高一・一学期 54
本当は藤沖を交え、片岡とも少し話をしたかった。
「藤沖、お前、片岡はいい奴だと思うだろう」
乙彦が振ると藤沖はその通りと答えた。
「ああ、面白い奴だ」
「野郎連中とはうまく行っているが、このまま女子たちから総すかんを食っているというのはまずいと思う。二学期以降、俺としてはなんとかしたい」
「俺も同感だ」
いろいろな問題をしでかした片岡だけに、そう簡単に事は運ばないだろう。乙彦も他の方面から話を聞いているので、その点については覚悟しているつもりだ。しかし何もしないわけにはいかない。幸い夏休みが入るので、ゆっくり考える余裕はある。
「しかし、どんな肉を食わせてもらえるんだろうな」
藤沖の頭にはすでに、焼肉パーティーのことしかないようだった。
「関崎も聞いただろう? あいつの兄貴分にあたる人ってのがラーメン屋やら屋台やらそういうのにめっぽう詳しいらしい。舌も肥えている。ということで片岡もそのあたりには非常に詳しいはずだ。ホルモン焼きなどもあるかもしれないぞ」
「ホルモン焼き?」
乙彦には初めて聞く焼肉の名だ。
「精力がつくらしいぞ」
「それはいいな」
運動能力がアップするのだろう。それは嬉しいことである。
さっきまでの重苦しい話題を払拭するかのように、ふたりは語りつづけた。語っていれば、考えずにすむ。無理に藤沖と立村との今後を考えなくてもすむ。まだ時間はたっぷりあるのだ。
藤沖の話していた通り、それほど時間はかからなかった。住宅街の奥にやたらと背の高いマンションが突っ立っていて、街の雰囲気とつりあわないような印象を受けた。全体として背の低い家が多い中、一軒だけすっと天を見上げざるを得ない。
「最上階の部屋だと聞いている」
「地震や火事が起きた時には大変だな」
「非常階段はあるらしいぞ」
それはあるだろう。聞き流し乙彦はマンションに入ろうとした。が、ガラスで遮られていて中に入れない。自動ドアのはずなのだが。
「ああ、ここでは一度、片岡に連絡をいれ、管理人さんに開けてもらうシステムだ」
慣れた風に藤沖は、管理人室の小窓へ声をかけ、
「すいません、片岡さんを呼んでください」
頼んだ。
「そんな面倒なことをしなくてはならないのか」
「いろいろ事情があるらしいぞ」
すぐにガラスドアが開き、藤沖は管理人さんに礼を行って入っていった。乙彦も続いた。正面のエレベーターが下りてくるのを待った。
「俺は片岡の、学校で見せる脳天気なところしか知らないが」
「同じくそうだ。だが、奴の背負っている事情は相当たるものがある」
あえて乙彦はそのようなことには耳を貸さずにきた。だが、家へ遊びに行くだけなのにこんなに面倒なことをしなくてはならない家庭というのは、相当、いろいろあるのだろう。
エレベーターが開いた。誰も乗っていない。さっさと藤沖は最上階のボタンを押した。
「実は、片岡の家に呼ばれるのは、おそらく関崎が最初だろう」
「そうなのか?」
意外だ。藤沖の思い違いではないのか?
「いや、あれでも片岡は、友だちを厳選しているきらいがある。たぶんだが、兄貴分のお世話役の人が指示しているんだろう。まるで、どこかのやんごとなき人々のような家庭だが、そういうのもある」
「あいつのどこがやんごとなき奴か?」
乙彦にはやはり、まだまだ未知の場面が多々続きそうだった。第一、ぽよんとした顔でもって乙彦に、英語学年トップを獲ったことを自慢しているような片岡を、どう考えれば「やんごとなきお方」と思えるのか?
「まあ、あいつは面白い奴だ。楽しみだ」
藤沖は特にそのことについての返答をせず、ゆっくりと開いた戸から降りていった。
ノックをせずにインターホンを押し、藤沖が「藤沖と関崎です」と答える。すぐに開いた。片岡かと思いきや、
「よお、藤沖、待っていたぞ。早く入れ!」
脂ぎった額がまた一段と臭いそうな人がいた。
「麻生先生……」
藤沖と顔を見合わせた。どういうことなんだろうか。二時間ほど前に顔を合わせた担任教師とはいえ、放課後に改めて会うには心の準備がいる。絶句するしかない。すると後ろから無理やり藤沖が、
「まあ、入れよ」
促した。しかたあるまい。さっき手に入れたはずの主導権がまた取り戻されてしまったようである。腹もすいた。少しいらだつ。
「おーい、関崎たち来たぞ!」
マンションなのに自宅と同じくらい広いたたき、そして脇にはよくわからないが家族写真の数々が張り巡らされている。靴は三足、しかも一足は小さめ二十三センチのスニーカーだ。
「女子がいるんですか」
藤沖が麻生先生に、靴の紐を解きながら尋ねた。
「ああ、B組の泉州が焼肉名人ぶりを発揮してるぞ。藤沖は知っているか」
「はあ、一応」
乙彦には尋ねなかった。当然か。一緒に靴を脱ぎながら、広い廊下の奥から聞こえるはしゃぎ声が女子であることを確かめた。てっきり片岡だけかと思っていたのだが、ちと反応に困る。麻生先生は乙彦の肩を叩いた。
「いやあ、夏だしな、汗だらだらに流しながらうまい焼肉ホルモン焼きを食いたいなあと話していたんだが、今回はご相伴させてもらうことになってなあ。ほらうまそうなにおいがするだろう?」
確かにいかにも焼肉焼きたて!という感じのにおいが流れてくる。胃袋がよだれをだらだらに流しそうである。しかし、よりによって担任の教師の目の前で野獣の如く食いまくるなんてできるわけがない。やはり、気を使わざるを得ない。
そんなの全く気にしていない麻生先生は、シャツとランニングのみ汗だくのまま、
「片岡、さあ二人分、焼くぞ!」
気勢を上げた。
「泉州についてはあとで説明する」
「紹介、でなくてか」
「ああ、このあたり少しややこしい」
まったくわからないが、いろいろ事情があるのだろう。無理に聞き出す必要もない。
「お前はただ、ひたすら食いまくっていればいい。麻生先生もいきなり俺たちに説教するような野暮なことはしないだろう。だがしかし」
廊下はゆったりと広い。しかし絨毯はやたらとほこりっぽい。油っぽいにおいでだんだん自分たちが焼かれているような気がしてきた。麻生先生に案内されて右側の部屋に入る。
「おお、若人よ!」
奇妙な声を挙げて、鉄の箸を振り上げたのは、麻生先生に瓜二つの男性だ。
──あ、確か、片岡を迎えにきてた人だ。
めがねを外しているからすぐには気づかなかった。この人は桂さんらしい。目が細い。ランニングシャツ一枚でこれまた脂ぎった顔でもって生肉をひっくり返している。その側で、
「片岡、あんたの友だち来たよ、ほら、そんなにちょこまかしてるんじゃないよ!」
どすの利いた声で威嚇する……ように見える……のは、髪の毛ポニーテールのせいたかのっぽ姉さんだ。膝丈のジーンズと白いTシャツ姿。乙彦と藤沖を観ても対して関心を持たなかった。乙彦も、彼女に覚えはなかった。
「あれが泉州だ」
「ああ」
台所というよりも、むしろ広い食堂のようなスペースだった。だいたい十畳くらいはあるだろうか。台所とテーブルがU型に繋がっていて、そこからどんどん皿が出てくる出てくる。しかし片岡はぽかんとしたまま、開いたスペースに広げたこたつテーブルに向かい、黙って座っている。手伝いをなぜしないのか、が非常に気になる。乙彦たちを見あげて、こっちへ来いと手招きをする。
「俺たちも手伝わなくてもいいのか」
「いいよ。だって泉州さん、桂さんと話がしたいんだから」
客人として座っていてもいいということらしい。乙彦の性分としてはこういう場合、自分から積極的に動くべきだと思うのだが、片岡が首を振るのでしかたなく腰を下ろした。焼肉用のホットプレートと別に、網焼き用のコンロが脇に設置されていた。
「もう食ったのか」
「うん」
「じゃあ、あとは」
「お前たちの分と、あと桂さんと泉州さんが食べる分」
ということは、ふたりは料理に没頭しているというわけか。それって許されることなのか?
「片岡、手伝わなくて本当にいいのか?」
「いいよ」
「麻生先生だって手伝っているじゃないか」
「先生は、肉の好みがうるさいんだ。だから自分で選んでいるんだ」
──いいのかそれで。
部屋の中にはきれいな絵がたくさん額縁に守られ飾られている。台所方面は整っているのだがいかんせん、床に座ったとたん妙にくつろげてしまう。とてもだが片岡を「やんごとなき」とは言えないだろう。だがしかし、やはり落ち着かない。ここはやはり手伝うべきではないだろうか。それも片岡を引きずりこんで。それが客人としての態度ではなかろうか。
藤沖にも意見をもらいたいところだったが、いつのまにかあぐらをかいている。
腰を浮かせるのもタイミングが合わない。しかたなく乙彦は肩膝を立てる形で腰を下ろした。
あっという間に焼肉第二弾の準備が整ったようだ。乙彦たちの前に、網焼きのコンロがどんと設置され、自分たちが手を出す間もなく桂さんと麻生先生、そしてせいたかのっぽのお姉さんの手により生肉が並べられていった。薄い肉、やたらと分厚い肉、さまざまだが焼きたてのにおいに理屈はいらない。赤味がだんだん白っぽい色に変わりしのっていくのを待ちながら、ひたすら藤沖の言うように食いまくった。食べている間に難しい会話は必要ない。
「うまいだろ? な、うまいだろ?」
本来そのことをアピールすべきは桂さんの方だと思うのだが、麻生先生が熱く肉のうまみについて語りだす。
「桂さん、ほんといい肉選びましたねえ」
「もちろん! 安くてうまいとこを押さえるのが俺のポリシーですぜ」
全くわからない話を大人ふたりが熱く語っている。一応は担任教師と親代わりのはずなのだが、この部屋では単なる焼肉愛好家に成り下がっている。目の前に自分の教え子がいることすら忘れている。はっきり言って乙彦には理解不能である。むしろ英語のヒアリングの方が聞き取りやすいような気がしてならない。しかも大人ふたり、暑苦しい。生徒三人は身を寄せた。ちなみに泉州という女子は桂さんにべったりひっついている。片岡が気を利かせたのもわからなくはない。
「お前ら、ほらほら、野菜も食え!」
「そうだ、司、お前ちっともねぎ食ってなかっただろ!」
怒鳴られるのを聞き流し、片岡は乙彦に囁きかけた。藤沖を無視してである。
「あのさ、僕の部屋で、遊ぼうよ」
「遊ぶ?」
口の中がもさもさする不思議な感触の肉を噛んで、急いで飲み込んだ。
「だって、みんな、僕にお説教ばかりしようとするから」
確かに。それは自然だろう。もっとも乙彦としても、
「それはお前がちっとも手伝わないからじゃないのか?」
そのくらいは言いたくなる。
「そんなんじゃないよ」
「片付けるくらいやらなくちゃなんないんじゃないのか?」
片岡はふくれっつらをして乙彦をにらんだ。何文句言いたいんだろうか。こういう場面において手伝わないということ自体、乙彦には非常識に思える。藤沖にも同意を得ようとしたのだが、ふと気づくと哀れなり、麻生先生にとっつかまって説教されている最中だ。
「いいか、藤沖、まずこの牛モツを食え。新鮮だぞ」
さっき乙彦が口の中でとろかすのに苦労した、謎の肉を進められている。
「お前も評議としてよくがんばったなあ。偉いぞ」
「ありがとうございます」
テーブルの上に並んでいるびんをチェックした。ビールをはじめアルコールは存在しない。
「まだまだまとまりの悪いクラスだが、まだ二年半以上ある。ゆっくり進めるぞ」
「はい」
言葉少なに、礼を述べる藤沖。ちらと乙彦を牽制するように睨み、
「今、この場でいいですか」
喉を大きく動かした後、告げた。
「少し早いのですが、後期の評議委員は、できれば関崎に任せたいんです」
麻生先生の反応よりも先に、乙彦はむせた。なぜか背中をどんどん叩いたのは片岡だった。その後ろでなぜか笑い転げているのは桂さんと泉州だが、果たして藤沖の言葉に反応したからなのかはわからない。それにしても、もつとかいう肉、乙彦の味覚には合わなかった。
あきれた顔で乙彦を眺めた後、藤沖は一気にウーロン茶を飲み乾した。
「先生にも先日からお話していた件ですが、俺は夏休み明けの秋の体育祭をめどに、応援団を立ち上げるつもりです。すでに体育の郡山先生には顧問に就任していただきたいとお願いしてます」
「おいおい、いきなりどうした」
寝耳に水らしい。乙彦は藤沖の様子をじっと見守った。隣にちょこんと片岡も続いている。
「郡山先生からそういう話はまだ聞いていないが」
「正式なお願いではありません。ですが、夏休み明けには改めてお願いするつもりです」
藤沖は断言した。
「ただ、青大附属には中学高校大学を通じて、応援団がないという話を聞いています。また、応援団そのものを嫌う雰囲気が、特に大学にはあるとも先輩たちから伺ってます」
「そうだなあ、イデオロギー的なものはあるだろうな。青潟大学の校風から言って、応援団の持つ規律性を受け入れる余裕がないというのもあるだろう」
「大学はまだ先のことなので、俺もまだ考えてません。ただ、せっかく気合を入れてがんばっている運動部の生徒たちや、大会に参加する文化部の生徒たちを応援するパフォーマンスはあってもいいと、俺は思います。それは決して、イデオロギーの問題ではないです。先生はご存知かもしれませんが、青大附中内には二年前より、『青大附中スポーツ新聞』という壁新聞が発行されてます。俺の一年下に当たる、現在評議委員長の新井林という」
言いかけたところ、麻生先生はうんうん頷いた。乙彦は当然、知らない。頷けない。
「ああ、噂は聞いてるぞ」
「はい、あれも新井林が自主的に始めたことで、それが少しずつ回りを巻き込んでいき、いつのまにか公認された形となりました。後輩に頭を下げるのはかなり悔しいですが、俺は、その行動力において彼を尊敬します」
新井林健吾のことを思い出した。
冬の体育館で、ふたり並んで二十周ほど走りつづけた、交流会準備の午後を。
最後は全力尽くして倒れ込み、ふたりで握手した、熱い思い出だ。いい奴だった。
──長距離には強い俺だったが、新井林はかなり食らいついてきた。あの根性で「スポーツ新聞」を発刊したというわけか。すごい。それにくらべてうちの内川は……。
思い出すと情けなくなるので、ここで思い出を止めて置いた。
桂さんと泉州のふたりが別の鍋で野菜ばかり食いつづけている。聞かれていない様子だ。
「そうか、わかった。だが、応援団のイメージははっきり言うが、あまり芳しいもんじゃない。それだけは覚悟しておいたほうがいいぞ」
話を一通り聞いて、麻生先生は頷いた。また牛もつ肉をさらにたっぷり盛り込んだ。
「強制的なイメージですか」
「そうだな。教師の、しかも担任の俺が言うのもなんだが、人間は命令されるのを嫌う生物だ。とかいいながらも、そうされることによって成り立っているのが社会でもあるが。もし藤沖が応援団を結成するのならば、まずやるべきことは『どういう団員を集めたいのか』をはっきりさせることだ」
話しながらも口はしっかりともぐもぐ言わせている。藤沖はいつのまにか正座している。
「でないとだ、やたらと物を壊したがる生徒だとか、威張りたがる奴とか、思ってもみない奴らが集まってくる。本気で青大附属を応援したいのかどうか、それをきっちりと見極めることだ。そのための目を養うことだが」
「はい、わかってます」
神妙に藤沖は答えた。麻生先生はたれを小皿にたっぷり注いだ。
「あくまでも、俺個人の考えだが、藤沖、お前はもう少し結成の時期を延ばしたほうがいいように思う。もちろん、応援団そのものは喜ばしいものだ。気合が足りないからなあうちの学校の生徒たちは! だから、ケツをひっぱたく意味でもそれは必要だろう」
「反対、でしょうか」
少し、弱々しい藤沖の答え。
「だが、いきなり学校全体の応援をする前に、まず足元を固める必要があるんじゃないのか? まず、うちのクラスの応援体制を整える、また同時に団結力を持たせること。それを二学期以降の目標としてまずクリアすることが必要に感じるぞ」
「うちのクラスをですか」
「そうだ。お前もよくわかっているだろうが、まだまだ英語科の連中は他人行儀なところが抜けていない。特に女子たちとの繋がりが弱い。これを何とかしたいと一学期の間、藤沖といろいろ相談してきたが、やはりこれは長期戦でやるしかないと腹をくくったよ、俺は。少しずつ、時間をかけて、これから先どうやってよい関係を作っていくか、それをまずはA組で藤沖が組み立てていく方が、後々応援団を運営していくに当たってプラスになるんじゃないのか」
「はあ」
かなり不満そうだが、素直に答える藤沖。きっと本心はそう思っていない。
「麻生先生のおっしゃることはごもっともだと思います。ですが」
また乙彦を見た。頷いた。
「俺は正直、評議委員向きではないです」
「おいおい、なんだいきなり」
「すべてのクラスメートに対して、公正な立場で接する自信はありません」
「……立村にか」
ぎょっとした顔で藤沖が黙り込む。乙彦と片岡は顔を見合わせた。
麻生先生は肉くさい溜息を、たっぷり吐いた。どうでもいいんだが、焼いている時の肉のにおいと、口臭と化したにおいとどうしてこうも違うのだろう。
「はい。ですが、逃げる気はありません」
藤沖は言い切り、乙彦を手招きした。しかたなく並ぶ。
「この一学期中、俺なりに考えた結果です。俺はA組の評議委員として、クラス全員を一丸とさせるための努力はしてきました。ですが、どうしても公平さに欠けた判断をしてしまいます。これは自分でも自覚があります」
「自覚があるなら直せばいいだろう?」
「はい、もちろんです。俺はそうします。ですが本当は俺よりも適任者がいます」
乙彦の肩を叩いた。藤沖のいつもの癖だ。身体をこわばらせたまま乙彦は黙っていた。
「関崎、こいつは外部生ですが、俺よりも器はでかいし、何よりも先入観なく人を見られる力を持っています。たまに突っ走ってしまうこともありますが、この一学期の間俺は関崎を観察してきて、本来なるべき評議委員はこいつなんだと思うにいたりました」
「おい、藤沖いきなりなんだよ。俺は規律委員に」
また言いかけた乙彦に、藤沖は肉の吐息で黙らせようとした。
「附属上がりの俺たちにはどうしても、中学の出来事を基準にして物事を判断してしまう癖があります。もちろん俺も、その先入観は捨てるよう努力します。ですが、このままいいかげんなままA組の運営を俺が行っていくよりも、まっさらなままでうちのクラスを見つめていける関崎に、早い段階でバトンタッチしたいと考えています。もちろん、俺がA組を見捨てるわけではなく、クラス内を運営する力を早い段階で、譲りたいだけです」
麻生先生は頷きつつ、口を動かしつつ、聞いていた。
「関崎にはその意志を早い段階で伝えてあります」
事実ではある。頷いた。麻生先生と目が合った。
「麻生先生、現在クラス内の問題のひとつとして、立村の孤立化を挙げられてましたが、俺もそれは正直なんとかしなくては、とは思います。ですが、俺自身どうしても、受け入れられない価値観の持ち主を受け入れるほど、器はでっかくないです」
「それを広げる努力は」
「もちろんしますが、その前に卒業してしまう可能性もあります」
切り返した。
「今、俺たちが考えるべきは、一刻も早くクラスから孤立した立村を迎え入れる体制をこしらえることです。俺にはその力がない以上、まずそれができる関崎を迎え入れたいと考えます。その上で、俺は、俺なりに自分の器をでかくするよう努力します。先生、関崎なら絶対にやりとげてくれます。まだ後期改選まで時間がありますが、その時は応援、よろしく、お願いします」
いきなり藤沖が乙彦の後頭部を思いっきり下に押し下げた。
──藤沖は、早く応援団を結成したいんだな。だからだ。
今の話の内容から判断するに、藤沖の心はすでに、二学期以降の応援団結成に向かっている。しかし麻生先生からやんわりとストップをかけられた以上、なんとしても前に進みたい。そのための理屈として、乙彦を引っ張り出したのではないか。
──だが、その気持ちはよくわかる。
日々、応援団への想いを語る藤沖に「なんで俺をいいカモにして!」と怒る気はさらさらない。むしろ、そこまでして自分の目標を達成しようとする藤沖に、ほほえましいものすら感じた。やっぱり一本気なところが、自分と同じなのだろう。
「関崎、お前はどうなんだ? もし、藤沖からバトンタッチされたら」
「される前から、立村に関する件は何とかしたいと思ってます」
乙彦もしゃちほこばったまま、答えた。付け加えた。
「ですが、藤沖が一刻も早く応援団を結成したいのだったら、俺は協力します」
「協力するとは?」
麻生先生の箸が、乙彦の小皿に向いた。
「評議委員を受けます」
おなかの底から答えた。
藤沖に向かった。
「事情はよくわかった。その時は全力で協力する」
どちらからともなく握手をした。汗ばんでいた。ぎっちり握り締めた。
「いいか、今の話、絶対に言うなよ、片岡」
「言わないよ」
桂さんと泉州さんが二人の世界をこしらえて野菜を食らっている間、藤沖は片岡に念を押した。何度もこくこく頷いているのに、しつこく続ける。
「絶対にな。西月にも言うなよ」
「……なんで」
吹き出したのは麻生先生だった。やはりここの場面では笑えない乙彦だった。
「西月に話したら、泉州にばれるだろ」
「でも、まだ口、利けないままだよ」
「ばかもの! 手紙って手があるだろ!」
「あ、そっか」
口を押さえて片岡は改めて大きく頷いた。
「わかった、約束する」
「それにしてもまだ、あいつはしゃべれないのか?」
声を潜めたまま、藤沖は片岡にささやいた。かろうじて乙彦も聞き取れた。
「うん。ずっと、筆談。でも、うちで毎日、勉強いっぱいしてるって母さん言ってた。すごく頭いいって」
「そうか」
それ以上は尋ねなかった。向こうから話をしない限り、乙彦は知らないふりをすることに決めていた。水鳥中学時代は決して自分が選ばないやりかた、でも今の乙彦はそれを必要だと理解していたつもりだった。片岡の事情が乙彦には想像しきれないものだということも、感じていた。共通するのはただ、焼肉が美味しいと感じること。今の共通点さえ楽しめればいい。また、理解しあう時間は、たくさんある。藤沖の守るべき後輩のことも、立村と杉本のことも、片岡の事情も。それはまだ、じっくり向きあっていけばいい。
「じゃあ俺、洗い物します!」
乙彦は立ち上がった。空になった鍋と皿と小皿をまとめて盆に載せた。野郎全員が立ち上がらなくても、ここはひとりで全部洗うのが客人としての務めだと、改めて思った。




