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21 瘴魔の森

 ここで一度、大禍山脈の情報を纏めておこう。


 サルトリ大禍山脈。

 アルセルス王国の東に位置し、麓に広がる瘴魔の森を含めると国土の半分を占めている。

 百五十年ほど前まで、王都から山の麓までは、獣車が余裕ですれ違える太い道が通っていた。


 その道の終点にあるのが『サルトリ祭壇』。

 山脈を起点に穢れをこの地に留め、広がるのを防ぐ役割を持つ装置であり、アルセルス王家の王権の由来でもある。

 この祭壇を建てたのは始祖ヨーコで、祭壇を管理運用する役目を初代アルセルスが賜った。

 それがアルセルス王国の始まりだ。


 そんな重要な施設だが、現在はその道は森に呑み込まれ不通となっている。原因は百五十年前の他国とのいざこざだが、今はそれは横に置く。


 問題は、祭壇が百五十年もの間放置され、定期的な整備も運用も何もされずに今日まで来てしまった事。

 そのせいで徐々に穢れが広がっていき、ここ五十年などは目視でも分かる程、穢れの広がりが加速している事だ。




「俺が初めてこの森に入ったのは五歳の時だけど、その時は森に入ってから一〜二時間くらい歩いて、ようやく穢れ溜まりに行き当たったんだ。子供の足だから、実際にはそんなに遠くじゃなかったろうけど。どちらにせよ、森の入り口から穢れは見えてなかったよ」


 けれど今、森の際に立てば数百メートル先に黒っぽい靄――穢れ溜まりが見える。


「そう……そんなに……」


 シエルの左隣に立つライフェルトがぽつりと言う。ただの相槌か、九年ほどでも、それを目の当たりにして来た者の言葉には重みでもあったか。


 シエル達三人は今、祭壇に続く道から外れた、適当な獣道の前に居る。

 道の方は何やら作業してる人で賑わってたので避けた。それにこの獣道はシエルもよく使うもので、どこに何があるのか、大体把握してるのだ。


「……前、プリムラに聞いた事あるんだ。この国は危ないんだって。森の奥へ行って、それをなんとかするのが自分の役目なんだって」


 顔を青白くさせ、震えた声でエリクも言う。

 ふぅん? ま、今はプリムラは置いといて。


「どう? エリク。行けそう?」

「……う、うん!」


 間を開けて、震え声のまま頷くエリク。

 うん、ダメそう。


 森の中へ入って行く。先頭はシエルだ。

 シエルはスタスタと獣道を進み、穢れ溜まりに当たると――なんの気負いも無く、サラッと突っ込んだ。


 穢れは実体は無く、黒い靄に見える。黒い靄は、そこに透明な壁があるかのように、ある地点から外側には出ず、はた目には黒い靄の壁が立ち塞がってるように見える。

 靄は黒く見えるのに、視界は良好と言う謎仕様。

 シエルはスタスタと靄に入り十数メートルだけ進んでから、くるりと後ろを振り返った。


 そこには、穢れのすぐ外で立ち止まり、シエルを凝視する二人の姿。


「シエル……本当に全然平気なんだ……?」

「大丈夫だとは思ってたけど、ここまでとは……」


 エリクだけじゃなく、ライフェルトまで驚いている。

 むぅ……。そう言えば、祝福前でも穢れを怖がる子はそこそこ居たっけ。怯えて見せるべきだったか……いや即見抜かれるな、ライフェルトに。

 まあいっか。


「エリク〜、ほら入って入って〜」

「う、うん!」

「頑張って、エリク」

「はい!」


 今回の布陣としては、神内の子(シエル)が先行して安全を確保し、ライフェルトはエリクの少し後ろで付き添う形だ。


 ただ穢れの中に入るだけ。

 それだけの為に、この慎重ぶり。訓練でも、この最初の一歩が一番大変なのだと、ライフェルトは語った。

 果たしてエリクは。






「っは、はっ……」


 エリクは穢れの境い目スレスレに立つ。それだけで呼吸が浅くなる。

 穢れが発する、重苦しさ。獰猛な肉食獣を目の前にするより遥かに重いプレッシャー。

 今直ぐ回れ右して逃げ出したい。そんなエリクを留めているのは背後に控えたライフェルトと、何より穢れの中で待つシエルの姿。

 せっかく時間を作ってくれたのに。失望されたくない。嫌われたくない。情けない奴だと思われたくない。

 そんな気持ちが、エリクの背中を押した。


 数度の浅い呼吸の後、エリクは意を決した。

 半ば倒れ込むようにして、穢れ溜まりの中に、頭から突っ込んだ。


「――――!」


 途端、全身が凍り付くかのような寒気に襲われた。外からの冷気ではなく、いきなり身体の芯が氷になったような衝撃。寒くてたまらない。なのに、ブワッと汗が吹き出した。

 右足を踏み出し、倒れ込まなかったのは奇跡に等しい。


 ガチガチと歯が鳴る。頭が真っ白になり、動けない。

 今度は逃げたいとは思わなかった。それ以前の問題だった。

 硬直するエリクの肩に、そっとライフェルトが手を添えた。その感触にハッとする。

 まだだ。まだ、先へ進まなければ。


 いつの間にか下を向いていたエリクは、そろそろと顔を上げた。

 そして視界に入る、シエルの姿。

 あそこまで行くのだ。シエルの元に、辿り着かなくては。


「はっ、はっ、はっ……」


 心臓がバクバクと鳴る。震え、ろくに言う事を聞かない足を叱咤して、ジリッ、ジリッと少しずつ前へ。

 その歩みは遅い。けれど確かに、前には進んでいた。


 ほんの十数メートルを進むのに、どれだけ時間を掛けただろうか。

 もう少しで手が届く、と言うくらいの位置に来た所で、シエルはスッと両腕をエリクに向けて差し出した。

 両手で胸の辺りを掴んでいたエリクは、大きく目を見開き、強張る手をぎこちなく開いて、そろり、そろりと手を伸ばす。

 伸ばされた手と手が、ちょん、と触れ合う。


「っ、うぅっ……」


 エリクはシエルの手をガッと握り、ガクッとその場に膝を着いた。






「お疲れ様、頑張ったね」

「お疲れ、エリク……おぅ」


 抱き着かれた。

 エリクはブルブル震えながらぎゅっとシエルにしがみつく。いつもならなんやかんや言ってくるのだが、それも無い。その余裕もないのだ。


 予定では、エリクが無事にシエルの元まで辿り着けたら、そのまま留まってエリクが馴染むのを待つ、と言う話になってる。

 ライフェルトはさすさすとエリクの背を撫でながら言う。


「怖かったね、本当によく頑張ったよ。……シエル、まだ子守りの効果が強い子は、他者の穢れによる精神異常を払拭する事もある。エリクは多分、シエルくんに触れた瞬間に重圧から解放されて、緊張の糸が切れたんだと思うよ」

「へぇ、なるほど……」


 言いつつ、もう片方の手をシエルの肩に乗せるライフェルト。

 そうすると、確かに強張っていたライフェルトの表情が、少し緩んだ。

 俺、そんな効果持ってたの? 知らんかった。


「シエルも最初は大人と一緒に入ったんでしょう? 何か言われなかった?」

「う〜ん、別に何も。あ、でもしょっちゅう抱っこされてたな」

「抱っこ」

「うん。俺よくあっちこっちちょろちょろしてたから、迷子防止に捕獲されたんだと思ってたけど、そう言う意味もあったのかな?」

「捕獲……ふふっ」

「……っぷ」


 おや、エリクに反応が。


「そんなに面白い? 捕獲」

「いや、なんだか想像出来てしまって……ふふ」

「……おれは、なんかシエルが子猫みたいに首の後ろ掴まれてる姿が浮かんだ」

「なぜ分かった!?」

「えっ、ホントにそんななの?」

「ぷっ、あ、あはははは」


 ライフェルトさん、ツボに入った様子。

 薄暗く陰鬱な森に、少年達の楽しげな笑い声が響き渡った。




 笑いを取ったのが良かったのか、エリクは思いの外早く復活した。まだ少しぎこちないが、この分なら順調に行程が進むだろう。


 そんな二人の様子に、シエルは内心反省する。

 穢れって、普通の人にはここまで影響を及ぼすものだったのか、と。


 実の所、シエルはいかにも困難に立ち向かってます、と言った様子の二人に内心戸惑っていた。

 シエルとて“普通の人”と森に入った事は何度かある。けれど彼等は皆毅然としていて、穢れを恐れる様子は無かったのだ。


 だが、考えてみれば当然だ。これまで共に森に入った人は、普段から森に出入りしてるベテラン神殿騎士かベテラン冒険者のどちらか。

 どちらも慣れているし、そもそも、幼い子供の前で取り乱すなんて失態を犯すような人は付き添いに選ばれないのだろう。


 神内の子の、穢れを無効化する性質が触れた者にも伝播する、なんて事も知らなかった。

 『シエル』は普通の人間ではない。それを気付かれるのを恐れて人付き合いを最低限にして来たが、そのせいで取り零した経験・知識は想像より多いのかも知れない。


 これはちょっと考えなくては。

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