『ぐずぐずと、うぜぇ』
今回は短めの話ですが、きりがいいのでここまでで投稿させてもらいます。
障子の動く音で目が覚めた。というか、いつの間にか眠っちまっていたらしい。
「ん……まゆは」
ぼんやりしていた視界がはっきりしてくると、目と鼻の先に、見慣れた白い小顔。
「うわっ」
思わず手を離し、後ろにのけぞりそうになる。
「う……ん、離しちゃやだ」
「ん、ああ、悪い。てか、起きてたのか」
布団から少しだけ外に出ていた指先を掴んでやると、まゆはやたらと嬉しそうに頬を緩ませる。柔らかそうな桃色の唇がぷるぷる揺れて、吐息と一緒に小さな声を漏らす。
一瞬、妙にどきりとした。
「ふふ、あったかい。こころ、ずっとそばにいてね。もういなくなったりしたら嫌だからね」
「ね、寝ぼけてんのか。びびらすなよ」
胸に手を当てると、心臓の鼓動がやたらと激しくなっているのがわかった。
「アレルギーの赤いのはなくなったけど、まだ熱が残ってんのかな」
頬の赤らみは薄くなってるから、さっきよりはだいぶ楽になってると思う。おでこに手を触れてみれば熱があるかどうかわかりそうだけど、それはさすがに気が引ける。
いや、まゆのことなんて別にどうも思ってはないのだけど……。
「どうじゃった、ばあさん。まゆちゃんと智也の様子」
「二人とも眠っとる。手なんか繋いで、あの子ら、本当に仲がいいんじゃろうな」
「そうかそうか。それにしても、智也にあんな良い子がなぁ」
「喜んどる場合か。あんな子がおるなら、さすがにあの話を切り出すのは」
「またそれか。わしはいらんと言うとる。それに智也の側が納得しとるならそれでええじゃろ」
障子の向こう側から、じじいとばばあの話し声が聞こえてきた。なんだろうと思って聞き耳を立てたのは、二人の声が妙にひっそりしていたからだ。
「納得と言っても、あのアパートは元々美雪が住んどった場所なんじゃろ。そうなると、ずうずうしくもあそこに帰ってくる可能性がある。智也と美雪を鉢合わせるというのは、さすがになぁ」
二人の会話に母親の名前が出てきて、思わずかっとなりかけた。けど、それ以上に胸がざわついたのは話の内容のほうだ。
あの女が帰ってくる? あの家にか?
「それに私らももう歳じゃろ。昨日はなんとかなかったが、次にまた倒れるようなことがあれば……。智也のためにも私らのためにも、こっちに戻ってきてもらうべきじゃないかねぇ」
「そんなものはせんでええ。それに、無理に引き離そうとすれば美雪の二の舞じゃて」
「あの馬鹿娘とは話が違うじゃろ。あからさまに馬鹿そうな男に捕まって、そんなのについていこうとするなど。止めようとしない方がどうかしとる」
「智也本人からすれば何も変わらんよ。理由はどうあれ、わしらの事情で無理やり引き剥がすというのは同じじゃ」
「……そういうものかねぇ。東京での一人暮らしなどあの馬鹿娘についていくと言った手前、仕方なくやっているとばかり思っていたが」
「うむ。まさかあんなに大切にしてる子がいるとは」
「別に大切になんてしてねえよ」
がらりと障子を開き、じじいとばばあの会話に無理やり割り込んでやる。ずっと聞き耳を立てていてもよかったが、俺の知らないところでぽんぽん話を進められたくはない。
「智也! 聞いていたのか」
「ああ、ああ。ばっちりな。つうかさっきの話なんだよ。こっちに帰ってきて欲しいって」
「気にするな、ばあさんが勝手に言っとるだけだ」
「……倒れたってのは本当かよ」
「それはばあさんの嘘だとさっきも言うた。同じことを何度も言わすな」
『喋り方や言葉の溜め方でわかっちゃうんだよね。普段嘘を言いなれていない人の場合は特に』
まゆの言葉を思い出して、同時に、妙に腹が立ってきた。
嘘を言いなれてない奴らがついた嘘が、自分たちは大丈夫なんて意味のない強がりかよ。
「ざけんな。つまんねえ意地張ってんじゃねえよ。そういう下らねえことばっかやるから、泥沼にはまってくんじゃねえか。俺だってどうしても東京で暮らしたいって訳じゃねえんだ。年寄り二人の暮らしがきついならこっちに帰ってきたって、」
「誰もきついなどとは言っとらん。帰ってこんでいい」
「じじい、てめえいい加減にしろよ。次ぶっ倒れてそのままぽっくり逝ったら、俺の顔見るのもこれで最後になんだぞ。死に掛けなら死に掛けらしく――」
「なあ智也。おまえ、まゆちゃんの事など好きでもなければ大切でもないと言うとったが、それならなんで私らのところに一緒に連れてきたんじゃ?」
かっとなってじじいの胸倉を掴み上げかけたところで、突然ばあさんが口を挟んでくる。
「ああっ?」
「智也の言うことが本当なら、私らに紹介したかったわけじゃないんじゃろ。という事はあの子を放っておきたくなかった。何かから遠ざけたかった。そんな風に思えるが」
「だったらなんだってんだよ」
じじいの胸倉から手を離し、今度はばばあのほうを睨みつける。このやろう、老いぼれのくせになんでそんなに察しがいいんだよ。
「智也が田舎に戻ってくるなら当然、あの子とは離れ離れという事じゃろ。あんたたちがお互い、それに納得できるのかと思うてね」
まゆと離れ離れ?
考えた瞬間。大きな声が脳裏をよぎった。
いまのあいつを放っておけないとか自殺でもされたら困るとか、そういう面倒な理屈じゃない。ただ一言。嫌だっ! という強い本能。
「どうなんだい? 智也」
「……うっせえ」
ばばあから逃げるように声を吐き出して、まゆが眠っている部屋に戻る。
起こさないように注意しながら障子を閉めて、まゆの寝顔を覗き込む。
なにか嫌な夢でも見ているのか、まゆはときおり大きく顔をしかめたり、しきりに毛布の下から手を伸ばしたりしていた。
肘を畳につけてごろりと横になると、眉や頬にかかっていた長い髪を指先でつまみ、ぴんっ、と後ろに弾いてやる。俺と二人でいるときに何度か髪をかきあげていたが、あれはたぶん、長い髪があまり好きではないからなんだろう。
こころを演じるためには必要なものだが、本心を言えばうっとうしくてしょうがない。
こいつはこころを異常なぐらいに溺愛しているから、そんなこと自覚すらしてなくて、無意識にやっていることなんだろうけど……。
ぎゅーっと手を握ってやると、一人きりという怖さが薄れたんだろう。まゆの表情が穏やかなものにかわる。
その仕草に安心している自分がいて、なんだか妙な気分になる。
「まゆを田舎に連れてきた理由ねぇ」
ふと、この一週間の出来事を思い返してみる。
互いが抱えている傷跡に塩を塗りあい、それが原因で口を聞かなくなって、あとは意地の張り合い。こころがいなくなったせいで家に帰れないとまゆが言い出して、放っておくのは具合が悪かったから、仕方なく田舎に来るよう誘ってみた。
どうしてまゆなんかのためにそこまで気を使うのか。
ぐじゅぐじゅ泣いているだけのまゆを見ていてもつまらない。張り合いがない。だから学校の生活に少しでも面白みをつけるために、あいつを立ち直らせようと思った。そう。あくまでも自分のためで、まゆのためってわけじゃない。別に、そんなわけじゃ……。
ぐずぐずと、うぜぇ。
自分自身に強い苛立ちを感じたのは、考えることのほとんどが言い訳にしか思えなかったからだ。
「くそっ、やっぱそういうことなんだよな」
認めるのは癪に感じたけど、結局は認めざるを得ない。
なんでまゆを放っておけなかったのかって、俺自身がまゆをそう思ってるからに決まってる。
けど、だったらどうすればいい?
じじいやばばあが生活を大変に感じてるなら、こっちに戻って来てやったほうがいいに決まってる。あのアパートに母親が帰ってくるかもって言うならなおさらだ。
でも、だからってこいつを一人きりにさせていいのか?
こころがいなくなって、文字通りの心の拠りどころを失って……。
まゆが俺のところに来たのは、助けて欲しかったからなんだと思う。
気持ちの悪い言い方だけど俺自身もまゆを助けてあげたいって、そんなくだらないことを本気で考えてる。
だけど、両方は無理だ。
じじいやばばあを助けたいならまゆを見捨てないといけないし、まゆを助けたいならじじいやばばあを見捨てないといけない。
……うぜぇ。なんで俺がこんなことで悩まないといけないんだよ。
ため息をつきたくなったけど、やめた。
まゆが自分でも抑えきれないぐらい大きな不安を抱えてるって言うなら、こいつの前では強がりを見せていたほうがいいだろう。
別にカッコつけたいわけじゃない。
「うぜぇ」
自分で自分に言い訳をしてるのがわかって、それがまたムカついた。




