第1話 寮会①
「うるさい」
寮で同室の伊波にそう言われて、國弘隆はイラッと睨み返した。
「何も言ってませんけど」
「行動がうるさい」
否定しようと思ったが、机で時計とにらめっこし、時々立ち上がっては「いや、まだ早いか」と座り直す自分を思うと、その通りかもしれない、と思い直した。
「……すみません」
「ただの定例会だろ。遅れるのが嫌なら、とっとと行けよ」
制服姿の國弘とは対照的に、伊波はすでに私服のパーカーにスウェット姿で、ベッドに寝転んでいる。そのリラックスした格好を見ていると、急に自分の襟元やベルトが窮屈に感じた。
「俺は会議室にちょうど二十分前に着きたいの。それより早くても遅くてもイヤなの」
國弘の主張に、伊波は「へぇ」と気のない返事をして、漫画雑誌へ視線を戻した。
自分がこんなにソワソワしている理由を、伊波に知られては困る――のに、こんなに分かりやすい態度を取ってしまうのは、どこかで気づいてほしいからかもしれない。
その時、コンコン、とノックの音が響いた。
どちらが応じるか一瞬の間があり、伊波が反応しないのを察して、國弘が「どうぞ」と扉の向こうに呼びかける。
扉の隙間から顔を出したのは、二年生の馬渕だった。彼の視線は、迷いなく伊波のベッドの上に向けられた。
「これからポーカーやるんだけど、お前も来いよ」
「いいっすね、行きます」
伊波が漫画雑誌を脇に置き、猫のような動きでベッドから跳ね起きる。
馬渕は國弘の方をちらりと見て、「お前も来る?」と尋ねた。
完全に気を使われた様子に少し戸惑っていると、
「コイツこれから寮会なんで無理っすよー」
と、伊波が飄々とした口調で口を挟んだ。
馬渕は少し安心したように、「そっか」といって部屋を出ていった。
伊波もそれに続いてドアまで歩いて行くと、一度振り返ってニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「お前もとっとと兄貴作れよ」
「うるせぇ」
十八時三十六分。
國弘は今だ、と思って部屋を後にする。
いざ歩き出してみると、急に動悸が激しくなるのを感じた。
足が、なんだかフワフワしたものの上を歩くようで感覚がない。
もう何度となく繰り返しているはずなのに、いつまでも慣れない。
部屋の前の廊下に人はほとんどいなかったが、階段近くの談話スペースに近づくにつれて、数人の話し声が大きくなっていった。
そこでは、十人程の寮生が小さなテレビを囲んでいた。
――私立城青学園高校。
全寮制男子高校であるこの学校は、創立二十三年の比較的新しい学校にもかかわらず、『三年城青に学べば、どの大学にでも行ける』と称されるほどの進学校だった。
入学すれば、K県郊外の広大な敷地に半ば監禁され、勉強漬けの毎日が待っている。
もちろん、学費はバカ高い。
テレビを囲んでいる彼らも、どこかの裕福な家庭の息子達に違いなかったが、各々ラフな部屋着姿を見れば、ごく普通の男子にしか見えない。
平日のこの時間は、食堂での夕食を終えた生徒たちが、二十時の自習時間まで各々自由に過ごす。
自室でスマホをいじる、漫画を読む、共有スペースでテレビを見る、テーブルゲームをする……などなど。
ただ國弘に関しては、今日のような毎週金曜日の夜、十九時から開かれる寮会の定例会議に出席しなければならないことになっている。
國弘が制服から着替えられないのも、寮会の会議には制服で出席する、というルールがあるからだった。
城青学園に、生徒会はない。
それに取って代わるのが、寮の自治組織である寮会だ。
國弘は寮会の、一年生代表の一人だった。
代表とはいっても、入学直後、たった一人立候補しただけで、簡単になることが出来たのだが。
テレビでは、最近流行りの若手のお笑い芸人が、巨大なお好み焼きを食べきれるかという挑戦をしていた。談話スペースに、笑い声や、やばすぎる、すげー、などと声があがる。
一年生のフロアなので、見知った顔の同級生が多かったが、なかには一年生と親しげな二年生も混じっている。
それを横目に、会議室のある四階に続く階段を登った。
なんとか階段をあがりきると、すこし息があがっていた。ほんのりだるさを覚えた足取りで、廊下を進む。
生徒の居住スペースがある階と違い、セミナールームや会議室が並ぶこのフロアには生活感がない。思春期男子の汗臭さは消え、床材か壁材か、建物の人工的な匂いが鼻を突く。
廊下を進んで一番奥にあるのが、寮会の定例会で使われている会議室だ。
近づくと、ドアは開け放たれていて、中の電気はついていた。國弘は足音を消してドアに近づき、そっと中を覗く。
教室より少し狭いくらいの部屋に、Uの字を逆にしたように並べられた長机。一番奥の中央、いわゆる議長席に、その人は座っていた。
背もたれに背をあずけ、文庫本を片手に、静かに読書をしている。
國弘は思わず、静かなため息を吐いた。
透明感のある白い肌に、整いすぎた目鼻立ち。文字を追う伏せた目は、長いまつげが際立っている。
後ろに流した艷やかな髪が蛍光灯の光を反射していて、彼の周囲にまでキラキラエフェクトが漂っている気がした。
國弘は、その姿を今週も見られた喜びと同時に、緊張がぶり返して胸が痛んだ。
ずっとこのまま見ていたい、彼がこちらに気づかずにいればいいのに、と思う。
でも、そうは言っていられない。
緊張を振り払い、今度はあえて足音を少し立てながら部屋に入る。
彼がこちらに気づき、顔をあげて微笑んだ。
まるで彫刻や人形を思わせる風貌が、笑みをたたえたことで途端に温度をもち、穏やかな空気が漂う。
「お疲れ、國弘くん」
城青学園寮会寮長、四方道哉。
――國弘がこの学校に入学した理由だった。




