「私以外には、見せたくなかったし」──美月の前で行われた、残酷な「お世話」の儀式。
「……汝、エドワードは、美月を妻とし──」
夢の中で響く、愛する人の誓いの声。
手を伸ばしても届かず、声も出せない絶望の最果てで、ゼクスは意識を取り戻す。
だが、覚醒した瞬間に感じたのは、唇に触れる温かな重みと、喉を流れるスープの感触だった。
至近距離で微笑むセシル。
彼女が語る「お世話」の内容と、すでに美月の前で披露されたという既成事実。
英雄として目覚めたはずの少年を待っていたのは、安らぎではなく、幼馴染による完璧な「独占」という名の、あまりに甘く残酷な現実だった──。
視界が真っ白に染まり、懐かしい消毒液の匂いが鼻腔を突いた。
意識が浮上すると、そこは夕暮れに染まった病室だった。
「……涼翔のバカっ!! 本当にバカなんだから!」
目の前には、赤くなるまで目を腫らした美月がいた。怒ったような表情をしているが、繋がれた手は震えていて、大粒の涙が彼女の頬を伝い落ちている。
「なんで……なんであんなことしたのよ! 怪我して、全国大会も行けないじゃない……っ! 涼翔の努力、全部台無しになっちゃったじゃない!?」
責め立てるような言葉の裏にある、狂おしいほどの心配。涼翔は微かに笑い、握られた手に力を込める。
「……大会なんて、どうでもいいんだよ。美月を守れた、それだけで十分なんだ。俺にとって、美月が何よりも大事だから」
そう真っ直ぐに伝えると、美月は呆然とした後、救われたように顔を崩して泣きじゃくった。温かな夕陽に包まれた、切なくも確かな「相思相愛」の瞬間。
──だが、その幸福は、一瞬で奈落へと反転した。
不意に、病室の壁がパズルのように崩落する。
夕暮れの静寂は、耳を突き刺すような高らかな「結婚行進曲」へと塗り替えられた。
「……え?」
気がつけば、涼翔は参列席の最前列に座らされていた。
見上げた先にあるのは、白く巨大な大聖堂の祭壇。そこには、純白のウェディングドレスを纏い、世界で一番美しく微笑む美月がいた。その隣で、彼女の腰を勝ち誇ったように抱いているのは、エドワードだ。
『汝、エドワードは、美月を妻とし──』
神父の厳かな声が響き渡る。涼翔は必死に声を絞り出そうとするが、喉が焼けたように音が出ない。立ち上がることも、抗うことも許されない。
美月は一度も、涼翔の方を振り返らない。かつて自分のために流してくれたあの涙も、もはや記憶にないかのように、彼女は愛おしげにエドワードを見つめている。
『……はい、誓います』
美月の清らかな声が、聖堂内に反響した。二人が重なり、誓いのキスを交わす。
(置いていかないでくれ。美月、俺を見てくれ……!)
──ふいに、深い闇の底から、ゼクスの意識が覚醒する。夢⋯⋯
全身を包む痺れるような倦怠感。そして、唇に感じる妙に温かくて柔らかい「重み」。
(……ん? ……なんだ、これ……?)
鼻孔をくすぐるのは、慣れ親しんだセシルの香りと、丁寧に煮込まれたスープの匂い。
重い瞼を無理やり押し上げると、そこには――至近距離で目を閉じ、恍惚とした表情で自分を食んでいるセシルの顔があった。
「…………っ!?」
驚愕で声を出そうとした瞬間、喉の奥に温かいスープが流れ込んでくる。反射的に嚥下してしまったゼクスの耳に、ゴクッ、という生々しい水音が響いた。
「……あ。……スーちゃん、起きた?」
セシルがゆっくりと顔を離す。その唇は濡れ、満足げな微笑みを湛えていた。
ゼクスは真っ白な顔を瞬時に赤く染め、激しく咳き込んだ。
「ゲホッ、……セ、セシル! お前、今、何を……!」
「何をって、ごはんだよ? スーちゃん、ずっと寝てたんだから」
「だ、だからって……頑張れば飲ませられる、はず⋯⋯?こういうのは、好きな人と……」
「こうしたほうがちゃんと飲んでくれるし、それに『好きな人と』って……。スーちゃんは私の気持ち、知ってるでしょ?」
セシルは自分の唇を指先でなぞり、頬を染めながら嬉しそうに続ける。
「スーちゃんは生命活動が維持できる。私は大好きな人と唇を重ねられる。二人にとって、いい事づくめだよ?」
ゼクスは混乱する頭で周囲を見回すが、部屋には二人きり。ここはベルンシュタイン村、ハンスの家の二階。セシルの部屋だ。
「……美月は、どうなったんだ?」
ゼクスの問いかけに、セシルの微笑みが一瞬だけ凍り付く。
命懸けで看病し、その唇を奪い、排泄の世話までして目覚めを待っていた自分。そのすべてを飛び越えて、彼が一番に求めたのが「あっち」であるという事実に、彼女の中の「番人」が静かに牙を剥いた。
「無事だよ。美月様も、テントにいる時にお見舞いに来たけど……目の前でスーちゃんの『お世話』をしてたら、顔を真っ赤にして帰っちゃった」
「……なっ!?」
つまり、これを美月の前でやったのか。
「……スーちゃんの、一番無防備なところ。私以外の人には、見せたくなかったし、そのあとそれを交換するからって言って帰ってもらったけどね?」
ゼクスの腰回りを指差し、頬を赤く染めながら言うセシル。その声音には、宿敵を追い払った勝利宣言と、獲物を独占した悦楽が混じり合っていた。
慌てて自分の腰回りを確認するゼクス。
白く清潔な布が、逃げ場のないほど分厚く、かつ芸術的なまでの強固さで自分を包み込んでいるという絶望的な光景がまた、広がっていた。
栄養摂取だけではない。彼女が口にした「お世話」のすべてが──それが周囲に既成事実として知れ渡ったことを悟り、ゼクスの顔から急速に血の気が引いていった。
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