16.首もとのキスマーク
懇親会が終わると、私はぐったりとしてお屋敷へと帰った。
お父様には当然のように「飲み過ぎだ」と禁酒を言いつけられてしまったけれど、私がぐったりしてるのはワインのせいだけじゃないとは言えなかった。
本当に疲れた……こんなに濃いパーティーは初めてだったわ。結局、ヴァーノンがあそこにいた理由を聞き出すことができなかったし。彼との時間は濃厚だったし……あ、だめ、思い出しただけで恥ずかしくなるわ。
悶々としながらお屋敷に戻ってメイド達にドレスを脱がせてもらっていると、化粧を落としているときにマリエルが「それ」に気づいた。
「あら……お嬢様、この痣……」
マリエルが私の顎の裏を触った。
痣と言われてピンとこなかったけれど、マリエルが触った所が、ヴァーノンに食べられたところだと気づいて反射的に手で隠してしまう。カッと頬に熱が集まった。
マリエルが私の反応を見て険しい顔をすると、身の回りの世話をしていた他のメイド達を追い出した。二人きりになって、問い詰められる。
「お嬢様、これはどうされたのです」
「ど、どうって……」
「この痣……キスマークではありませんか?」
キスマーク。
言葉にされた瞬間、全身の血が沸騰したのかと思うくらいに熱くなる。
「なっ、なっ」
「いったい、誰につけられたのです」
マリエルの顔がますます険しくなる。
何かを言わなきゃと口を開くけれど、言葉が出てこない。
そんな私を察してか、マリエルが鋭く切り込んでくる。
「ヴァーノン様でしょうか。懇親会にいらしていたのですね?」
言い当てられて、ドキッとする。悪戯が見つかった子供のような気分になる。
視線を右往左往とさせていると、マリエルは膝をついて、化粧台の前で座る私に視線を合わせた。
「お嬢様、恋をするのは仕方ありません。しかしお嬢様は第三王子殿下の婚約者であるのは変えられないのです。他の殿方に体を許すなど、決してあってはならないのです」
「待って、マリエル、これは私の意思じゃ……」
「お酒を飲んで油断していたのを言い訳にしてはなりません。誰かに知られたら、これはお嬢様の……いえ、ムーリエ家の恥でございます」
ビクッと体が跳ねる。
私の……ムーリエ家の恥。
「誰しも過ちはございます。今回は旦那様には内緒にして差し上げますが、このようなことがまた起きればご報告せねばなりません」
「待って! それはやめて!」
お父様に知られてしまったらなんて、そんな恐ろしいこと言わないで!
マリエルは厳しい表情のまま続けた。
「痣が消えるのに大体一週間ほどかかります。他のメイドに知られてもいけません。今回は私がなんとか誤魔化しますが、二度はありませんからね」
マリエルの言葉に、私はうなだれる。
知ってるのよ。私は公爵令嬢として、してはいけないことをしてしまったのだと。でも、なんてことをしてくれたのかとヴァーノンを責めるよりも、私は……
「ごめんなさい……もう二度とこんなことにならないようにするわ……だからマリエル、私を助けて……」
ヴァーノンを困らせたくない、嫌われたくないと思ってしまうの。
マリエルは小さくため息をつくと、化粧をすっかり落として、結い上げていた髪もほどいてしまう。コルセットも外してシュミューズ一枚になる。
下着一枚になって、ふとマリエルが「大切なことを聞き忘れるところでした」と私を見た。
「下着やドレスが汚れていませんので大丈夫かとは思いますが、ヴァーノン様とはキスマークをつけられる以外になにもされていませんか?」
「していないわ。それは大丈夫よ。キスすらしていないもの」
マリエルが「はぁ?」と呆れた顔をした。え、なんでそこで呆れるの?
「キスはしなかったのにキスマークはつけられたんですか?」
「ええ、そうだけれど……」
マリエルが頭痛を和らげるように、ぐりぐりとこめかみをほぐす。
「独占欲が強いのかヘタレなのか……」
「マリエル?」
「いいえ、なんでもありません」
いや、その意味深な呟きが気になってしょうがないのだけれど……。
食い下がろうとすると、マリエルはそれ以上は相手にしないで、衣装ダンスからネグリジェを出して、私に被せた。
「お嬢様、今夜はお酒を飲まれているのでこのままお眠りください」
私はマリエルに為されるままにネグリジェの袖に手を通した。
衣装部屋から寝室へと背中を押され、寝台に追いたてられる。私は渋々シーツに潜り込んだ。
「お嬢様、私はお嬢様の味方でありたいと思っておりますが、それができないときもございます。ゆめ、お忘れなきよう」
寝室の明かりが消される。去り際、マリエルに釘を差された。
マリエルが寝室を出ていくと、私はシーツを頭まですっぽりと被って枕を抱きしめた。
このキスマークは私が望んでつけたんじゃない。でも私は、拒むこともしなかった。
いけない恋に、いけないキスマーク。
ヴァーノンの熱を孕んだ金の瞳を思い出すだけで、体が悦びに震える。
マリエルに言う通り、私の気持ちが他に知られてしまったら、家の恥となり、お父様の面目をつぶしてしまうのは分かっている。
でもそれでも、あの瞳を思い出すことをやめられない。
ほぅ……と熱い吐息が溢れる。
叱られても、駄目だと言われても、走り出した心は止められない。マリーの言葉がよく身に染みる。
私に刻まれたキスマーク。
ヴァーノンが刻んだキスマーク。
ヴァーノンにつけられた痣に触れる。恥ずかしくてたまらないけれど、それ以上の熱量が私を捕まえて離さない。
「ヴァーノン、ヴァーノン……」
喘ぐように彼の名前を呼ぶ。
あぁ、なんで私は私なんだろう。
私が彼と結ばれる未来は決して来ないことが、もどかしい。
ヴァーノンを意識するようになって、私の世界は次々と変わっていく。懇親会に行く前は味気なかった世界が、今はこんなにも熱量を帯びている。
彼の言葉、彼の指先一つでどうにかなってしまいそう。でもそれが嬉しくて、癖になる。私がおかしいの? それともヴァーノンが私をそうさせるの?
ヴァーノンの与えた熱に浮かされながら、瞳を閉じる。
はしたないと思う。よくないことだと思う。
それでも今夜の出来事を思い返せずにはいられない。
耳にかかる熱のこもった吐息。抱き締めるたくましい腕。獰猛な瞳。首筋に這った唇の感触。
枕をぎゅっと抱き締めて、全身を震わす悦びに耐える。
本当はもっと触れてほしい。
あの甘い声で名前を読んでほしい。
一欠片と言わず、全部あげたいの。
とろんと深い闇が私を誘う。私は誘われるまま、深い闇へと意識を落とした。
翌日、二日酔いの頭痛に苛まれながら私は目を覚ました。見かねたマリエルに果実水をもらって、午前中を過ごす。
午後、ようやく二日酔いから脱すると、イレール殿下からの召喚状が届いた。
私室のソファの肘掛けに体を預けながら、マリエルから手紙を受けとる。ペーパーナイフで封を開けて中を確認した。
「あらー……」
お手紙には季節の言葉を添えているだけで、すごく素直に「ヴァーノンばかりずるいですので、お姉様ぼくとお話ししてください!」と書いてあった。
さすが殿下、ぶれない。
それとヴァーノン、あなたはいったい何を殿下に吹き込んだの。
昨日の今日で、また彼に会う予定が立つなんて……ほんのりと心が浮き足たつ。
「お嬢様、分かっているとは思いますが」
「大丈夫よ、マリエル。さすがに殿下の前では変なことはしないわよ」
書いた返事をマリエルに渡すと、マリエルに口を酸っぱくして言われた。
ヴァーノンがイレール殿下の護衛だということは教えているし、彼が同席しているのも教えてあるから仕方ないのだけれど。
まぁでもさすがのヴァーノンも、自分の主の前ではおかしなことはしないでしょう。キスマークつけたり、みだりに抱き寄せたり、首もとに顔を埋めたり……うわぁ、思い返してみればまだ片手で足りるくらいしか会ったことがないというのに、私はヴァーノンに色々とされすぎじゃない?
……おかしなこと、しないわよね?




