おまけ3 悪役令嬢との旅路
世の中には至極迷惑な輩がいる。つくづく思い知った。
今、街の広場には剣を手に向き合う男二人を中心に、にわかに人だかりができてしまっている。こんな大事にするつもりはなかったのだが、こうなってしまった以上は仕方がない。
一代で商売を興し苦節三十年、支店も増えこの街で確固たる地位を築き上げ、あとは可愛い娘にまともで誠実な婿をあてがい、店をまかせて悠々自適な老後を送りたいというささやかな夢を見ていた善良な私が、こんな厄介事に憑りつかれるとはどういう因果だろう。
「俺が勝ったらアデーレをいただくぞ!」
店の前で勝手なことを喚き散らしている若造を、本来なら自らの手で殴り倒したい。たっぷり肉の付いた重い体では到底叶わぬことだが。
何を勘違いしたのかこの若造、うちの娘に惚れたとぬかし、毎日しつこく手紙やら花やらを家に届けては、娘が出かける先々に現れる始末。街一番の美女と名高いアデーレの可憐さを思えば、男として気持ちはわからぬでもないが、剣を抜いてまで交際を迫るのはもはや常軌を逸している。
この若造、クレートは傭兵上がりのならず者の一派だ。街の自警団も対処に手こずっている。頼りにならぬ奴らのかわりに、ここ数日は外から護衛を雇って娘の身辺を守らせていたのだが、それをまた勘違いして娘に恋人ができたと思ったらしく、馬鹿正直に決闘などを挑んできた。
なまじ雇った護衛が若い男で、立派なご面相をしていたのが災いしたのだろう。
こちらも素性のよくは知れない旅の者だが、言動がいちいち堅苦しく真面目な人柄がすぐに信用できた。仮にも商売を生業としているのだ、人を見る目には自信がある。
「では私が勝てば今後一切、こちらの家の者に関わらぬと誓え」
激している若造とは対照的に、護衛の若造はあくまでも冷静に告げる。表情からは何を考えているのかよく読み取れないが、娘との関係についてあえて訂正を入れるつもりはないようだ。
体格はほぼ互角の二人。クレートは相手を恋敵と思えばこそ闘志を燃やして挑むだろう。やる気の差が勝敗に影響せぬよう、こちらも追加で大金を支払うことを約束した。
どうか料金分の働きをしてくれ!
周囲のガヤに交じり切実な願いを込め、決闘の行方を見守る。娘も二階の窓から勝負を見ていることだろう。
―――結果として。
特に危なげなく、護衛の若造が勝利を収めた。
気絶して転がるクレートの姿に驚いたのは周囲よりも、むしろ雇い主の私自身であった。
「よ、よ、よくやった!」
思わず声が震えてしまった。つい浮かれて背を叩くとわずかに嫌そうな顔をされた。
護衛の若造、ルドルフは剣を収めると、歓声を上げる見物人たちをしきりに見回し、こちらに視線を合わせることもせず左手を出す。
「約束のものをもらえるか」
「あ、ああ、そうだったな」
懐に用意していた袋を渡そうとして、しかし急に惜しい気がしてきた。
金を払うことが、ではない。金を払ってこの青年とこれきりになってしまうことがだ。
「あんた、うちに今後も雇われる気はないかね?」
傭兵上がりを容易に負かせる貴重な人材であり、しかも金に関してうるさくない。追加報酬を言い出したのもこちらから。あちらから雇用の際に提示された条件はせいぜい期間についてのことだけだった。働けるのは数日間で、場合によっては急に辞めねばならないこともあると一言断りを入れてきたくらいのことなのだ。
なんでも一緒に旅をしている者の都合らしいが、そもそも住居と安定した職があれば旅を続ける理由もないだろう。彼だけでも流浪の身から抜け出す良い機会となるはずだ。
「クレートがこれで諦めるとは限らん。もう少しあんたにいてもらえるとありがたい。妻も娘もあんたのことは信用しているし、私もそうだ。なあどうだろう? 考えてみてはくれんかね」
実を言えば、娘はこの青年に惚れている節があるのだが、おそらく真面目な彼ならば親の許可なしに不埒なまねはしないだろう。あるいはひょっとすると、こういう男にならば娘と店をまかせて良いのかもしれない。
我ながらいささか先走った想像をしていることは自覚しているが、ともかくもまずは、たちの悪いストーカー対策に彼を雇い続けたい。
そのため熱心に口説いているわけなのだが、当人は急に視線を遠くに固定し、まったく聞いているようでなかった。
「失敬。悪いがもう行かねばならない」
あまつ話を遮り、こちらの鼻先まで手を差し出してきた。
「え、いや」
「早く」
「いや、でも」
「早く」
殺気にも近い気迫を感じ、つい金を渡してしまった。
途端に、青年の姿が視界から消える。
娘が二階から降りてきた頃にはすでに、野次馬の輪を抜け、風の速さで走り去る後ろ姿が、かろうじて見えただけだった。
*
ある幌馬車の荷台で、ぜえぜえとみっともなく男前が息を切らしている。
「そんなに急いで来なくてもよろしかったのに」
金髪碧眼の美女は隣で優雅に微笑んでいる。
その憎たらしいほど整った顔をルドルフは睨み据えた。
「出発は、明日と、言っていたはずだ」
「だって決闘を見物しておりましたら、あの方が声をかけてくださったの」
ラティーシャが指すのは、荷台に背を向けている御者の男だ。
「私、早く『燃える滝』を見たくて! 今なら次の街まで無料で乗せてくださるっておっしゃるのですもの、こんなに親切な方は滅多にいないでしょう?」
「・・・ああ、本当に、親切なことだ」
ルドルフがまるで深淵に潜む魔物のような眼差しで見やれば、御者は可哀想なほど縮こまってしまう。彼は、青年が走り出した馬車に飛び乗って来た時から非常に恐ろしい思いをさせられている。
ほんのり殺伐とした状況下で、ラティーシャだけが楽しそうだった。
「せっかく勝利したのですから、あの街でお暮らしになればよろしいのに。雇い主のお家のお嬢さんを奪い合ってらしたのでしょう? いただけるものはいただいたらよろしいわ」
「必要なものは、いただいた。私は娘のためでなく、金のために闘ったのだ。わざわざ言わなくとも、貴女には、十分わかっているだろうが」
「もちろん、身に染みるほどに。――ふふ、それにしても愉快な決闘でした。ルドルフ様はご自身と闘っているようだったのではありませんか?」
「私はあんな者ではない」
「あら」
「もし仮にあの者が私と同類の人間だとすれば、この程度で諦めることはないだろう」
「でしたらやはり、護衛を続けて差し上げたほうがよろしかったのでは?」
「私の知ったことではない」
「あらあら。まったく、この世は困った殿方ばかりで嘆かわしいことですわ」
「・・・困った人物ということならば男に限った話ではないと思うが」
あえて例は挙げずに、ルドルフは息を吐く。
やっと少し落ち着いてきた。
襟元を緩め、顎に垂れてきた汗を袖で拭うと、髪を掻き上げた額にハンカチを押し当てられた。
「ご苦労様」
ラティーシャが隣で膝立ちになり、優しく汗を拭う。荷馬車が揺れるため左手はルドルフの肩に掴まっている。
彼は大人しくそれを見上げているだけだったが、やがておもむろに彼女の細い腰を抱き寄せた。
抵抗されなかったため、そのまま胸元に顔を埋める。
すると彼女のくすぐったい声が降ってきた。
「さすがにここでは逃げませんよ?」
「・・・嘘つけ」
油断すれば容赦なく置いて行かれる。
せめて少しの間だけでも確実に留めておきたくて、結局、次の街に着くまでルドルフは彼女を放さずにいたのだった。