高一・一学期 53
藤沖はしばらく俯いたまま、ゆっくりとポケットに手をつっこんだ。
「関崎も事情は古川から聞いているだろうが」
乙彦の顔を見ないまま続けた。
「この問題は俺が会長をやっていた頃から火種が存在していた。きっかけは生徒会改選の際に起こったトラブルが原因だ」
「聞いたことはある」
確か、立村が後期評議委員長の座を明け渡すはめとなったのが、この事件と聞いている。
「だが、お前が聞かされていることとは、事情がおそらく違う」
ひっくり返すようなことを藤沖は口にした。
「俺は次期生徒会役員を選ぶ際、一切口出しをしなかった。評議を初めとした委員会の場合は、早い段階で委員長教育を先輩が後輩に施したりすることもあったが、俺はそういうやり方が気に食わなかった。あえて、すべて、捨てておいた。誰が会長に選ばれたとしても先輩としてそれ以上言うべきことではないと判断していたわけだ」
──非常に、俺にとっては耳の痛い話だ。
無理やり内川を水鳥中学の生徒会長に引きずり込んだ乙彦としては。黙って聞いていた。
「その結果、生徒会長には佐賀が、副会長には霧島が入った。残りのポジションを他の生徒会役員たちが占めたのは思っていた通りだ。俺なりに、それはそれでまあよかろうと考えていた。佐賀の噂は新井林を通じて耳にしていたし、非常に賢い女子であることは俺も確認する機会があったしな。どちらにしても、会長に関しては異存はなかった」
「副会長には、異存があったのか」
藤沖は首を振った。
「ない。俺の贔屓目もあるのだろうが、霧島は頭の切れる逸材だ。多少、男尊女卑的思想が強いところもあるが、あいつの外見である程度はごまかしがきく。生徒会役員としては完璧だろう」
──そうだろうか? 明らかに贔屓目だ。
実際の霧島と会話を交わしたことのある乙彦には疑問が残った。が、黙っている。
「だが、問題は他の生徒会役員だ」
言葉を切り、しばらく考え込む。
「まず、霧島を引きずり込むきっかけは、あの女子が……わかるな」
名前を出そうとしなかった。おそらく、渋谷という例の女子のことだろう。乙彦は頷いた。藤沖ははたして、ふたりきりの時にどういう呼び方をしているのだろうか。乙彦に対しては「あの女子」で押し通すつもりのようだった。
「あの女子が、霧島を口説いたらしい。口説いたと思い込んでいる。霧島自身はそれを否定しているが、生徒会入りするきっかけにはなっただろう」
「口説いたとはどういうことだ?」
「つまり、あの女子は、霧島に惚れていたというわけだ」
わかりやすく一行でまとめた。
「霧島との接点を持たせるために、生徒会役員へ引きずりこもうとしたわけだ。霧島も、自分の姉が関わっている評議委員会を敵視していたせいか、生徒会役員への立候補には異存がなかった。そこで、あっさりと立候補したわけだ。ただし、本人の意思としては会長にだが」
──一年生が会長に立候補か。
ますます、内川のお気楽な満面の笑顔が思い浮かぶ。あいつ、相変わらず馬鹿やっているんじゃないだろうか。心配だ。
「だが霧島は副会長に」
「そうだ。霧島は佐賀に惚れていた。だから、相手に花を持たせざるを得なかった」
「ちょっと待ってくれ!」
乙彦の知っている青大附属中学事情細工が、頭の中でがしゃんと壊れた。遮らざるを得なかった。
「霧島が、か」
感情の篭らない返事が返ってきた。
「そうだ。詳しいことは知ったことではないが、とにかく霧島は佐賀を、女子でありながら心底崇拝している。これは今でも、だ」
「崇拝?」
頭の悪い女子は大嫌いだ、といわんばかりの言動を覚えている。もちろん乙彦も霧島の気持ちが理解できないわけではないのだが、少し過度ではないかと感じたのも事実である。また、佐賀はるみに対して「賢い」という形容詞が不釣合いな感じがしたのもある。礼儀正しく、どことなく水野五月に似た雰囲気の物腰の柔らかさが印象に残る、それだけだが。
「霧島は、礼儀正しい女子が好みなんだな」
「いや、賢い女子が好きなだけだ。あの女子のように、自分の興味を惹こうとして、無駄な努力を繰り返す相手ではなく、きちんと男子を立てて、思いやりを持って接しようとしてくれる、そういう女子が、霧島は好みだった。そのことをあの女子は、最後まで気づこうとしなかった」
「あの女子」と呼び慣わす藤沖。わざと渋谷のことを無機質にしようとしているようだ。
半分わかったようでわからない。だが聴くのは礼儀だ。
「生徒会役員が無事改選された後、佐賀生徒会長によって規律正しく運営されていった青大附属中学生徒会だが、唯一の問題はあの女子と霧島との諍いだった。もちろんあの女子は、自分をアピールするためにわざと頭がよさそうに振舞おうとしたのだろう。それは理解している。だが、第三者および霧島からみればそれは、すべてお見通しだ。無駄な努力と、軽蔑とがぶつかり合い、空気は険悪になっていたようだ。俺も会長を降りてからはほとんど生徒会室に立ち寄らなかったので、伝聞でしかないが」
「俺は生徒会から引退しても、しょっちゅう通っていたが」
乙彦の言葉を思いっきり無視して、藤沖は語りつづけた。
「表向き、生徒会はうまくいっていたようだ。評議委員会が握っていた権力を、ある意味『大政奉還』という形でもって取り戻し、今でも規律はしっかりと守られる形で運営されているはずだ。だが、あの女子が必死に、賢さをアピールしようとすればするほど、霧島はうんざりし、嫌悪感を持った。霧島は話していたな。あいつの姉にそっくりだと」
話が最初に繋がった。乙彦は藤沖の隣に近づいた。
「顔がか」
「違う。自分の置かれた立場、および能力を省みない言動が、だ」
確かに、乙彦と古川こずえとの会話でも、霧島は繰り返し「愚かな女子」を激しく罵倒していた。その中に例の寝小便しでかした渋谷という女子が混じっているのは承知していたが、そこに潜む憎しみは自分自身の姉から出ていたものなのか。また、その姉は藤沖にとって、心の片隅に残る淡い思い出。果たして藤沖は、何を言いたくて長い説明をしているのだろう。
「俺も、霧島が迷惑がる気持ちは理解できた。卒業してから何度か生徒会室に足を運んで、霧島や佐賀の相談を受けていた。俺にとって生徒会という場所は、かけがえのない場だった。それがくだらないいざこざで汚されるのはたまったものではなかったからだ」
「だが、藤沖、お前は」
言いかけた。藤沖の気持ちは、その霧島の姉のもとに存在していたのではなかったのか?
「霧島は姉にそっくりだ。やたらと自分を大きく見せたがるが、結局のところ気弱なところを隠しているだけだ。また外見も瓜二つだ。姉弟同士が憎しみあっているのは実のところ、合わせ鏡の部分があるからではないかと、俺は観察している」
言われた意味が全くわからないが、まずは聴く。
「それぞれの話を聞いて、俺もさすがに先輩として介入を必要だと感じたあたりで、修学旅行の時期となった。それからの出来事は、古川がリアルに説明してくれただろう」
乙彦は頷いた。
生徒会役員経験のある乙彦にはもちろん、藤沖の心理は全くもって他人事ではない。
自分が確かにあの場所で精一杯戦った、その記憶が今の乙彦を支えている。
藤沖もおそらく、同じなのだろう。
同じ場所でぶつかり合ったそのフィールドが、いとおしい。
同時に、かつての自分たちと同じように、不器用な格好でばたばたやっている後輩たちを見ると、どうしても手を出さずにはいられなくなる。なんとかしろ、そう怒鳴りたくなる。もちろんその後しっぺ返しを食らわされるのは自分なのだが。
「霧島は性格的にも潔癖だ。さらに、しつこく迫られて鬱陶しいあの女子を追っ払うチャンスとも思ったのだろう。幸い、生徒会長の佐賀が機転を利かせてうまくとりもったが、結局のところあの女子の居場所は、どこにもなくなってしまった。結果としては杉本が泥を被ると言うことで話がつき、なんとか幕を下ろせそうだが、事実がばれない保証はない。また、あの女子が手首を切らないという保証もない。霧島が一切、あの女子を受け入れないと決めた以上、どこかに逃げ場所を用意しなくてはならない。俺が、非常識とわかっていながらも理不尽な願い事をしたのは、そういうわけだ」
「そう言うわけだと言われても、正直俺にはわからないが」
話を終わりにするつもりだとしたら、乙彦には消化不良のままでいろということになる。
「確認させてくれ。霧島が例の寝小便事件をうまく利用して、彼女を生徒会から追い出そうとしたと、そういうことなのか? それを藤沖、お前は了解したのか?」
「そうせざるを得ない」
「となると、ひとりの女子に丸ごと罪をかぶせることになる。下手したらその女子はずっと軽蔑されたまま、卒業することになる」
「一言もない」
藤沖は言い訳しなかった。思わず乙彦もいきり立った。真正面に立ち、ぐっと接近した。暑苦しかった。
「そうせざるを得なかった状況があったんだな」
答えがなくとも、それしか返答がないことはわかっていた。
頭の上を完全に青葉が覆い、しばらく烏が鳴いていた。
知らぬ存ぜぬで嘘八百を飲ませようと藤沖が考えているはずがない。
堅物でいけば乙彦ととんとんだろう。
そんな藤沖がなぜ、杉本梨南に罪をかぶせようとしたのだろうか。
霧島の姉に懸想していたからなのか。
霧島の姉が自殺しそうになったのを救うことができなかったからなのか。
そして、その弟をかばおうとするのはなぜなのか?
いやなによりも、なぜ渋谷というその女子を、守ろうと思ったのか。
乙彦は思いついた言葉で、つなげて口にしてみた。
「霧島の姉の事を教えてくれ。藤沖、お前がそんな理屈に合わないことをしてしまうほど、その女子はすごかったのか」
「すごい、というのは変な言い方だ。少し言葉を選べ、関崎」
感情を交えずに藤沖は言い返した。
「何かの理由で間違ってこの学校に入ってしまい、苦労していた。成績は悪かったが今のお前のように日々努力を重ねていた。だが、結局は青大附属から出て行くことになった」
「それは聞いた。俺が聞きたいのは」
「もしかしたら、俺たちは彼女のためにもっと早い段階で何かできることがあったのではないか、それを今改めて思う。学校を追い出される前に救うことはできなかったのかとな」
淡々と続ける藤沖。若葉が揺れる。顔に影がかかる。
「だが、霧島の姉は今、可南女子高校へ行っていると聞いたが」
「ああ」
「青潟市内で暮らしているんだ、住所も知っているだろう。いくらでも、今から守ることはできるだろう」
「いや、できない」
「なぜだ?」
乙彦の問いに、藤沖は顔を挙げた。かすかに頬をゆがめた。
「名前は出さないが、うちの学年の男子ひとりが命掛けで、彼女を守っている」
「誰だ?」
「お前が知る必要はない。ただ奴は、今でも命がけで、守り続けようとしている。もちろんできる範囲でだが。彼女が二度と死を選ぶことのないように、できるだけのことをしているようだ。霧島とも直接連絡を取り姉の様子を聞いているようだ」
そこまで一気に言い切った後、藤沖はぽつりと呟いた。
「俺の出る幕などない」
──藤沖は本気で、霧島の姉を。
いくら恋愛沙汰に疎いことを自覚している乙彦でも、察することはできる。
「彼女のことはどうでもいい。だが俺は、元生徒会長として、同じ形で退学してしまう生徒を出したくはなかった。どんなに理不尽なやりかたであったとしても、俺が守るのはひとつの義務だ。生徒会における霧島の立場や、その他いろいろなしがらみを考慮し、俺が判断したのがこのやり方だ。俺は軽蔑されるだろう。だがそれが望みだ」
「軽蔑? 誰にだ?」
問い返す乙彦に、吐き捨てるように、
「俺の価値観を知る、すべての奴らにだ。俺はもう、立村を軽蔑する資格を失った」
「ちょっと待て、立村を軽蔑する資格とはなんだ」
慌ててさらに問い返した。やはり藤沖は青大附属の人間である。男子であっても話がどんどん広がっていってしまうのはなぜなのか。藤沖は苦みばしった顔で無理に微笑んだ。
「自分の居場所を得るために、他人をずたずたに傷つけた挙句それを隠してもぐりこもうとした、そのことが俺は許せなかった。だからあいつとは縁を切った。だがその一方で俺は同じことをしようとしている。そのことを認める以上、俺はあいつと同じ、人間として許しがたいことをしているということだ。しかも、それを俺は正当化し、反省などせずにそのまま押し切る覚悟でいるわけだ。こんなやり方を関崎、お前は認められるか?」
「認められない」
反射的に答えた。また、苦笑いを浮かべて藤沖は頷いた。
「お前ならそう言うだろうと思った。だから、お前に、先に話した」
じっと乙彦を見据えて、ポケットから両手を出した。鞄はいつのまにか足元に置いたままだった。
「後でいろいろ噂が流れてくる前に、お前にだけは本当のことを話しておきたかった。その上で軽蔑されるのなら、本望だ。俺は今まで生きてきた中で、卑怯な嘘だけはついたことがないというのが誇りだったが、結局は立村と同じ穴の狢だった。どちらにしてもばれるだろう」
自嘲しつつ、また俯いた。乙彦の視線から目を逸らそうとする。唇をかんだまま、すっと真横を見つめた。こぶしがいつのまにか形作られている。表情は、草の陰に遮られて読めなかった。
──藤沖はなぜ、俺にそういうことを話したんだろうか。
じっと視線を逸らさぬまま、乙彦は考えた。
──俺に嫌われるためか。立村と同類だというのが自分で許せないからか。
言葉の端々に現れる「立村と同類になってしまった」ことへの怒り。それが藤沖自分自身に向けられている。激しく自分を責めると同時に、立村の過去の言動を怒っている。
──そんなに、藤沖は立村のことが許せなかったのか。
ふたりの不仲については、古川から聞いた話でしか判断できない。どんな話を聞いたからといって、ふたりを嫌うつもりなどない。ただ、今回の出来事に対して、藤沖がとったスタンスを素直に受け入れることは難しいと感じただけだ。ひとりの女子に罪を押し付けるのはどういうものか、しかも立村が納得していない状況においてだ。
──俺は、藤沖が今回とった行動を納得していない。
──だが、藤沖と縁を切るつもりはない。
それを伝えねばなるまい。
「藤沖、俺はそんなことでお前を軽蔑するつもりはない」
乙彦はまっすぐ、動かず、はっきり発した。
「お前のしたことを正しいとは思えない。それは俺の本音だ。だが、今の話でそうせざるを得ない事情があったことだけは理解したつもりだ」
「関崎、お前は」
いかつい藤沖の顔に浮かんだものは、明らかに驚きだった。口をぽかんと開けている。
「これから俺たちが考えるべきは、『これからどうするか』ではないのか?」
「これから?」
「そうだ」
言い切った。
「俺もどうすればいいか今の段階ではわからないが、藤沖が考えている以外の方法でまだ道は見つかるはずだ。それをこれから、考えていかないか」
両肩に手をかけた。軽く揺さぶった。
「まずは片岡の家に行って、焼肉を食わせてもらってから考えよう」
「関崎、本当に、俺を軽蔑しないのか?」
「しない」
藤沖の肩に手をかけた瞬間、ぐるっと何かが逆回り回転しはじめたような気がした。
汗ばんたシャツの下から感じるぬくもりに、弱々しい揺れを感じた。
──もしかしたら藤沖が俺にやたらと肩を叩いたり触ったりしてくるのは、俺がガキっぽく見えたからなんだろうか?
瞬時に消えた、その分析。乙彦はすぐに忘れた。もう一度藤沖に伝えた。
「悪いが、片岡の家に、連れて行ってくれないか」
「ああ、わかった」
慌てて藤沖が歩き出した。後ろからゆっくりと乙彦はついていった。この林に足を踏み入れるまで押さえられていたたずなが、何時の間にか乙彦の手に戻って来ていた。指示を出すのはいつのまにか、「兄貴分」だった藤沖から「弟分」だった乙彦に移っていた。




