第8話
初めての夜の見張りだと言うのに全くと言っていい程眠気に襲われる事は無かった。
焚火に照らされた周囲、森の奥は暗闇によって見えないが、森の音、木々の間から垣間見える夜空、その全てが新鮮だった。
俺はこんな状況にも関わらず、目を凝らし感動を覚えている。
流石に死にたくはないからしっかり見張り番をしつつではあるが、この光景を見たら向こうの世界の人々は驚くどころではないだろう。
向こうの世界はあと何十年持つかも分からない。
公表されていないみたいだが昔、親父の書斎である報告書に目を通した事があった。
もちろん無断でだが、それによるとこのまま人が増え続けた場合、アガルタの酸素供給量が追いつかなくなるらしい。
その他にも年々上昇している地上の温度の問題。
途中で親父が入ってきた為詳しくは見れなかったが、この二つだけでも重大な問題というのは分かる。
人間が地上に出られなくなれば、アガルタの資源は今以上にきつくなる。
出生率を調整すればいい話だが、男女比率やなんだとなかなか簡単な話ではないらしい。
これから先の未来は今まで以上にきつくなるんじゃないか。
きっとユイ達のような行動を起こす奴等も爆発的に増えるだろう。
とにかく人類の滅亡する時代は遠くないのかもしれない。
だからこそ親父達の研究チームは此方の世界に行く方法を模索していたのかもしれない。
まあ俺達が無事な事を知らせない限りは成功したとは言えないだろうけど。
俺は眼前に広がる光景を見つつ、そんな事をずっと考えているとあっという間に時間が経過したらしくユイが起きてきて交代すると言ってきた。
時計がないのはかなり不便だが、そこは体感でなんとかするしかないか。
陽が昇れば太陽の位置でなんとなくは…待てよ、こっちの太陽と向こうの太陽は違うんだよな。
まあいいか。
俺は上着を枕にして硬い地面に寝転がる。
ベッドが恋しいがこればかりは慣れていくしかないだろう。
その後、眠りについて朝まで寝ていたらしく気がつくと太陽が昇っていた。
「なんで起こさなかったんだよ。」
「気持ち良さそうに寝ていたから。」
ユイの顔を見るなり俺が言った言葉に対し、平然と返す彼女に俺は少なからず狼狽する。
「今日はどっちに「しっ!」」
言葉を被せるユイは口元に人差し指を立てる。
緊迫した雰囲気を醸し出し、周囲を伺うその姿を見て自然と腰に差した【刀】へと手が伸びた。
「おかしい…。ずっと聞こえてた鳴き声がしない。」
「鳴き声?」
今起きたばかりの俺にはなんのことやらさっぱりである。
「おいおい心配しすぎつっ!?」
突然腕から伝わる痛み。それもなにかが身体に突き刺さった激痛が左腕から走る。
それが矢だと認識するのに数秒かかった。
「避けて!」
ユイが叫ぶと同時に茂みの奥から放たれた第二の矢が俺に向かってきていた。
それと同時にユイが押しのけるように抱き付いてくる。
「ぐわっ!」
突き刺さった箇所に響く振動による痛みに声を上げる俺とは違い、ユイは即座に拳銃をホルスターから抜き茂みの奥に発砲する。
茂みの奥から聞こえたなにかの声は痛みによる悲痛を上げているように聞こえた。
「手応えががあった。」
ユイは拳銃を構えたままゆっくりと茂みに近付いていく。
俺はというと自分の腕に突き刺さった矢に唖然としていた。
「血…。」
そこから流れているのは血だ。
そう血なんだ。真っ赤な色の血が徐々に腕を伝い流れ落ちる。
これが矢の痛み。これが血。
今まで感じた事のないものだった。
混乱とは逆に冷えるように思考が冷静になっていく。
痛みからなのか、自分の血を見たからなのかは分からない。
ただ、言えるのはここは決して安全な場所ではないという事だ。
俺は起き上がると【刀】の柄を握りしめる。
引くという動作と一緒に鞘と刀身が擦れる音が聞こえ、綺麗な波紋を浮かべる全ての刀身が露わになると、俺はユイを追い越して茂みの中へ。
「ちょっと!危険すぎる!」
直前にユイは声をかけるが俺は止まらなかった。
それを無視して茂みを越えると、草の地面の上で血を流し、辛うじて息をしている異形な生物がそこには居た。
金属の胸当てを付け、腰に皮を巻き手足が2本づつある背の低い人型の異形生物だ。
肌は緑色よりも少し明るく目は宝石を埋め込んだように丸く赤い。
手足は細いが腹がぷっくりとでていて鼻が潰れている。
口には尖った刃のような歯が並び血を吐いた後があった。
俺を攻撃したであろう小型の弓を手に握りしめ2発の弾丸で風穴を身体に開けている生物は、仰向けの状態で虫の息になっている。
俺はそれの横に立つと【刀】の切先を人間で言う心臓の位置に垂直に向け、片手に力を込めて突き刺した。
肉を断つ感触が【刀】から伝わり、瞳から光が失われた生物は絶命する。
力の入らない左腕がダランと垂れ下がり、右腕で【刀】を一振りし、刀身に付着した血が地面に飛び散る。
それから鞘に治して、矢を左腕から引き抜くと異形生物の死体に放り投げた。
いつの間にか左腕の痛みも消えていた。
僅かながら力も入るようになる。
自分の思考かと疑いたくなるほど頭の中はクリアになっている。
俺はユイのいる場所へと戻ると、力が抜けたように膝が崩れ地面に尻餅を着いた。
初めて生き物を殺した感触が生々しくまだ手に残っている。
さっきの感情はただ目の前の危険を排除する為に、自らの良心の呵責が外れていた。
まるで自分が自分じゃないみたいに。
「腕を見せて。」
辺りに危険がないかを探っていたユイは杞憂に終わったらしく、俺の腕を掴み屈んだユイの胸元まで強引に持ち上げる。
「………。」
何故か腕を見て無言のまま固まっているユイの腕を振りほどいた。
「なんだよ?手当て出来ない程酷かったのか?」
「傷が塞がってるみたい。」
「はあ?」
あり得るかよと思い、自分の腕を痛み覚悟で触ると、服に穴が開いているだけで、自分のいつもの肌を触っているのとなんら変わらない。
まるで最初からなかったかのように傷がなくなっている。
でもそれは可笑しい話なのだ血痕は残っているのにそこに在るべきものがないなんて。
なによりあの痛みは本物だった。
なんで?という疑問符が数多に生まれるが、ユイは俺の考えを振り払うように手を引いて強引に立たせる。
「とにかくここにこうしていたら危険よ。先に進みましょう。」