第1章:魔界の祭壇
意識がゆっくりと戻ってくる。
アラリックは重いまぶたを開いた。
そこに広がっていたのは――森だった。
鼻をくすぐる松の香り。
湿った土と苔の匂い。
――ここは……どこだ?
彼はゆっくりと上半身を起こし、周囲を見渡した。
森は静かだった。
あまりにも静かすぎるほどに。
――あのクソ女、魔界に送るって言ってなかったか?
――ここ……平和すぎないか?
立ち上がろうとした瞬間、
突然のめまいが襲う。
「っ……!」
バランスを崩し、再び地面へ倒れ込む。
――まずいな……。
――この森から出る方法を探さないと。
――ここが本当に魔界なら、この美しさに騙されちゃ駄目だ。
――光がある場所には……必ず影がある。
――つまり、悪魔がどこに潜んでいてもおかしくない。
――もしかしたら、今この瞬間だって俺を見張っている奴がいるかもしれない。
アラリックは立ち上がり、森の探索を始めた。
秋の葉が足元で乾いた音を立てる。
新鮮な松の香りが周囲を包んでいる。
しばらく歩いた後、
彼は巨大な槍のような形をした岩を発見した。
高さは少なくとも6メートル以上。
表面には奇妙な文字が刻まれている。
それは古代文字。
バビロニアの楔形文字のようだった。
巨大な岩は、
まるで巨人が小さな蟻を見下ろすように、
アラリックを圧倒していた。
彼はゆっくり近づき、
岩肌へ手を触れる。
掌に伝わる、
刻まれた文字の粗い感触。
彼は目を細め、
その記号を注意深く観察した。
どこかで見たことがある。
これは……バビロニア文字だ。
そこに刻まれていた言葉は――
「ギルガメシュ……永遠の王。」
アラリックは理解した。
ギルガメシュという名前があるからだ。
シュメール人は彼を「ビルガメシュ」と呼んでいた。
「ギルガメシュ」という名前になったのは、
バビロニアの叙事詩――
『ギルガメシュ叙事詩』からだ。
学校で習ったことがある。
バビロニア語そのものを理解できるわけではない。
しかし歴史の教科書で見た内容なら覚えている。
――でも……問題はそこじゃない。
――なんで魔界なんかに、古代シュメールの王の記念碑があるんだよ?
アラリックはもう一度、
刻まれた文字を指でなぞった。
そしてゆっくりと後ろへ下がる。
その瞬間だった。
突然――
身体に重圧がのしかかった。
まるでここが墓場であるかのような感覚。
神聖な場所に立っているような感覚。
もし一歩でも間違えれば。
もし何か間違った言葉を口にすれば。
七つのオーラにでも撃ち抜かれるのではないかと思うほどの威圧感。
もちろん、そんなものを本気で信じているわけではない。
だが――
さっき会った女神が、とんでもない性格の持ち主だったのだ。
今さらギルガメシュが本当に半神だったとしても、
もう驚く気にはなれなかった。
アラリックがその場を離れようとした瞬間。
背中を撫でるように、
突然冷たい風が吹き抜けた。
その匂いは――
タール。
そして死。
直後。
低い唸り声が響く。
アラリックは振り返った。
そこに立っていたのは――
まるで最悪のギリシャ神話の怪物に、
少しだけ北欧神話の恐怖を混ぜ合わせたような存在だった。
身長は2メートルを軽く超えている。
身体からは黒いタールのような液体が滴り落ちている。
長く鋭い爪。
それは簡単に人間の身体を引き裂けるほど凶悪だった。
顔は暗く、
青白い灰色のような色をしている。
そして――
口元には狂気的な笑み。
並んだ鋭い牙は、
骨ですら簡単に噛み砕けそうだった。
「Hmuan I, Ḑaéfsì Ƀeìñg Ồf yõjñè tò sìht gñiog ñâã, HAH HAR HAR!」
何を言っているのか、
アラリックには全く理解できなかった。
だが――
一つだけ理解できた。
これは関わってはいけない。
「……冗談じゃない。」
彼は振り返り、
全力で走り出した。
森の景色が横へ流れていく。
生きるために。
ただそれだけのために走る。
走る。
走り続ける。
心臓が時速1000キロで動いているようだった。
肺が焼ける。
それでも足を止めない。
背後から悪魔の声が響く。
重い足音が続く。
追ってきている。
「GnillirhT! ẦḐooḐ ym fo esahč Ƀlik I how, gninnur ti sekam hho, hho! Ǩnaht edam eb ot Ƀfuorp ma I」
意味は分からない。
だが、
どう考えても挑発している。
そうとしか思えなかった。
アラリックは走り続ける。
悪魔はすぐ後ろ。
もう少し。
もっと速く。
身体の限界を超えて走ろうとした。
そして――
森を抜けた。
目の前に広がったのは、
巨大な平原。
その先には、
巨大な城壁に囲まれた都市があった。
「街……!」
「街だ……!」
「街に行けば……!」
彼は残った力を振り絞り、
走り続ける。
その瞬間。
どこからともなく一本の剣が飛んできた。
そして――
悲鳴。
鼓膜を破りそうなほど高く、
耳を塞ぎたくなる叫び声。
アラリックが振り返ると、
悪魔の身体は灰となって崩れていた。
そして、
そこに立っていたのは一人の女性。
長く流れる漆黒の髪。
黄金色の瞳。
身長はアラリックと大差ない。
彼が175センチなのに対し、
彼女は約183センチほどだった。
白いローブ。
その上に鎧を纏っている。
騎士……なのだろうか。
女性はアラリックへ向き直り、
丁寧に一礼した。
そして黒い刀を鞘へ収める。
「初めまして、旅の方。」
「私は聖騎士第一旅団・第一師団所属の騎士、スカーレット・アザンハウアーです。」
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「俺は……アラリック。」
「アラリック・ソーン。」
「そうですか。ではアラリックさん。」
「もう大丈夫です。」
「街へ案内しましょう。食事をして、身体も綺麗にした方がいいでしょう。」
「ようこそ――カジラの街へ。」
アラリックは小さく頷いた。
そして彼女に導かれるまま、
巨大な城門をくぐっていった。
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作者ログ 記録 #02
・記録:
最近、《女神》のエラー発生頻度が増加していることを確認した。
修正が必要だ。
・観察:
アラリック・ソーンは順調に成長している。
今のところ、このまま進んでくれることを願う。
・最終所見:
ただ一つだけ気になることがある。
彼があの街の中で「あの場所」を見つけなかったことには安心した。
もし見つけていたら……危険だった。
――リャザイ




