決定
渡は、王の居間でその書を手に言った。
「…翠明の宮の緑翠の第二皇女、美穂が指南役に決まったようぞ。」
今は皇子の立場に戻って、皇太子の対に戻っている、関が言った。
「ならば、あの綾殿の縁戚であるので、宮も整いましょうほどに。我も、最上位の王達とご同席して、王妃達を目の当たりにしてこちらがどれ程荒んで参っていたのか、ようやく自覚した次第です。」
渡は、ため息をついて側に膝をつく滝を見た。
「わざわざ未婚の皇女が、指南役などかって出てくれたのだ。良い部屋を準備して、皆にはよくよく無礼なことなど無いように申しておけよ。主らがうるさいゆえ、面倒なのに王座に戻ってやったのだ。それぐらい完璧にやれ。」
滝は、深々と頭を下げた。
「は!美穂様には決してご不快な想いはおさせせぬよう、厳しく申し渡しておきまする。」
「翠明に礼の書状を送れ。下がって良い。」
滝は、頭を下げたまま後ろへ下がり、出て行った。
関は、言った。
「…前に父上が王座に居った時より、臣下の態度が格段に徹底しておりますな。」
渡は、ため息をついた。
「どうせ、我自身ではなく我の前世を見ておるのよ。卑屈になりおって、やりづらいわ。」
とはいえ、こうして王座に座る父を見ていると、確かに最上位の王達と比べても、遜色ないほど威厳を感じるのは確かだ。
渡としての記憶でだけ生きていた時より、格段に落ち着いて見えるのだ。
長く生きた記憶があるので、自然そうなるのだろうと思われた。
「…それにしても、炎嘉から文が来て知ったが、立ち合いの会の後に最上位ばかりで維心一人に全員でかかって立ち合っていたそうな。そんな面白い事があると知っておったら、清が負けたからとさっさと帰らずに居残ったのに。全く、我も呼び出すくらいの機転がきかぬでどうするのよと、文句を返しておいたわ。」
関は、相変わらず最上位の王達にもため口の渡に、ヒヤヒヤしながら言った。
「父上、いくら那佐の頃に共に戦ったからと。少しはご遠慮ください。」
渡は、うるさそうに言った。
「うるさい。序列など、必要なら上げてみせるわ。主は文句を言うでない。」
簡単に言う事ではないが、確かに今の父ならやりそうなので、関は顔をしかめただけでそれ以上何も言わなかった。
それよりは、とにかく乱れた宮の立て直しが急務なので、美穂の来訪が待たれた。
翠明の宮では、決まったなら早くと綾にせっつかれて、日程も決まり、如月の会合の直前に渡の宮へ向かう事になった。
美穂は緊張していたが、母親の白蘭が離れた隙に、綾はささっと美穂に寄って行って、小声で言った。
「美穂。構える事は無いのですよ。」
美穂は、ベールの中で綾の方を向いた。
「はい。ですが、宮を出るのも初めてのことで。別の世界に行くようで、大変に構えてしもうて。」
綾は、頷いた。
「分かりますよ。でも、渡様というお方は、見た目には粗野でお言葉も乱暴な所がおありになるのですが、その実大変にお優しいかたで。これは、最上位の集まりで、ご同席した我らしか知らぬことなのですが。」
美穂は、え、と綾を見つめた。
「え、渡様が?」
綾は、頷いた。
「はい。王には珍しいほど、女の気持ちを大切に考えておられるかた。そも、本来ならこうして宮を出て参るからには、娶るのが良いと他の王達はお勧めでしたのに、渡様は勝手に決めるのは否と仰って。女神の心地はどうなるのかと。ゆえ、指南役などという事になったのですの。お歳の割には我が王のように見た目はお若いし、妃も居られぬので娶ることもできるのに、相手が嫁ぎたいと言わねば否と申された。そんな王は、神世には居りませぬ。」
美穂は、目を丸くした。
「え、こちらの気持ちを考えてくださるのですか?」
確かに聞いた事もない。
大体が政略などで、父が勝手に決めて来た場所に有無を言わせず嫁がせられるのが皇女の常だ。
姉の志穂も、そうやって相手に気に入られたので、己の気持ちも固まっていないまま嫁いだ。
だが、幸い炎月がとても慕わしい皇子だったので、それは幸福にやっている。
だが、そんなものは一握りだった。
「…では、渡様の御元ならば、我は問題なく御指南役を務められますのね。」
綾は、頷いた。
「はい。何も構える事はないのですよ。あちらは無理に手を出したりなさらないお方です。ですから、王であるからと遠慮せずに、困った時には渡様に。皇子の関様の妃であられる亜寿美様も、嫁いだ当初は大変にお気遣いくださったと申されておりました。ご心配ありませぬ。」
美穂は、ホッとした顔をした。
「はい。綾様、とても安堵致しましたわ。お教えを胸に、あちらでは立派にお役に立って参ります。」
渡様と婚姻した方が、絶対幸福におなりなのよ。
綾は思ったが、頷いた。
「はい。お気張りくださいませ。あの、渡様には見た目は大変にぶっきらぼうなお方でありますから。誤解なさらないように。」
美穂は、微笑んで頷いた。
「はい。分かっておりまする。母も常、父が教師のようにキツい様で仰るのに、その実お優しい方なのだと申しておりましたし。そのような方がいらっしゃるのは存じておりますわ。」
確かに緑翠は、最初からあの子の教師の心地だったから。
綾は思いながらも、頷く。
これで、美穂の渡への心象は、格段に良いはずだ。
後は、渡がどう思うかだったが、美穂のこの美しさを前に、そうそう突っぱねる男など居ないと綾は内心思っていたのだった。
当の渡はと言えば、全く娶るという気持ちはなかった。
渡として生きて来た生涯でも思っていたが、那佐の時も自分にとって、女というものが、そう大きな重要性を持って来なかったのだ。
闘神の中でも生粋の闘神気質だった那佐と渡は、結局のところ戦うことが真ん中に来ていて、他の事にはあまり興味がない。
初のことも、こんな自分に嫁いで来て哀れだなあと思ったし、そも、そんなに多くの妃というものが必要でもないと思ったしで、だからこそ初だけを貫いた。
自分のために、そんな哀れな女を増やしたくないと思ったのだ。
それは、娶る必要のない低い身分の女と遊ぶことはあった。
だが、わざわざ囲い込んで、その生涯まで差し出せとは言わなかった。
なので、関という皇子が居る今、これ以上戦いバカの自分に付き従う哀れな女は、増やすつもりも全くなかった。
そんなわけで、美しい志心の孫だとは聞いていても、特にそんな方向で期待することは全くなく、渡は美穂を待って到着口で関と亜寿美と共に立っていた。
滝が、膝をついて脇に控えていて、後ろには臣下一同が、宮の未来を担う皇女が来ると、まさに妃を迎える勢いで集まって待機していた。
その仰々しい様に、渡はうんざりして言った。
「…あのな。確かに粗相などあってはと思うたが、これはやり過ぎぞ。臣下が皆来ておるではないか。反って美穂が構える事になる。少し帰せ。」
滝は、渡を見上げた。
「ですが、もしかしたら将来的には妃となられるかもしれぬ皇女をお迎えするのに。皆でお待ちするのが筋ではないかと思いまして。」
渡は、滝を睨んだ。
「だから、そういう気持ちがならぬと申すに!我は、美穂を娶るつもりはないと申したであろうが。まだ歳若い皇女なのだぞ。主、我がもうすぐ700だと知っておるよな。哀れだとは思わぬのか、たった280の娘に。孫ほども離れた歳であるのに!」
確かにそうだが、今の渡はそれは若い見た目で、恐らくは300歳半ばから後半ぐらいの容姿だ。
恐らくは長い寿命を持っていると思われるので、これからだっていくらでも妃を娶ることはできるだろうし、現に同じぐらい歳が離れた状態で、婚姻している上位の王も居る。
五代龍王の頃の維心と維月など、1600歳以上も離れていた。
決して無理は縁ではないのだが、渡がこの様子なので、滝もそれ以上何も言えなかった。
そこへ、筆頭軍神の清が降りて来て、膝をついた。
「美穂様、ご到着でございます!」
皆が、空を見上げる。
そこには、翠明の宮の軍神達に守られた、輿が降りて来るのが見えた。




