり、草が短くなる。北の低い影は、近づくほど横へ長く見えた。屋根ではない。壁でもない。いくつもの低い石が並び、その奥に、黒い隙間が見える。
リタが息をのむ。
「あれ、入口では」
「かも」
ミオは透明な板を開いた。
[LOW NORTHERN SHADOW]
――――――――――
前方:低い石列
奥:黒い隙間
石道:接続
白い線:継続
音反応:微弱
――――――――――
「黒い隙間」
「戸の音は、あそこから?」
白狐さんは答えなかった。
代わりに、耳を伏せた。
怖がっているのではない。聞いている。風の奥、草の奥、低い石列の奥を。ミオも息を止めた。
今度は、聞こえた。
かすかに。
木が擦れるような音。
古い戸が、少しだけ動く音。
リタがミオの袖をつかんだ。
「今の」
「聞こえた」
「はい」
白狐さんが低く言った。
「開いています」
「戸が?」
「少しだけ」
低い石列の奥で、黒い隙間がゆっくり白を返した。
灯りではない。
外から入った光でもない。
内側に、何かがある。
ミオの透明な板が一瞬だけ乱れた。文字が出かけて、消える。RENではない。MIOでもない。祠道の表示でもない。短い、読めない線だけが板の端に残った。
白狐さんが一歩、前へ出る。
ミオも続いた。
低い石列の前で、白い線は止まっていない。
黒い隙間の下へ、まっすぐ入っている。
[LOW STONE ROW]
――――――――――
低い石列:確認
黒い隙間:あり
白い線:内部へ続く
戸の音:確認
内部反応:未読
――――――――――
白狐さんは黒い隙間を見たまま、言った。
「ここです」
「何が?」
「戻る灯りが、入っていった場所です」
ミオは黒い隙間の奥を見た。
そこに何があるのかは、まだ分からない。
ただ、北の道はここへ来ていた。
小祠の奥から始まった道は、灯り場を越え、止め石を越え、受け場を越え、低い屋根の下を抜け、白い立ち石を通り、低い石列の黒い隙間まで届いた。
その奥で、もう一度、戸が鳴った。
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