第一話 下 真の偽書とは
『だが藤堂の書が偽書であるか否か、今一度考え直す必要があると私は考える。
先程引用した三石公徳の、藤堂の書に対する書評は、あくまで一方的な立場で書かれているものだからだ。
歴史というものは、その後の時代を統治した権力者により、改変されるものである。
三石公徳は、十世紀の朝廷にて、関白として権勢を誇った家の出自であり、本人も、朝廷から文章博士の官を与えられ、ある程度の地位を誇っていた。
そのような朝廷側の者が綴る歴史ならば、当時の朝廷に不都合な歴史は書くことができないだろう。
もし「言霊の国」が、古代における朝廷の先祖と敵対していたのならば、このように卑下して書くことで、存在を認めないとすることも頷ける。
また他の書物に記載がないことから、歴史の中で私と同じような説を唱える者が悉く朝廷に消されてきたのであれば、今日までこの説が下火となっていたこともその証拠たりえるかもしれない。』
―三枝伶『古代の国々を巡る』より―
「藤堂家は、“言霊の国”を滅ぼした家の一つだった」
篤郎の言葉に、思わず拳を握りしめる。
「当時“言霊の国”に敵対していた国の中で、朝廷の命を受け、先陣切って戦を仕掛けた家の一つが、藤堂家だった。滅ぼした暁には、朝廷から名誉を賜り、家は安泰となる……はずだった」
その不穏な言葉に締めに、私たちはほんの僅か、顔を強張らせる。その時の小屋や外木々は沈黙していたかのように、何も聞こえなかった。
「朝廷は“言霊の国”の存在を抹消するために、それに関わった家諸共、朝廷の中枢から排除したんだ。言うまでも無く、戦の矢面に立った藤堂家も、中枢から弾き出された」
藤堂家の没落を、篤郎は静かに語る。
「勿論藤堂家を始め戦に関わった家は反発したが、朝廷の力で押さえつけられた。没落した藤堂家は、官位を剥奪され、都を追い出され……その屈辱は子子孫孫まで続いた。後の時代になって藤堂長十郎が書いたこの書も、朝廷が偽書扱いすれば、皆同じように嫌煙した」
俺がこんな山奥にいるのも、そのせいさ、と篤郎は吐き捨てる。
話によれば、藤堂家はまさしく汚れ仕事をさせられただけだった。朝廷及びその中の公家たちは、穢れのもととなる戦などやりたくはない。だから自分たちは安全な場所で、戦は武家に任せて、それが終われば切り捨てる。反発したなら、他の武家を唆して鎮圧させ、やはり自分たちはのんびりと、都で政治のみをする……。まさしく中世の朝廷は、そんなやり方だったからこそ、容易に想像できる。
だが、
「そう、本家には伝えられてんだが……本当に“言霊の国”があったかは、定かじゃねえ」
そこまで話して、篤郎は根本を否定した。
「ここまで話したのが、本家に伝えられてきた記憶だ。だが……肝心の“言霊の国”の内情には一切触れてねえんだ。だから、存在したかは怪しい。名前は先祖がとってつけた創作だってだけで、全く別の国だったとかな」
自虐的な言い方で、篤郎はそう語った。篤郎は、先祖のせいで今のような生活になっているから、先祖の話を信じる気はことさらないらしい。
「では……この“国ノ主、天君ト号シ、ソノ奇甚疎シキナリ。ソノ奇トハ、言ノ葉ヲ現ニスル事ナリ”という箇所も、創作の可能性が高い、と?」
私は開いた書の一部分を指差し、問うた。「国の長である“天君”の血筋の者が超能力を持っており、それは“言ったことを、本当にする”ことである」という記述の箇所だ。
「言霊ってもんが信じられてんのは分かるよ。今でも婚礼の場では忌み語なんかがあるのもそうじゃねえか。……だがな、それを超能力と認めるのは無理だろ。思い込みだ、思い込み」
確かに、この国には忌み語という文化がある。篤郎が言ったように、婚礼の場では“切れる”という言葉が、縁が“切れる”を連想させるとして、使わない方が良いとされているのも事実。実際に使ってしまい、本当に縁が切れたら、あんなことを言ったせいだ、と思われる文化なのだ。単なる思い込みや偶然だとしても。
それは承知の上で、それを具現化する超能力のようなものが、古代の国にあったという、藤堂の記述。
「創作以外のなにもんでもねえよ……こんなん」
篤郎はぶっきらぼうに吐き捨てる。彼にとって、藤堂長十郎のこの書は、身内の恥以外のなにものでもないのだろう。これにより、彼は生きづらくなってしまったのだから。
「この、藤堂長十郎の『日出国之歴史』という書は、古代を扱う歴史学者のごく一部では有名ですが、一般にはあまり知られていません。あなたの話が本当なら、“言霊の国”に関する書物が表に出ていないのも、朝廷のせいなのでしょう。もしかしたら歴史の中には、他にもそれについて書かれた書物もあったのかもしれない。でも、焚書に遭うなり書き換えられるなりして、秘されてきたに違いありません」
「ハッ、あんた、俺の話信じるのかよ」
篤郎は鼻で笑っていたが、その表情には僅かに戸惑いと喜悦も見えた。
「信じるかどうかは、今後の研究次第ですが……先程も言いましたように、私は学者ですから……可能性を見落とすことはできません」
「……そうかい」
そこまで聞いて、私は残りの水を静かに飲み干し、孝詠に目を遣った。孝詠はすぐに立ち上がり、土間に降りる。
「有難く御座います。篤郎さん、あなたのお話は貴重でした」
私が礼を言うと、
「もう帰んのか?泊まってってもいいんだが」
そう言って格子から外を見る。確かにもう晩景が見える。しかしすぐに夜になるほどではない。しばらくは暮れ泥んでいそうだ。
「そうですね、孝詠もきっと疲れていますし……でも」
でも、なんだ?と篤郎は聞き返す。
「あなたがもう少し、信用できれば良かったのですが」
そう言ったら、篤郎はしばらく口を噤み、顔を伏せた。
「……ハッ」
息を吐き捨てて顔を上げた篤郎は、下卑た笑みを浮かべていて。
「あんた、そんなことまでお見通しなのか」
その笑みに返すように、私も眉をハの字にして、困ったように言った。
「生憎、私には心に決めた方がおりますので」
「関係ねえな。今からでも、その男を殺して、足の悪いあんた思い通りにすることだってできるぜ」
篤郎がそう言った途端、先に土間に下りていた孝詠が、静かに、しかし露骨に剣幕を露わにした。憤怒の籠った目を、篤郎に向ける。私はそんな孝詠を後ろ手で諫めつつ、腹に力を込め、口を開いた。
「私はあなたの思い通りにはなりませんよ」
リーン、と、自分の中で、鈴のような音が響く。
「……ッは」
篤郎はまた鼻で笑い、「そうかい」と呟く。
「まああんたは、俺の”話”は、信じてくれたしな。馬鹿にもしなかった」
伏し目がちにそう言って、
「いいよ、行きな。もう二度と来ないでくれ」
篤郎は横になった。ちょうど私たちに背を向ける形で。
私は孝詠の手を借りて、再び車椅子に腰を落ち着ける
「では、お邪魔しました」
「御前、何故あの男に言わなかったのですか。“言霊の国”は存在すると」
「知らせていたら、どうなったかしら」
「……先祖の記述は恥でないと、……いや」
「あの男は、真実を知っても、何も変わらないと思うの。今の生活が先祖のせいだとは思っていても、悪い気はしていないようだから」
「……そうですね」
「あの男には、居場所がある。私たちとは違ってね」
「……」
「さあ、次の町へ向かいましょう」




