白石沙里奈の攻撃④
赤城さんと、ルームウェアに着替えた白石さんがリビングへと戻ってきた。
赤城さんは紅茶を淹れるからと、そのままキッチンの方へ移動しながら、僕と白石さんにダイニングテーブルの椅子を勧めた。
言われた通り、僕はリビングに備え付けてあったダイニングテーブルの椅子に腰掛ける。
白石さんは、僕の向かいの席に腰掛けた。
白石さんと目が合う。
ぷいっと顔を背けられる。
明らかに僕の訪問を歓迎していない雰囲気だったので、気まずかった。
白石さんが着ているルームウェアの胸元には、これまた白猫のシルエットがプリントされていた。白猫が好きなのだろうか。
そんな事を考えている内に、赤城さんが紅茶の入ったカップを持ってきて、それぞれテーブルの上に並べた。
それが済んだ後、彼女は白石さんの隣席に腰を落ち着かせた。
「沙里奈……黒川君に何か言う事あるよね」
赤城さんにそう言われた白石さんは、口をへの字に曲げながらも、こちらへと視線を向けた。
「ごめんなさい」
それは、今朝届いていたメッセージの内容と同じ簡潔な謝罪だった。
何に対して謝っているのか、既に覚醒した頭で考えれば、言われずとも想像はできた。
個人情報を取得して、脅迫めいたメッセージを送った事に対する謝罪だろう。
それがしてはいけない行為である事は明白だが、僕は怒る気にもなれなかった。
「いえ。気にしてはいない……と言ったら嘘になりますけど、白石さんの言う通りだと思いました。僕のセキュリティに対する意識が甘かったのは事実で、それを痛感させられました」
「怒ってない?」
「怒ってはいないです。自分の不甲斐なさに、落ち込みはしましたけど」
「……そっか」
まるで珍しい生き物でも見るような目つきで、白石さんは僕の事をじろじろと見始めた。
居心地の悪さを隠そうと、僕は赤城さんが淹れてくれた紅茶に口を付ける。
「美味しい」
自然と口からそんな言葉が漏れた。
その紅茶は、僕が今まで飲んだどの紅茶よりも美味しかった。
紅茶に対する僕の感想を聞いた赤城さんの顔が、ぱっと華やぐ。
「あ、嬉しい。そこの紅茶ね、マリアージュ・フレールっていうパリで創業されたフランス紅茶専門店が出してるの。好きでよく買うんだー」
「へえー、本当に美味しい。今まで飲んだ中で、一番美味しい」
「そっかそっかー。黒川君とは紅茶の趣味が合いそうだね」
そんなことで嬉しそうにニコニコとしている赤城さんの姿に和んでいると、急に脛に痛みが走った。
思わずうめき声をあげそうになりながら痛みの正体を探ると、向かいにいる白石さんの足が僕の脛付近にあるのが分かった。
「姫那。私も、この紅茶好き」
「え、うん、知ってるよ。沙里奈とは、もう何度も一緒に飲んでるじゃない」
赤城さんの返事がお気に召さなかったらしい。白石さんは不満げな表情を見せた後、僕を睨みつけるのだった。
白石さんから向けられる敵意の正体が、何となく分かった。
それは嫉妬だろう。
身近な存在が別の人間に取られるのではないかという、不安から来るものなのだろう。
このまま敵として認識され続けるのも良くないと思い、僕は少しでも距離を縮めようと白石さんに話題を振ってみる。
「白石さんは、いまどういう事をしているんですか?」
何だかとても抽象的な質問になってしまったが、白石さんは僕の質問の意図を察してくれたらしく、すぐに返答があった。
「今は……アプリの開発とかしてる」
それは、とても興味を引く返事だった。
さらに突っ込んで聞いてみる。
「どんなアプリなんですか? プラットフォームはウェブ? スマホ?」
プラットフォームとは、そのアプリが動く場所のことだ。
パソコンのブラウザ上で動くのか、スマートフォン上で動くのか。
それによって、開発の仕方も注意すべきセキュリティのポイントも変わってくる。
「スマホアプリの開発」
「へえ、スマホアプリの開発ってしたことないんですけど、一人で開発しているんですか?」
「協力者はいるけど……アプリ開発に興味あるの?」
白石さんからの質問に、僕は即座に頷いて見せる。
「そりゃあ、勿論あります。勉強しようと思ってルート化した端末を使って、テスト用に配信されているアプリの解析をしたりしましたが、実際にアプリを開発した経験はないです」
ルート化というのは、スマートフォンの制限を外し、通常よりも深い部分まで操作できるようにすることだ。
便利な反面、扱いを間違えると端末の安全性を下げてしまうため、一般的には推奨されない。
「なるほど……なら、アプリが作られる仕組みは理解できていると。ただ、ホワイトハッカーを目指すのであれば、仕組みだけでなく、どうやって脆弱性が作りこまれるかにも着目すべきだと思う。だから、アプリの開発は経験しておく事をおススメする」
「やっぱりそうですよね……セキュリティの面だけでなく、開発の方にも目を向けた方が良いですよね。何か作ってみようかな……ちなみに、白石さんはどんなアプリを作ってるんですか?」
「会話型AIアプリ」
「会話型……」
「あ、それってあれだよね。この前使わせてもらったやつ。あれ、凄いんだよ。本当に人間とお話してるみたいに、AIと会話が出来るの」
赤城さんは、そのアプリを使用した事があるらしかった。
開発中ということは、まだテスト段階だろう。
その時点で赤城さんからこの感想が出てくるという事は、かなり精度の高いAIを使ったアプリという事なのだろうか。
「開発途中で、まだリリース前だけどね。興味があるのなら、元となっているプロトタイプを搭載した別のアプリを君の端末に送ってあげる事はできる」
プロトタイプ、本格的に公開する前に作られる試作品のことだ。
機能や使い心地を確認する為のもので、完成品とは違い、不具合が残っている事も珍しくない。
それでも、開発途中のアプリを触れる機会を逃す手はないと思った。
「興味あります! ぜひ!」
食い気味に言った僕の言葉に、白石さんは少し驚いたように仰け反ってみせた。
「……じゃあ、メッセでテストアプリ配信ツールの招待を送っておくから、後で確認しておいて。テスト配信ツールからのインストール手法は分かってるよね?」
「はい、そこは問題ないです! ありがとうございます!」
一体どんなアプリなのだろうか。今からそれを使うのが楽しみだった。
帰ったら早速、テスト用端末にインストールしてみようと思った。
その後、夕方くらいまで三人で紅茶を飲みながら会話を楽しんだ。
共通の話題があったおかげか分からないが、話をしている内に、白石さんの僕に対する当たりは少しだけ弱まったように思えた。
だが、僕と赤城さんが話していると、相変わらず白石さんからは胡乱な者を見るような目を向けられた。
夕方になってお暇しようとした僕に、赤城さんが迷わないように途中まで送っていくと申し出てくれた。
しかし、腰にしがみついてその行動を阻止しようとする白石さんを見て、僕は丁重にその申し出を断り、白石さんの家を後にして家路につくのだった。




