第三話 王族の仮面を剥ぐ夜
会場の空気が変わっていた。
断罪の場として設えられたはずの夜が、いつの間にか別の何かになっていた。
貴族たちの目に浮かぶのは、もはや私への非難ではない。
殿下への、王族への——静かな、しかし確かな疑念だった。
エドワルド殿下は書状を持ったまま、動けずにいた。
三つの罪状はすべて崩れた。次に何を言えばいいか、彼にはわからないのだろう。
私は一歩、前に出た。
今度は、私が話す番だ。
◆◆◆
「皆様、少しだけお時間をいただけますか」
声は静かに、しかし会場の隅まで届くように。十三年間、公爵令嬢として磨いてきた声の出し方だった。
「今夜この場で、殿下は私の罪を裁こうとされました。それ自体は、婚約者として、王太子として、正当な行いだったかもしれません」
殿下が顔を上げる。その目に、わずかな希望が灯った——まだ挽回できると思ったのだろう。
その希望が消えるのを、私は静かに見届けた。
「ただ、一つだけ申し上げたいことがあります。ある賢人の言葉にこうあります。
”裁く者は、裁かれる者よりも清廉でなければならない——」
会場がざわめいた。構わず続ける。
「今夜私が暴かれかけた秘密は、すべて偽りでした。では——この場にいる方々の秘密は、どうでしょうか」
私は国王陛下に向き直った。
陛下は玉座ではなく、来賓席の最上段に座っておられた。
今夜は非公式の場だからと、目立たぬよう端に控えているつもりだったのだろう。
しかしその表情は、すでに硬かった。
「国王陛下」
私の声に、会場全体が凍りついた。
令嬢が国王に直接言葉を向けるなど、通常ならあってはならない無礼だ。
しかし今夜の私には、それを咎める空気がなかった。
「陛下は優れた王でいらっしゃいます。
政務は完璧にこなされ、外交でも国内でも、これまで大きな失政はございません」
陛下は何も言わなかった。
「しかし陛下、あなたには十四年前から、宮廷の外に懇意にされている方がいらっしゃいます。
そして、その方との間に十二歳になる御子息がいることを——私は知っています」
静寂が、重くなった。
「それだけであれば、王の私事として胸に収めるつもりでした。
ただ——陛下が昨年、王位継承順位の改定を密かに画策されていたことは、看過できません。
エドワルド殿下を廃し、その御子息を後継に据えようとする動きは、すでに複数の宮廷貴族を巻き込んでいます」
誰かが椅子を引く音がした。
貴族の中に、顔色を変えた者がいる——その動きに関わっていた者だろう。
陛下は、ゆっくりと目を閉じた。否定しなかった。
次に、私は王妃陛下に向き直った。
王妃陛下は今夜、金の髪を高く結い上げ、深紅のドレスを纏っておられた。
美しく、毅然として、しかしその目の奥に——長い疲労が滲んでいた。
「王妃陛下」
陛下は静かに私を見た。逃げない目だった。この方はずっと、逃げない方だったのだと思う。
「陛下が若い方を侍らせているという噂は、宮廷で広く知られています。
それを以て陛下を批難する声も、少なくありません」
王妃陛下は微動だにしなかった。
「ただ私は——その理由を知っています」
一瞬、陛下の目が揺れた。
「王太子殿下が生まれたのは、国王陛下と王妃陛下の婚礼から、八ヶ月後のことでした。
当時は早産として記録されています。しかし王妃陛下、あなたは知っていた。殿下が誰の子であるかを」
会場が、完全に息を止めた。
「あなたは十八年間、その秘密を守ることで王家の均衡を保ってきた。
国王陛下の愛人問題も、継承問題も——すべてを知った上で、沈黙することを選んだ。
若い男を侍らせているように見せたのは、自分もまた『やましいことがある側』に立つことで、誰にも追及されない均衡を作るためだった」
王妃陛下は、長い沈黙の後——小さく、笑った。
悲しい笑いではなかった。どこか、解放されたような笑いだった。
「……よく、調べましたね」
それだけを言って、陛下は黙った。
最後に、私はエドワルド殿下を見た。
殿下は青ざめていた。父の秘密も、母の告白も、今夜初めて聞いたのだろう。
自分の出生に関わる言葉を、公衆の面前で突きつけられた彼の顔は——怒りよりも、混乱よりも、ただ茫然としていた。
「殿下」
私の声は、今夜初めて、少しだけ柔らかくなった。
「あなたは悪い人ではありません。ただ——愛することと、王であることの区別がつかなかった。それがあなたの、唯一の罪だったと思います」
殿下は何も言わなかった。
ソフィアが、殿下の袖をそっと掴んでいた。その手を、殿下は振り払わなかった。
それでいい、と思った。本当に、そう思った。
会場を、もう一度見渡した。
国王陛下は目を伏せていた。王妃陛下は静かに座っていた。エドワルド殿下は俯いていた。
そして貴族たちは——誰一人、口を開かなかった。
私はゆっくりと息を吸った。
十三年間、この瞬間のために準備してきた。
証拠を集め、人を動かし、言葉を選んだ。それがすべて、今夜ここに結実した。
でも不思議と、勝利の高揚感はなかった。
あるのはただ——静けさだった。
長い戦いが終わる前の、最後の静けさ。
私は会場を見渡したまま、口を開いた。
「一つだけ、皆様にお聞きします」
声は震えなかった。
「今夜この場で、多くのことが明らかになりました。
王太子殿下の失政。国王陛下の野望。王妃陛下の沈黙。
そして——この王国が、長い時間をかけて積み重ねてきた、歪みの数々を」
誰も動かない。
「私はこれより、エドワルド殿下との婚約を解消いたします」
静寂の中に、その言葉が落ちた。
「ヴェルナー公爵家は今後、王家との関係を白紙に戻します。
それがどういう意味を持つか——ご列席の皆様はよくご存知のはずです」
ヴェルナー公爵家は、王国最大の軍事力と経済力を持つ家だ。その後ろ盾を失った王家が、どうなるか。貴族たちの顔に、様々な計算が走るのが見えた。
私はその顔を、一つ一つ見た。
そして——問いかけた。
「さあ、お聞きします。あなたは、誰につきますか」
誰も、答えなかった。
一秒が過ぎた。十秒が過ぎた。
答えは返ってこなかった。しかしその沈黙は——拒絶ではなかった。
王族への、この腐った均衡への、静かな不信任だった。
私には、それで十分だった。




