誕生
その夜半、月の宮に大きな産声が響き渡った。
「…お産まれです!王の第二皇子様であられまする!」
…やはり弟か。
柊は、響き渡る治癒の者の声にそう、思った。
本来、王座争いの元になるので弟が生まれたとなると犬神の宮の皇子達は皆、嫌がるものだったが、柊は違う。
漸には他に皇子が居ないので、宮の雑務は一切が柊の肩にかかっていた。
なので、早く育って手伝って欲しい、というのが柊の考えであった。
漸は何故だか女に通う事に消極的で、子は少なく、他に生まれていた皇女も体が弱くて成人前に亡くなっていた。
残った柊はたった一人で、跡目を継ぐのは柊だと決め付けられて育った。
か弱く愚かならそうではなかっただろうが、柊は幼い頃からそれは優秀だった。
父親がいきなり外に出るとか言い出した時も、留守を預かる柊が居るので誰も文句は言わなかった。
外は未知の世界で習慣も決まりも何もかも違うと分かった時にも、いち早く指示を出して伯と貫に細かく調べさせたのも柊だ。
それを漸にも共有したが、漸は面倒を嫌うので、なかなか学びが進まなかった。
柊は、まだ成人していないので表に出るのは嫌い、全てを臣下に指示してやらせていたが、そろそろ限界だ。
成人前では侮られるので、本当なら外へ出るのもまだやめておきたい心地だったが、そうも言っていられない。
なので、弟らしい子を連れ帰る任を漸から命じられた時も、受ける事にしたのだ。
いくら父王でも、納得が行かない命令には従わないのが柊だった。
こうして出て来たからには、弟には育ってもらって、自分が外に居る間の宮を、きちんと見張る役をして欲しかった。
とはいえ、まだまだ先になるだろうし、腹の子の能力もまだ分からない。
軍神達には、せいぜい励んでもらい、弟を育て上げて欲しかった。
乳母が、白い包みを抱いて入って来て言った。
「柊様。お名はどのようにと、王からお聞きされておりますか。」
柊は、その包みを覗き込んだ。
普通よりは大きめのその皇子は、自分とよく似た顔で涙に濡れた目でこちらを見ていた。
「…慧。」柊は、言った。「父上からは、弟の名を慧とすると聞いておる。」
乳母は、頭を下げた。
「はい。これより我ら第二皇子様付きの臣下一同、慧様をご立派にお育て致しまする。」
柊は、頷いた。
「頼んだぞ。」
何としても、王座を争えるほど優秀な神に。
柊は、慧を見つめながらそう思っていた。
王座など柊には、必要だとは思っていなかった。
面倒な地位など欲しくない。だが、慧を見たら犬神の血は半分で、気の大きさには問題ないものの、恐らく臣下は王として慧を立てることはしないだろう。
柊は、また次の皇子を待たねばならぬかと、ため息をついたのだった。
その知らせは、各宮に飛んだ。
犬神の宮第二皇子慧が誕生し、瑞花はかなり体力を失ったものの、無事に出産を終えた。
維月は、夜中だったが十六夜からの連絡に、ホッとして言った。
「良かったこと。一時はどうなることかと。」
維心は、寝台の上の維月の隣りで頷いた。
「良かったの。今、蒼からの書状が届いておるのが見える。あちこち連絡を送ったようだの。他の宮には急がずとも良かったのだがな。こんなに急いで知らせねばならぬのは、犬神の宮ぐらいぞ。」
維月は、言った。
「それでも皆様案じておられましたから。これで良かったのですわ。それにしても、柊様とはお会いしたことはありませぬが、十六夜が言うには漸様より格段に落ち着いた様のかたらしゅうて。何やらあちらが父親のようだと、蒼も申しておったそうです。」
維心は、考え込む顔をした。
「そういえば、漸は柊の話はせぬな。柊も、我らの前に出て来ようとはせぬ。月の宮に来たのが初めてではないか?我も会ってみたいもの。」
維月は、頷いた。
「はい。次の王であられるのですしね。とはいえ、漸様にはまだまだお役目があるのでしょうし、代替わりなどずっと先でありましょうが。」
維心は、苦笑した。
「確かにの。とはいえ顔ぐらいは見ておきたいものよ。」と、維月を引き寄せた。「休もうぞ。その話はまた明日。」
維月は、維心の胸に頬を寄せた。
「はい。おやすみなさいませ。」
そうして、その夜はふけて行ったのだった。
漸は、その知らせを犬神の宮で受けた。
再び皇子の誕生だったので、宮ではお祝いムードだった。
というのも、柊がとても優秀な皇子だったので、それがもう一人と思うと、臣下達も心強いと感じたからだ。
漸から見て、柊は幼い頃から何やら落ち着いていて、命じにくい息子だった。
漸が面倒だと政務を丸投げしてしまう時があっても、柊は幼いうちからこなしてしまい、後で漸に説教までする。
まるで父か兄のようで、扱いづらいとは思っていたが、それでも宮の事を滞りなく回すのを手伝ってくれるので、それには助かっていたし、好きにさせていた。
臣下達も、漸が取りこぼした事を、柊が臣下より先に気付いてさっさと処理してくれるので、助かるようで漸より先に柊に言って、処理させてしまう事も多かった。
それがまた面倒を嫌う漸には有難かったので、漸は柊に任せきりだった。
柊は、だが外へ出て行こうとは全くしなかった。
一度、外を見て来るかと月の宮行きを勧めた時も、貫から報告を受けているので必要ない、成人していない自分は外では侮られるので出たくない、と頑なだった。
漸は、言われてハッとした。
言われてみたら、まだ柊は成人していなかった。
その時やっと気付いたぐらいなので、柊は思えばかなり幼い頃から、漸を助けてやって来たのだ。
そう考えると、柊はとんでもなく優秀なのだと漸は思った。
柊無しでは今の外との交流が始まった宮の管理はなかなかできないし、そうなると漸は、柊の望みを聞くしかない。
柊は、身に過ぎた事をすることもないし、おかしな願い出もしないし、何でも口出しして来るわけではない。
なので、基本的に柊が言う事は、漸は聞くようにしていたし、王達にも積極的に柊の話をすることはなかった。
だが、今回の事は、さすがに自分の子の事でもあるので、他の誰かに任せる気にはなれなかった。
また嫌な顔をして断られるかと思ったが、柊は意外にもあっさりと頷いて、さっさと準備して月の宮へと向かった。
初めて外の宮との交流に行くというのに、構える様子も全くなく、落ち着いたものだった。
その際、十六夜が腹の子は男だと言っていたこと、なので生まれたら名を慧として連れ帰るようにとのことを申し渡して、行かせた。
あちらでは、柊は蒼とも高瑞とも対面し、そつなくやっているようだ。
やはり、柊は外でも問題なく優秀なのだろうと思うと自分と比べられるような気がして面白くなかったが、漸はもう、面倒なので何も考えないようにして、今回の事は全部柊に任せてしまおうと、そのことについては考えないようにしてしまったのだった。
瑞花は、今回ばかりは死ぬかと思った。
比呂を生んだ時にはここまで難儀しなかったのに、今回の子は自分の体を気遣うような、そんな感じは全くなく、ただ、外へ出るのだという意思の下に、グイグイ押して来るので気を失いそうになったのも、一度や二度ではなかったのだ。
顎がつっかえていると言われて、一度押し戻すと言われた時には、もう無理だと思った。
それでも、何とか治癒の神達の必死の補佐で、自分は無事だったし子も無事に生まれて来ることができたのだ。
生まれた直後に子を見たが、比呂の赤子の時よりも数段大きな子だった。
本来、もう生まれていなければならない時期を過ぎていたので、大きくなり過ぎていて苦労したのだろうと治癒の神達は言っていた。
そして、無理が掛かった瑞花の体は、子宮が取り返しのつかないダメージを受けてしまったのだと説明を受けた。
つまりは、瑞花はもう、子は産めないだろう、仮に懐妊したとしても、維持は難しいだろうと彼らは診断した。
それを聞いても、瑞花は別に何も思わなかった。
かなり大変な想いをしたのもあったので、もうこんな想いをしなくて済むという安堵感と、自分には比呂も居るし二人の子を産んだのだからもう良いという気持ちとが混ざり合って、特に残念だとは思わなかったのだ。
…後は、犬神の宮へ帰るかどうか。
瑞花は、自室で横になって天井を見つめながら考えた。
こうなったからには、恐らくたった一人の相手しか持てない漸の宮では、王妃などもう続けられないだろう。
漸には皇子は、今回自分が産んだ慧の他に、柊一人しか居ない。
犬神の宮では王は相手をとっかえひっかえして、多くの皇子が居るのが普通だった。
漸にも、多くの兄弟が居て、それは漸が即位と共に、臣下となって今は皇子とは呼ばれてはいない。
あくまでも、その時の王の子が皇子であって、王が死んだ後は王座を継いだ神以外は、全て臣下となってしまうのだと瑞花は知った。
つまりこのままでは、柊か慧が王座を継ぐことになるのだろうが、数が少な過ぎた。
過酷な犬神の宮では、多くを生んでおかないと、王の血筋が途絶えてしまう。
つまり、漸は瑞花一人を守る事はもうできないだろうし、瑞花も今回の騒動ですっかり漸の妃で居る事には辟易していたので、それで良いと思っていた。
むしろ、今回出産の際の障りで妃として務められなくなった、という理由なら、問題なく妃の座を去ることができるだろう。
瑞花は、漸の妃の座からは降りる事を決めていたが、その後月の宮で仕えさせてもらうのか、それとも犬神の宮で軍神となるのか、産みの父の渡に頭を下げて宮で務めをもらうのか、じっと考えていたのだった。




