表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/12

母娘の対峙

 轟音と共に、邸宅の静寂は粉々に粉砕された。

 白雪が駆るSR400は、大理石の螺旋階段を信じられないトルクで駆け上がり、重厚な扉を撥ね飛ばしてドレスルームへと突っ込んだ。焼けたオイルとゴムの匂いが、高級香水の香りを一瞬でかき消す。


「白雪! 何をしているの!? 狂ったの?! さあ、鏡を見なさい。どんなに醜い顔をしているか……」

「うるさいっ!!」


 白雪はバイクを降りるなり、フルフェイスのヘルメットをエリカの足元へ叩きつけた。重い音が床に響き、エリカがたじろぐ。


「鏡なんかいらない! 鏡に映る『良い子』の私の方が醜い! 今、ここで怒鳴って、汗かいて、拳を真っ黒にして、あんたをぶっ飛ばそうとしてる、この生身の私を見ろよ!!」


 剥き出しの叫びが、部屋のクリスタルを震わせる。エリカは縋り付くように、最新鋭の『鏡くん2.0』を指差した。その指先は、微かに震えていた。


「で、でも、これがないと……私は、何者でもなくなってしまうわ……! 私を綺麗だと言ってくれる場所は、もうここ(鏡)の中にしかないのよ!」


 完璧な女帝の、それが悲鳴だった。

 そこへ、背後の闇から重い足音が近づいてくる。


「エリカ。……お前、昔言ってたじゃねえか。『鏡を見て取り繕って笑う自分より、排気ガスで汚れて笑うほうが百倍マシだ』ってな」


「……ドク……」


 ドクは無言で、ポケットからあの一枚の写真をエリカに突きつけた。

 そこには、今の白雪と全く同じ、狂おしいほど自由な瞳で笑い、世界に向けて中指を立てる若き日のエリカがいた。


「ママ、私をちゃんと見て!!」


 白雪が、母の肩を掴んで激しく揺さぶった。

「鏡の中に答えなんてない! 私の声を聴いてよ! 私のことをわかってよ!!」


 沈黙が、重く部屋を支配した。

 エリカは、弾かれたように白雪の顔を凝視した。至近距離で見つめる娘の顔。そこには、自分が毎朝入念に指示していた完璧なスキンケアなど、ひとかけらも残っていなかった。


 あるのは、オイルで汚れた頬と、怒りに震える唇。そして何より、自分を射抜くような、野心と生命力に溢れた瞳。


(……ああ、この子は、こんな顔をしていたかしら)


 エリカの脳裏に、封印していた記憶が洪水のように溢れ出す。自分だって、かつては親に決められた窮屈な檻から逃げ出したくて、必死に風を求めていた。なのに、いつからだろう。自分を縛っていた檻を、今度は「愛」という名前の鏡に変えて、娘に押し付けていたのは。


 自分好みの色を塗り、都合のいい言葉を喋らせ、自分自身の虚栄心を埋めるためのお人形。私は白雪を愛していたんじゃない。白雪に投影された「理想の自分」を愛していただけだったんだ。

 鏡の中の数字や評価に怯え、虚像を守ることに必死だった自分に、白雪が引導を渡してくれたのだ。


 エリカの中で、ピンと張り詰めていた「完璧」という名の呪縛が、音を立てて崩れ去っていく。まるで、冷たい魔法が解けるように。


 エリカの瞳が、激しく揺れる。

 完璧だったはずの高級アイラインが、溢れ出した熱い涙に溶け、真っ黒な筋となって頬を伝い落ちた。その無様に汚れた顔は、どんな虚構の微笑みよりも、ずっと人間らしい熱を帯びていた。


「……そうね。私、いつからこんな……冷たいガラスの板に、自分の魂を売っちゃったのかしら」


 エリカは震える手で、最新鋭の鏡の背後にある太い主電源を掴んだ。そして、かつての「総長」の腕力で、それを一気に引き抜いた。


『マダム……。あなたハ……世界デ一……一番……』


 エリカは、震える手をゆっくりと伸ばした。

 それは、汚れ一つないマニキュアを施された、完璧な「マダム」の手ではなかった。白雪の熱い体温を求め、その泥だらけの、傷ついた拳をそっと包み込む「母親」の手だった。


「世界で一番美しいのは――鏡の中の幻影じゃない。こうして自分の足で立ち、自分らしく生きている、この子よ」


 エリカの言葉が終わると同時に、鏡の光はプツンと途絶えた。


「……ごめんね、白雪。私は、あなたに自分を重ねて、あなた自身を一度も見ていなかった。あなたは、こんなにカッコよかったのね」


 白雪の目からも、抑えていた涙が溢れ出した。


「……気づくの、遅すぎなんだよ、クソババア」


 白雪は泣き笑いのような顔で、母の背中に手を回した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ