第十七話 精霊の住む泉へ
夜遅くまで、ウィルテイシアから精霊文字についてのレクチャーを受け。俺は思考の使い過ぎで、彼女はたぶん恥ずかしさから来る精神的疲労で、それぞれ泥のように眠りに落ち。迎えた翌日の朝。
未知の知識に対する興奮が冷めた俺は、昨晩の自分の言動を思い出し、頭を抱えていた。端から見たら、俺も昨晩のウィルテイシア同様、茹で上がったタコのようになっていることだろう。
「ああ~、またやっちまったよ……」
これは昔からある、俺の悪い癖。一つのことに集中すると、極端な冷静状態になり、自分の行動ですら他人事のようになる。その間は、あらゆる言動に対して興味を満たすことを優先してしまうようになるので、こういったことが頻繁に起こっていた。
あの、自身が女性であることをまるで意識していなかった師匠ですら、俺のこの『過集中状態』は危険視しており。そうなる度に「頭を冷やせ!」と、全身を氷漬けにされていたものである。
(今にして思うと、あれは師匠なりの照れ隠しだったのか?)
当時はフィオナにぞっこんだったし。師匠を女性としてみたことはない。しかし、俺の行動が、師匠に、自信の中の女を意識させていたとなると。それはそれで、俺はよく生きてあそこを出られたものだ。
(師匠、プライドめちゃくちゃ高かったからな……。それを逆なでしていたのかと思うと、今更ながらゾッとする……)
ふと、隣のベッドにいるウィルテイシアの方に目を向ければ、彼女の方も今しがた目を覚ましたらしく。こちらにチラチラと視線を送って来ている。
彼女は彼女で昨晩の俺の行いの影響が残っているようだ。いまだに頬と耳の先を上気させている辺りは、今になってみても魅力的で。俺の様子を伺うように、こちらに視線をチラチラと向けて来る辺りは、やはり可愛いと言わざるを得ない。
「あ、あの……。ライオット。これからの予定なんだが……」
ウィルテイシアがこちらの様子を伺うようにしながら、ぼそぼそと呟く。きっと俺が昨晩のように迫ってきたら、と考えているのだろう。
「ああ。何かしたいことでもできたか?」
できるだけ彼女を精神的に追い込まないように、あえて声を高めに出して、彼女に先を促した。
「精霊文字についてだが、私よりも直接精霊に聞いた方がいいかも知れないと思ったんだ。だから、里に向かうついでにはなるが、途中で精霊の泉に寄らないか?」
思わぬ申し出に、俺の中で情熱が再燃しそうになる。
精霊の泉。精霊の力による特殊な結界により、他種族では容易に立ち入ることのできない、神秘の地だ。そこに行ってみないかという誘いなのだから、テンションが上がるのは許して欲しい。
「い、いいのか? 精霊の住処に、人間の俺が立ち入っても……」
務めて冷静に、声のボリュームを意識して問う。
いくら精霊と親交があると言われるエルフとはいえ、精霊の住処ともあろうデリケートな場所に、他種族を安易に誘っていいはずがない。彼女が俺を信頼してくれているからこそなのだろうけど、こちらとしても簡単に「行きます!」と返すのは憚られるところ。
「もちろん、結界に入る前に精霊たちに伺いは立てる。だが、精霊は『相手の内面まで見通す眼』を持っていて、上位の精霊ともなると、その者の未来すら見通すと言うからな。ライオットなら大丈夫なはずだ」
なるほど。確かに精霊は心を読むと伝え聞くので、彼女が言うならそういうことなのだろう。
しかし、そういうことなら、俺としてもじかに精霊を見る機会を得られるのはありがたいし、何よりこの魔導書を解読する手掛かりになるのなら、ぜひお願いしたい。
「それじゃあ、せっかくだし寄らせてもらおうかな。もちろん、精霊たちの意向を重視する方向で」
「ああ、わかった……」
「それじゃあ出立の準備をしてくる」と、着替え諸々のために部屋を出ていくウィルテイシア。この宿には狭いながら湯あみをする場所もあるので、きっとそこに向かったのだろう。
彼女が部屋にいない間に、俺も出立の準備をしなければ。
俺は手ぬぐいを取り出して、水魔法で軽く湿らせたのち、上着を脱いで体を拭く。こういう時に魔法が使えると、わざわざ水場まで行く必要がないので、非常に楽でいい。
そんなこんなで旅支度を済ませた俺たちは、宿屋の主人にお礼を言って、宿を出た。
町を出る前に、大衆食堂的な店で軽く朝食を取りっていると。ウィルテイシアがこんなことを言い出した。
「ライオット、新しい服を買おう」
「……服?」
俺は思わず首をかしげる。
そして自分の身なりを見れば、服は撚れていてみっともないし。ところどころ戦闘による穴も開いている。
流石にきれいな街並みの中でこれは目立つし、精霊に会うのなら、それ相応の格好をした方が印象がいいかも知れない。
「でも、俺。大した金持ってないぞ? 宿屋代だって、ウィルテイシアに出してもらったのに……」
「何を言っているんだ。私が、貴方のちゃんとした格好を見たいから。そう提案しているんだよ。私のわがままだと思って、受け入れてくれないか?」
そんな風に言われたら、断るのも悪いと言うもの。
俺は彼女の提案を受け入れ。大人しく新しい服を買って貰うことにした。
そんなこんなで、またしてもウィルテイシアの見立てで服屋を選び。その店に並んでいた、割とお値段の高い服を購入。
上下の服に、靴に手袋。フード付きのマントと、新しいバッグまで。締めて十二万五千リラ。一般市民が普通に働いたとして、一カ月で稼げる額より、少し少ない程度。それほどの額をポンと出せるのだから、やはり長生きは得なのだろうか。
ともあれ。俺は魔導士だからと、対魔力性と防刃性に富んだ素材で織られた特殊な布で仕立てられた、その服を。ありがたく頂戴して、さっそくそれに着替える。
「……どう、かな?」
俺が好んで着ていた、青系の色で統一されたその服は。肌触りがよく、伸縮性にも富んでいて動きやすい。これなら今までよりも機敏に動けそうな。そんな感覚すらあった。
「よく似合っている! より男前になったな! これはいい! いいぞ! 流石は私が見込んだ男性だ!」
何故だかウィルテイシアのテンションの方が高くて、ほんの少し困惑したけど。
支払いが彼女の所持金なのだから、彼女が満足しているのなら、それに越したことはない。投資した金額に見合うだけの見合うだけの男になろう。そう決意した、比較的暖かな、秋の日の朝だった。
そしていざ、精霊の泉を目指す。
町を出てから二時間ほどは街道を歩き、ウィルテイシアの案内で道を逸れ、森に入ることしばし。一見何もないように見える森の一画で、唐突に一歩先を行く彼女が立ち止まった。
「……ここか?」
「ああ。精霊術で隠遁されているが、ここが結界の端だ。そのままここに踏み入っても、空間の歪みで中には入れず、別の場所に飛ばされるようになっている」
「なるほど。迷いの森って訳か……」
俺ですら、目を凝らしても魔力的な揺らぎは見て取れない。魔法と精霊術は全く系統の違うものなのだから、当然と言えば当然だが。俺としては、この技術にも非常に興味がある。
「精霊たちよ。私の言葉に耳を傾けては貰えないだろうか」
ウィルテイシアがどこへともなく語り掛けると、ほんの少し、場の空気が変わるのを感じた。恐らくだが、精霊が彼女の問いかけに反応して、こちらに意識を向けたのだろう。本当にわずかな変化なので、並の実力ではそれに気づくことも不可能だろうけど……。
「私はウィルテイシア。後ろにいるのは、私の旅の仲間で。人間のライオットと言う。ぶしつけな要求なのは承知の上で、私たちに、あなたたちの泉に立ち入る許可をいただけるとありがたい」
精霊のものと思しき声は、聞こえない。しかし、細く鳴くような風の流れと、木々のざわめきが、何かの返答のようにも思える。
五秒待ち、十秒待ち。これで伝わっているのかと首を傾げそうになったところで、不意に優しい風が頬を撫でた。まるで戸が開く時のような風の流れ。もしかして、精霊たちがウィルテイシアの言葉を受け入れてくれたのだろうか。
「ライオット。よかったな。あなたはどうやら精霊たちに気に入られたようだぞ」
「そうなのか? 俺、何もしてないけどな……」
「反対の意を示す精霊が一人もいない。これはすごいことだぞ? 誇っていい」
「……あ、ありがとう」
そういう訳で、ウィルテイシアの先導に続き、その場から歩みを進める。すると数歩歩いたところで、空気のにおいがガラッと変わった。
どこか一面の花畑を思わせるような、甘くて、さわやかな香り。空気は仄かに暖かく、秋深まった外の気温とはまるで違う。
そして何より、どこからともなく聞こえる、囁くような歌声のようなものが印象的で、そこが一種の異界であることが窺えた。なるほど。精霊の住処というのは、こういう場所なのか。
大きな緊張と、少しの期待と。
やや場の雰囲気に気圧されながらも辿り着いた、それはもう美しいとしか言いようのない、澄んだ翡翠のような色の水を湛えた泉で。
俺は人生において初めて、精霊というものと対峙した。
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