最強とは
夕凪が、それを見上げながら呟くように言った。
「…完全に盲点だった。月の宮は、何もかもおっとりしておって嘉韻も訓練に来ているとは思えないほど穏やかな気なので、油断していた。あやつに勝たねば、我らは皆王に申し訳が立たぬ。」
義心には敵わないと、全ての王がそれには期待していなかった。
だが、嘉韻は別だ。
油断して嘉韻のことは何も対策して来なかったのだから、もしかしたら義心に対するよりも無様なことになるかもしれない。
皆の顔が険しくなったが、フィールド上の義心と嘉韻は、共に険しい顔をしながら相手の動きを読み合って、ものすごい速さで刀を繰り出している。
その場に居たら、とても割り込めそうにない雰囲気だった。
…このままでは、勝てぬ。
義心は、何をやっても対応して来る嘉韻に考えていた。
こちらはあちらの手の内を知らないが、あちらはこちらの手の内を知っている。
嘉韻の動きは維月のようで、そして十六夜のようでありながら、鳥のような動きをする。
そして、龍の軍神と鍛練していたために、龍のような動きまでした。
…負けるわけにはいかぬ!
義心が思った時、体から青い闘気がグワッと沸き上がるのを感じた。
同時に嘉韻からも同じように赤い闘気が放たれて、一気に回りは気の放流に押された。
「…あやつら!」炎嘉が、叫んで目の前にそれを防ぐ膜を張った。「気持ちは分かるが主らは気が大き過ぎるのだと言うのに!」
観覧席が皆、その勢いに吹き飛ばされそうになるのに、維心が手を上げて膜を張って防いだ。
「…なんとの。珍しい。義心が心底本気になっておる。あやつが闘気を抑えきれぬほど追い詰められるとは…嘉韻め、知らぬ内に。」
維心は内心、複雑だった。
何しろ嘉韻は、維心が維月を離縁していた時に、維月との間に嘉翔という息子をもうけている神なのだ。
老いが止まっているのも、月の結界の中に居るのもあるが、恐らく維月を見守るためだろうと思われた。
長く離れて生きているのに、尚生きることに前向きで、こんな技術まで身に付けている嘉韻に、維心は心中穏やかではなかった。
…義心には、なんとしても勝ってもらわねば。
維心は、思った。
「…月から維月が見ておるぞ!」維心は、叫んだ。「意地を見せよ!」
義心にも維月に対する気持ちがあるはず。
自分こそが維月を守るのだと、義心なら思うはずなのだ。
目の前の嘉韻に、胸に一物ないとは思えない。
もし自分なら、絶対に勝ちたい試合だからだ。
…維月様…!
そう、長く想って来た。嘉韻はそんな義心の気持ちは知らなかったが、横から維月を掠めたようなものなのだ。
嘉韻は、うっすらと笑った。
「…雑念は無用ぞ。」
ガンと腕に痛みが走る。
それでも義心は刀を放さなかった。
「…負けぬ!」
義心の刀が、嘉韻の肩の甲冑の合間に吸い込まれた。
同時に、義心の肩にも鋭い痛みが走った。
「ああ!」
蒼と地上の治癒の神が同時に叫ぶ。
刀は同時に引き抜かれたが、そこからまた同時に血が噴き出した。
「やめ!」
帝羽が叫んだ。
「相討ちでありまする!今回のルールでは、傷を負っても一本。同時に一本で、相討ちと判定します!」
闘気が、フッと消えた。
観覧席は、シンと静まり返っていたが、ワッと歓声が上がった。
二人は地上に降りたって、刀を鞘に戻して王達に頭を下げた。
炎嘉は、フッと肩の力を抜いた。
「…誠に接戦であったわ。まさか嘉韻があそこまでやるとは。まあ、両方とも龍であるからな。結局維心ぞ。」
「嘉韻は龍でも半分は鳥ぞ。しかも蒼の臣下。我の手柄ではないわ。」
どうやら、嘉韻には軋轢があるのは、昔と変わらないらしい。
しかし蒼は、それどころではなかった。
「だから無理はするなと言ったのに!別に勝たなくても良いとあれだけ言っておいたのに!」
下では、治癒の神が必死の表情で嘉韻に寄って行って甲冑を剥がそうとしている。
龍の治癒の神も、わらわらと義心に寄って行くのが見えていた。
維心が、言った。
「あれぐらいかすり傷ぞ。死にはせぬわ。」
吐き捨てるように言うのに、炎嘉が横から小突いた。
「こら。蒼に当たるでないわ。嘉韻があそこまでやるとは思わなんだのは皆同じ。これは、少々困った事になるやもな。恐らく、義心と嘉韻が並び立ち、他が争う形になるのではないか?嘉韻を下す神が居ったら、義心が頂点だがの。」
他頼みの頂点など。
維心は、ギリギリと歯を食い縛った。
確かに油断した…義心なら、余裕で全てを下すので良いかと高をくくっていたのだ。
だが、実際は最後に嘉韻が出て来て、あんなことになった。
連戦しろとか命じた、自分が口惜しかった。
「…まあ良いわ。他がどれほどやるのか見ものぞ。義心はもう終わったが、嘉韻はこれから他の全てと戦わねばならぬ。どこかで気を抜くやもしれぬぞ。」
蒼は、とんでもないと言った。
「嘉韻は老いは止まっておりますけど結構な歳なんですからね!無理をさせたくないんです。初戦からあんなに必死に立ち合って、疲れてないかと心配でなりません。もう、連れて帰りたい気持ちです。」
炎嘉が、慌てて言った。
「こら、ここで連れて帰るなど。一度やり始めたのだから、最後までやらせよ。嘉韻は大丈夫よ、ぴんぴんしておるわ。見よ、治癒の神を鬱陶しそうに見ておるではないか。軍神はの、こんな怪我はしょっちゅうなのだ。慣れておるのよ。」
だとしても、月の宮ではそんなにしょっちゅう嘉韻が怪我をするなどない。
龍の宮が義心が居なくなって困るように、月の宮も嘉韻が居なくなったら困るのだ。
「…オレ、別に勝ち負けなんてどうでもいいんです。何度も言っていますけど、序列も無くても気にしないぐらいです。臣下を、別にする必要のない戦いで、痛めつけるなんて嫌なだけです。戦とかなら仕方がないかもしれませんけど、どうしてこんな見世物みたいな立ち合いで、傷つかなければならないんですか。オレ…無理です。」と立ち上がった。「元々宮を閉じていたし、今日は帰ります。すみません、気持ちが追い付かないので。」
蒼は、珍しく皆の意見も聞かずに貴賓席から離れようと歩き出す。
志心が、急いで言った。
「待て、蒼。主がそういう王だと知っておるが、それではあまりにも示しがつかぬのではないのか。我らと足並みをそろえて参るのではないのか。」
蒼は、振り返った。
「志心様、オレは軍神達を戦でもないのに戦わせて、平気で見ていることができないどうしようもない王なんです。これで序列もない宮だと言われても、いいです。宮を閉じているので、元々あまり会合などにも出ていなかったし。帰ります。」
炎嘉が、蒼が真面目に嫌になっている、と慌てて言った。
「蒼…、」
だが、蒼の姿はそのままスーッと消えた。
どうやら、月から力が降りて来たので、十六夜か蒼自身が、移動に月を使ったのだと分かった。
焔が、険しい顔で言った。
「…まずいのではないのか。蒼は、これまで我らに従っていてあんな風に勝手に行動することはなかった。それなのに、今回は何か、見切りをつけて来たような雰囲気がする。」と、見ると、蒼がフィールド上の軍神控えに現れて、皆が驚いているのが見えた。「そもそも蒼はあんな風だが、本気になれば維心ですら手を出せぬヤツのはず。維心、イライラするのは分かるが、言い過ぎたのではないのか。」
炎嘉も、頷いた。
「そうよ維心。義心が負けたわけでもあるまいに。そも、連戦などと格好をつけて余裕ぶっておった主が悪いのではないのか。それなのに蒼に当たるような言い方をしおって。あやつがあんな風に怒るのは初めてぞ。もしかして…」と、空を見上げた。「…維月と十六夜も見ておったのではないのか。主、さっき維月が見ておるとか言うておったの。」
維心は、ハッとした。
…また、己の感情が抑えられずに、あんなことを。
「…蒼に、話をせねば。」維心は、我に返って下を見た。「このまま帰したら、まずいのでは。」
志心が、何度も頷いた。
「そうよ、やっと気付いたか。もういい加減にせよ、分かっておるのに一時の感情に流されおってからに。何か言いたい時は、一度飲み込め。以前の主がそうしておったようにの。」
維心は、蒼に話をと慌てて貴賓席を出ようとしたが、蒼は驚く嘉韻を連れて、その場からスッと消えたのだった。
嘉韻は、怪我など久しぶりだなと治癒の神に治療されていたが、治癒の神が蒼に命じられているからと、大した怪我でもないのに必死に手当てをするのにうんざりしていた。
確かに刀は突き刺さったが、これぐらいなら治癒術であっさりと跡形もなく消える。
しばらく少し、痛みは残るが全く問題なかった。
ここから、また7回立ち合わねばならないので、その間に同じ場所を傷つけない限りは、跡になる事もないはずだった。
義心も、龍の治癒の者達に囲まれているが、大したことはないと手を振って追い払うような仕草をしていた。
軍神に、怪我などつきものなので、皆慣れているのだ。
嘉韻が、次は夕凪かと気持ちを切り替えようとしていると、目の前にいきなり、パッと蒼が出て来た。
「え?」嘉韻は、慌てて膝をついた。「王!どうしてこんな所へ。」
我が怪我をしたからか。
嘉韻は、蒼に心配をかけてしまった、と、意地になって必死に立ち合った事を後悔した。
適当にあしらって、適当に負けていたらこうはならなかったのだ。
だが、義心が維月を想っている事実を今は知っている嘉韻にとって、義心には心の中にわだかまりがあった。
気が付いたら、負けたくないと真剣に立ち合ってしまっていたのだ。
だが、蒼は言った。
「嘉韻、帰るぞ。」え、と回りの皆もびっくりして振り返る中、蒼は嘉韻の腕を掴んだ。「もうたくさんだ。オレは、臣下を宮のためとはいえ、戦でもないのに戦わせて眺めるなんて嫌なんだよ。別に序列なんかどうでもいい。そもそも月の宮は宮を閉じてるし、オレも出ないのに嘉韻だって出る必要なんかなかったんだ。もう帰る!」
嘉韻は、慌てて言った。
「王、しかしながらもう始めてしまっておるのに、そんな事をしたら王のお立場が…、」
「だから良いんだって!」と、空を見た。「十六夜、他の臣下もみんな一緒に連れて帰ってくれ。もう帰るから。」
空から十六夜の声が答えた。
《おーい、怒るなって。分かった、とりあえず帰って来いや。》
蒼は頷いて、治癒の神の手も掴んだ。
そうして蒼と嘉韻と月の宮の治癒の神は、その場からあっさりと消えたのだった。




