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第九話

 目が覚めると、楓がすぐ傍に座っていてびっくりした。錯乱しかけて、昨日のことを思い出した。楓のベッドでは萩原が寝ている。

「おはよう」

 楓が挨拶してくる。いつもと何も変わらない。「おはよう」と返すこちらもだ。今朝の楓の興味は外ではなく萩原に向いているようだった。僕も萩原を観察する。楓以外の人間が寝ている姿を見るのは斬新だった。どのように起きるのだろう。じっと見つめていると、寝ていても視線を感じるのか、萩原は案外すぐに目覚めた。

「んんん」と呻きながら、玩具みたいにゆっくり体が起き上がってくる。そして伸びをする。ふわあ、と一度大きな欠伸をしてから周りを見回し、そして僕たちに「あ、おはよう」と言った。

「ああ、そっか」

 萩原の顔から睡眠欲は失せて、苦笑と泣く寸前の表情とを混ぜるパレットになっていく。濁りそうになったところに萩原は自分で笑みを混入した。

「昨日は激しかったね。気になって眠れなかったよ」

 からかってくる。「何もしてなんだけど」と言うと萩原は大声で「嘘だあ」と言った。

「隠さなくたってわかってるって。私にわからないようにこっそりやってたんでしょ?バレバレ、バレバレですよ」

 なんだか起きたばかりなのにおかしなテンションになっている。今まで見たことの無い萩原だった。もっと大人しい人だと思っていたのだが。まるで霜山のようだ。

「何もしてないって。すぐ寝たし」

「え、嘘。本当に?」

 質問が楓に向く。楓は「うん」と頷いた。萩原が魂を失ったかのように倒れる。ぱたり、と。

「どうして」

 納得いかない、と思っているのが声に漏れていた。そのまま動かなくなる。二度寝の気配。

「とりあえず着替えてくる」

 僕は自分の制服を取って洗面所に向かう。「私も」と言って楓も制服を取る。

「着替えたらご飯食べに行こう」

「うん」

「あ、ちょっと置いてかないで」

 萩原が飛び起きた。

 食堂にも教室にも冬野たちはいない。机も椅子もそのままだったが、いつになっても来ない。少しだけではあるが、空白のある教室にはもう慣れていた。昨日の今日だからまだ暗い気分を引きずってしまうかな、と思ったのだけど、イメージとしては一週間くらい前からこの状態であったかのように僕は彼らがいないことを受け入れていた。楓のようにぼうっと教師が来るのを待つ。

「一応出欠を取りますね」

 先生はそう言って、昨日のように名前を呼ぶ。どうやらショックで休んだ人はいないようだった。もしかしたらこの中で一番浮かない顔をしているのは先生なのかも。そう思いながら授業を受ける。指名をしようとこちらを向く度に顔が曇る。そのせいで黒板に向かっている時は必死に授業のことだけを考えようとしているように見えた。

 黒板へ喋ってばかりの授業は進行が早く、授業の終わる五分前に「今日はここまでにします」と先生は言った。

「あの、何か質問はありませんか?」

 困った顔をしながらそう聞いてくる先生。質問というのはきっと「冬野たちはどうなってしまったのか?」というものなのだろう。触れてはならないもののような気がした。皆もそうなのだろうか。誰も何も言わなかった。

「無いんですか」

 肩を落とした。先生は僕たちに全てを話して楽になりたかったのかもしれない。罪滅ぼし。だけど先生の抱えている重みを渡されたら、こっちが壊れてしまうのではないか。冬野たちのことだけではない。僕たちがどうしてここに住むことになったのか、ということでさえ今は聞けない。幸せな生活を送るために隠されてきたこと。優しい真実であるはずがないのだ。箱庭はもっと壊れていく。はっきりとそう感じた。

 萩原はしばらく僕たちの部屋で生活することにしたらしい。これからも楓と一緒のベッドで寝るのか、と思うと元気が無くなってくる。何日も続くとなると、適切な人間でいられる自信が無い。萩原の部屋から布団を持ってくれば苦悩せずに済むのだが、あの部屋に入ることを萩原は嫌がるだろう。楓に告白をするべき時が来ているのだろうか。いや、違うだろう。告白したからといってふしだらなことをしていいということにはならない。

 食堂で夕飯を食べた後。洗濯の終わった服の入っている三つの紙袋が置かれていた。それと一緒に手紙が一通。楓宛だ。便箋を楓ははさみを使って開封する。彼女の白い指が茶色い便箋の中に潜り、紙を引き上げた。

「なんだって?」

「将棋の本、結構見つかったって。それから、将棋盤と駒も渡せるって」

「ああ、ついに来たのか」

 結構時間が掛かったという印象がある。紅茶のパックとかならすぐに来るから。

「あれ?楓たちも頼んでたの?」

「部活の話があった日にね」

「明日香がいたら今頃大騒ぎしてるんだろうね。来た来た来た、ってうるさくなるの」

 そして落ち着かない様子で「明日まで待てない。どうして夜に受け取りできないのかな」と文句を言うのだ、と萩原は言う。

「そうだね」

 楓が相槌を打った。僕も明日の朝に霜山が興奮した様子でいるのが容易に想像できた。楓はもう手紙をテーブルに置いて外を見ていた。そこに霜山はいない。あるのは景色を遮る巨大な壁だ。それがモニターとなって霜山の記憶を映しているのだろう。

「もう少し待ってれば、皆で楽しく部活できたのに。馬鹿だなあ」

 萩原はそう言って笑った。

「本当に皆馬鹿だよ」

 外を見たまま楓は言った。その楓の言葉に萩原はとても驚いたようだった。僕も二人きりではないのに本音を言うとは思ってなかった。発露は一瞬だけ。

「明日取りに行こうか」

 すぐに楓は普通の話に戻る。あるいはさっきの台詞さえも日常会話と一切変わらないものであったかのように。

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