到着
「早う半分は奥へ入れ!皇女が構えるではないか!」
渡が小声で命じるのに、慌てて後ろの方の臣下が、ササーッと仕切り布の奥や、扉の中へと去って行く。
少しは減った臣下の数にホッとして前を向くと、翠明の宮の筆頭軍神、勝己が降りて来て、膝をついた。
「渡様。我が王の命により、第二皇子緑翠様の第二皇女、美穂様をお連れ致しました。」
渡は、頷いた。
「ご苦労だったの、勝己。」と、脇の滝を見た。「滝。」
滝は、膝をついたままスススと前に出て、頭を下げた。
「我はこの宮の筆頭重臣、滝でございます。この度は、我が宮の窮状を救うために遠い所をお越しいただきました、美穂様には感謝しかありませぬ。また、翠明様には此度の御礼として、あちらの品をお持ち帰りくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。」
勝己は、示された厨子の山を見て、頭を下げた。
「確かに我が王にお届け致しまする。」と、降ろされた輿を振り返った。「美穂様。どうぞ、こちらへ。」
輿の布が左右に開かれ、先に降りて来た侍女達が、手を差し出す。
すると、中から大きなベールに包まれた美穂らしい女が、ベールの中で更に扇を高く上げた完璧な所作で降り立って、渡に向かって深々と頭を下げた。
「緑翠の第二皇女、美穂でございます。何事も慣れぬので、どうぞよろしくお願い申し上げまする。」
中がよく見えない。
臣下達はそう思っていたが、渡は気にする様子もなく、頷いた。
「誠に手間を掛けさせるの、美穂殿。とりあえず、宮の貴賓室を準備させておるゆえ、そちらで休むが良い。宮の事は、追々関の妃の亜寿美に説明させるゆえ、まずい所があれば遠慮なく申して、正して行って欲しい。我が宮が早うそれなりになれば、主もそれだけ早う両親の下へ戻れるゆえな。すまぬが、しばし堪えて励んで欲しい。」
相変わらず、ちゃっちゃと済まそうとする気質から、必要な事だけを話して余計なことだけは付け加える渡の様に、臣下はハラハラした。
来て早々に帰る話など、する必要はないのだ。
だが美穂は、顔を上げたかと思うと、ベールの中で扇を下ろして、渡を見上げて微笑んだ。
「はい、渡様。」
渡は、びっくりした。
美穂の瞳は、綾と同じ紫色で、そして髪は、志心そっくりの白に、薄っすらと金糸のような色が混じった、目が覚めるほどに美しい女神だったのだ。
渡もびっくりしたが、隣りに立っていた関はそんなに美しい女をそうそう見ることが無いので、驚き過ぎて固まっている。
滝も驚いた顔をしていたが、隣りの次席重臣と顔を見合わせてから、うん、と一つ頷いて、頭を下げた。
「…王。せっかくに遠路いらしてくださいましたのに、来られていきなり部屋へ入れとは乱暴なお話なのではありませぬか。まずは、王御自らご案内するのが、礼儀ではないかと思うのですが。」
渡は、ハッと我に返って、言った。
「…案内?我が?」
関が、横から言った。
「父上、ならば我が案内して参りましょう。」それを聞いた亜寿美が、今から案内するのかと慌てた様子だったが、関は隣りの亜寿美に言った。「主は良い。いきなりでは慌てるであろう。」
亜寿美は、ホッとしたように頭を下げる。
だが、関が美穂に手を差し出そうとしたのを見た、渡が驚く素早さで間に割り込んだ。
「こら!」と、その手を叩いた。「我が案内するわ!未婚の皇女の手を軽々しく取ったりするでないわ。侍女、美穂の…いや間違えた、美穂殿の手を取ってついて参れ。」
それを聞いて美穂の両脇に控えていた、美穂が連れて来た侍女達が立ち上がって、急いで両脇から皇女の手を取った。
片方は、扇を持つ肘を支える事になるのだが、侍女が手を取って進む場合は、男性より力が無いので、まさかの時に支えることができないことを考えて、こんな感じになってしまう。
そんな不自由な状態に置かれたにも関わらず、美穂はベールの中から渡を見上げて、微笑んで言った。
「我の事は、どうぞ美穂とお呼びくださいませ。」
渡は、美穂と自分が呼んでしまっているので、バツが悪そうに言った。
「…ではそれで。ついて参れ。外宮と内宮をザッと見せる。」
渡は、美穂の隣りを歩くでもなく、さっさと前を歩いて行く。
どうやら、宮の中を先導して行くつもりらしい。
そんな渡の後ろを、美穂は侍女に両脇からガッツリ支えられて、歩いてついて行ったのだった。
美穂から見たら、渡の宮は祖父の宮にも似た、全くの別の世界という感じではない親しみやすい場所だった。
違う場所へ初めて行くということで、綾からはああ言われていたものの、美穂にはとても、不安なことだった。
だが、降り立ってみると宮の中は似たような造りだし、こちらの方がスッキリと大きく見えるぐらいだ。
降りて目の前に立っていた王は、綾が言ったような粗野な雰囲気はなく、青いような黒髪に、鋭い瞳の凛々しい王だった。
…まあ、お父様には無い、何やら軍神のような様であられること。
綾には粗野に見えたかもしれない、頑強そうな体に鋭い視線だったが、美穂からしたら何があっても守ってくれそうな、頼りになりそうな神に見えて好ましく映った。
実際、そこは女神の好みの問題で、女のように美しく品の良い男を好む女神も居れば、渡のようにガッツリとした、いかにも強そうな男が好みの女神も居る。
美穂は、己では分かっていないが、どうやら後者のようだった。
そもそも渡は、王族であってガッツリとしていても、品がある美しい顔立ちだ。
本神はニコリともしない様子だが、それでも美穂は、そんな事は気にならなかった。
…これが、綾様が仰る女神の心地を考えてくださる優しい神なのだ。
美穂は、なので渡が言うことは、全て前向きに聴こえていた。
こちらの重臣の滝が、なので宮を案内してはと言った時、美穂はこの機会にお話をして、綾が言うことが本当かどうか確かめてみようと思った。
だが、渡は面倒そうに驚いた顔をしたので、やっぱり駄目かと思っていたら、皇子の関が手を差し伸べて来た。
美穂は、どうしようかと思った。
きっと、他意はないのだろうが、それでも宮で蝶よ花よと育てられた美穂は、父と兄と祖父以外の男に、手を取られた記憶がない。
だが、手を取らないと失礼かもしれないと思い切ってその手を取ろうとしたら、渡がサッと割り込んで来たのだ。
言い方は荒いが、自分を庇ってくれるその様子に、美穂は思った。
綾が言っていたことは、きっと間違いではない、と。
確かにぶっきらぼうで、侍女に手を取らせて自分の手を取る事もないが、それでも前を歩く渡は、時々チラと振り返っては、きちんとついて来られているのか確認して、歩幅を合わせてくれている。
…やっぱり、お優しいかた。我は、こちらでやって行けるかも。
美穂は、渡があちこち着いたばかりで引っ張り回す形で宮を案内するのについて歩きながら、そんな事を思っていたのだった。
渡の方は、あちこち事務的に説明して歩いていた。
「こっちは臣下の執務室への通路、こっちは東の庭へ出る通路。あちらへ行ったら内宮に出て、こちらへ行ったらさっきの到着口の方向へ戻る。」
一気に言われては、覚え切れない。
侍女達も、言われる方向へ目をやるが、目を回す勢いだった。
「あ!」
そんなこんなで侍女の一人がふらついて、あろうことか手を取って支えている美穂まで共に倒れそうになった。
「お。」渡は、ぐっと美穂の腕を掴んだ。「…侍女、何をしておるのよ。」
体勢を立て直した美穂を見てすぐに渡は手を離したが、ふらついた侍女は膝をついて頭を下げた。
「申し訳ございませぬ!」
美穂は、慌てて言った。
「我が足元を見ておらずで。お手数をお掛けしてしまいました。」
どう見ても、巻き添えを食ったのは美穂だったが、美穂は侍女を庇ってそう言った。
渡は、じっとそんな美穂を見ていたが、言った。
「…良い。我が性急過ぎた。やはりゆっくり覚えれば良いぞ。無理はせずで良い。部屋へ案内させよう。」
美穂は、首を振った。
「いえ、大丈夫でございます。早く宮のお役に立たねばなりませぬ。」
渡は、首を振り返した。
「だから気負う必要はない。まだ来たばかりではないか。無理をせず、主が良いようにすれば良いのよ。」と、後ろからついて来ていた、滝を見た。「滝、部屋へ案内せよ。宮の中は、美穂が良い時に侍女にでもあちこち見せて回れと申せ。少しずつな。」
滝は、頭を下げる。
「は!」
渡が立ち去ろうとすると、美穂は言った。
「渡様、何かお気に障りましたでしょうか。我は、宮の外に出るのが初めてで…何事も、お教え頂きたいと思うております。」
渡は、振り返ってため息をついた。
「主は何も悪くない。」と、チラと窓の外に目をやった。「…そうだの。気を付けた方が良い事を申しておこう。こちらへ参れ。」
そうは言うが、やはりさっさと庭の方へと足を進めて出て行く。
美穂は急いで侍女達に視線を送って頷くと、渡を追って庭へと出たのだった。




