第十三話
休日が明けて一日が経って、冬野たちの部屋のドアは閉められた。それと同時に教室の机の数も減った。生まれて初めての席替えを経験したが、やはり一緒に住んでいる人とは隣接するようになっていたから、あまり新鮮だとは感じなかった。それよりも人が減ったのを誤魔化すように、席と席の間が僅かに広がっていたことの方がよっぽど印象的だった。露骨にならないように気を配ったつもりなのだろうが、僕にはわかった。楓との距離には敏感なのだ。
「お前、小川とやっと付き合い始めたんだって?」
「なんで知ってるのお前」
「なんでって最近噂になってるみたいだぞ」
どうなるか心配してたんだぞ、と小突かれる。情報の出所は十中八九萩原だろう。
「そうそう。放課後、部活やるぞ。いいな」
月島は僕たち二人に言った。「わかった」と答える。悲しみや動揺はそう長くは続かないようだ。今まで話すことがそう多くはなかった月島たちと話すことが増えた。冬野たちがいなくなったことで僕たちの人間関係は多少変化したものの、全体の雰囲気は以前と大して変わらない。箱庭と呼ぶのが似合っていそうな恵まれた環境に生きている少年少女が楽しい日々を送っている。
「なんか皆上達した感じだね」
本を読んで、戦法や囲いの形をとりあえず知った僕と楓の将棋を見て、鹿島は言った。
「ただこっからどう攻めればいいのか、わからない」
「攻める時の方針としては」と言って楓は対局相手である僕にヒントをくれた。「守りを突破する以外には、駒得するとか、それ以外にも歩とか銀とかを持ち駒にすることも大事みたい」
楓はベランダに出て外を眺めている。僕もベランダに出てみる。もう夜だからだろう。肌寒かった。
そうだ。羽織る物をくれないかと頼む予定だった。
冬野たちのことばかり考えているうちに忘れていた。
「星って、こうやって見ていると凄く遠くにある宝石みたいなんだけど、本当はそうじゃないんだよね」
隣に並んで、楓と同じように夜空を見上げたら、彼女はぽつりと言った。
「本当に宝石だったら、取りに行きたかったのに」
「それいいね」
おとぎ話やアニメでありそうな、素敵な冒険。
「昼の空を集めて砂時計を作ってみたいなあって思ったりもするんだけど、無理なんだよね」
「そんなこと考えてたんだ」
楓の方を見る。空を見続けていたら首が疲れそうだ。彼女もこちらを見る。室内からの明かりが遠い方の目も光を採取して輝いていた。その目が笑う。
「ずっと見てると、思い付くんだよ」
「へえ。じゃあ今度、一緒に見てみようかな」
「うん、一緒に見よう」
それなら椅子がもう一つ必要だ。できれば二人で座れるやつ。
「こうやって見てると、せめて空を飛びたいなって思うね」
「空なら飛べると?」
それだって僕には絵空事で、可笑しかった。くすくす笑う僕に彼女は「できるよ」と大真面目に言った。
「人類は飛行機を作れたんだから。私たちだって飛行機作ればいい。作ろうよ」
「なかなかハードな注文だね」
この箱庭のメンバーを全員集めたとしても二十人程度。実現するにはかなりの情熱がいる夢だ。
「でも、そうか。そのくらいが丁度いいのかな」
僕たちは真実のためではなく可能性のために生きていく方が合っていると思う。冬野たちのやろうとしたことは間違っていないけど、それをやるには僕たちは弱すぎるのではないか。
「将棋みたいに飛行機についての本があればいいんだけど」
「そうだね」
どうすれば将棋で勝てるのか。その試行錯誤の結果が本になるように、人々の努力は何かの形で残ることがある。僕たちが生きていること、悩んだこと。それらが未来に伝わっていけばいいけど、そう上手くはいかないのだろう。この百人に到底満たない世界では、力を合わすにも天才を探すにも不便だ。何でもできるわけではない。
「飛ぶのに、どれくらいかかるかな」
楓に聞いてみる。彼女は、さあ、と首を傾げた。
「生きているうちにできるかどうか」
そう言う彼女は笑顔だった。僕の頬も上がる。何も躊躇わずにただただ夢を見ることで、僕たちは幸福になれるのだった。




