第二話 陰陽師神崎の策略
朝日というものは、本来なら人を爽やかな気持ちにさせるはずだ。
だが、青天井となった店舗の真っ只中で浴びる朝日は、ただただ残酷に俺の現実を突きつけていた。
「……ひどいな、これは」
目の前に広がるのは、もはや『九重堂』という看板を掲げていた面影すら存在しないほぼ更地。
一応、柱の残骸や崩れた瓦が山を成しているが、二階にあった俺のベッド、衣服、そして長年かけて集めた骨董の道具類は、昨夜の黒江の『純愛塗潰』によって夜空の彼方へと消し飛んだ。
もしかしたら、瓦礫の中に何か残っていないか。
心のどこかの最後の希望だ。
「蓮様ぁ……朝食をお持ちいたしましたわ!」
破れかぶれの暖簾のような瓦礫をくぐって現れたのは、黒江だった。
朱色と金の綺麗な和装に、昨夜と変わらぬ可憐な笑顔。
彼女の手には、崩れた木材を巧みに組み合わせて作った小さな木箱の上に、どこから調達したのか、ほかほかの湯気を立てるおにぎりが二つ乗っていた。
「わたくし、蓮様のために握ってまいりましたの! 愛がたっぷり詰まっておりますわ!」
「お、おう……ありがとな、黒江。……って、ご飯と具材はどこから?」
「お米は発掘いたしました。瓦礫の下に無事なものもありそうです! 裏の川で米を研ぎ、川魚を焼いて具にいたしました! 道具の修繕だけでなく、サバイバルもお任せくださいませ、旦那様!」
「たくましいな、おい……」
おにぎりを一口頬張る。
絶妙な塩加減と、芳ばしく焼かれた魚の味が口いっぱいに広がる。
驚くほど美味い。
黒江は俺が食べる姿を、頬を桃色に染めながらうっとりと見つめていた。
「どうでしょうか、蓮様? お口に合いますでしょうか……? もしお気に召していただけたなら、嬉しいです」
「美味いよ。すごく美味い」
「ふにゃん……では私と将来的に祝言を挙げる意思がおありなのですね!?」
「待て待て待て、語弊がある! キュンとするな! 残った柱まで吹き飛ぶ!」
慌てて手を横に振ると、黒江の頭上に浮かびかけた『相思相愛』の金文字がパッと消えた。
危ない。
朝からまた爆発を起こされたら、今度は敷地の地盤ごと削られるところだった。
俺が溜息をつきながらおにぎりを完食した、その時だった。
「——やあやあ、九重くん。派手にやってくれたねぇ」
聞き覚えのある、のんびりとした、だがどこか喰えない声が響いた。
煙草の煙をくゆらせながら、瓦礫の山を避けて歩いてきたのは、一人の男だった。
ダボついた着物の上に羽織を引っかけ、足元は雪駄。ボサボサの黒髪に、どこか怠惰な雰囲気を漂わせているが、その眼光は鋭い。
彼の名は、神崎正宗。
『陰陽寮・とばらぎ県支部』の管理官であり、表向きは不動産会社や資材屋の仲介を行う骨董商だ。
「神崎さん……。見ての通り、酷い有様ですよ」
「見ればわかるよ。昨夜、この区画だけ異常な霊圧の奔流が観測されてね。陰陽寮の監視モニターが真っ赤に焼き切れたんだ。……で、そちらの可憐な嬢ちゃんがその?」
神崎の視線が黒江に向く。
黒江は瞬時に俺の背後に隠れ、琥珀色の目を警戒露わに光らせた。
「蓮様、この男……タダ者ではありませんわ。全身から漂うのは、長年妖を殺し続けてきた冷たい霊気……」
「警戒すんなって、お嬢ちゃん。俺は仕事をしに来ただけだ」
神崎はニッと口角を上げる。
懐から一枚の和紙……いや、仰々しい金箔が押された書類を取り出し、俺に突きつけてきた。
「はい、これ。昨夜の被害の概算見積もりと、陰陽寮からの結界不法破損・霊災誘発に関する罰金請求書だ」
俺は嫌な予感を抱きつつ、書類に記載された数字に目を落とした。
——『金 二億四千万円』
「……は?」
「ニ億四千万円。いやあ、九重くんの店だけならまだしも、昨夜吹っ飛ばした二階部分と屋根が、運悪く隣の区画に展開されていた陰陽寮の『防霊結界発生器』を三機ほど粉砕しましてね。ついでに街の霊脈が一時的に逆流して、インフラの修繕費もろもろが上乗せされている」
「に、ににに、二億!?!?!?」
俺の叫び声が、青天井の朝空に響き渡った。
二億四千万円!? しがない古道具の修繕屋が、一生かかっても稼げるか怪しい金額だぞ!?
「あ、あら……? 私、そんなに派手にやってしまいましたかしら……?」
黒江が気まずそうに指先を突き合わせ、おずおずと尋ねる。
「派手どころの騒ぎじゃないよ、お嬢ちゃん。君の放つ霊力は【木】の属性だが、昨夜の出力はもはや神級の領域だ。眠っていた妖魔や雑多なものが騒いでいる。だがまあ……安心したまえ」
神崎は煙草の灰を落とし、探るような視線を俺たちに向けた。
神崎は冷徹な陰陽師の顔になり、声を低くした。
「昨夜、君たちを襲った男……あの道具は過去に陰陽寮の封印庫から盗まれたものだった。化生の器を戦わせて何がしたいのか……」
「神崎さん……昨日うちの様子、隠れてみてたでしょ……。あれは一体何なんですか」
俺の問いかけに、神崎は煙草の煙をくゆらせながら目を細めた。
「さてね。勝ち残れば願いが叶って、妖怪としての格が上がるってやつかい?」
「えっ? ち、違いますの……? 大妖怪様が仕掛けたこの蠱毒で勝ち残れば、どんな願いも叶えられ、天下に名声が轟くと……」
黒江がぽかんと琥珀色の目を丸くする。
「ハハハ、うまい餌には必ず毒があるのさ、お嬢ちゃん」
「そんな……! では、勝ち残っても願いなど叶わず、利用されるとでも?」
黒江がショックを受けたように言葉を詰まらせる。
「まあまだわからない事だらけだな。全国的にこういった謎の戦いの後屋報告は来てる……九重くん。君の持つその『禁忌の妖異絵巻』は、特別製——『始まりの器』の一つだ。真意を知ろうが知るまいが、刺客は次々と現れるだろう。なら、こちらから撃ち破るしかないだろう? 君が刺客を倒し、敵の『化生の器』を回収して陰陽寮に納品するたび、この二億四千万円の借金から対価を相殺してやる。……どうだ?」
「始まりの器?」
黒江はただの絵巻物ではないのか?
「ああ。とある名器だよ、まあ後で詳しく教えてやろう。直す許可をやったのは俺だ。投資もした、直せるのならやってみろとな」
「そりゃあそうだが」
一人で暮らしている俺に何かと声をかけて、支えてきてくれたのは事実。
それにより騒動が起きている、巻き込まれている気もするが。
「でどうする? のるかい?」
神崎の提案は、実質的には選択肢はない。
二億四千万円の借金を背負ったまま逃げるか、ゲームに勝ち残ってすべてを打ち破るか。
俺は隣に立つ黒江を見た。
黒江は真実を知って戸惑いながらも、不安そうに俺の袖をキュッと掴んでいる。
「……蓮様。私は、蓮様の決められた道に従います」
「分かってるよ、黒江」
俺は神崎から請求書をひったくると、胸ポケットに押し込んだ。
「引き受けますよ、神崎さん。裏でコソコソ糸を引いてる奴らの思い通りにはさせない。……ただし、条件があります」
「ほう? 言ってみたまえ」
「この『九重堂』を建て直すための資材と大工の手配を、陰陽寮のツケでやってください。俺たちは職人だ。家も工房もない状態じゃ、戦う準備もできない」
神崎は一瞬ポカンとした後、腹を抱えて大笑いした。
「ハハハ! 二億の借金を背負わされて、開口一番が『家を建て直せ』か! さすが、九重くん! いいだろう、資材の手配と腕利きの職人は俺が用意してやる。その代わり——今夜から始まるだろう第二波、耐えてみせろよ?」
◆
神崎が去った後、俺たちはさっそく動き出した。
敷地の瓦礫を片付け、使える道具と処分するものを仕分ける。
俺の手元に残ったのは、職人道具である『修繕用の鑿』『特製の糊と和紙』、そして首から下げた『絵巻物の竹筒』。
少しの家具と着替えなど、使えるほどがほとんどないことが分かった。
「蓮様、申し訳ございません……。私のせいで、蓮様に巨額の負担を押し付け、その上、怪しい噂に踊らされていて……」
瓦礫を運ぶ黒江が、しゅんと眉を下げて落ち込んでいた。
「気にすんなって、黒江。借金の桁が大きすぎて、正直まだ実感が湧いてない。それに、お前が騙されてたってのもまだ不確定だしな」
「ですが……!」
「それにさ」
俺は瓦礫の中から見つけた、少し歪んだ木製の湯呑みを手に取り、そっと指で撫でた。
「お前が俺を好きになってくれたのは、俺がお前を丁寧に修繕したからだろ? 職人として、自分の手がけた道具にそれだけ愛されるのは……悪い気はしないよ」
「れ、蓮様……っ!」
黒江の顔が、一瞬で爆発したように真っ赤になる。
あ、ヤバい。また暴走させたか!?
「大好きです、蓮様ぁぁぁっ! 私、やっぱり今すぐ蓮様と夫婦になりたいですわ〜〜っ!」
「待て待て待て! 抱きつくな、今は柱が一本しか残ってな——」
ドバァァン!!
黒江の溢れ出た【純愛霊力】の余波で、かろうじて立っていた最後の一本の柱が爽快にへし折れ、夜空の下に『完全なる更地』が完成した。
「……まあ、どっちにしろ建て直す予定だったしな」
「うぅ……申し訳ございません、蓮様ぁ……」
そんなコメディのようなやり取りをしていると、夕刻近くになり、一台の大型トラックが九重堂の跡地に乗り込んできた。
トラックの助手席から降りてきたのは、頑丈そうな作業着を着た、小柄だが筋肉質な若い女性だった。
黒髪を後ろで一つに結び、腰にはプロ仕様の工具ベルト。
鋭い眼光で更地を見渡すと、彼女は呆れ果てたように溜息をついた。
「……ハァ。神崎のオッサンから『面白い現場がある』って聞いて来てみりゃ、何だよこれ。跡形もねえじゃねえか」
「君が……神崎さんの言っていた大工さん?」
俺が声をかけると、彼女はギロリと俺を睨み返してきた。
「あたしは橘 葵。この支部の陰陽寮工務店を仕切ってる大工だ。……あんたが九重蓮か?」
「ああ。九重堂の店主だ。こっちは……まあ、居候の黒江」
「居候ではなく妻ですわ!」
「黙ってろ黒江」
葵は俺たちを無視して、足元の土を蹴り、周囲の空間をじっと見つめた。
その瞳に、かすかな霊力が宿っているのが見える。
彼女もただの大工ではない——陰陽寮に関わる『霊具建築士』の類か。
「……へえ。噂には聞いてたが、酷い壊れ方だな。単なる物理的な破壊じゃねえ。強力な霊圧で、空間の『構造』そのものが歪められてやがる」
葵はトラックの荷台へ歩み寄ると、バンとバスターミナルを叩いた。
「いいか、九重。神崎のツケで建材は運んできたが……あたしは半端な仕事は嫌いだ。単に住めりゃいいって家なら他を当たれ。あたしが建てるのは、この街の霊脈に合わせた特注の『対妖防衛結界建築』だ」
「対妖防衛結界建築……?」
「そうだ。だが、そのためには普通の木材じゃ足りねえ。建物の核(柱)となる【極上の木材】と、それを補強する【精霊の塗料】が必要だ。……あんた、道具の修繕職人なんだろ? 自分の家を建てる材料くらい、自分の目で確かめて調達してこい!」
葵は腕を組み、不敵に笑った。
「材料が揃わなきゃ、あたしは柱一本叩かねえ。……どうする?」
葵の問いかけに、俺は思わず口角を上げた。
職人のこだわり。そういう姿勢は嫌いじゃない。
「面白そうだ。その材料、どこに行けば手に入る?」
「フン、いい度胸だ。場所はここから東にある『鳴神山』の古い社だ。あそこには、樹齢数百年を超える『霊木・雷鳴杉』の倒木がある。それと、神社に湧く『純度の高い霊水』だ」
「鳴神山……」
黒江がすっと顔を曇らせた。
「蓮様、お気をつけください。鳴神山は知っております。古くから霊気が濃く、妖怪たちの溜まり場となっています。特に今の時期は雨が多く、【水】の凶暴化した妖が集まっているはず……」
「へっ、ビビッてんのかお嬢ちゃん?」
葵が挑発するように鼻で笑う。
「ビビってなどおりませんわ! 蓮様のためなら、火の中水の中、山の中だろうと突き進みます!」
「よし、交渉成立だな。あたしはここで基礎の整地を始めておく。期限は明日の朝までだ。材料を持って戻ってきな!」
◆
鳴神山の参道は、昼間だというのに薄暗く、気味の悪い静寂に包まれていた。
青々とした杉の木々が立ち並び、足元には湿った苔が広がる。
だが、空気の中に含まれる霊気は明らかに歪んでいた。まるで、何者かが山全体に不吉な毒を撒き散らしたかのように、刺々しい。
「……気持ち悪い感じだな」
「はい。本来なら静かな山神様のお山なのですが……妖怪たちの気配が荒立っていますわ」
黒江は警戒しながら、俺のすぐ隣を歩いている。
彼女の手には、俺が護身用に持ってきた小型の鑿と、特製の霊符が握られていた。
参道を登ること三十分。
鬱蒼とした森を抜けると、崩れかけた古い神社の境内に出た。
拝殿の奥には、葵の言っていた通り、雷によって倒れたとされる巨大な杉の木——『雷鳴杉』が横たわっていた。
倒れてなお、その木肌からは力強い【木】と【雷(火)】の霊気が溢れ出ている。
「すごいな……。これだけの霊木なら、九重堂の素晴らしい大黒柱になる」
俺が近づこうとした、その時だった。
「——ヒヒッ、来たぞ、来たぞ! おあつらえ向きの餌がやってきた!」
境内の陰から、不気味な声が響いた。
倒れた雷鳴杉の上に、一人の男が躍り出た。
男はボロボロの修験者の服を着ており、その顔には不吉な能面、『般若』が張り付いている。
「また敵か……!」
俺は瞬時に黒江を背後に庇い、腰の鑿を構えた。
「俺の名は面使いの鬼六! この戦いには俺が勝つ!!」
鬼六が懐から取り出したのは、血のように赤い【火】の光を放つ器『般若の能面』だった。
「出よ、『般若』! この山に満ちる荒ぶる霊気を吸い、そいつらを焼き尽くせ!!」
グオオオオオオオンッ!!
能面から巨大な赤黒い炎が噴き出す。
それが渦を巻いて体長三メートルを超える巨大な炎の鬼へと姿を変えた。
激しい熱風が境内を吹き荒れ、足元の苔が一瞬で焦げて黒ずんでいく!
「れ、蓮様っ! あの炎は……【火】の化生の器ですわ!」
黒江が悲鳴に近い声を上げる。
五行説において——
【火】は【木】をくべると燃え上がり、【木】を完全に焼き尽くす。
つまり、木と紙の付喪神である黒江にとって、【火】の敵は決定的な天敵。
相克の中でも最も相性が悪い相手なのだ!
「ハハハハ! 燃えろ、燃えろ! 紙切れごとき、俺の般若の炎で灰にしてやるわ!!」
鬼六の叫びとともに、炎の鬼が巨大な火の玉を連打で放ってきた!
「くっ……『純愛塗潰』!」
黒江が咄嗟に袖を振り、墨の障壁を展開する。
しかし、放たれた墨は炎の熱気に触れた瞬間。
ジュウウウッ!
嫌な音を立てて蒸発し、障壁は一瞬で焼き切られてしまった!
「キャッ……!?」
「黒江!」
熱波に吹き飛ばされた黒江を、俺は間一髪で抱き止めた。
黒江の美しい黒髪の先が、かすかに焦げて煙を上げている。
「だ、大丈夫か黒江!?」
「は、はい……ですが蓮様、私の攻撃では炎を消せません……! それどころか、私の霊力を出せば出すほど、相手の火に油を注ぐことになってしまいます……!」
黒江の言う通りだ。
【木】の霊力を放てば放つほど、敵の【火】はそれを燃料としてさらに巨大化する。昨夜のように【水】を巻き込もうにも、この参拝口の近くには湧き水がない!
「ヒヒヒ! 逃げ場はないぞ! 『般若・焦熱地獄』!!」
炎の鬼が両手を広げると、周囲の雷鳴杉の残骸に火が燃え移り、境内全体が炎の檻となって俺たちを囲い込んだ。
脱出不能。
温度は急激に上昇し、息をするだけで喉が焼けるように熱い。
「くそっ……どうする!? 【火】に対して【木】じゃ勝てない……水もない……!」
焦りの中で、俺の視界が急速に冴え渡っていく。
職人としての目。
道具の構造と、空間の歪みを見抜く目が、メラメラと揺れる炎の檻と、倒れた『雷鳴杉』へと注がれた。
(待て……雷鳴杉……! 雷が落ちて倒れた木だ。なぜ、倒れてから何年も経っているのに、この木は腐らずに霊気を保っている……?)
俺は激しい熱風の中、雷鳴杉の木肌を必死に観察した。
表面は黒く焦げている。
だが、その焦げた樹皮の内側。
幹の中心部に、高密度のある性質が凝縮されているのが見えた。
(……炭だ! 表面が一度激しく焼けたことで、内部が高密度の『木炭』へと変化している! さらに、この杉は長年、山頂の『雷(火)』と『霊力』を吸い続けてきた……!)
五行説において、木は火に燃やされる。
だが完全に『炭(完成された木)』となった素材は、生半可な火では燃えず、逆に火を内部に閉じ込めて制御する媒体となる!
「黒江! 打開策がある!」
「えっ……!? で、ですが、水はありませんわ!」
「水じゃない! あいつの炎を『修繕』するんだ!」
「炎を……修繕……!?」
黒江が呆然と目を丸くする。
「黒江、お前の【木】の霊力を、攻撃として解き放つんじゃない! あの『雷鳴杉』の内部にある炭の層に注ぎ込み、杉の木全体を巨大な『吸火の炭壺』として完成させるんだ!」
俺は腰の鑿を抜き、雷鳴杉の焦げた樹皮へと飛びついた。
熱風で服が焦げるのも構わず、鑿の刃を杉の幹へと突き立てる!
ガキィィンッ!
「黒江! ここだ! ここに霊力を注げ! お前の力でこの杉の構造を再定義しろ!!」
「れ、蓮様……! わかりましたわ!」
黒江が炎の恐怖を振り払い、俺の隣へと駆け寄った。
彼女は俺の手に自分の手を重ね、鑿を通じて雷鳴杉の内部へと霊力を一気に流し込んだ。
「私と蓮様の……愛の共同作業ですわぁぁぁっ!!」
ドクンッ!!
雷鳴杉全体が、黄金色の光を放ち始めた。
黒江の膨大な【木】の霊力が、焦げた杉の内部で『高密度木炭の結晶』へと再構成されていく!
「な、なんだ!? 何をしている!!」
鬼六が嫌な予感に顔を歪め、炎の鬼を突撃させてきた。
「行け、般若! 二人まとめて焼き尽くせ!!」
巨大な炎の鬼が、口を大きく開けて俺たちへと襲いかかる!
だが——。
炎が雷鳴杉に接触した瞬間、信じられない光景が起きた。
ゴォォォォォォォッ!!
炎の鬼の体が、まるで巨大な掃除機に吸い込まれるように、雷鳴杉の切り口へと勢いよく吸い込まれていったのだ!
「なっ……何ィ!? 俺の般若の炎が……吸われていく!?」
「炭はな……火を蓄え、維持するための最高の素材なんだよ!」
俺は鑿を握り直し、叫んだ。
「どれだけ激しい火だろうと、大きすぎる炭の前では火種だ! 黒江、一気に閉じ込めろ!」
「はいっ! その名も『純愛封印・炭壺の陣』!!」
黒江が袖を振ると、雷鳴杉の表面にびっしりと金色の文字が刻み込まれた。
『相思相愛』
『破邪顕正』
『一病息災』
炎の鬼は叫び声を上げる隙もなく、完全に雷鳴杉の内部へと吸入され、封印された。
燃え上がっていた境内の火が一瞬で消え去り、静寂が戻ってくる。
雷鳴杉は今や、内側から赤く温かい光を放つ、美しく重厚な『霊木炭』へと姿を変えていた。
「ば……馬鹿な……! 【木】の付喪神が、【火】の化生の器を吸い取って封印した……だと……!?」
鬼六が絶望に膝をつく。
俺はゆっくりと鬼六へ歩み寄ると、彼の顔から浮き上がっていた『般若の能面』を、手際よく引っぺがした。
「化生の器——回収完了だ」
「ヒ、ヒエぇぇぇっ! 覚えてろぉぉぉ!」
鬼六は能面を奪われると、ただのコソ泥のように脱兎の勢いで参道を逃げ出していった。
◆
「ふぅ……なんとかなったな」
俺は手の中にある『般若の能面』を見つめた。
これで一つ目の器の回収だ。
「蓮様……すごいですわ! 相手の属性を利用して、私の【木】で【火】を打ち破るなんて……!」
黒江が目をキラキラと輝かせ、俺の腕にすがりついてくる。
「いや、お前の霊力の出力があったからできたんだよ。ありがとな、黒江」
俺が素直に礼を言うと、黒江は「ほにゃあ」と蕩けたような声を漏らし、俺の肩に頭を乗せた。
「蓮様のお役に立てるなら……私、いくらでも燃え上がりますわ……」
「いや、燃え上がるのは勘弁してくれ。また爆発する」
そんなやり取りをしていると、境内へ続く階段から、重い足音が聞こえてきた。
「——おいおい。出かける時に『トラック貸せ』って言われたから追っかけてみりゃ、ホントに材料を揃えてやがる」
現れたのは、腕を組んだ葵だった。
彼女は俺たちの足元にある、赤く光る『雷鳴杉』を見つめ、驚きに目を見開いた。
「これ……雷の霊気を吸った杉が、高密度の炭になってやがる。……おい九重、あんたどうやってこんな芸当を?」
「ちょっとした職人の知恵ですよ」
俺が笑って答えると、葵はフッと不敵な笑みを浮かべた。
「ハッ……いい度胸と、いい腕じゃねえか。気に入ったよ、九重蓮」
葵はトラックのキーを俺に投げつけてきた。
「まあ合格だ。この『雷鳴杉』と、神社の裏に湧いてる霊水をトラックに積み込め! 今夜中に、誰も破れない最高の『九重堂』を建て直してやる!!」
◆
翌朝。
朝日が差し込む九重堂の敷地には、見事な木造二階建ての店舗が立ち上がっていた。
葵の後ろには大工道具の付喪神たちがたくさん働いていた。
そしてその指揮と、霊力の支配で素材で家を織り込んでいる。
漆黒の美しい木目を生かした柱。
雷鳴杉の炭を混ぜ込んだ、霊災を防ぐ重厚な壁。
そして、屋根には邪気を払う特製の瓦が輝いている。
「すごい……一晩でここまで……!」
俺が感嘆の声を漏らすと、葵は汗を拭いながら誇らしげに胸を張った。
「言ったろ? あたしはプロだ。この店は『対妖防衛結界』が組み込まれてる。並の妖怪の攻撃じゃ、掠り傷一つ付かねえよ」
最後の仕上げだったのか、葵は手を止め付喪神たちの姿は見えなくなる。
「葵さん、本当にありがとうございます!」
俺が頭を下げると、葵は背中を向けて手を振った。
「礼なら神崎のオッサンに言っときな。代金はアイツの口座に回しといたからよ。……じゃあな、九重。店を壊すんじゃねえぞ!」
トラックに乗って去っていく葵を見送り、俺と黒江は新しくなった九重堂の暖簾をくぐった。
木の香りが漂う綺麗な店内。
一階は骨董の展示スペースと接客場。二階は作業場と、俺たちの居住スペースだ。
「蓮様……新しいおうちですわね!」
黒江が嬉しそうに店内を見回している。
「ああ。これでようやく、まともに生活ができるな」
俺がホッと息をついた、その時だった。
バタンッ!
勢いよく店の扉が開いた。
「やあ九重くん! 新築祝いに来たよ!」
入ってきたのは、神崎だった。
彼は手に持った書類を、笑顔で俺に突きつけてきた。
「はい、これ! 昨日の借金二億四千万円に、今回の葵ちゃんの建築特注費、五千万円が上乗せされて、合計二億九千万円になったからね!」
「……は?」
「あ、それと回収してくれた般若の能面の査定額が一千万円だったから、相殺して二億六千万円だ! 順調だねぇ、九重くん!」
神崎の爽やかな笑顔。
俺は目眩を覚えながら、新築の柱に手をついた。
「……減るどころか、増えてんじゃねえかよ!!」
「せっかくだから一番高いけど、腕のいい人を呼んだんだよ」
「絶対にわざとだ」
「でもいいじゃない? 能面は陰陽師家系の歌舞伎役者の一族が高額で買い取ってくれたんだよ」
神崎の悪い笑みになんだか騙されている感じしかしない。
「ふふっ、大丈夫ですわ蓮様!」
黒江が俺の腕をギュッと抱きしめ、最高に可憐な笑顔を向けた。
「二億でも三億でも、私たちが力を合わせれば一蹴できますわ! さあ、新しいおうちで、まずは夫婦の愛を深めましょう……!」
「あ、待て黒江! 騒ぐと新築の壁にヒビが——」
新しく建て直された『九重堂』に、今日も今日とて、賑やかな悲鳴と爆発の予感が響き渡るのだった。




