39 処刑前
日の光は眩しく、どこか澄んだ空気は肌寒い。
どれだけ昨夜が楽しくても、どれだけ望んでいなくても、朝はいつも平等にやってくる。
「おはようございます、クリス様」
「おはよう、クリアナ」
まるで、いつもと変わらない日常のよう。
「お父様とお母様は?」
「アーサー様とアリシア様はまだです。恐らく昨夜飲み過ぎたせいかと」
でも、やっぱりそんなことはなくて。昨日はやっぱり特別な夜だったんだと笑ってしまう。
「クリアナも同じ勢いで飲んでませんでしたっけ?」
ふとした疑問を俺は尋ねる。
「私はこうしてクリス様達の朝食を準備することが仕事ですから」
クリアナは平然と答える。かなり飲んでたはずだが、クリアナってお酒に強かったんだなと、非日常で新しい発見を一つした。
クリアナと朝食を食べていると、頭を抱えた両親が食堂に顔を出す。
こんな日に、こんな情けない両親の顔は見たくなかった。
「おはようございます、アーサー様、アリシア様」
「あー……おはよう」
「おはよ……クリアナ」
どこか息も絶え絶えな二人。
「朝食はいかがされますか?」
「……水だけ頼む」
「……私も」
俺も気を付けよう。この二人の子であるところの俺は、将来も酒を飲み過ぎないようにしようと心に決めた。
そんな風にうだうだする両親を開放していれば、二人もそれなりにしゃんとしてくる。
ようやくまともに話せそうだと思っていれば、表の石畳を走る蹄と車輪の音が響いてきた。
近付いてきたそれが止まれば、大きく玄関の扉を叩く音がした。
「はい」
いつものように一人で表に出ようとしたクリアナの肩をアリシアが掴む。
「アリシア様?」
振り返ったクリアナの疑問に、アリシアは優しさと寂しさの混じった微笑みを浮かべた。
「私達も一緒に出るわ」
アリシアの言葉に、アーサーと俺も頷いた。
「おはよう。アーサー、アリシア、クリス。そして、クリアナ」
表に出てみれば、立っていたのはまさかのエーリヒ。
「エーリヒ様!?」
「何やってるんだよ、エーリヒ兄」
驚くクリアナとどこか呆れたように笑うアーサー。
「せめて全部見届けるのが、私の責任かと思ってね」
エーリヒはどこか強がるように笑う。暇なわけもないだろうに、ヴァーンハイムの王族は、誰もかれもがお人好しなのか。
「申し訳ありません。王様自らの手をおわずらせまして」
心から恐縮した様子でクリアナが頭を下げる。
「頭なんて下げないでくれ。そうしなければいけないのは、不甲斐ない私の方なのだから」
冗談めかして笑いながら、エーリヒが頭を下げる。軽々しくそんなことをしてはいけない状況と立場だろうに、そうするのは本音だからだろう。周囲に人がいない場で良かった。
「そーそー。そういうことだ」
さらに恐縮しそうなクリアナの肩を、アーサーはバンバン叩く。
自然なような、あるいは作ったような笑いが過ぎて、エーリヒがさてと言葉を置く。
「お別れは済ませたかい?」
当たり前の、けれど心臓を掴むような言葉。
「……はい。昨晩の内に、たっぷりと」
けれど、やっぱりクリアナは笑って。
「それでは、アーサー様、アリシア様、クリス様」
俺達に折り目正しく向き直り、
「行ってまいります」
きっちりと頭を下げて、別れを告げる。
それでいよいよなのだと、寂しさは胸を締め付けた。
「何を言ってるの、クリアナ?」
しかし、アリシアは本当に何を言ってるのかとばかりに言った。
「家族を一人で行かせるわけないでしょう?」
アリシアのその言葉に、驚きを抱きながらエーリヒを見上げる。
「君達ならそう言うかもと思って、八人乗りの馬車で来てよかったよ」
エーリヒは苦笑しながら、一回り大きな馬車を指し示した。
◇◇◇
馬車の中も、昨晩の続き。
酒と食事こそないものの、懐かしい話に花を咲かせ俺達は談笑する。
「家の何から何まで、それにクリスの子育てまであなたには本当にお世話になったわね」
「それが私の仕事ですから。それにクリス様の子育ては全然手が掛かりませんでしたよ」
「本当に泣きもしなかったからな、こいつは。かえって不気味だった位だ」
「本当に」
色々言いたいことはあるが、俺の正体を知らないエーリヒもいるため、俺は何とも曖昧な微笑みを浮かべるしかない。
「クリス様の舞踏を私が教えることになった時は本当に驚きました」
「あの見事な舞踏はクリアナが教えたのかい?」
そのことを知らないエーリヒが驚いて問う。
「最初の五回だけですが」
「凄いな。君は物を教える才能があるんだね」
「いえ。偏にクリス様の才能です。私が教えるまでもなくほとんど踊れていましたから」
「いえ。クリアナの教え方が上手かったからですよ」
……なんで俺の心臓に悪い暴露会みたいになっているのか。
「いえ、やはりクリス様は凄いです。毎日の鍛錬を欠かさず、それだけでなく半魔の言葉やエルミア様の教えを請う。クリス様の成長を見守ることで、私の毎日に輝きがありました」
恥ずかしさと、それ以上の嬉しさをそんなクリアナの言葉に覚えていた。
◇◇◇
馬車が王城の裏手に着き、俺達は静かに王城に入る。
民衆に見咎められぬためだが、一度会話が途切れたことで、俺達は黙り込んでしまった。
何かを誤魔化すように、あるいは埋めるように、俺達は話し続けていた。
しかしそれが止まったことで、考え始めてしまったのだろう。それぞれが、それぞれの考えを。
処刑は王城の正面バルコニーに建てられた処刑台の上で行われる。
本来であれば正面広場で行うらしいが、バルコニーにしたのは民衆の手が届かぬようにというエーリヒの配慮らしい。
正面バルコニーの付設した部屋に入る。ここが俺達の最後の別れの場だ。
中には、護衛と死刑の執行を兼ねるのだろう武装した兵が二人。
それと別に、俺と同じくらい幼い半魔の少女がいた。
「アナリス」
その少女を見て、クリアナは小さく呟く。微かな戸惑いは小さな微笑みに変わり、クリアナはゆっくりと彼女に歩み寄る。
「お姉様」
少女は呆然とクリアナを見上げる。そんな彼女を、クリアナは優しく抱きしめた。
二人は十は年が離れていそうだったが、落ち着いた、それでいてどこか柔らかい雰囲気。そして何よりも、同じ小さな白い角を持っていた。
「五年前、クリアナがメイドになった時、まだ赤子だった妹がいたんだ。彼女は今まで別に育て、教育していた」
疑問を浮かべる俺に、エーリヒが説明した。
「お姉様……どうして」
少女の声は泣いていた。理不尽な姉の死を、当然受け入れられないのだろう。
「ごめんなさい。でも、私が選んだことだから。今はわかってもらえないかもしれないけれど、いつかあなたにもわかってもらいたい」
クリアナの声も泣きそうだったが、その意味合いはどこか少女とは違って思えた。
自由に会うこともできなかった姉妹の別れに、俺達が入る隙は無い。
長いようで短い、短いようで長い抱擁と別れが交わされる。
「国王様。あと半時程でございます」
警備の兵が刻限を告げる。
「わかった。クリアナ、最期の時間だ」
それを受けたエーリヒが告げ、姉妹の抱擁は離れた。
「はい」
立ち上がったクリアナが、改めて俺達に向き直る。
「アーサー様」
「ああ」
最初に声を掛けられたアーサーは、努めていつもと変わらない返事をする。
「故郷から攫われ、私は深い絶望と恐怖の中にいました。故郷と家族を失ったこと、それを強いたこの国に恨みが無かったと言えば嘘になるかと思います」
偽りないクリアナの本音に、エーリヒとアーサーは唇を噛む。
「しかし、そんな私にあなたは懸命に笑いかけて、新たな生きる場所をくださいました。家族を失った私に、第二の家族を与えてくれました。私を拾ってくださったのがご主人様で良かった。これもまた、私の偽らざる本音です。今まで、本当にありがとうございました」
そして重ねられた偽りない本音に、アーサーはよりきつく唇を噛み締めた。
「こちらこそありがとう、クリアナ。お前から全てを奪った王家の人間に、お前は本当によく尽くしてくれた。お前が家庭を守ってくれたから、俺は気兼ねなく剣に励み、外で自由にすることができた。俺の、俺達家族のメイドがクリアナで本当に良かった」
「ご過分なお言葉、心からありがたく思います」
今にも泣きそうな瞳を笑みに形作って、エーリヒとアーサーは微笑み合う。
「アリシア様」
自分に向き直ったクリアナの言葉を、アリシアはただ手を握りしめて待つ。
「まだ人族のことが右も左もわからない私を、アリシア様はただ優しく受け入れてくれました。教育係でもないのに、アリシア様は様々なことを私に教えてくださいました。ただのメイドに過ぎない私を、アリシア様はまるで妹のように可愛がり、面倒を看てくださいました。アリシア様がいたから今の私がいます。今まで、本当にありがとうございました」
アリシアは、頬を伝う涙を隠さなかった。
「クリアナ。本音を言えば、今でも私は納得してないわ。民衆の不満が何? 国の内情が何? それでどうしてあなたが、私の家族が死ななきゃならないの? 全然納得できないし、私は絶対に認めたくない」
温厚なアリシアが、こんな風に何かを徹底的に否定する、拒絶する姿は初めて見た。
「アリシア様……」
それはクリアナもそうだろうから、彼女は困ったようにアリシアの名を呟いた。
「でも、これはあなたの選んだ道なのよね。誰に強要されたわけでもなく、気を遣うでもなく、クリアナ自身がそう決めたことなのよね」
そんなクリアナに、アリシアは諦めたように微笑んだ。
「はい」
クリアナは躊躇いなく頷いた。
「だったら、私は邪魔できない。私にできるのは、貴方の決断を見守ること。そして、この国に、ヴァーンハイム王家に嫁いだ者として、あなたに心からの感謝を送ることだけ」
アリシアはより深く微笑んだ。そこに浮かんでいたのは先程まで滲んでいた諦めでなく、受容と愛情だった。
「ありがとうございます」
それを理解したからこそクリアナは深く頭を下げ、
「だからお礼を言うのは私の方だってば」
アリシアも笑って、彼女を抱きしめた。
最後の抱擁。永遠にでも続けたいだろう抱擁。
しかし、残された時間はあまりに短いから。二人はその身を離す。
「クリス様」
クリアナが、いよいよ俺に向き直る。
「家族と、生まれたばかりの妹とも引き離された私は、何の因果か生まれたばかりのあなたのお世話をさせていただくことになりました」
最後にして、初めてクリアナの事情を知った。
「今にして思えば、どうして妹ではなく、あなたの世話をしているんだろうという怒りにも似た感情が最初はあったように思います」
クリアナの身の上を思えば仕方ない。そう理解できても、自分勝手でも、心が痛む告白だった。
しかし、クリアナはでもと続けた。
「初めは赤ちゃんなのに泣かないあなたが少し怖かったけれど、それでも生まれたてのあなたは本当に可愛くて。赤ちゃんのあなたは愛おしくて。気付けば最初の感情は忘れて、あなたの成長が楽しみで仕方ない私がいました」
クリアナは膝を地面につけて、俺を正面から見つめる。
「成長したあなたは驚くほど立派でした。文武共に才気に溢れ、それでいて努力を怠らない。そして、それは種族に関係ありませんでした。お披露目会の前、舞踏を教えていた時、クリス様は私の部族の舞踏を教えてほしいと仰いましたね?」
「はい」
「初めは、正直いい気がしませんでした。人族と半魔の確執をきちんと知らないあなたが、私を無理やり部族から引き離した人族が、興味本位で何を勝手なことを言っているのかと」
でも、とクリアナは優しい笑みで俺の瞳を見つめる。
「あなたは、私の舞踏に泣いてくださった。美しいと認めてくださった。そして、今もなお私達を理解しようと、私達の言葉まで学ぼうとしてくださっている。そのことが私には、堪らなく嬉しく感じられたのです」
クリアナが想いを続けてくれる。
「残念ながら言葉を教えるのは途中になってしまいましたが、クリス様なら大丈夫です。大切なのは、相手を理解しようとする想い。クリス様の真摯な姿勢は、必ず相手にも届きます。それは私が保証します」
クリアナは頷いて、俺を抱き締めた。
「僭越ながら、弟のように思っておりました」
「ありがとうございます。本当に嬉しいです」
本心からの言葉だった。
「生まれてからずっと、クリアナが僕の面倒を看てくれました。そのことは本当に感謝してもしきれません。クリアナはいつでも、ずっと僕のそばにいてくれた。そのことが本当に嬉しくて、クリアナのことをずっと家族のように思っていました」
前世も含めると俺のほうが年上だから、クリアナを姉のようとは思えなかったけれど。家族だとは、ずっと思っていたから。
多くの別れを経験していても、家族の別れに涙は流れた。
「こちらこそ、ありがとうございます。私も本当に嬉しいです」
抱き締め返した腕が震えるほど、抱き締めて。それを永遠に放したくなくて。
それでもやっぱり時間はないから。
やがて、クリアナは手と体を離す。
「クリス様。最後に一つお願いしてもよろしいでしょうか?」
「クリアナのお願いでしたら、なんでも、何個でもいいですよ」
軽口だけど、紛れもない本心の俺の言葉に、クリアナは笑ってくれる。
「いただいたこの帽子ですが、私はもう使えなくなってしまいました」
そう言って、クリアナが頭から取ったのは白いモブキャップ。俺が一昨日プレゼントしたばかりのもの。
「だから、これをアナリスに、私の妹にあげてくれませんか?」
それは、なんて大したことのないお願い。
だというのに、この上なく真摯な瞳。
控えめなクリアナはそれ以上を言わない。言えない。
でも、クリアナ本人からでなく、俺から渡すというその意味。
クリアナがそういう人だと、俺はわかってるから。
「任せてください。必ず渡します。僕が、必ずこの手で」
俺は、返された帽子を確かな誓いの元、受け取った。
「ありがとうございます。これで、本当に思い残すことなく逝けます」
クリアナは、最後に晴れやかな笑顔を見せた。
「アナリス」
クリアナが最後に声を掛けたのは、実の妹。
「はい」
どこか現実感の遠い朧げさで、少女は頷いた。
「何もできない、残してあげることもできない、不甲斐ない姉で申し訳ありませんでした。思えば、ほとんど会うこともできませんでしたね」
それはクリアナのせいじゃない。家族を引き離したこの国のせいだ。
それでも、クリアナはそうであっても、それに責任を感じてしまう人だから。
「でも、わかってほしいのは、私は、私達家族は、決してあなたを愛していなかったわけではありません。誰よりもあなたを大切に思って、あなたが生まれてきてくれたことを、心から喜んでいました」
クリアナはやはり跪き、少女を正面から抱き締めた。
「あなたを愛した家族がいたこと。ただ、そのことだけでも覚えていてほしいのです」
「……お姉ちゃん」
正面からの愛情に、もしかしたら初めて実感したのかもしれない家族の愛情に、少女の声が震えた。
もはや言葉もなく、ただ二人、こうして抱き合える実の家族は互いの存在を感じ合う。
「エーリヒ様。そろそろ」
それでも時間はやってきたらしい。
しかし、それにエーリヒは首を振った。
本当に、ここの王族はお人好しだ。
全てに気遣って、自分の命すら捧げるクリアナ。
そんな彼女が、最後に我を忘れても放さない抱擁。
それ位の自由は、与えられていいはずだ。
絶対に。
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