プロローグ 「チチハル焼肉を肴に神戸華僑と描いた端午節の青写真」
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」と「Ainova AI」と「Gemini AI」を使用させて頂きました。
世の中の移り変わりが激しくて予想外の変化が起こり得る事を杜甫の詩歌から取って「白衣蒼狗」と昔から言うけれども、この唐代の詩人が残した故事成語は私こと吹田千里にとって他人事とは思えなかったんだ。
何しろほんの少し前まで、私は何処にでもいる普通の小娘に過ぎなかったのだから。
堺県立御子柴高校二年生にして、人類防衛機構極東支部近畿ブロック堺県第二支局に所属する少佐階級の特命遊撃士。
別に驚くような肩書きじゃないよね。
そんな私が今は金糸による絢爛な刺繍の施された豪華な緑色の満洲服に身を包み、神戸南京町でも屈指の名店に招待されているのだから、世の中というのは本当に分からないもんだよ。
とはいえ感慨に耽ってばかりもいられない。
何しろ私が神戸を訪れたのは単なる観光ではなく、大事なお仕事の打ち合わせに来ているのだからね。
「端午節運営委員会の皆様方、御招き頂き感謝致します。私は中華王朝の愛新覚羅麗蘭第一王女殿下より巴図魯の官爵を賜りし吹田千里と申す者で御座います。何卒お見知りおきを。」
この中華式の瀟洒な一部屋に入室した時の挨拶からも分かるように、私こと吹田千里は神戸南京町で年中行事として開催される端午節に登壇する運びと相成ったんだ。
この登壇依頼の話を臨時秘書の咲洲舞中尉から伺った時には、「とうとう私も此処まで来たんだなぁ…」と誇らしく感じると同時に神戸華僑の皆様方の寛大さに感極まった次第だよ。
「こちらは咲洲舞臨時秘書、並びに生駒英里奈相談役で御座います。此度の端午節は日中友好の新時代を築く布石となる事業で御座います。故に緊密な連携が必要不可欠と存じますれば、何卒よろしくお願い申し上げます。」
そうして随伴者の紹介と拱手の礼を慎重にこなす私を、南京町の顔役である華僑の皆様方は温かい眼差しで見守って下さったよ。
中華王朝の次期君主であらせられる愛新覚羅麗蘭第一王女殿下の影武者任務と、有力王族であらせられる愛新覚羅永祥和碩親王殿下の暗殺阻止。
この二つの功績により準貴族である巴図魯の官爵を賜った上で烈士の末席に名前を加えて頂いた私ではあるものの、中華社会においてまだまだ新参者である事に変わりはないよ。
だからこそ、この温かくも優しい眼差しは心強くも有り難かったんだ。
「御初に御目にかかります、巴図魯殿。私は端午節運営委員会の一員にして元化26年度ミス南京町である徐福燕と申します。此の度は我が神戸南京町の端午節への御協力を快諾頂き、誠に感謝致します…」
何しろ今年度のミス神戸南京町に選ばれた華僑令嬢の徐福燕さんなんか、新参者の私なんかには勿体ない程の恭しくも真摯な御対応だったからね。
だけど徐福燕女士の素晴らしい資質は、その丁寧な対応だけじゃ収まらなかったの。
「こちらこそ、徐福燕女士。そんな女士の慧眼には私も大いに驚かされ、尚且つ頼もしく感じた次第で御座います。貴殿もそう思われませんか、生駒英里奈伯爵令嬢?」
「仰る通りで御座います、巴図魯殿。打ち合わせの店選びにおける細やかな御配慮、実に見事な物で御座いますね。」
相談役として同行してくれた英里奈ちゃんが端的に言ってくれたように、徐福燕女士の気配りは本当に一級品だったよ。
何しろ女士が会食のメニューとして選んで下さったのは、満洲地方の郷土料理であるチチハル焼肉なのだからね。
「巴図魯の爵位を叙勲した私にとって中華王朝は第二の祖国も同然。そして我が主君である愛新覚羅氏が満洲族である以上、黒竜江省で成立したチチハル焼肉は私にとっても縁の深い料理と言って過言では御座いません。」
そもそも私が受勲させて頂いた巴図魯は中華王朝の前身である大清帝国の時代から存在する由緒正しき爵位なのだし、それは我が主君であらせられる愛新覚羅氏を始めとする満洲族の文化に基づく物。
我が君のルーツである満洲地方の文化風俗に一日も早く馴染んで内面化したいと願う私にとっては、喜ばしい限りなんだよ。
そして今回の会食のメニューがチチハル焼肉である事は、「中華王朝の準貴族である巴図魯となった日本人女性」という私自身の属性とも直結してくる訳で…
「更に言うなればチチハル焼肉は、南京町の中華街で開催される端午節に携わる私達の会食に相応しいメニューだと言えるでしょう。日本人女性として史上初の巴図魯となった私にとっても、そして華僑である女士にとっても。」
そこまで考えた私は、改めて徐福燕女士に向き直ったんだ。
女士を始めとする神戸華僑の皆様方も、私と同じ特徴をお持ちだと言う事に改めて気付けたのだからね。
「私にとっても…で御座いますか?」
後ろに御控えの重鎮にバトンタッチする腹積もりだったのか、或いは「もう自分に話を振られる事はないだろう」とお考えだったのか。
その辺りの事情は分からないけど、今の私の一言は女士にとっては意外な発言だったみたい。
だとしたら、それは好都合だよ。
「満洲族やモンゴル族といった騎馬民族による烤肉の食文化に、漢民族や回族によって培われた香辛料の技術、そして朝鮮民族のタレの技術。これらが一堂に会した上で酸菜という要素を加えて唯一無二の食文化となったチチハル焼肉は、民族や文化の越境と多文化共生の申し子と言えるでしょうね。」
「そう言う事でしたか、巴図魯殿…華僑の私も巴図魯殿も民族や文化の越境者であり、神戸の南京町は日中の多文化共生が日常的に繰り広げられる空間であると…」
私が言いたかった事を端的に言い表して下さり、本当に助かるよ。
昔から「一を聞いて十を知る」とは言うけれど、それはきっと女士のような方の事を言うんだろうな。
このような方が若手実力者として頭角を現しているのだから、本当に頼もしい限りだよ。
「巴図魯という中華王朝の臣下としての自己を一日も早く内面化しようと尽力している私にとって、女士は謂わば頼もしき先達のような御方。何分と初めての事故に、此度の端午節では不慣れな所もあるかも知れません。女士を始めとする南京町の皆様方には、何卒御力添えを…」
「勿論で御座います、巴図魯殿。当日は私も司会進行役として、及ばずながら巴図魯殿をお支え致します。」
こうして女士を始めとする神戸華僑の皆様方との相互理解を得られた私達は、肉と酸菜の相互作用が素晴らしい調和を成しているチチハル焼肉の滋味に舌鼓を打ちながら、端午節の登壇に向けた討議を円滑に進めていったんだ。
「太極扇の演舞は端午節のステージイベントとして行われるとして…来賓挨拶と閉会の辞も計算に入れたらスピーチは合計三回と考えて宜しいですね?」
「仰る通りです、巴図魯殿。その際に、今後の抱負も述べて頂けますと…」
肉と酸菜が鉄板から消えていくのに比例して、端午節のビジョンが徐々に形になっていく。
プランが明確になってくれば、後は実行あるのみだね。
神戸華僑の皆様方との共同事業となる此度の端午節、何としても成功させなくっちゃ!




