騎士と猫のような妖精2
喉の奥から小さく息をつくと、俺は目の前でソファーに腰かけている殿下に視線を落とした。「お姉さま」と親しんでいるご令嬢を見送ったばかりだからか、かなり機嫌が良いように思われる。
「殿下、先程の質問だが」
「そうですヴァーノン! どうしてヴァーノンだけがお姉さまを知っていたのですか?」
無邪気に尋ねられる殿下。年相応の無邪気さに少し安堵する。
それなりに年を重ねていれば、こんな質問は痴情のもつれ以外の何物にも見えないだろうからな。
「私は、姿をお見かけしただけだとお伝えしたはずだが」
「あっ、そう言えばそうですね? おはなし、されなかったのですか?」
「していないともお伝えしただろう」
鍛練の片手間の会話だった故か、きちんと頭に入っていなかったのかもしれない。殿下は「そう言われればそう言ってたきがするかもです」と小首をかしげている。
その様子は子供らしくかなり愛らしいが……俺は師として言っておかねばならないことがあるのでそちらを優先させてもらう。
「殿下、会話をされるならきちんとその内容を心に留めておけ。人としては勿論だが、王族としてそれでは兄君達に失望される」
「兄上にきらわれる……!?」
殿下は大きな目をさらに大きく見開く。
「それはイヤです!」
「なら、できるだけ二度同じことを聞かないようにすることだな」
「はい……」
数日前からそわそわしていらっしゃった。アンリエット嬢が来ると分かっていたから気もそぞろになっていたのだろう。
俺には対して影響はないが、殿下は剣以外にも勉強をされている。他の教師陣の授業にも影響が出ていないことを祈るのみだ。……いや、彼らは俺よりも殿下との付き合いは長いはずだ。慣れているかもしれんな。
気落ちぎみに肩を落とした殿下を見ながら、それにしても、と思う。
先程初めてアンリエット嬢と話してみたが、パトリックが言うほど警戒するような女性には見られなかった。ご自身でも言っていたが、表面上は殿下のことを本当の弟のように接しておられるように見えた。
子供の扱いには多少慣れているようだが、殿下が生まれて間もない頃からの付き合いだと聞く。特別おかしな事でもないだろう。
去り際に揺れていた金糸を思い出す。パーティーの時とは違って化粧が控えめではあるが、間違いなく、先日のパーティーで目を奪われた少女に違いなかった。
年頃の少女だ。本当ならば壁の花などになどならず、行く先々で可憐な笑顔を綻ばせているのがほとんどのはずだ。もちろん、クラヴェリ伯爵家のパーティーに招かれた年頃の男女は皆そうして過ごしていた。
帰り際、殿下に見せていた慈愛に満ちた微笑みは本物だろう。曇りのない笑顔、彼女は確かに殿下を愛していらっしゃる。
だが、つまらなさそうに、退屈そうに、パーティーでは壁に寄り添っていたのも事実だ。社交が苦手なのだろうかとも思っていたが、先程の様子を見る限りでは人付き合いが苦手という訳でもなさそうだ。
それとも、婚約者がいるからとああいった場では遠慮をしているのだろうか。年頃の貴族にとって社交界は出会いのための場だ。かくいう俺も、クラヴェリ伯爵にそういった理由で勧められてあの場にいたのだから。ただそうであっても、婚約者がいるならいるで、堂々として話の輪に加わりにいけば良いだろうに。
「……殿下」
「はい」
彼女への関心は尽きないが……忘れる前に殿下に釘を差しておかねばなるまい。
殿下は余っていた菓子と茶を上品に食べていらっしゃる。こくんと口の中の物をきちんと嚥下してから返事をした。
「その場では何も言わなかったが……社交界でああいった物言いは場合によってはマナー違反になる。特にさきほどの殿下の言い方はかなりひっかかるものがあった」
「どれですか?」
「私が一方的にアンリエット嬢を知っているということだ。本人同士で挨拶がわりにするならともかく、他人の口から出るのは見聞が悪い」
「なんでですか?」
ここで「なんで」がくるか。
やはりまだ幼い。今後が心配にはなるが、おいおいこういった事は学んでいくものだから気にすまい。
「男女の機微というものだ」
「男女のきび……」
きび、きび、と殿下は難しい顔をしながら言葉を繰り返す。分かってはいたが、外に出る機会の少ない殿下にはまだこういった心理は難しいか。
貴族向けの学舎にでも通うか、さっさと騎士団に所属するかすれば、似たような世代の者達と男女に関する話をする機会に恵まれ、こういったものは自然と身に付いただろうが……下手にそこで恋愛感情を育まれても厄介だ。ムーリエ公爵家との婚姻は必ずなし得たいものだとセザール様からも伺っている。殿下に余計な虫を寄せ付けないためには仕方がないことか。
「とりあえず、今言ったことを忘れないように。今は分からずともいずれ分かるだろう」
「はい!」
返事だけは一人前だな。
やれやれと思いながら、そのまま退出して侍女と変わろうとすると、殿下は「まってください!」と呼び止めてきた。
「なんだ」
殿下は満面の笑みを浮かべる。
「ヴァーノン、お姉さまを気に入ってくれましたか?」
「……」
殿下の質問の意図が分からず、思わず眉をひそめてしまった。なんだ、その質問は。
気に入るも何も、まだ挨拶しか交わしていない。答えあぐねていると、殿下は更に言い募ってきた。
「ヴァーノンはぼくのししょうで、ごえいです。でも、お姉さまをこわい目で見ては、いけませんよ」
「……そんな目で見ていたか」
「ちょこっとですけど」
警戒していたのを気づかれたらしい。
殿下にも気づかれたくらいだ。もしかしたら視線を向けられていた本人にも気づかれているかも知れないが……残念ながら、俺には知る術なぞ無い。
一つため息をついた。
「……殿下、護衛故に警戒するのは許していただきたい」
「お姉さまはわるいことしません! だってぼくのお姉さまなんですから!」
警戒をしないための理由にはならないが……殿下のご機嫌を無意味に損ねる訳にもいかないので適当に返事をしておく。
まだ今日は挨拶をしたばかりだ。
アンリエット嬢に関して、殿下への害の有無を判断するにはまだ要素が足りない。今までの事があるので俺が改めて調べる意味もないだろうが……どうせセザール様に騎士団の仕事を取り上げられて暇なのだから、これくらい良いだろう。
次会えるのはいつになるのだろうか。
その時はもう少し彼女について詳しく知られたら、と思う。




