表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/59

第一話 運命の一射と転移の朝

毎日投稿予定。

 九月になっても夏の暑さが鎮まる気配はなかった。

 夢の島公園アーチェリー場に日本中の大学から選び抜かれた選手が集まっている。全日本学生アーチェリー個人選手権大会。照りつける太陽の下、70メートルの射場にはぴんと張りつめた空気が満ちていた。頂点に立つのはただ一人。

 桜麗大学洋弓部三年、佐倉美月は決勝の射線に立っていた。


 試合はトーナメント戦のマッチルール。各セット三射で、得点の高いほうに2ポイント、同点なら1ポイントずつ入る。最大5セット、6ポイントを先取したほうが勝ち。決着がつかなければ、シュートオフ。一射ずつ射ち合い、より中心に近い矢を射た者が勝者となる。


 全国の強豪を相手に、僅差の競り合いをなんとか勝ち抜いてきた美月。対するは、インカレ三連覇中の大和体育大学4年、川本博子。中学で全日本選手権に出場したのを皮切りに、インターハイ三連覇、大学三年でオリンピック出場も果たした絶対王者だ。

 誰も川本の優勝を疑っていなかった。王者の戴冠を彩るための相手役でしかない。そう思われているのは、美月自身がいちばん分かっていた。


 決勝の行射は交互に行われる。一射ごとに相手の結果を見てから、自分の番が回ってくる。逃げ場はどこにもない。射線に並んだ二人へ両校の応援席から割れんばかりの声援が飛ぶ。会場がその熱でさらに温度を上げていく。

 弓を握る指先がわずかに震えるのを美月は感じた。


1セット目。


 先手は川本。構えに力みが一つもない。引き分けからリリースまでが、まるで一本の線のように途切れなかった。

 一射目、9点。金色の輪に迷いなく中る。会場が納得したようにどよめいた。さすが王者、という空気がひろがる。

 美月の番。心臓が耳の奥で鳴っている。引き分けの途中で肩がいつもより高い位置にあるのが分かった。直したい。けれど、いったん始まった動作はもう止められない。クリッカーが鳴り、指が開く。

 矢は7点。大舞台の熱気に体ごと呑まれていた。


 川本26点―美月23点。

 セットポイント、川本2―美月0。

 王者が、まず先行する。


2セット目。


 美月は深く息を吸った。観客も、相手も、勝敗も、いったん頭の外へ押し出す。一本ずつ、自分の射形だけを確かめる。アンカーを決め、背中で引き、クリッカーの音だけを待つ。乱れていた鼓動が少しずつ収まっていった。川本は相変わらず崩れない。それでも、美月の矢が一本ごとに芯へ寄っていく。


 川本26点―美月27点。

 セットポイント、川本2―美月2。

 たった一点差で、美月がもぎ取った。会場の空気がわずかに動く。


3セット目。


 風が出てきた。左から右へ、断続的に吹いては止む、いやな風だ。的の上の吹き流しが不規則にはためいている。射つ瞬間に止むのを待つか、流れを読んでエイムオフするか。一射ごとに判断を迫られた。川本の矢が一本、風に押されて外へ逃げる。美月は風の切れ間を息を殺して待った。待って、放つ。


 川本24点―美月25点。

 セットポイント、川本2―美月4。

 美月、逆転。これで優勝まであと2ポイント。応援席がどっと沸いた。絶対王者が追われている。


4セット目。


 もう誰も川本の楽勝とは思っていなかった。両校の掛け声がぶつかり合い、会場が一つの大きなうねりとなる。一射ごとに歓声とため息が交互に上がった。二人ともほとんど黄色を外さない。射つたびに相手の点数を見て、また自分の番へ向かう。息を継ぐ間もなかった。


 川本27点―美月27点。

 セットポイント、川本3―美月5。

 美月、あと1ポイント。次のセットは引き分け以上で優勝が決まる。川本には後がない、その時点で敗退だ。


5セット目。


 追い詰められているのは王者の方だった。このセットを落とせばその瞬間に敗退が決まる。川本の眼つきが変わった。それまでの余裕がすっと消えている。絶対王者が本気で牙を剥いた瞬間だった。

 一本目、10点。美月も続けて10点で応じる。二本目、川本また10点。美月の矢は黄色の外寄りへわずかに逃げて9点。三本目、川本の最後の矢が10点圏のさらに内側へ深く突き刺さる。非の打ちどころのない満点の三射。美月も9点でまとめたが、届かない。会場が揺れた。歓声と拍手が重なり合い、射場全体が地鳴りのような音に包まれる。


 川本30点―美月28点。

 セットポイント、川本5―美月5。

 絶対王者が満点でかろうじて生き残った。美月の優勝はあと一歩のところでお預けとなる。


 決着は最後の一射に持ち越された。シュートオフだ。

 一射勝負。これで、すべてが決まる。

 先行は川本。さきほどまで歓声に沸いていた会場が嘘のように静まり返った。70メートル先の的だけが炎天下に白く光っている。川本が射線に入った。弦に指をかけ、的を見据える。絶対王者の風格が周囲を呑み込んでいた。

 川本が小さく息を吐く。弓を持ち上げ一瞬の脱力のあと、ゆっくりと引き分けに入った。流れるような動き。中心軸は微動だにしない。アンカーがきっちりと決まって、その動作は淀みなく流れ続けている。そして、そのままの勢いでリリース。

 放たれた矢は、美しい弧を描きながら70メートル先へ飛び、黄色の中心にある直径12センチの10点圏へ吸い込まれていった。大型モニターに矢所が映し出された瞬間、観客席から「あっ」と声が漏れる。10点圏の線をわずかに削っている。かろうじての10点だ。

 どよめく会場のなか、川本がゆっくりと射線を外れた。表情は変わらない。


 美月は、その矢を70メートル先に見ていた。あそこへ入れなければ、負ける。同点なら中心に近いほうが勝つ。つまり、あの矢よりも内側に射込まなければいけない。

 灼けるような芝生の匂いがした。刈りたての草と夏の土の匂い。シャツが汗で背中に張りついている。額の汗が頬を伝った。眼の縁がひりつく。

 その瞬間、美月の脳裏に1年前の出来事が浮かんだ。


---


 ちょうど1年前、蓮先輩が死んだ。

 あれは、美月が大学二年の夏だった。強化練のある日の早朝、蓮先輩は、散歩の途中で愛犬のクルと横断歩道を渡ろうとして、事故に遭う。その朝、美月は練習場にいた。先輩がまだ来ないのを、珍しいな、と思っていた矢先。知らせは、そんな時に届いた。水野監督が整列をかけた、あの低い声を今でも覚えている。

 泣き叫ぶ声が大学の射場に響いた。それでも弓を手放すことだけはしない。あの日からただ引き続けた。蓮先輩が最後まで目指していた、この大会。その射線に今、自分が立っている。それが美月なりの鎮魂歌だった。


---


 美月は射線に入った。インカレ最終戦、シュートオフ。

 右手の指が弦にかかった。弓を起こす。左腕を正面へ向け、ハンドルを骨格で支える。引き始める。肩甲骨が中央へ寄っていく。クリッカーを待つ。引き幅が決まった瞬間に鳴る小さな金属の音。その音が来るまで、世界が止まってしまったかのような錯覚。自分のなかだけに時間が流れる。心と体の動きは止まらない。70メートル先の金色の中心が視界の真ん中にある。風が左から来た。止んだ。その時だった。

 声が聞こえた。

 (来て。待ってるから)

 競技場にいるはずのない声。観客席からでも、役員席からでもない。どこから来るのか分からない。甘くて、遠くて、この場所の空気とは違う世界の声だった。


 カチッ。

 クリッカーが鳴った。指が開く。矢が飛んでいく軌道が見えた。空に白い線を引き、的に向かって、まっすぐに。

 その先は、見えなかった。

 意識が途絶えた。


---


 月が出ていた。石造りの窓の向こうに、白くて静かな月だ。12歳のリサはベッドに横たわったまま目を開ける。薄い意識のなか、しばらく天井を見ていたが、何かが変わった気がした。でも、何が変わったのかは分からない。体はいつもと同じだった。布団の感触も、窓から入る夜風の温度も変わらない。ただ、胸の奥のあたりに、何かが入ってきたような感覚があった。液体が器に注がれるみたいに。静かに、じわっと。何だろう? と思いながら、リサはまたそのまま眠った。


 翌朝、いつもと同じ朝が来た。母のノラが朝食を用意している。3歳下の妹ナイアが「お姉ちゃん、顔色悪い」と言った。「別に悪くない」と答える。昨日の自分と今日の自分が、ほんの少しだけ違う気がする。体のどこかに、小さな異物が入っているような感覚。


 幼馴染のアレック・カーレンといつものように広場で遊んだ。アレックはリサと同い年の12歳。赤みがかった茶色の髪で同い年の中では頭一つ分背が高く、体つきもがっしりしている。いつも真っ先に動く。不器用で感情が顔に出やすかった。

 彼が石を投げて遊んでいた。その石が遠くの木の幹に中る。「タンッ」と乾いた音が鳴った。その瞬間、リサの頭の端に知らない映像が浮かんだ。

 広い緑の場所。遠くに丸い的。見慣れない弓を持った人たちが一列に並んでいる。映像は一秒もしないうちに消えた。頭の中にもやがかかったような感じが残る。「どうした?」とアレックが聞いた。「なんでもない」とリサは答える。

 知らない誰かの記憶のかけらが、ほんの一瞬、頭をよぎったような気がした。


 夜になった。ナイアが先に眠ってすやすやと寝息をたてている。リサは布団の中で天井を見ていた。目を閉じると、また見えた。

 的は、外側から白、黒、青、赤、そして中心に黄色。鮮やかな色だった。

 的に向かって立っているのは自分だけど自分じゃない、もう一人のリサ。

 綺麗な弓を持って、自分のまわりには叫んでいる人たち。聞いたことのない言葉。

 もう一人のリサが弓を引いた。「カチッ」という音がした。金属の、とても小さな音。次の瞬間、自分の放った矢が飛んでいるのが見えた。


 リサはゆっくりと目を開ける。暖かい風が窓から入ってきた。あの野原がどこにあるのか、あの的が何なのか、あの音が何だったのか。見たことのない弓。聞いたことのない言葉。リサには何ひとつ分からない。それでも怖くはなかった。


「面白かった!」

「続きが気になる!」

「今後どうなるの?」

と思ったら

下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援を応援をお願いいたします。

面白かったら星5つ、詰まらなかったら星1つ、正直に感じた気持ちでもちろん大丈夫です!

ブックマークもいただけると、本当にうれしいです!


なにとぞよろしくお願いいたします。m(__)m

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ