9.格好いい騎士様
半月ぶりにやってきた王宮は、いつもと代わり映えがなかった。
あえていうなら、殿下のテンションがすごく高かった。
「お姉さま! お話をしてください! ヴァーノンばかりずるいのです!」
「ええ?」
案内された客間に入るなり、殿下が私のドレスに抱きついてきた。
その後ろからヴァーノンがやって来る。殿下はいつも、お話をしてくださいと飛び付いてくるからこうされるのはわかるけど……ヴァーノンばかりずるいってどういうこと?
「ええっと、これは?」
私は近づいてきたヴァーノンに視線を向ける。
「すまない。先日の個展の話をしたら……」
「あぁ、なるほど……」
羨ましがったと。
話の種になるかと思ったのに、ヴァーノンと一緒だとあまり意味がないのね。私がお話しして差し上げたかったのに。
少し残念に思うけれど、仕方ないか。お仕事しているわけだから、一緒にいる限り世間話くらいするでしょうし。
困った殿下ね。
私はしゃがんで、殿下と視線を合わせる。
「殿下、お話をしましょう。私も少しだけ面白いお話があるのですよ」
「はい!」
イレール殿下の目がキラキラと輝く。よし、良い子! 素直な子は可愛いぞ!
殿下の手を引いて立ち上がると、ヴァーノンが私を見下げてきた。金の瞳が柔らかく細められる。
「そのドレス、伯爵家のパーティーの……」
「あら、お気づきになられて?」
私はにっこりと微笑んだ。
ライムグリーンのサテンが基調となったAラインのドレス。ウエストのところから白のオーガンジーが重ねられて、花に見立てられたピンクやイエローのチュールが咲いている。
袖はないタイプ。髪型はパーティーの時と違って、金髪をゆるくウェーブをかけて背中に流した。ライムグリーン色の細工を蔓に見立てて花の装飾が施されたヘッドドレスを耳の後ろから後頭部に向けてつけている。
髪型は違うけれどクラヴェリ家のパーティーに着ていったドレス。
お望み通り殿下のために、着てきたドレスよ。
ヴァーノンがふっと笑った気がした。
「よく似合っている。とても可愛らしい。お伽噺の妖精のようだ」
「あ、ありがとう」
うっ、頬に熱がたまる。柔らかく微笑むヴァーノンに胸がドキドキする。甘いハスキーボイスが、耳の奥に残る。
可愛いって! 可愛いって言われたわ! 今まで社交辞令としてしか聞かなかったから、この不意打ちは卑怯……いやいや待つのです私! これも社交辞令だから!
火照る顔を下に向けたいけど、我慢する。本人目の前だし、殿下もいるし。だめね、ヴァーノン相手だと微妙に調子が狂っちゃう。どうしてかしら。
私は殿下と一緒にソファへと歩き出す。少しだけヴァーノンから顔をそらして。ソファに殿下をゆっくりと座らせた。
「イレール殿下、改めまして。こちら、殿下がご所望になられた、パーティーに出席した際のドレスです」
「わぁ……! お姉さまとてもきれいです! お花もとてもかわいいです!」
きゃっきゃっと喜ぶ殿下の方が可愛いです!
誉められるし殿下が可愛いしで、私の頬が自然とゆるむ。
殿下は海の色の瞳をいっぱいに広げて、私の姿を映しこむ。
「歩くと、お花がふわふわゆれますね。えへへ、かわいいです」
胸がきゅんってする。可愛い! 殿下のえへへ顔可愛い!
「回ると、少しだけ広がるのよ」
私はその場でくるりとターンをしてみせる。
ライムグリーンのサテンは見た目よりあんまり広がらないけれど、オーガンジーは風を受けてふわりと大きく揺れる。
花がこぼれそうな広がりが、私のこのドレスのお気に入りの部分だ。
殿下はますますと瞳を輝かせた。
「わぁ! 可愛いです! お姉さま、僕と一緒にダンスを踊ってください!」
「えっ」
唐突なお願いに戸惑う。
ダンス? 私と殿下が?
「私も踊りたいけれど……ごめんなさい、殿下がもう少し大きくなったらお相手させてくださいな」
殿下と踊れたらどんなにか気分が晴れるだろうと思うけれど、殿下と私の身長じゃ、躍りにくい。歩幅を間違えて、うっかり殿下の小さなおみ足を踏んづけてしまっては、大事よ。
そう思ってやんわりと断れば、殿下は少しだけ悲しそうな顔をした。
「そうですか……そうですよね。ぼくはまだ小さいので……」
「男の子は成長がゆっくりですから。後五年もしたら、きっと私より大きくなるわ」
「お姉さま……ぼく、ヴァーノンくらい大きくなりたいです。なれますか?」
うーん、それは私には答えられないなぁ。身長は個人差もあるし……ヴァーノンはかなり背が高い方だけれど、王族の方々をみた感じ、そんなに身長高くはならないと思うのが本当のところ……
でもそれを幼い殿下に教えするのはなぁ……夢は大きい方がいいじゃない?
私が困っていると、ヴァーノンが口を挟んできた。
「殿下、背の事をいうなら分からないが……鍛練をきちんと続けられれば、男としては大きくなれる」
「男として?」
「そうだ。殿下の目指す、立派な騎士になれる。立派な騎士となって、貴方の姫君を迎えにいくと良い」
少しだけ曇っていた殿下のお顔が、ぱあっと明るくなる。そしてソファから降りると、私の手をぎゅっとにぎった。
「大きくなれなくても、りっぱな騎士になったら、踊ってくれますか?」
「もちろん。喜んで」
しゃがんで、殿下と視線を合わせて答える。
まぁ、今のところはそれで答えてあげましょう。立派な騎士になる頃には、殿下は成長して今より大きくなっているのは間違いないのだし。
あ、でも一つだけ懸念が。
お人形さんのような殿下が鍛えすぎて、筋肉がムキムキのムチムチになってしまうのだけは勘弁です。できるだけスマートな成長を望みます。
「格好いい騎士様になってくださいね」
「どれくらいかっこよくなればいいですか?」
えっ。
どれくらい?
まさかそんな返しが来るとは思わなかったから、何も考えていない……というか騎士なんて普段関わらないし……たまにパーティーで見かけることもあるけれど、お話しすることもないし……
一番身近な騎士と言えばやっぱりクラヴェリ家のあの馬鹿なのだけれど、私の悪評を垂れ流すのは格好いいとは言えない。
他に身近な騎士と言えば……
ちらとヴァーノンを見る。彼くらい、よね?
「そうですねぇ……ヴァーノンくらいに格好良くなってくださいね」
「ンっ!?」
突然話題を振られて驚いたからか、ヴァーノンが呻いた。目を細めて、じとっとこっちを見てくる。あら、私言ってはいけない事でも言った?
「お姉さまから見て、ヴァーノンは格好いいのですか?」
「そうね。しっかり鍛えられているから、なんだか安心するわ」
個展の時にしてもらったエスコート。大きな手に自分の手を重ねた。男の人の手ってどうしてあんなに大きいのだろう。きゅっと握られたら、もっとこう……ふにゃって気持ちになりそう。
そのヴァーノンさんなんだけれど……直立したまま、上を見上げている。天井に何かあるのかしら? つられて見てみるけれど何も無いわよねぇ。
「ぼくがんばります! きたえてヴァーノンみたいにかっこよくなります!」
「ええ、ヴァーノンみたいに格好よくなって、エスコートしてくださいね」
顔を戻せば、拳をにぎってふんすっとやる気を見せる殿下。
可愛いなぁ、私の未来の騎士様。とっても素敵ね。
よしよしと頭を撫でてやれば、くすぐったそうに笑う。もっと撫で撫でしてあげましょう~。
「お姉さま、お姉さま」
「ふふ、殿下は甘えんぼさんね」
すりすりとすり寄ってくる殿下。本当は抱き上げてやりたいけれど、十歳の男の子を抱き上げるのはもう難しいわね。
「……本当に子供が好きなんだな」
「もちろんよ。可愛いものは好き。子供は可愛い。それに子供が嫌いと言ってしまったら、私の人生不幸になるわ」
「……」
ヴァーノンがぼそりと呟いた。私は彼を見る。
私の答えに含まれた『毒』に気づいたのか、ヴァーノンは気まずそうに視線をそらした。
……子供が嫌いだと、私の人生不幸になる。
可愛いものが好きだから、まず嫌いになることはないと思うけれど……視線を下げて、殿下を見つめる。
可愛い、可愛い、私の殿下。
さらさらと柔らかな、青みがかったシルバーブロンド。つぶらな青い瞳。もちもちとしたほっぺ。温かな体温。
私が、慈しむべき人。
あなたが大人になるまで見守らないといけないのに、子供が嫌いだと私が辛いもの。
「お姉さま、おつらいの?」
「いいえ、幸せよ」
不安そうに見上げる殿下の額にキスをする。
ふふ、不安にさせちゃってごめんなさい。
勝手に感傷にひたっちゃって、最近の私、ちょっと変。
「そうだお姉さま!」
「どうしたの?」
空気を一転するように、殿下が声を上げる。
殿下は色々と思い付くわねぇ。私が口下手でも話題には事欠かないから、楽で良いのだけれど。今度は何を思い付いたのかしら。
「ぼくと踊れないのなら、ヴァーノンと踊ってください! お姉さまが踊るところ、見たいです!」
「え?」
「はっ?」
私はきょとんとする。ヴァーノンも軽く瞠目した。