母娘の対峙
轟音と共に、邸宅の静寂は粉々に粉砕された。
白雪が駆るSR400は、大理石の螺旋階段を信じられないトルクで駆け上がり、重厚な扉を撥ね飛ばしてドレスルームへと突っ込んだ。焼けたオイルとゴムの匂いが、高級香水の香りを一瞬でかき消す。
「白雪! 何をしているの!? 狂ったの?! さあ、鏡を見なさい。どんなに醜い顔をしているか……」
「うるさいっ!!」
白雪はバイクを降りるなり、フルフェイスのヘルメットをエリカの足元へ叩きつけた。重い音が床に響き、エリカがたじろぐ。
「鏡なんかいらない! 鏡に映る『良い子』の私の方が醜い! 今、ここで怒鳴って、汗かいて、拳を真っ黒にして、あんたをぶっ飛ばそうとしてる、この生身の私を見ろよ!!」
剥き出しの叫びが、部屋のクリスタルを震わせる。エリカは縋り付くように、最新鋭の『鏡くん2.0』を指差した。その指先は、微かに震えていた。
「で、でも、これがないと……私は、何者でもなくなってしまうわ……! 私を綺麗だと言ってくれる場所は、もうここ(鏡)の中にしかないのよ!」
完璧な女帝の、それが悲鳴だった。
そこへ、背後の闇から重い足音が近づいてくる。
「エリカ。……お前、昔言ってたじゃねえか。『鏡を見て取り繕って笑う自分より、排気ガスで汚れて笑うほうが百倍マシだ』ってな」
「……ドク……」
ドクは無言で、ポケットからあの一枚の写真をエリカに突きつけた。
そこには、今の白雪と全く同じ、狂おしいほど自由な瞳で笑い、世界に向けて中指を立てる若き日のエリカがいた。
「ママ、私をちゃんと見て!!」
白雪が、母の肩を掴んで激しく揺さぶった。
「鏡の中に答えなんてない! 私の声を聴いてよ! 私のことをわかってよ!!」
沈黙が、重く部屋を支配した。
エリカは、弾かれたように白雪の顔を凝視した。至近距離で見つめる娘の顔。そこには、自分が毎朝入念に指示していた完璧なスキンケアなど、ひとかけらも残っていなかった。
あるのは、オイルで汚れた頬と、怒りに震える唇。そして何より、自分を射抜くような、野心と生命力に溢れた瞳。
(……ああ、この子は、こんな顔をしていたかしら)
エリカの脳裏に、封印していた記憶が洪水のように溢れ出す。自分だって、かつては親に決められた窮屈な檻から逃げ出したくて、必死に風を求めていた。なのに、いつからだろう。自分を縛っていた檻を、今度は「愛」という名前の鏡に変えて、娘に押し付けていたのは。
自分好みの色を塗り、都合のいい言葉を喋らせ、自分自身の虚栄心を埋めるためのお人形。私は白雪を愛していたんじゃない。白雪に投影された「理想の自分」を愛していただけだったんだ。
鏡の中の数字や評価に怯え、虚像を守ることに必死だった自分に、白雪が引導を渡してくれたのだ。
エリカの中で、ピンと張り詰めていた「完璧」という名の呪縛が、音を立てて崩れ去っていく。まるで、冷たい魔法が解けるように。
エリカの瞳が、激しく揺れる。
完璧だったはずの高級アイラインが、溢れ出した熱い涙に溶け、真っ黒な筋となって頬を伝い落ちた。その無様に汚れた顔は、どんな虚構の微笑みよりも、ずっと人間らしい熱を帯びていた。
「……そうね。私、いつからこんな……冷たいガラスの板に、自分の魂を売っちゃったのかしら」
エリカは震える手で、最新鋭の鏡の背後にある太い主電源を掴んだ。そして、かつての「総長」の腕力で、それを一気に引き抜いた。
『マダム……。あなたハ……世界デ一……一番……』
エリカは、震える手をゆっくりと伸ばした。
それは、汚れ一つないマニキュアを施された、完璧な「マダム」の手ではなかった。白雪の熱い体温を求め、その泥だらけの、傷ついた拳をそっと包み込む「母親」の手だった。
「世界で一番美しいのは――鏡の中の幻影じゃない。こうして自分の足で立ち、自分らしく生きている、この子よ」
エリカの言葉が終わると同時に、鏡の光はプツンと途絶えた。
「……ごめんね、白雪。私は、あなたに自分を重ねて、あなた自身を一度も見ていなかった。あなたは、こんなにカッコよかったのね」
白雪の目からも、抑えていた涙が溢れ出した。
「……気づくの、遅すぎなんだよ、クソババア」
白雪は泣き笑いのような顔で、母の背中に手を回した。




