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こころの繭  作者: 飛鳥
9/15

『なら、一緒に行くか?』

 田舎に住むばばあから電話が掛かってきたのはその後。

 とりあえず今日は泊めてやるけど、明日はどうするんだ? まさかしばらく居座る気か? と、話し合っていたときに突然電話が鳴り響いたんだった。

「じじいが倒れた? 立ち上がれないって、大丈夫かよあのおいぼれ」

『どうだろうね。倒れてそのままころりはないだろうけど、さすがに歳が歳だから。なあ智也、明日からしばらく休みが続くんだろ。もし用事がなかったら、一度こっちに戻ってきてほしいんだけど』

「明日からか……」

 別に用事があるわけじゃないが、

「どうしたの智也。電話、誰からなの? ひょっとして私の家から? ま、まさか連れ戻そうとしてるとか……」

 平静を保っていた瞳が、一瞬のうちに曇りを取り戻す。少しは落ち着いたと思ったけど、やっぱりやせ我慢をしてただけか。

「心配すんな、おまえの家からじゃねえよ。田舎から、じじいが倒れたから帰ってきてくれないかって」

「えっ、おじいさん倒れたの? それなら明日から休みだし、一度お見舞いに行ってあげたほうが」

「ばばあもそう言ってるよ。けど遠いからな……行ったら一泊二日は確実。俺は別にそれでもいいけど、そうするとおまえは家に帰るしかないだろ。大丈夫かよ。こころの両親、おまえのことは知らないんだろ」

「大丈夫と自信を持っては言えないけど、まあ止むをえないわね。あなたが居ないのにこの家に居座るわけにもいかないし、無理やりにでもこころを演じてみるわ」

 平気なふりを装おうとしているが、傍目からでも無理をしているのがはっきりわかる。

「止めとけよ。絶対無理だ。声、震えてるぜ?」

「……っ」

 いきなり目つきが鋭くなって、こちらをじっと睨んでくる。てっきりそのまま罵声をぶつけてくると思ったのに、そうじゃなかった。

「だって仕方ないでしょ! 水野先生とは連絡がつかないし、智也が駄目なら他にどこに行けって言うのよ! 私だって怖いわよ! いつも一緒にいたこころがいなくなって、なのにそれを相談することさえ出来なくて……でも、だからって田舎に帰らずここにいてなんて言えるわけないでしょ! ただの里帰りならともかく、おじいさんが倒れて見舞いに来て欲しいってお願いされて、それを無視しろなんて!」

「まゆ、おまえ……」

 馬鹿だと思った。擦り切れる寸前まで追い詰められてるって言うのに、自分よりもじじいを、他人のことを優先するなんて。

 自分を犠牲にしてでもこころのために。いつだってまゆはそれを信条にしてきた。

 でも、それはたぶん嫌々というわけじゃないんだろう。自分が帰れなくなるのに傘を貸してやったことも今回のことも、一番の理由は自分がそうしたいから。二重人格のことを話せば親や友達が戸惑ったり心配したりするから、だからこころを必死に演じ続ける。

 こころが帰ってきたときになんて、自分自身にまで言い訳をしながら。

「なら、一緒に行くか?」

「えっ?」

「だからじじいの見舞いに一緒に行くかって聞いてんだよ。家には帰れなくて友達も頼れないなら、俺と一緒にいるのが一番楽だろ。それにじじいやばばあはおまえの、こころのことなんて知らねえから無理にこころを演じる必要もない。変に気を張らなくても自然体で、まゆのままでいることが出来る。たった二、三日だけど、それでも気持ちに整理をつけるぐらいは出来るだろ」

「……気持ちに整理、か」

 胸に手を当てて、まゆはじっとなにかを考え続けているようだった。そして……。


       ●          ●          ●


「智也、起きろっ」

「なっ、わっ、なんだうるせえな。って、悪い寝てたか。俺」

「ええ。これ以上ないってくらい爆睡。着いたら起こすなんて、そんな様でよく言えたものね」

 よくよく見ればまゆは荷物を詰め込んだバッグを両手で抱えて、すでに下車の準備を整えている。

「てめっ。ひょっとして、さっきのは寝たふりかよ」

「ふりなわけじゃないよ。疲れていたのは本当。でも、智也を信用して熟睡なんて出来るわけがないでしょ? あなた一人じゃ今でも東京の駅を彷徨(さまよ)ってただろうし、降りる駅ぐらい確認しておかないと」

「……っ。東京の駅が訳わかんねえ作りしてるのが悪いんだよ。あんな迷路みたいなのでわかるわけねえだろ」

『次は尾張宮、尾張宮。お降りの方は荷物を確認しお忘れ物のなきよう――』

「ああ、着いたみたいね。それじゃ降りるわよ智也」

 電車の窓から見える緑の動きが次第にゆっくりになっていき、気休め程度に屋根が取り付けられているだけのホームの横で停止する。

 東京都心から特急とJRを乗り継いで三時間。

 一ヶ月ぶりに帰ってきた田舎は相変わらず寂れきっていて、他の下車客はおろか、ホームには乗車客の一人、駅員の一人さえいなかった。

「無人駅かぁ。初めて見たけど、誰もいないっていうのは少し物騒ね」

「そうでもねえよ。人自体がいないから事件なんて起きねえし、見る奴がいないから壁に落書きされることもほとんどねえ。中途半端が一番危険で、ゼロやゼロ同然だと案外危険は少ないんだよ」

「ふぅん。そんなものか」

 ぷしゅぅ、と音を立てて電車のドアが開くと、引越しのときに使った大きめのかばんを抱えて地面に降りる。

 靴を通して伝わってくるのは柔らかい土の感触。電車のホームのくせにアスファルトで舗装すらされていない、久しぶりに感じる、ど田舎の感覚。

「おーおー、智也。悪かったね。遠いところをわざわざ」

 むせ返るような緑の匂いが香る最中。いきなり声をかけられる。

 目を向けてみると、申し訳程度に置かれたベンチによぼよぼのばばあが腰掛けていて、足元をふらつかせながら立ち上がろうとしていた。

「なんだばばあ。まだ生きてたのか」

「あーあー、おかげさまで元気なもんさ」

「どこが。どう見ても死にかけじゃねえか」

 足取りは悪く、腰も大きく曲がっている。正直、傍目から見ていると危なっかしくてしょうがない。

「杖でも買えよ。ぶっ倒れても知らねえぞ」

「そうだねえ。そのうち買う事にするよ。ところで、その子が電話で言ってた一緒に来るって子かい? てっきり男友達だとばかり思ってたけど、そうかい、あんたにもついにがーるぶれんどがねぇ」

「そういうのじゃねえよ。あと、一応言っとくとガールフレンドだ」

「はじめまして。私、新堂……まゆと言います。迷惑かもしれませんが、少しのあいだご厄介になります」

「おや、やっかいなんてとんでもない。それよりまゆちゃんと言ったかい? あんたも物好きだね。こんな性格の捻じ曲がった子と一緒にいるなんて」

「い、いえとんでもない。智也君は……ゆ、友人思いで人柄もいい人ですから」

「ははっ、心にもない事は言わなくていいよ。どうせこの子に振り回されて手を焼いているんだろ。私らも智也の性格の悪さはよく知ってるから、変に気を使わず、普段通りいてくれればいいよ」

「は、はい。ありがとうございます。それよりおじいさんが倒れたと聞いたのですがご容態は? 大丈夫なんですか」

「うん? じーさんのことかい? そうだね。とりあえず車に乗ってから話そうか。積もる話になるだろうからね」

「積もるって、じじいの容態そんなにやべえのか?」

「まあ、ついてこればわかるよ」

 雑草だらけの荒れた土道を、よたよたと不安げな足取りでばばあが歩いていく。すぐに後を追いかけようと思ったが、まゆの態度が若干、猫をかぶってるように見えたのが気になった。

「まゆ。じじいやばばあはお前のことなんて知らねえから、無理にこころを演じる必要なんてねえぞ。似合わねえから猫なんてかぶるなよ」

「……智也、あなた社交辞令って言葉を知らないの? 厄介になる以上。いえ、初対面の人を前にしてるのだから、礼儀を重んじた態度を取るのが当然でしょ。それと、ずっと気になっていたんだけどじじい、ばばあって言い方は止めたら? 仮にもあなたを育ててくれた人たちなんだから、せめて言葉づかいくらいは意識した方がいいと思う」

 礼儀だのなんだの、おまえが言っても説得力ねえよ。

 好き放題言いまくってくる馬鹿に悪態(あくたい)の一つでもついてやろうと思ったが、まゆは一足先にばばあの後を追いかけていた。

 ばばあの背中に手を当てて、身体を支えながらなにかを話している。

 やれやれ、とため息をつきながらまゆとばばあの後ろを歩いていくと、駅横の寂れた駐車場についた。駐車場と言ってもアスファルトで整地なんてされていない。運動場みたいなでかい広場に、黄色いローブで長方形の仕切りが引いてあるだけ。

 広場の手前に真っ白の軽自動車が一台置かれていて、運転席のそばにまゆとばばあの二人が立っていた。近づいて覗き込んでみると、運転席には新聞を広げたしわくちゃのじじいが一人……。

「ぶっ倒れたんじゃなかったのか?」

「おう、智也。驚いたぞ。まさかおまえが、こんなに良い子を捕まえてくるなんて」

「うるせぇ! 質問に答えろ馬鹿。倒れて起き上がれないんじゃなかったのか? こっちは死に掛けてるって聞いたからわざわざ里帰りしてやったのに、それがなんで車の運転席でのん気に新聞なんて広げてんだよ」

「ああ、ばあさんの嘘だそれ。おまえが顔出さないもんだから心配して、わしをだしに使おうと思ったらしい」

「そうなんだって。私もさっきおばあさんに話を聞いてびっくりして。まったく、人騒がせな人たちよね」

「いやいや、まゆちゃん。人騒がせなのは婆さん一人で、わしも被害者の一人じゃて」

 そんな風に言って、三人がそれぞれに笑う。こいつら、なんでもう仲良くなってんだよ。

「人騒がせって、なら、なんともないんだな」

「おう? なんだ、安心したような声を出して。ひょっとして、わしが倒れたと聞いて血相変えて飛び出してきたか?」

「……っ。んなわけねえだろ。死に掛けのじじいを笑うために電車で何時間も揺られてきたのに、それが無駄足だってわかって残念に思っただけだ」

「おう、そうかそうか。じゃがせっかく帰ってきたんだ。休みのあいだぐらいゆっくりしていけ」

 久しぶりに乗るじじいの車。いまだにカセットテープの差込口のついたおんぼろのそれは、俺とまゆ、じじいとばばあが座ると、まともに動けるスペースがなくなるくらいに狭かった。

「どうしたの、智也。妙にそわそわして」

 後部座席。なぜか隣同士で座ることになったまゆが話しかけてくる。

「いや、この車に乗るのも久しぶりだと思ってな」

「うん? そうなの?」

「ああ、そういえばそうだね。中学の卒業式に乗せたのが最後だから、三年ぶりくらいか。懐かしいねぇ。あのころはこんな捻くれた子になるなんて思いもしなかったのに」

「中学卒業のときはもう相当捻くれてたよ。バイク乗り回してたじゃねえか」

「そうだったかい? 嫌だねえ、歳を取ると忘れっぽくなって」

 ぼけたふりか本当にぼけたのか。ばばあはうーん、と首を大きく捻る。しわくちゃの首や頬。すっかりの色が抜け落ちてしまった髪の毛。たった一ヶ月会ってなかっただけなのに、前よりずいぶん老けたような気がする。

「そういえば智也。おまえ、東京でもバイクは乗ってるのか?」

「あ? いや、全然だな。あっちだとバイク使うほど遠出するなんてこと滅多にねえし、電車や地下鉄が山ほどあるから無くても困らねえんだよ。駐車料金も高けぇし、免許もまだ取ってないしな」

「ああ、そういえばまだ無免許だったなおまえ。まったく、とんだ不良むす……不良孫だ」

「うるせ。金がないんだから仕方ねえだろ。それにほら、この辺ってバスも走ってねえし電車も日に何本ってレベルだろ。だから駐在とかに見つかっても注意だけなんだよ。はやく免許取れ。歩行者に気をつけろ。夜間はライトつけろ、とかな」

「智也、おまえな……まったく、今度折り菓子でも持っていかないといかんな」

「あ、持ってくならカステラがいいぞ。山口のじじい。あの駐在それが好物って言ってたから」

 上機嫌で話をしてたら、まゆが真横でじっと俺を見つめているのに気づいた。

「なんだおまえ、黙り込んだままで。珍しいな。車酔いでもしたか?」

「酔ったのなら外の景色を見るわよ。そうじゃなくて、初めてだと思って。智也のそんな楽しそうな顔」

「ああ? なんだよ。俺が楽しそうにしちゃいけないのか? てか、たいして楽しんじゃいねえよ」

「そう?」

 まゆが首を捻ったその拍子。運転席からはぁっと深いため息が聞こえてきた。

「智也。おまえ、少しはその足りない頭を使って考えてみたらどうだ。いいか、馬鹿者。自分といるときよりわしやばあさんと一緒にいるときの方が楽しそう。そんなもの、まゆちゃんからすれば面白いわけないじゃろう?」

「い、いえ。そこまで思っているわけじゃ……」

「はは、誤魔化さんでもええ。智也は、この馬鹿は鈍いからな。これぐらいはっきり言わんとわからんのよ」

「馬鹿はどっちだか……まゆちゃんの気持ちも考えず、言わんでもいい事をべらべらべらべら」

 ぶすり。助手席から横槍が入り、

「なんじゃともうろくばばあ」

「なんじゃい? 死に掛けじじい」

 墓石に片足を突っ込んだおいぼれ二人が、互いに殺気だった声を上げる。

 ああ、久しぶりだな。これを見るのも。

「ちょ、ちょっと二人とも。何やってるんですか。落ち着いて」

「まゆ。いいよ、別に。止めなくて」

「はぁ? 止めなくていいって智也、あなた何言って――」

「こんなん日常茶飯事。どっちも血の毛が多いから止めても聞かねえんだよ。ボケ防止みたいなものだし、すぐ治まるから心配ねえよ」

 そう説明してやると、まゆは呆れたような表情を浮かべていた。

「……あなたの短気は生まれつきだと思っていたけど、環境が与えた影響の方が大きいみたいね」

「誰が短気だ。あ、そうだじじい。喧嘩するのはいいけど、事故だけはやめてくれよ」

「はん、事故? 馬鹿にするな。何十年この道を走っとると思う」

 死に掛けじじいがアクセルを踏み込んだんだろう。車が急加速して、勢いよく座席に身体を叩きつけられる。

「きゃっ」

「……なんで腕を掴んでんだよ」

「つ、ついよ。つい。危なく転びそうになったから、適当な場所にしがみつこうと思って、それで」

 そう言って、ぱっと手を離すとまゆは慌てて窓の外に視線を移す。

 不機嫌なわけじゃなさそうだが俺のことは完全に無視。あるいは、意識して視線を逸らしているみたいだった。仕方なく、俺も反対側の窓から外を覗き込む。

 一面に広がる田んぼと、その奥に広がる山々。本当になにもない、退屈な景色。

 でもひどく懐かしくて、なぜかはわからないけど、その景色を見ているだけで目頭に熱いものが込みあがってきた。


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