第31話 違う温度
その一方で、以前から考えていた仕事の外注化の準備も進めていた。
クラウドソーシングサイトで仕事の依頼をする。以前は、仕事を探す側として眺めていた場所だった。今度は、仕事を頼む側として、そこに戻ってきている。
僕は依頼したい仕事内容を書き、募集を掲載した。
募集を出すと、数日のうちにいくつか提案が届いた。
Premiere Pro対応可能。
YouTube動画編集できます。
構成から編集までお任せください。
レスポンスは早いです。
納期厳守で対応します。
提案文には、そういう言葉が並んでいた。
どの言葉も、頼もしく見えた。
僕は応募者のプロフィールをひとつずつ開いた。
実績、ポートフォリオ、自己紹介文、対応可能な作業範囲。前に受注者としてこの場所を見ていたときとは、目を向けるところが少し違っていた。
この人に、仕事を任せられるのか。
そういう目で見ると、画面の文字は急に重さを持つ。
条件に合いそうな人が数名見つかった。その中でも、特に一人、良さそうな人がいた。
「その内容でしたら、三日程度で仕上げられます」
提案文には、そう書かれていた。
「業務に必要なスキルは一通り持ち合わせています。動画の構成を考え、絵コンテ作成から編集まで対応可能です。ご連絡には一時間以内に返信いたします」
かなり条件がいいなと思った。
キャリアとしては、まだ長いとは言えない。ポートフォリオに載っている作品のクオリティも、正直、今ひとつに見えた。
けれど、やる気は人一倍あるように見えたし、メッセージのやり取りもスムーズだった。少なくとも、コミュニケーションは取りやすそうだった。
最初から完璧な人なんていない。
僕だって、最初から何でもできたわけではない。わからないことを調べ、現場で失敗し、先輩に質問しながら、少しずつ仕事を覚えてきた。
だから、未熟であること自体は問題ではない。
大事なのは、やる気やパッションの方だ。いくら実力があってもやる気のない人より、多少未熟であっても熱意を持って仕事に取り組んでいる人の方が伸びしろがあるし、僕はそういう人とパートナーとして手を組みたいと思っている。
詳細な仕事内容や納期を伝えると、すぐに返信が届いた。
「絶対に素敵な動画を作成いたします! ぜひともお任せください」
その文面を見て、僕は少し安心した。
納期までは、もう二週間しか残されていなかった。これ以上、編集者の選定に時間をかけるわけにはいかなくなってきていた。
僕は、その人に依頼することにした。
まず頼んだのは、募集に記載していた通り、絵コンテの作成だった。インタビュー用に撮影した映像を全体的に確認してもらい、動画の構成を考え、それを絵コンテとしてまとめてもらう。問題がなければ、その絵コンテに沿って編集へ進んでもらう。
そうすれば、途中で大きくズレることはない。
少なくとも、僕はそう考えていた。
外注を試してみたとはいえ、僕は相変わらず仕事に忙殺されていた。朝から晩まで、何かしらの画面を開いていた。タイムラインを見て、チャットを見て、メールを見て、資料を見て、参考動画を見て、またタイムラインに戻る。自分がどの画面の中にいるのか、時々わからなくなるほどだった。
編集者もやる気があり、信頼できそうに見えたこともあって、気づけば一週間、こちらの件に触れずに過ごしてしまっていた。
そのとき、ふと思い出した。
「そういえば、あの案件は? 何も連絡が届いてないけど、どうしたんだろう?」
僕は急いでクラウドソーシングサイトを開いた。
そこにも、何もメッセージは届いていなかった。
嫌な予感がした。
僕はすぐにメッセージを送った。
「進捗はいかがでしょうか? まずは絵コンテの段階で一度確認させていただけますと助かります」
返事はなかった。
そのあいだにも、僕の方には別の仕事が積み上がっていった。チャットが来る。素材が届く。修正が入る。画面の上で、小さな火種がいくつも同時にくすぶっているようだった。ひとつ消したと思えば、別の場所で煙が上がる。
まずいかもしれない。
その気持ちが、徐々に大きくなっていった。
僕は再びメッセージを送った。
「納期まであと一週間しか残っていないのですが、念のため確認させてください。ちゃんと間に合いますでしょうか?」
ようやく返事が来たのは、その日の夕方だった。
「納期は一週間後ですよね? その日にまとめて作業をしようと思っていました」
愕然とした。
納期の日に作業を始める。
まったくもって意味がわからない。
納期というのは、作業を始める日ではない。完成したものを納品するための最終期限だ。そんなことは、映像制作に限った話ではない。旅行の準備でも同じだ。飛行機が飛ぶ時間に、家でスーツケースを広げ始める人間はいない。
「それだと絶対に間に合いません。絵コンテを作って、それをもとに編集するんですよ? 絵コンテの確認時間は想定されていないのでしょうか? 私がチェックし、クライアントに提出して確認してもらう必要があります。その返事が返ってくるまで、少なくとも一日は見た方がいいです。その後、編集に入っていただき、初稿提出後も同じように確認作業があります。修正対応まで加味すると、今から始めても遅いくらいのペースです」
すると、数時間後に、信じられない答えが返ってきた。
「そういうスケジュールがあることを私に伝えましたっけ? 過去のメッセージをさかのぼったんですけど、どこにも見当たらなくて」
僕はしばらく椅子にもたれた。
納期まで二週間しかない急な案件だった。
クリエイターは、空いた箱にその場で荷物を詰めるように仕事をしているわけではない。ほかの案件との兼ね合いを見ながら、先々のスケジュールを組んでいる。急に来た案件に、こちらが細かい日程まで勝手に決めて差し込めば、相手は対応しづらくなる。僕自身もクリエイターだから、それはよくわかっていた。
だから、細かい日程まではこちらで決めず、納期だけを伝えていた。
その中で、いつ絵コンテを作り、いつ編集に入り、いつ初稿を出すのか。そこは相手側の予定に合わせて組んでもらえばいいと考えていた。
こちらとしては、相手の仕事の進め方を尊重したつもりだ。
それなのに、詳細なスケジュールを決めていないこちらが悪いのだとでも言わんばかりだった。責任の重心を、いつの間にかこちら側へ移されているような気がした。
しかし、今そんなことで揉めている場合ではない。編集者にストレスを与えることは、間違いなく悪影響にしかならない。
僕は、残り一週間でどうにか納品まで持っていくための進行を、その場で組み直した。
今日からすぐに着手してもらう。
翌日には絵コンテを出してもらい、僕がすぐに確認する。問題があれば、その日のうちに修正依頼を戻し、整った段階でクライアントへ確認に回す。
二日目から三日目にかけては、クライアントからの返事を待つ時間になる。返事が遅れれば、こちらから催促しなければならない。修正が出れば、その内容を反映してもらい、そこでようやく編集に入れる。
四日目から五日目で、編集を進めてもらう。
そして、六日目には初稿を上げてもらい、そこからまた僕が確認し、クライアントにも確認してもらう。修正が出れば、すぐに対応してもらい、再度確認する。
そのように進めれば七日目の納期までに間に合うかもしれない。
相手のスケジュールをまったく考慮しない、かなり厳しい進行だ。
しかし、相手が自分で進行を組めないのなら、もうこちらで決めるしかなかった。
僕はその内容を、できるだけ感情を抑えた文面にして送った。
数時間後に返ってきた返信は、
「承知しました!」
の一文だけだった。
翌日、メッセージを確認してみたが、絵コンテはまだ提出されていなかった。
僕は催促のメッセージを送った。
数時間後、返信が返ってきた。
「編集はしたことがあるのですが、構成はあまり考えたことがなくて、どう絵コンテにすればいいかわからず止まっていました」
僕はその文面をしばらく見ていた。
「どう絵コンテにすればいいかわからず止まっていました」
その一文は、妙に何事もない顔で、画面の上に置かれていた。
怒りより先に、体の奥が冷える感じがした。
「構成を考え、絵コンテを作成し、編集まで対応可能です」
提案文にはそう書いていたはずだった。
「業務に必要なスキルは一通り持ち合わせています」
そう書いていたはずだった。
もちろん、できないことがあるのは仕方ない。誰にでもある。僕にもある。できないことをできるようにしていくのが仕事でもある。
でも、できないなら、最初に言ってほしかった。
わからないなら、止まる前に聞いてほしかった。
僕は深く息を吐いた。
このまま待っていても、進まない。
結局、僕が構成を考え、絵コンテを作ることにした。
クライアントからもらった撮影素材を確認し、使える映像を探し、不要な枝葉を落としていく。伝えるべき情報を並べ直す。何を先に見せるか。どこで説明を入れるか。
頭の中で散らばった札を一枚ずつ並べ替えるように、構成を組み立てていった。
本来なら、人に任せることで空くはずの時間だった。
けれど今、僕はその時間を使って、任せたはずの仕事を自分でやっている。
完成した絵コンテをクライアントに送り、確認を待った。
しばらくして、返事が来た。
「こちらの流れで問題ございません」
僕は小さく息を吐いた。
ようやく、編集に進める。
僕は編集者に絵コンテを共有した。
「絵コンテはこちらで作成し、クライアント確認も通りました。あとはこの流れに沿って編集をお願いします」
ここまで整えれば、さすがに進むだろうと思った。
あとは、その設計図の通りに編集するだけだ。
納期まで、もう残りわずかだった。
急いで進めれば、間に合わなくもない。そう自分に言い聞かせた。
ただ、この編集者に仕事を頼むのは初めてのことだ。実際にどのくらいのスピードで編集できるのか、どのくらいのクオリティで上げてくるのかは、まだわからない。初稿の出来によっては、修正にかなり時間を取られる可能性もある。
だから、僕はある程度、覚悟していた。
多少粗いものが上がってくるかもしれない。
こちらでかなり細かく修正指示を出すことになるかもしれない。
最悪、最後の仕上げは自分で巻き取ることになるかもしれない。
そのくらいのことは、頭の中に置いていた。
けれど、その心構えさえ、肩透かしを食らうことになった。
納期までに、初稿すら上がってこなかった。
僕はその編集者との契約を打ち切ることにした。
納期当日の夜、僕はひとりで編集画面に向かっていた。
外注したはずだった。
何をしているんだろう、と思った。
仕事を減らすために外注したはずなのに、結果として、仕事は減るどころか増えていた。
画面の中で、再生ヘッドだけが淡々と進んでいく。
僕はそれを見ながら、ようやく少しわかった気がした。
人に任せるというのは、手放すことではない。
任せた仕事が遅れても、どこかでズレても、壊れても、最後に責任を引き受けるのは自分だ。
その夜、僕はそれを、自分の手で編集しながら思い知った。
そんな中、SlackにヤマザキさんからDMが届いた。
「ジョウさん、お疲れ様です! この前相談したスクール、申し込んでみました」
スマホの画面に、その通知が小さく浮かんだ。
僕はマウスを止め、少しだけ目を留めた。
「おお、申し込んだんですね」
そう返信した。
「はい! まだ始めたばかりなんですけど、Premiere Proの操作から少しずつ進めています。思ったより難しいです……」
「最初は難しいと思います。でも、触っていれば少しずつ慣れますよ」
「ありがとうございます! またわからないところが出てきたら聞いてもいいですか?」
「もちろんです」
そう返すと、すぐにスタンプが返ってきた。小さなキャラクターが、画面の中でぺこりと頭を下げていた。
数日後、またヤマザキさんからDMが届いた。
「ジョウさん、少し見ていただきたいものがあるんですけど……」
その一文のあとに、動画ファイルが添付されていた。
「まだ全然なんですけど、スクールの課題とは別で、ショート動画を作ってみました。お時間あるときで大丈夫なので、もし見てもらえたら嬉しいです!」
僕は、そのメッセージをしばらく見ていた。
動画編集を始めたばかりの人が作った動画だ。正直に言えば、そこまで期待していたわけではなかった。
画面が忙しく切り替わりすぎて、観ている側の呼吸が追いつかない。言葉が不自然なところで切られて、小さくつまずく。逆に、さっと流せばいい場面を、削るのがもったいないという気持ちだけで長く残してしまう。
このようにどこかぎこちない動画になってしまうケースが大半だ。
でも、その動画を最後まで見たとき、僕は思わず少し黙った。
うまく形になっていた。
ただ操作を覚えたから並べました、という動画ではなかった。ちゃんと見せる順番を考えようとしている。冒頭で興味を引こうとしている。言葉を選ぼうとしている。効果音もうまく使えているし、音量のバランスも悪くない。
以前、僕が話したことが反映されていた。
それがわかった。
僕はもう一度、最初から再生した。
一回目は、全体を見た。
二回目は、止めながら見た。
ここは視聴者が情報を咀嚼するための間が少し短い。
ここは情報が渋滞しがちだから、視聴者の視線をテロップ一点に絞った方がいい。
トランジションを使いすぎているので、必要なときに、意味を持って使う方がいい。
実際の話し言葉のテンポや、声の感情のニュアンスにマッチさせるために、読点の代わりに『半角・全角のスペース』を使ったり、テキストのサイズを変えたりした方がいい。
気づくと、僕はかなり細かく見ていた。
忙しかった。
やることはいくらでもあった。
それでも、適当に「いいですね」と返す気にはならなかった。
なぜなら、直せばもっと良くなるのが見えたからだ。
僕はDMに返信した。
「見ました。初めて作ったにしては、かなり形になっていると思います。構成もいい感じだし、全体的にきれいに作られています」
すぐに返事が来た。
「本当ですか!? めちゃくちゃ嬉しいです!」
画面の向こうで、ヤマザキさんが前のめりになっているのが想像できた。
僕は続けて、こうするともっと良くなるという僕なりの見解を細かく説明した。
「なるほど……!」
もうひとつ大事なことを伝えた。
「それから、欲を言うと、他の人の動画を参考にしすぎない方がいいかもしれないです」
僕はそう打ってから、少し考えた。
「参考にすること自体は悪くないです。ただ、今は動画が多すぎるので、何かに似ていると思われると、その動画で本当に伝えたかった熱量が、表面的な編集テクニックの下に埋もれてしまうことがあります」
僕は続けた。
「参考にするなら、自分が今回作りたい動画の目的にしっかり当てはめることが大切です。例えば、色やフォント、形、柄といったデザイン要素をターゲットに合わせて変える。二十代女性に届けたいなら、その人たちが好みそうなデザインの要素を考えて、そこだけ変更してみるというようなことですね。そうするだけでも、グッとオリジナリティを出すことができますよ」
すぐに返信が来た。
「うわ、たしかにそうかもしれないです。正解がわからなくて、とにかく有名なクリエイターの動画の真似をしておけばいいかなと思った部分がありました」
「そこに気づけているなら大丈夫です」
僕は返した。
「気づけないのが一番怖いので」
しばらく間が空いた。
そのあと、ヤマザキさんからメッセージが届いた。
「ありがとうございます! ここまで詳細に、ご丁寧にご意見いただけるなんて、本当に感謝でしかありません! 直してみます!」
その文字を見たとき、胸の奥が少し熱くなった。
未熟なのはわかっている。
まだ仕事として任せられるレベルではない。修正すべきところも多い。本人も、たぶんそれをわかっている。
でも、彼女は止まっていなかった。
わからないところを、わからないままにしていなかった。
できないことを、できるふりもしなかった。
自分で調べ、手を動かし、作ってみる。そして、わからないところをこちらに差し出してくる。返ってきた言葉を、ちゃんと受け取ろうとしている。
それは、つい最近まで僕が味わっていたものとは、まるで違う手触りだった。
人に任せた仕事は、遅れて、止まって、結局何ひとつ前に進まないまま、僕の手に戻ってきた。
でも、彼女に教えたことは、少しずつ形を変えて、一本の短い動画になって返ってきた。
同じ「人と関わること」のはずなのに、そこにはまったく違う温度があった。
僕はしばらく、Slackの画面を見ていた。
その小さな動画は、完璧ではなかった。
けれど、そこには前に進もうとする力があった。
それだけは、はっきりとわかった。




