14.ワイングラスにご注意を
やってくる貴族の方々のお相手をしていると、不意に相手の背中越しに、黒髪の騎士を見つけた。
あれは……。
跳ねる鼓動を私は抑えつける。待って、早まってはいけない。あの人がここにいる理由なんて無いはずだもの。
遠目でよく分からないし、黒髪だって探せばちらほらといるから、私の見間違いの可能性がある。
それでも私は知らない内に、彼の姿を追っていた。
「どうされました、アンリエット様?」
話していた子爵の声に我に返る。
あらいけない。お話の途中だったわ。私は自然な笑みを浮かべてみせた。
「いいえ、何でもありません」
「何かありましたかな?」
子爵が不思議そうに後ろを振り向く。隣の奥方様もつられて後ろを見た。
「本当に何でもありませんのよ」
「それなら良いのですけれど……」
奥方様が少しだけ機嫌が悪そうに眉を寄せた。身分はこちらが上といっても、人の話を上の空で聞くっていうのは失礼よね。申し訳ないわ。
「申し訳ありませんが、沢山の方とお話をしたので喉が渇いてしまいました。ワインをいただいて参りますね」
「あぁ、これは気づかなかった。私たちだけがアンリエット様を独り占めするわけにもいきませんな。また機会がありましたらお話しさせてください」
「喜んで」
微笑むと、子爵夫妻はホールの中心に戻っていく。これからダンスでも踊られるのかしら。
近くの給仕に声をかけて、二杯目のワインをいただく。
それにしても、私がさっきマリーにされたことを他人にしてしまうとは迂闊だったわ。人の事を言えないし、食い下がられると困るのは私なのに。
黒髪の騎士を見ただけで「彼」だと思うなんて、気持ちの整理が全然できていないじゃないの。自分の不甲斐なさにあきれちゃうわ。
お行儀が悪いけれど、くいっとワインをあおる。お酒はあんまり強くないから、普段は飲んでも一杯だけなのだけれど……今日は少し酔うくらいが気分も上がって良いかもしれない。酔いが回ると私は喋るのが億劫になるから、下手なことを言わなくなるしね。
一息ついて、通りかかった別の給仕に三杯目のワインをいただいた。それもあっという間に飲み干す。
「ん」
飲み干したグラスを覗く。
このワイン美味しいわねぇ。前の二杯よりも、この三杯目の方が美味しい。
確かセザール殿下ってお酒が好きだと聞いたことがあるわ。セザール殿下主催のパーティに出されるワインの種類はとても多いとも。
実際に飲み比べてみて分かったけれど、給仕の持つワインはたぶん全員種類が違うのね。普通のパーティよりも給仕が多いなぁといつも思っていたけれど、理由が分かれば納得ね。
四人目の給仕に声をかける。受け取ったワインがたぷんと揺れた。
一気にあおったのが良くなかったのか、酔いが回ってきたのか分からないけれど、少しだけ体が浮いてる感覚がする。ゆらゆら揺れて、壁に寄り添う。今度はちびちびとワインをなめるようにいただいた。
ワイングラスをぼんやりと見つめる。一杯目、二杯目は白ワインで、ねっとりと舌に絡みつきながらも味はよく飲みやすかった。三杯目は甘口。以前晩餐会にお呼ばれしたときに飲んだものに味がよく似ている気がしたから、もしかしたらデザートワインだったのかもしれない。今飲んでいるのは赤ワインで辛口だ。あんまり美味しくない。私の好みじゃない。
ゆらゆらとワイングラスを揺らす。香りは四杯目が好きなんだけどなぁ。
普段から飲み慣れていれば、これがどこの産地で、どの果実を……とか当てれたのかもしれないけど、私にはさっぱり。美味しいか美味しくないかくらいしかいえないわ。
あぁ、でもどうしよう。もしイレール殿下がセザール殿下に似てお酒好きになってしまったら。今のうちに美味しいお酒を探して、殿下におすすめできるようにしておいた方がいいのかしら。
ちびちびとなめていたのを、一気にあおる。
「ふぅ……それなら頑張ってもう一杯……」
「まだ飲む気か」
横から声がかかる。この声は……。
横から伸びてきた手が、私のワイングラスを奪い取った。私はキッと相手を睨み付ける。
「何するのよ」
「飲み過ぎだっつってんだよ」
白を基調にして金の縁取りがされた騎士服を身に纏ったパトリックが、そこにいた。さらに私が飲み干したワイングラスを、私が声をかける間もなく近くの給仕に返して追っ払ってしまう。あぁ、私のワイン。
名残惜しそうに給仕を見送ると、パトリックがねちねちと嫌みを言ってくる。
「弱い癖に飲むとか馬鹿じゃねぇの? 飲み過ぎて吐くなよ、みっともねーから」
ふん、そこまで飲みませんよーだ。それに、吐くほど飲む前に意識飛ばすから会場で吐くってことはまずありえませーん。
……というのを目で訴えるけど、たぶん伝わらないわよね。じろって睨んでるだけだもの。
ただ飲み過ぎなのは否定しない。酔いが回ってきて、全身の血流の流れを早く感じるわ。
「ったく、人がせっかくダンスに誘おうと思って探しに来たらこのザマだ。お前、タイミングわりぃな」
「踊らないって言ったでしょう」
あなたとは踊らないって手紙に書いて送りつけたでしょう。あなたの目は節穴? それとも文字も読めないくらい頭の中身も筋肉になっちゃったの?
「それはそれ、これはこれ。手紙で断ろうと、心変わりするかもしれねーだろ? 何たって今の俺は親父に連れてきてもらったんじゃなくて、俺自身が殿下に呼ばれてきたんだからな」
一瞬「はぁ?」と顔を歪ませて、寝言は寝ていえと言いそうになったけど、そういえば昇進するんだっけ。マリーが王族……それもセザール殿下付きの騎士になるみたいなことを言っていたわね。それか。それが自慢したいのか。
「なんだてめぇ、信じてねーだろ」
だって素行に問題有りじゃない。
どんなに強くて身分が良くても、口は悪いはやることなすことまぬけだわ幼稚だわで、殿下の品位を落としかねないじゃないの。
「……おい、何か喋ろよ。やっぱお前、酔ってんな?」
「酔ってないし」
「いーや、ぜってぇ、酔ってる」
うっさいわね。私に絡む前にもっと絡むご令嬢とかいるでしょう……あ、無理か。脳筋らしいから、こんな奴に目をかけるご令嬢とかいないわね。うん、絶対いない。なんたって気に入らないからって私の悪評流す奴だし。
あ、分かった、誰にも相手してもらえないから私に絡むのね! 普段なら騎士仲間の取り巻きに囲まれてるけど、今日はいつも以上に参加者も限られているから。
「かわいそうに……」
「おいてめぇ、今失礼なこと考えてるだろ」
別にー。
「何とか言えって」
「やー」
「やーって、おま、子供か」
壁に背を預けて、ツンっとそっぽを向く。
う……やっぱり四杯はやめておくべきだったかもしれない……心臓ばくばくいってる……くらくらする……。
夜風にでもあたって、酔いを冷ましたいけど……この馬鹿の手前、外には行きたくないわ。酔ってないって言い切ったから、足元がおぼつかないところを見られでもしたら屈辱よ。
「大体なぁ、お前はいつも……」
もう、また小言が始まった。ねちねちと嫌味な奴ね。
ちらとパトリックに視線をやる。あ、視線があったわ。視界も揺らぎそうになるから、ちょっと目が据わっちゃってるのはご愛敬と言うことで。
「……」
あれ、黙っちゃった。視線が右往左往と泳ぐ。どうしたの?
「……飲み過ぎだっつーの」
まだ言うか。
本当嫌味な奴ね! 飲み過ぎなのは自分でも分かってるわよ!
パトリックにため息をつかれる。何そのため息。私に呆れた? まぁあなたにあきられたところで私はこれっぽっちも痛くはないけどね!
謎の優越感(?)にひたっていると、パトリックが視線をあげて誰かに声をかけた。
「あ、おい」
パトリックの視線をたどる。黒髪に金の瞳の騎士。どことなく「彼」に似ている気がするけど、髪型が違うから、違うと思う。
「水を持ってきてほしい」
「あらー、同じ騎士様に命令?」
ろれつが回らないなりに嫌味を返してやれば、パトリックがチッと舌打ちする。
「分かったよ、俺が取りに行けばいいんだろ。すまんがこいつを見ててくれ」
「分かった」
よっしゃー、パトリックを引き離すことに成功ー!
ふふん、彼さえいなければ私は自由よ!
私はひらひらと彼の背中に手を振って、壁伝いに歩き出す。んぅ、まっすぐ歩けない。
「どこに行く」
どこからか幻聴が聞こえてきた。「彼」の声に似ている気がして、私は気分がよくなる。
「外。あついの」
頬が熱を持ってる。涼みたいのよ。
騎士が私に手を差し出した。私はぼんやりとその手を見る。この手は?
騎士を見上げると、苦笑していた。
「足元がおぼつかないようだ。手を貸してやろう」
気が利くわねぇ。ではありがたく。
大きな手。早鐘を打つ心臓。導く騎士。
既視感を覚えるこの光景に切なくなる。
誰もいないバルコニーに出ると、私の膝から力が抜ける。もうだめ、歩けない。
ぺたんと座り込むかと思ったら、騎士が私の体を支えてくれた。
「大丈夫か」
大丈夫じゃないです。
言うより先に、騎士の瞳とかち合う。
熱を孕んだ金の瞳。あぁ、本当に「彼」によく似ている。
私は騎士の頬に手を伸ばした。ぴくっと騎士の目元が動く。
「俺の顔に何かついているか」
いいえ、何もついていない。
でもそうね、あえて言うなら。
「恋しい人に似ているわ」
騎士が目を丸くする。あはは、驚かせてしまったかしら。
きちんと自分の足で自分を支える。私が頬から手を離そうとすると、騎士はその手を捕まえた。
「恋しい人とは」
言えるわけないじゃない。誰かなんて、私の立場じゃ言えないもの。
「殿下ではないだろう。殿下は俺に似ていない」
そうね、全然似ていない。
だって私が想う人はイレール殿下ではないもの。
「貴女の恋しい人とは誰だ」
「言えないわ。私はイレール殿下の婚約者だもの」
「知っている。誰にも言わないから、俺にだけ教えてくれ」
騎士が、ダンスホールから見えない位置に、私を連れ込む。
私は彼に抱き締められた。えっ、うそ、なに?
「俺が恋しいならこの上なく喜ばしいが、似ているというのはいただけないな」
至近距離で囁かれる甘いハスキーボイス。背筋がゾクゾクとして、腰が砕けそうになる。
あぁ、だめ。私この声に弱いの。
いじわるしないで。
声も瞳も顔も、抱き寄せてくれたときの安心感も、私が恋しい人に瓜二つなくらい全て似ていて……似ていて……。
似ていて?
ん? 待って? ちょっと待って?
これ、オールバックにしているからか雰囲気が違って見えるけど、待って? もしや?
ご 本 人 で は ?
獰猛な獣が獲物を見つけたときのように、瞳を細め、唇の端がつり上がる。あっ、その顔好き。
じゃなくて!
酔いが一気にさめました。




