弐
二人がこの街についたのはついさっき、暖かな陽気が降り注ぐ昼下がりのことだった。
いつものように二人はまず宿を探して街中を散策していた。
この街には鍛冶屋が多く、武具屋や工具屋が街中に所在しており、各所に歯車や機械がデザインされた看板が目立つ。工房の炉さまから溢れる熱気と職人、自身の得物を鍛えてもらおうと、あるいはただの興味や買い出しで扉をくぐる街人や旅人、そして鉱物などでにぎわい、鉄とオイルの独特のにおいがそこかしこに漂う活気あふれる街だった。
あちらこちらから熱した鉄を鎚で叩いて鍛える規則正しく、まっすぐに響きわたるような歪みのない澄んだ音を聞きながら、のんびりと通りを歩いていたそのときだった。
「師匠? どうかしました?」
ふとリオトが振り返ると、二歩ほど後ろでカイナが立ち止まっていた。その目は壁を、街のコミュニティのために設けられている少々古びた掲示板をとても興味深そうに凝視していて、体はピクリとも動かない。
そんなにおもしろいものでもあったのかと、リオトもまた隣で掲示板をのぞき込む。
「バイク…、レース…?」
を、一週間後に開催するという告知の張り紙が張り出されていた。参加受付と詳細については北通りのクルザの鍛冶屋までと記載されていた。
そして、話は冒頭に至る。
北通りもまた、多くの鍛冶屋が軒を連ね、人々でにぎわっていた。まだ宿をとっていないためディーヴも連れたままなので、車体を店や人にぶつけたりしないよう気を付けて進む。
「お、あそこみたいですよ師匠」
肩ごしに後ろを向きある一点を指さすと、カイナはその指先に目を凝らす。二メートルほど上の高さにぶら下がっている、古ぼけた木の板の看板には“クルザ”と書かれている。
「すまないが、すこし待っていてくれ。すぐに戻る。ディーヴと荷物を頼んだぞ」
「はい!」
さすがに店の中までディーヴを連れていくわけにはいかず、鍛冶屋の扉の脇にディーヴを止め、スタンドをたてて固定する。
弟子の元気な返事に微笑んだカイナはリオトの頭を撫でて扉をくぐった。来客を知らせるために取り付けられているベルが鳴く。
外と比べれば、中はだいぶ静かなものだった。
店の奥に工房があるのか、金属を叩く音が遠くから響く十畳足らずほどの店内には、なにかの機械の部品や金属などが並べられたガラスケースが一定の幅を開けていくつか並べられ、壁には剣や槍など金属製の武具が横に飾られている。
奥には会計用のカウンターがあり、その前に誰かがカイナに背を向けて立っている。みたところ店主ではなく客らしきその人物はカイナに気が付き振り返った。
「ん? おう。お前さんもバイクレースの参加希望者かい?」
気さくに声をかけてきた。どうやら受付ができる場所はここで間違いないようだ。
「ああ。貴殿もレースに?」
「おうよ。なんたってただでさえ希少なバイクが主役の世にも珍しいレースだからな。バイク乗りの端くれなら参加しねえわけにはいかねえってもんよ!」
拳を握るその目は、興奮と情熱に溢れ純粋に輝いていた。こんな者たちとなら、きっと白熱した楽しいレースができるだろう。
「俺はアムルス。よろしくな!」
「カイナだ」
差し出された手を握りあい握手を交わす。すると、突然手を握られている力が強くなった。なにごとかと一度手に目を落としてから顔を上げて再度アムルスを見ると、その顔は笑顔のままだった。
「ほう」
どうやら彼なりの挨拶兼おふざけのようだ。
意図を理解したカイナは表情を挑発的な笑みに変えて応戦する。
ぎりぎり…。
みしみし…。
するとカウンターの奥から杖をつくような、ドン、ドン、と床を力強く突くような足音にしてはいささか妙な音が聞こえてきた。
「なにしてんだアムルス…」
男二人が手を強く握り合いながら笑顔でガンをとばしあうという怪奇な状況を断ち切った男は、二人が何をしているのか理解しきれず、眉をしかめる。
「なぁに、ちょっとした挨拶だって! それよりクルザの旦那、こいつもレースの参加希望だとよ」
アムルスは握っていた手を離すと、親指でカイナを示した。
身長はカイナやアムルスよりも高く、おおよそ二メートル前後に筋肉隆々の体を薄手のシャツと簡素な作業用のエプロンに包んでいる。見たところ、なぜか体の重心がいくらか右に寄っているように思えるその男は、アムルスからカイナへと視線を移す。
「お、あんたも参加すんのかい? じゃあ、」
途端にクルザは目を輝かせると、一度カウンターの奥へ引っ込み、すぐにまた妙な足音を立てて戻ってきた。
「この紙にあんたのフルネームを書いてくれ」
ペンと共に手渡されたバインダーの留め具に挟まれた紙には細長い欄が縦に並んでおり、すでに四つの欄に名前が書きこまれていた。カイナはバインダーを受け取ると、上から五つ目の欄、アムルスの名が書かれた下に自身の名を書いてクルザに返す。
「レースは一週間後、街の外にある谷で行う。その間にバイクの整備をして、準備を整えるといい。この街にはそういったパーツはいくらでもあるから、大幅な改造もできるだろう。なんだったら、うちで調達してくれてもいいんだぜ?」
金ヅルにする気か。とは言わず、カイナはあいまいな返事を返して店内を見渡す。
「それよりクルザの旦那。今日は自慢の看板娘がいねえじゃねえか。どうしたんだ?」
「ああ。娘なら夕飯の買い物をしに出てったけど、うちの娘に手を出したらお前の頭を鍛えてやるよ」
鍛冶職人なだけにシャレにならない言葉だった。アムルスは口を尖らせてわかってますよーとすねる。
「っつーわけでさカイナ。旦那には今年十七、八になる娘がいんだけど、それがまた旦那に似ずかわいこちゃんでさー!」
「そ、そうか…」
ガラスケースに並べられたバイクパーツや部品を見ていたカイナの肩にいきなり腕が回された。至近距離で話すアムルスの鼻の下はだらしなく伸びている。女好きらしい。
「しかも家事も料理もできて、嫁さんにするなら最適の逸材―――」
「きゃあああっ―――!!!」
突如、甲高い女性の悲鳴がアムルスの言葉を遮る。
「レイン?!」
その悲鳴の主が誰か分かったらしいクルザが血相を変えて椅子から立ち上がる。が、立ち上がった瞬間、一瞬だけ彼が苦しそうに顔を顰めた。しかしすぐに表情を戻し、カウンターを飛び出して扉へ駆けていく。その手に杖が握られているのをカイナは確かに見た。妙な足音は杖だったのだ。
「ああ、大丈夫。きっとすぐに天罰が―――」
「ぐああっ!!」
下ると言いかけたカイナの言葉を遮る野太い男の悲鳴と、扉の左側にゴン!という強い衝撃。
クルザは驚き一瞬だけ動きを止めたが、すぐに我に返り扉を乱暴にあけて外へ飛び出す。普通にあければ澄んだ音を奏でるドアベルも、今回は耳障りな金属音でしかなかった。そのあとを急いでアムルスが追う。
「レインちゃん!?」
アムルスはクルザと共に首を右往左往させる。
時が止まったかのように街は静まり返り、周囲の人々は驚き、または呆気にとられた顔である一点を凝視したまま硬直していた。その先にはクルザの娘である女の子と、女の子を背に庇うリオトがなにかを蹴り飛ばしたような体勢で立っていた。
のんびりと最後に扉をくぐって外へ出たカイナは、周囲の人々と同じように呆気にとられて固まってしまったクルザとアムルスの横に並び、クルザの店の壁に頭を預けて伸びている男と、上げたままだった足を静かに下ろしたリオトを見るなり腕を組んで満足そうに笑う。
「さすがは、私の弟子だな」
周囲を一瞥したリオトはどうして周囲の人々が固まっているのかわからず、首を傾げる。
「う?」




