人間の顔をした災害・歪む談合試合
「……あれは、人間の顔をした災害だ」
王国と帝国の間で繰り広げられる、筋書き通りの血の八百長劇。
前線で散っていく兵士たちの命を安いチップにし、核心に迫りかける部下たちを「慈愛の仮面」で欺きながら、王都の防衛を空洞化させていく第二王子ライオネル。
すべては、帝国の狂犬・大久保拓真がエドワード王子を暗殺し、己が新たな王として帝国と手打ちにするための醜い野心のためだった。
国境付近。焼け焦げた平原を見下ろす丘には、王国軍の野営地が重苦しい沈黙に包まれていた。
焚き火の爆ぜる音さえ耳障りに感じるほどの静寂の中、軍幕に集まった将官たちの顔には、泥と血、そして拭い去れぬ疑念が色濃く刻まれている。
「帝国軍が、よもやこれほどとはな……」
騎士団長レイヴンが、血の付着した籠手を外し、重々しく机に叩きつけた。その脳裏には、決定打を与えられぬまま命を散らした多くの部下たちの姿がある。
「……少し、不可解なんです。相手は本当に、僕らと同じタイミングで魔力が尽きたのでしょうか」
魔術師団長キュラムが、険しい表情で戦況図を静かに睨みつづけながら呟く。
「あまりにも都合が良すぎる。まるで、こちらが限界を迎えて引くのを、最初から待っていたかのような……」
「クソッ! 噂に聞くあのゼクスとセシルの魔術があれば、これほどの犠牲を出さずに勝利を収められたかもしれんものを!」
憤懃に吐き捨てるレイヴンの瞳には、無念と焦燥が渦巻いていた。彼にとって、前線で血を流す兵士を見捨てて動かない存在は、すべて敵に等しい。
「恋人可愛さに『邪魔するなら国を滅ぼす』などと抜かしおって。あの化け物め、国家の危機だというのに、戦いもせずに王都でぬくぬくと女に愛を囁いているのか!」
「……まぁ、彼は軍属ではないですからね」
副騎士団長ヴォルフガングが、沈痛な面持ちで宥めるように割って入った。
「王都の守備に就いてくれているだけでも良しとしましょう。武だけでも私以上、魔術においてはキュラム団長ですら十秒ともたない怪物だ……。大変惜しい存在ではありますが、あの方の機嫌を損ねればそれこそ終わりです。それよりも私が不可解なのは、帝国軍の動きです。まるで軍全体が『何か』を待って手を抜かれ――」
ヴォルフガングの言葉が、隠された「真実」の核心に触れようとした、その瞬間。
上座に座るライオネル王子が、静かに片手を上げた。たったそれだけの動作で、軍幕内の空気が鋭く凍り付く。
「……もういい。戦死者が増えるのは私の本意ではない」
ライオネルは、いかにも痛ましげな、慈愛に満ちた顔で一同を見渡した。内心で心臓を激しく脈打たせ、背中に冷や汗を流していることなど、微塵も表に出さずに。
「明日はじりじりと後退しつつ、王都へと軍を引き戻そう。……王都の防衛圏まで来れば、彼にも助力を頼めるはずだ」
「……御意」
王子の「国を想う慈悲深き判断」に、レイヴンたちは悔しげに頭を下げた。
だが、伏せられたライオネルの睫毛の奥、冷ややかな瞳には、底の見えない暗い野心が渦巻いている。
(危ないところだった……これ以上キュラムたちに探らせるわけにはいかん。……せいぜい前線で傷を舐め合っていろ。その間に、帝国の狂犬が王都でエドワードを確実に暗殺してくれるはずだ。ゼクスをこの戦場へ釣り出し、王国と帝国が手打ちにする計画だったが……しくじるなよ、拓真とやら)
ライオネルは口元を歪めたい衝動を、静かに茶を啜る動作で隠した。自分が次期国王となり、帝国と同盟を結べば、平和をもたらした偉大な主として歴史に名が残る。そのための兵士の犠牲など、彼にとっては端数に過ぎなかった。
─────
対する帝国軍の陣営でも、王国への評価は劇的に変質していた。
「王国の軍事力、ここまで底が浅いとはな。これならば、ライオネルの口車に乗らずとも、力押しで蹂躙できただろうに」
騎士団長ダルムが鼻で笑うが、隣に立つ魔術師団長ハロルドは眉根を寄せ、拓真たちが消えていった王都の方角を厳しく凝視していた。
「……いや。一人でシャドウ・ハウンドを壊滅させたという『怪物』がいる以上、慎重になるのは妥当だ。だが……今の最大の懸念は、もはや王国軍ではない」
そのハロルドの言葉に、陣幕内の空気がわずかに冷えた。
「あの『勇者』、拓真だ。……もはや我らが束になっても、あれの首に鎖をかけることはできまい。四肢が引きち切れようが、即座の治癒に物を言わせ、笑いながら突っ込んでくる。……あれは、人間の顔をした災害だ」
「ああ。どのみち王都にはそのゼクスとやらがいる。まずは様子見だ。……もし、あの制御不能の狂犬がゼクスと遭遇し、運良く奴を食い殺したならば――」
帝国将官の唇が、野卑な愉悦に歪んだ。
「――そのまま、王国を根こそぎ地図から消してくれよう」
保身と実権を狙い、都合の良い八百長を確信する王子。
異界の勇者という制御不能な怪物の威力に魅了され、漁夫の利を狙う帝国。
歪んだ者たちの手によって始められた「談合試合」は、誰も予期せぬ破滅的な殲滅戦へと、静かに変質しようとしていた。
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