1 草生える
「おらァ、死ねや奴隷! このゴミがァ!」
物心ついた頃には、俺は奴隷だった。
開墾用の農奴。
世間では、しゃべる家畜とみなされている。
この日、主人はひどく酒に酔っていて、何に怒っているのか皆目見当もつかないが、運悪く居合わせた俺に憤懣をぶつけていた。
何度も鞭で打たれ、気絶するまで蹴られ、冷水をかけられて起こされてはまた蹴られ、それでも満足できなかったのか、手頃な岩で頭をガツンとぶたれた。
その衝撃で前世の記憶が戻ってきた。
俺はかつて、ゲームがあって、漫画があって、冷暖房があって、なにより人権がある世界でぬくぬくと過ごしていた。
記憶が戻る前は普通だと思っていた農奴の暮らしが、その瞬間から地獄に見えてきた。
俺がまだ暗いうちに荘園を飛び出したのは、そんな事情からだった。
◇
「やっぱ冒険者だよな」
東の空から太陽が顔を出した頃、俺は見知らぬ町の、見知らぬ建物を見上げていた。
冒険者ギルド。
ワケあり、かつ、行くあてのない人間の駆け込み寺と言えば、ここだ。
着る金、食う金、住まう金。
先立つものは必要だ。
前世の知識で無双するにも元手はいる。
冒険者として身を立てるのが、俺のセカンドライフの第一歩というわけだ。
「こちらが冒険者カードです。身分証にもなりますので、紛失されないようお願いします」
冒険者登録は驚くほどあっさり終わった。
一ツ星冒険者、ケルン。
それが俺の新しい身分だ。
「よォ」
背中に低い声がかかって俺は戦慄した。
全身の毛穴が花みたいに開く感じ。
主人の声にそっくりだった。
喉をカラカラにしながら振り返ると、岩みたいな顔の、無精ひげの男が立っていた。
……似ている。
主人の兄弟親戚だと言われても納得の風貌だった。
「お前、駆け出しかァ?」
「え、ええはい、その通りでございます……」
俺がもやしの妖精みたいな声で答えると、男は黄ばんだ歯を剥き出しにしてニッコリ笑った。
男は冒険者だった。
「ちょうど荷運びが欲しかったところだァ。来な。面接してやらァ。身構えるこたぁねえぜ? オレの面接に落ちたアホは一人もいねえからなァ」
「お、お願いします。ありがとうございます」
奴隷時代の癖で、声の尻におもねるような響きが出てしまう。
このへんはおいおい直さないと。
混雑したロビーを歩きながら、俺は衣服を正した。
主人の服だったものだ。
盗んだわけではない。
干してあったから、誰かに盗まれないように俺が持ってあげているだけだ。
少しジジ臭い装いだが、第一印象は悪くないはず。
「オレァ、ゴードンってんだ。冒険者ランクは三ツ星……まァ、中堅ってとこだな。坊主、名前はァ?」
ロビーに併設された酒場。
丸テーブルに丸太みたいな腕を置き、ゴードンは濁った目を俺に注いだ。
後ろにはパーティーメンバーたちが似たような目で俺を眺めている。
「ケルンです。姓はありません」
もっとも忌み名はある。
俺の本名は「奴隷のケルン」。
だが、今は冒険者なので、あえて名乗る必要はないだろう。
「剣は使えるかァ?」
「いえ。触ったこともありません」
そう答えると、ゴードンたちの顔が少し曇った。
主人が怒り出すときの雰囲気に似ている。
俺は慌てて付け加える。
「ですが、魔法を使えます。『栽培魔法』といって、どうやら固有魔法? という分類だそうです」
以前、荘園に訪れた魔術師が、俺の魔法を興味深そうに見てそう言ったのだ。
かなり稀有な代物らしい。
「すっげえじゃねえか!」
ゴードンは肘を下ろして、組んでいた足をほどいた。
酒を運んできたウェイターをぞんざいに追い払い、拾った石が翡翠だったような顔で俺を見た。
「ぜひ、やって見せてくれよォ!」
「はい!」
俺は認められた気がして、バネ人形の勢いで立ち上がった。
視線を振ると、窓辺に植木鉢を見つけた。
しなびた花が最後の頑張りを見せている。
おあつらえ向きだった。
「いきますよ?」
植木鉢に手をかざす。
なんだなんだ、とロビーに居合わせた冒険者たちが集まってきた。
ゴードンは機嫌よさげにふんぞり返り、
「お前ら、引っ込んでろォ。こいつァ、オレが唾つけてんだ。固有魔法持ちの超新星級のルーキーだぜ?」
などと誇らしげに笑っている。
俺は意気揚々と魔力を練った。
植木鉢になみなみと注ぎ込む。
ッ!
ッ、ッ――!
干からびた表土の下から、幼い緑が噴き出した。
花を蘇生するつもりでいたのだが、どうやら別の種が混入していたらしい。
猫草みたいな雑草がモヒカン風に生い茂る中で、花が窮屈そうに艶のある花弁を広げている。
「……」
顔にこそ出さなかったが、あれ、と思った。
栽培魔法の効果が上がっている気がした。
前世の記憶を取り戻したことと何か関係があるのだろうか。
なんにせよ、うまくいってよかった。
殴られ、鞭打たれ、食事は木の根を煮詰めたもの。
荘園暮らしは過酷で、毎年農奴の半数が冬を越えられずに死ぬ。
俺が曲がりなりにも生きて来られたのは、この魔法があったからだ。
捨てられていたクズ芋を寝わらの下でこっそり育てていたことを思い出して、俺は口の奥で笑った。
見れば、ゴードンも笑っていた。
パーティーメンバーたちも。
集まった冒険者たちも。
大波が砕けるような大爆笑がロビーに響いていた。
「ゴミみてえな魔法だな。お前なんていらねえよ」
ゴードンは笑顔だ。
だが、目が笑っていない。
目の奥に激しい怒りが燃え立っている。
オレに恥かかせやがって。
えくぼに落ちた影がそう言ったようだった。
俺は自分の力作に目を落とした。
ふと冷静になる。
俺は一体なぜこんなものを得意げに抱いているのだろう。
植木鉢に生い茂る、――草。
雑草。
面接官にこれを見せても、心証が上向くはずがないのに。
稀有な魔法『栽培魔法』。
俺の命を今日まで繋いでくれた大切なもの。
だが、冒険者である彼らが求めるものとは違ったようだ。
「荷物持ちなら俺にも――」
取りすがる俺を、
「もう死ね、ゴミ」
ゴードンはすげなく撥ねつけたのだった。
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