第72話 来訪
少年が笑う。その度に悲鳴や絶叫がこだまする。
少年が舞う。その度に血や肉片が宙を飛び交う。。
少年にとってそれは、さながら遊園地のアトラクションのような物だった。全ては自分の思うがまま。誰も少年を止める事は出来ない。ユートピアは探す物ではない。この世の全てが、少年にとってのユートピアなのだから。
「ひっ……た、助けて。お願いだ、助けてくれぇ!」
Cエリアのボス・チョーが恐怖に顔を歪ませながら、尻餅をついて後ずさる。目の前にはその少年……ネイクスが天使のように微笑みながら見下ろしている。
「ふーん? 助かりたいんだ?」
「助けて……死にたくない……死にたくない!」
「じゃあさ、ボクを笑わせてよ。面白かったら助けてあげる」
「えっ」
突然の言葉にチョーは困惑する。その様子すらネイクスは愉しんでいた。
「何でもいいよ。一発ギャグでも駄洒落でも。ボクが好きなのは動物の物真似だけどね」
「……じ、じゃあ犬の物真似を……」
チョーは恐怖と屈辱に身を震わせながら四つん這いになった。
「……ワ、ワン! ワン! ワン!」
チョーは助かりたい一心で犬のように吼え続ける。ネイクスは腰を下ろし、頬杖をついてその様子を観察する。それが一分ほど続いたところで、ネイクスが立ち上がってチョーを指差した。
「つまんない」
指先から放たれたレーザーがその額を貫いた。チョーはそのまま仰向けに倒れ、数秒間の痙攣の後に動かなくなった。
「あはは。その白目剥いた死に顔の方がよっぽど面白いや」
ネイクスはポケットから地図と鉛筆を取り出し、Cの上に×マークをつけた。残るエリアはE、P、Y、そしてBだけだ。
空から翼がはためく音が聞こえネイクスが見上げると、サラマンダーに乗ったイアーナがちょうど降りてくるところだった。地上に降り立ったイアーナが、ネイクスの前に跪く。
「ご報告します。Eエリア、Pエリア、Yエリア、全て壊滅させて参りました」
「そっか、早かったね。ボクもちょうど終わったとこだよ」
ネイクスはE、P、Yの上にも×マークを付けた。
「残るはBエリアただ一つ。いよいよですね」
「うん。と言っても、メインディッシュはもう食べちゃったんだけどね。まあそれでも、最後のデザートぐらいにはなるかな」
ネイクスはそう言って、おやつを楽しみにする子供のように唇をペロリと舐めた。
「しかしこれで終わりとなると、ネイクス様にとっては神が目覚める千年後まで退屈になりますね。些かペースが早すぎましたかね?」
「ん~? ううん、そんな事ないよ。次のアテはあるから」
「アテ……ですか? ああ、なるほど」
皆まで言わずとも、イアーナはネイクスの意図を察した。要はお楽しみはまだまだこれからだという事だ。ネイクスがそれをするというのなら、イアーナも何の躊躇もなくそれに付き従うのみ。
しかし、イアーナはあくまで人間だ。どんなに長生きしたところで、精々あと七~八十年の命だろう。当然、千年後の神との戦いを共にする事など出来るはずがない。
だが、ネイクスの魔力を持ってすればどうとでもなる。人間を辞める事も、その後に不老の肉体に改造する事だって出来る。今はまだ、人間のペットが欲しかったというネイクスの酔狂な趣味に従っているが、それもいずれ飽きる。その時には、イアーナは自らの魔族化をネイクスに申し出るつもりだ。そして、永遠の時をネイクスと共に生きる。それがイアーナの最大の願望だ。
「さあ行くよ、イアーナ。終わりの始まりだ」
「仰せのままに」
ネイクスが飛び立ち、イアーナもサラマンダーの背に乗り後を追う。魔界の災厄が、今正にBエリアに迫ろうとしていた。
*
ベルーゼ城の食堂。ここにはいつものようにいつものメンバーが集まっていた。しかし、その空気はいつにも増して重苦しい。
あれから三日が経過した。ベルーゼとタオはその日の内に帰還したが、エルカとヤドックは未だに戻らない。最初は多少帰りが遅くても、それほど気にする事は誰もしなかった。敵を倒してそれで終わりのベルーゼとタオと違って、あの二人には……特にヤドックには後始末がいろいろ残っていてもおかしくはない。もしエルカの本性がバレたのだとしたら、また別の面倒事もいろいろ発生しているかもしれない。
しかしそれにしても三日も経つと、別の可能性も嫌でも頭に過ぎる。即ち、敵にやられてしまった可能性。死んでしまっては戻ってこられるはずがない。エルカとヤドックの最強コンビが負けるはずがないと誰もが思っているが、もしネイクスが自ら攻め入っていたら、その可能性もゼロではなくなるのだ。
「……やっぱ遅えよなぁ」
沈黙を破ったのはカゲトだった。他の者達も心の中で頷く。
「戻ってこようにも、ヤドックに止められて出てこられないのではないか? もしくは、また俺に攫われるのを待ってるとか……」
ベルーゼの発言に、タオは首を横に振った。
「それはないと思いますよ。エルカ達は、レオンさんが戻ってきた事をまだ知らないですから。レオンさんが見つかるまでは、エルカの力を貸してもらう約束です。ヤドックさんは約束を破るような人ではありません」
確かに、と一同は再び考え込む。その時、レオンが何かを思い付いたように顔を上げた。
「タルト、エルカの今の様子を占えないかな? 無事であるとは思うけど、せめてそれだけでも分かれば……」
そう言われてタルトが申し訳なさそうに取りだしたのは、無惨にも真っ二つに割れてしまった水晶玉だった。
「すみません。あの道化師が攻めてきた時に落として割ってしまいました。これではもう使い物になりません」
レオンはガクリと肩を落とす。その時、タオが決意めいた表情で立ち上がった。
「私、直接見てくる。何だかひどく胸騒ぎがするの」
「そうだな……それしかあるまい。一応俺もついていく。特に問題無さそうであれば、すぐに帰るが……」
────ただならぬ気配を感じたベルーゼの言葉が途切れた。ベルーゼだけでなく、その場にいた誰もが感じた。まるで巨大生物に突然城ごと丸飲みにされたかのように空気が一変したのだ。
だが、そんな事があるはずがない。現に窓の外には、いつも通りの風景が広がっている。唯一違っていたのは……遠くの空に浮かぶ者達の存在だけだ。
「あっ……!」
ネイクス……そしてサラマンダーの背に乗るイアーナ。窓を通して、双方の視線が交差する。エルカもヤドックも不在という最悪のタイミングで、恐れていた事が遂に起こってしまった。
「……スケルトン。タルトや手下共を連れて、今すぐ裏口から城を出ろ。人間界に避難するんだ」
ベルーゼはネイクス達から視線を逸らさずにスケ夫に命じた。並みの相手なら、成長した今の手下達なら戦力に数える事も出来る。しかし、今回はあまりにも相手が悪すぎる。戦ったところで無駄死にするだけだ。
「ベルーゼ様……。わ、分かったでやんす。さあタルト、行くでやんすよ」
スケ夫がタルトの手を握り引っ張る。しかし、タルトは動こうとしない。俯いて首を振るだけだ。レオンはタルトと目線の高さを合わせるように腰を下ろし、タルトの両肩に手を置いた。
「大丈夫だ。必ず皆生きてまた会える。だから、今は逃げるんだ」
「レオンさん……皆さん……」
タオとカゲトが、タルトに力強く頷いてみせる。それを見て、タルトはとうとう観念し、スケ夫について食堂を出て行った。
再び視線をネイクス達に戻す。これだけ距離が離れているにも関わらず、凄まじい威圧感を感じる。レオンが頬を伝う冷や汗を拭いながら口を開く。
「さて、どうする……?」
「どうするも何も、無視するわけにもいかねえだろ。向こうがやるってんなら、やるしかねえ」
カゲトが覚悟を決める。今度こそ逃げるわけにはいかない。ここで全ての決着をつけるつもりだ。
「タオ。お前もスケルトン達と……」
「それだけは聞けません。私だって戦えるんです」
駄目で元々だった。タオの意志の固さはベルーゼもよく分かっている。だから、それ以上は言わなかった。
「……そうか。では、行くぞ」
ベルーゼ、タオ、カゲト、レオンの四人が窓から飛び降りた。ネイクスとイアーナもゆっくりと降下し、地に足をつける。
そして、双方同時に歩き出す。重い足取りで強張った顔の四人。軽い足取りで余裕の態度を崩さない二人。人数差とは真逆の戦力差の結果だ。ネイクスとの距離が近付くごとに、四人の心臓にかかる圧力がどんどん強まっていく。そして、五メートルの距離まで縮めたところで双方足を止めた。ネイクスが目を細め、軽く手を上げる。
「ハロ~。遊びに来たよ」
「……」
誰もそれには応えない。応えられない。足がすくまないように自分を支えるので精一杯なのだ。イアーナが蔑むような視線を四人に投げかける。
「ネイクス様が挨拶されているのよ。あなた達も何か言ったらどうなの?」
「まあまあ、別に構わないよイアーナ。みんな緊張しちゃってるだけなんだよ。ね?」
「……一応聞いておく。ここに何しにきた?」
ベルーゼの言葉に、ネイクスは首をかしげる。
「だから、遊びに来たって言ったじゃん」
「はっきり言え。つまり俺達を殺しに来たという事だろう」
「ん~、まあそうなるのかな。他のエリアはもう全部壊してきちゃったし、あと残ってるのはここだけなんだよねぇ」
「!」
という事はSエリアも……。スパーダでさえも、ネイクスには敵わなかった。だがそれでも、エルカとヤドックが帰ってくるまで持ち堪えれば……。その考えを悟ったネイクスが更に表情を綻ばせる。
「あっ、残念だけど、エルカとあのお爺さんももう死んじゃったから。だから、待ってたって来ないよ」
脳天に雷が落ちたような衝撃。聞き間違いではない。信じられない、信じたくない言葉。
「…………な、なん……だと……」
「嘘……エルカが……し、死ん……」
ベルーゼが唇をわなわなと震わせ、タオが膝から崩れ落ちた。カゲトとレオンも、あまりの事に暫し思考が停止する。その後に心中に湧き出てくる、この上ない絶望。もう誰にもネイクスを止める事は出来ないのだ。




