『秋の庭園(後編)』
後編です。
それから 無邪気な様子で人差し指を掲げ、あれこれ空に浮かぶ雲の形に言及していた千佐都がふと静かになった。
無防備にすうすうと眠る千佐都。
そっと近寄ってみたが起きそうにない。
音をたてずにバスケットを片付け、千佐都の横に座り込んだ。
シート代わりのブランケットから足がはみ出しているので体を少し引き上げる。千佐都は軽い。
ふむ。
枕替わりに私の膝を提供しよう。
解れた髪が顔にかかっているのを直し、つやつやした黒髪をなぜる。
安らかに寝ている顔をもっと見たくて、そうっと眼鏡を外した。
千佐都は肌が白い。日焼けをしにくいと言っていた。まだその素肌は見せてもらえそうにない。
膝を曲げ眠るスカートの裾の白いパニエが覗く。黒のハイソックスの膝の裏、肌の白さをうらめしく思う。
髪を下ろした姿も見せてはくれない。いつもきっちりと三つ編みか、ひとつにまとめたおだんご。
三つ編みの毛先で千佐都のほほをくすぐる。起きない。
頭を撫でているうちに、髪をほどきたくなった。
きつい三編みをゆっくり解き背中へ流してみれば、癖が緩やかなウェーブになって、うねうねと広がる。
綺麗だ。
横になって目を閉じている姿ではなく、起きて目を開けた姿で見てみたい。
起こそうか。
もぞりと千佐都が小さく動く。
「う…ン」
私の膝に片頬を当て、ひたりと手を添えた。
千佐都の息と、あたたかい手の感触に暫くはまだ、このままでいいか、と上着を脱ぎ千佐都の肩に掛けた。
「くしゃん!」
体ごと前屈みになった弾みで足まで大きく揺らしてしまった。
ぱちりと目覚めた千佐都は、きょときょとと瞳を瞬かせ、上から覗いている私の顔を不思議そうに見つめた。
視線が数秒止まったと思ったら、視線は私の顔から外さぬまま、黙ったまま静かに起き上がり私から離れた。
何か言おうと口を開いた時、千佐都が小さく呟いたのを聞き逃した。
「…ぃです」
そして、はっとして髪に手をやり、ほどけたことに不審げに目を下げ、そして私を問いただすように見やる。
「…千佐都?」
何か問いたげな目で、私へ訊きたいことがあるだろうにおし黙ったまま、小さく佇む姿に私も言い訳の言葉が出ない。
傷つけた。
何かを傷つけてしまった。
私を疑い責めて怒ればいいのに。怒鳴って駆け出し逃げてくれたら、追い掛け捕まえて謝罪するものを。
私が主人で千佐都はメイドだから、職務放棄など考えたこともない千佐都だから。
千佐都は怒りでもなく、悲しみでもない感情が読み取れない表情で懸命に言葉を考えているようだった。
「こんなのは、おかしいです」
ようやっと千佐都は口を開く。
ひやりとした。
おかしい?この関係が?
ああ。恋人返上宣言でないことを祈る。
千佐都が私に許した触れる権利を手放したくはない。私に与えられた独占権を奪わないでくれ。
「メイドが居眠りしたら、叱って起こしてくださらないのは主人の怠慢です。酷いです。
わたしは、至らないメイドで日々、旦那さまにはご迷惑をおかけしてしまっています。
けれども旦那さまがお仕事に専念できるよう、毎日きちんと快適に過ごせるよう、ご満足していただけるよう、休日はごゆっくりとお寛ぎできるようにして差し上げたいのに、わたしの仕事の邪魔ばかりをするなんて酷い。
勤務中のメイドがお酒を呑んで主人の膝で眠るなんておかしいです」
なるほど。
「わたし、わたしは旦那さまのために…」
うんうん。私のため。
「こんな、こんな…」
段々と声が小さくなり、言葉をつまらせ泣きそうな瞳で私を見る。
主人のための計画を当の本人が構わず、居眠りしたメイドを膝枕する主人はたしかにないな。
千佐都が持つ二つの切り札を気付かれなかったことの快哉に思わず頬がゆるむ。
乱れた長い髪がひとすじ千佐都の顔に流れ、いつものメイドらしい風情と違う、眼鏡のないかわいらしい姿の必死の訴えにうっとりする。
「最近の旦那さまは」
キリッと表情を改め、決意を込めた目を私に注ぐ。
「不謹慎ですッ!」
瞬間、つい吹き出してしまった。
何故?と茫然とする千佐都に近付く。
「そうだよ。私は君には不埒で不謹慎な思いしかないよ」
「でも嫌われたくないから、これでも手加減している私の気持ちを千佐都はちっとも分かってない」
「もっと仲良くなりたいんだ」
仲良く、で千佐都の背中をさっと撫でる。
一言毎に千佐都を抱き寄せ、抱きしめ、逃がさないように優しく拘束する。
こうするとビクリと固まり、震えながら大人しく抵抗しない。
頭のてっぺんに口づけながら、このまま押し倒したいと願う。
「千佐都の寝顔だけで今日は我慢するつもりだったけど」
目の端にはブランケットの不埒で抗いがたい誘惑が映る。
男の力でこのまま…。
千佐都の身体が緊張で更に硬くなった。
「ず、ずるい。卑怯、です」
おや。
ぐいぐいと今回は珍しく私の胸を押し返す。
その両手を取ってユラユラ揺らす。 千佐都の瞳を捉え笑いかける。
「うん。だからね、君は私に甘えてくれないと卑怯を止めないよ」
「えっ!?」
「私に寛ぎを与えたいと言うなら、君自身が私を甘やかさないといけないな」
「何をおっしゃって…きゃあァっ!?」
素早く狙いを定め、ゆっくり味わう。
緊張から徐々にふにゃふにゃと力が抜けていく千佐都を抱きなおす。
「無理強いは趣味じゃないから、これで我慢しよう」
白い首筋に一つ、赤い痕を残して。
最大限に真っ赤な顔の恋人の、最愛のメイドの手をとり握る。
さあ、帰りは手を繋いで屋敷へ戻ろう。
庚朝顕はメイドの用意した秋の休日にとても満足した。
終わりです。2010/10/27作成。