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ヘルメス  作者: 捺耶 祭
21/45

シスター-5-


 その場所は孤児であったつかさにとって特別な部屋であった。


 司祭室と名打たれたその小部屋は小さいながらもしゃれていて、簡単なティーセットとテーブルが置かれたいわば洋風の茶室であった。この部屋の中を見るのはつかさも始めてであった。


 事実、孤児院にいた半年の間つかさはこの部屋に入ったことがない。


 ここはシスターたちが昼や夜大人たちだけで休みを取る場所であったから、子供であったつかさたちは入ることを許されなかった。


 前に一度だけ入ろうと試みた子供がいたことをつかさは知っているが、シスターに見つかりこっぴどくしかられていたことを思い出す。


 そのころ子供達は休憩室の中には何か大切なものが隠されているのだとか、怪物が閉じ込められているだとか、少し大人になってくるとどうせ酒でも飲んでいるのだろうと言ったような夢想をはせていたが、入ってみればそこはたいしたことはない、こどもたちの夢想が拍子抜けで終わること間違いなしのシンプルな茶室であった。


 つかさは以前入ることの許されなかったこの部屋にたやすく入ることができたことにどこかこそばゆさのようなものを感じた。


 そうして、今の自分を思い出し自分が「子供でない」ことを自覚した。


 もう一人前であることを認められるからこそ入ることを許されるその部屋は、実際のところ孤児院の大人と子供、シスターと孤児、保護者と被保護者と言う立場を認めさせ孤児たちに社会を教えるための場であったのカもしれない。


 しかし、今のつかさにとっては何の意味もない小さな茶室である。


「座って。えっと・・・ミルクは入れる?ダージリンなんだけど」


「はい、お願いします」


「はいはい~」


 高価そうな紅茶の缶からシスターは葉を取り出す。


 ふと生まれた間隙。


 つかさは気になっていたことを口にした。


「シスター。よく私の名前を覚えていらっしゃいましたね。」


「えっ、みんなのを覚えているわよ?つかさくんと同い年だったのは…ゆうかちゃんとかずやくんにのぞみちゃん。あとー、そうしくんとともきくんとしのぶくんね。みんないい親元にもらわれていったわ。今でも元気にしているといいけど。あ、そうそう、しのぶくんとのぞみちゃんなんて今つき合ってるそうよ」


 うれしそうに話すシスターであったが、出てくる名前のすべてがまったく記憶にないつかさはどおりアクションをとっていいかわからずに困惑した。同時に疑問に思ったこともある。つかさ自身はまったくと言っていいほど孤児院の子供と交流がなかった。


 だから覚えていないと言えばそのとおりなのだが、一番仲良くしていたように見えたはずであるあいつの名前が出てきていない。


 孤児ではないにしても何度も面識はあるはずなのだが…。

 

 つかさは、同じ町に引っ越した幼馴染のことを思い浮かべていた。


「あはは、私ですら忘れていて今やっと思い出したことを覚えているなんてすごいですね」


「そんなことないわよ。まあ、記憶力はいいほうかしら」


「いえいえ、シスターが親のようにみんなのことを思っているからこそですよ」


 シスターはそれを聞いて礼拝堂で見せたように一瞬目を丸くして「うふふ…」と笑った。


「どうか、なさいましたか」


 つかさはシスターに問うた。


「つかさくんがお世辞まで言えるようになるなんて」


「いや、お世辞だなんて」


「うふふ。たくましくなったわね」


 シスターは茶器をカチャカチャ言わせながら楽しそうにそういった。


「そうよ。とってもたくましくなった。それに、少し背伸びしてるわ」


「…はあ」


 つかさにはシスターの言いたいことがよくわからなかった。しかし同時にわかったこともある。


 この人はあまり変わらない。この孤児院と同じように。すべてを包み込もうとする優しさだとかそういったもの。それは今も昔もシスターのなかに在り続け、今も昔もつかさにとって薄っぺらなものでしかない。 


 シスターは一度ティーカップに湯を入れて暖めてから、ミルクを注いだ。そのティーカップに紅茶を入れながらシスターは言う。


「憶えてるつかさくん?あなたは無口で、内気って言うよりなんというか…まだ小さな子供だというのに大きな何かを背負ってしまったかのような目をしていたわ」


 つかさの前にティーカップを置いて、昔のことを思い出ようにして言った。


シスターはミルクなしの紅茶を自分の前に置き、古風な飾り棚から茶菓子の入った缶を持ってきて広げた。


 つかさは目の前に置かれたティーカップに目を落とす。


「でも、今は少し違うみたいね」


「どこが…違うと言うのでしょう」


「昔とは違う」などと言うのは人であれば当たり前のことだ。変化しないものなんて存在しないのだから。


 そう理解していた。しかしつかさはあえて問うた。意味はない。気になったそれだけのこと。


「昔のあなたはただ立ち止まっているだけだった。ただすべてを受け止めしたがって、言葉は悪いけどまるでこの世界の奴隷のようだった。でも今は自分で歩んでいるのではなくて?進む先がどこにあるにせよあなたの目は昔のように何もできずに迷ってはいないわ」


 シスターは淹れた紅茶に口もつけずににっこりと笑いながらそういった。


「…」


 つかさは黙ったまま考えた。確かにそのとおりであると思ったのだ。


 つかさは歩き出した。世界に悪態をついて、苦しい苦しいと駄々をこねるように叫ぶだけで何もしない奴隷は辞めた。


 でも、そうできるようになったのはつい最近のことだ。一年や二年前のことではない。”ヴァン”というきっかけに出会ってから、つまりつい何日か前のことである。


 ヴァンに出会ったからつかさは歩き出すことができたのだ。そう思い至った瞬間つかさはこみ上げてくるものに気がつく。


「ふっ」

 

 それはひどく自嘲的な笑いであった。


 つかさはヴァンに出会うことができたから今を歩き出せているのだ。


 つまり、ヴァンに出会うことができなかったら逃れようのない世界という名の地獄の中でどうすることもできずに立ち止まっていたと言うことになる。


 つかさは自分が一人ではどうしようもなく何もできない人間なのだと自覚していた。しかし、「ひとり」になる力求めを得た自分がそのプロセスで結局は他人を頼りにし、あまつさえ感謝さえ覚えていることに一種の皮肉を感じていたのだった。


「ん?どうしたの?」


 シスターはつかさの雰囲気が変わったことに気がつき声をかけてきた。


「ははっ…なんでもないです」


 力なく嗤う。


 そう、なんでもない。


 ひとりになるためだったらいくらだって頼ってやろう。


 いくらだって感謝してやる。


 相手に媚びてもへつらったっていい。


 それはただ一瞬のことだ。望みがあって、そのための代償なら耐えて見せる。オレは歩き出したのだから。


 その事実は何があったって変わらないのだから。


 つかさの覚悟にも似た黙考をよそにシスターは「そう?」と気の抜けた声で言って話を続けた。


「私の思い出話をするとね、つかさくんとの思いではとっても短い間のことだったけどとても印象深かった。半年なんて短い期間だったけど引きとられることが決まったときわたしはとても心配した。だって、日野さんのお宅ってかなりお年をお召しになっているでしょう?わたしはつかさくんがうまくやっていけるかかなり不安だったわ。何度かお電話もしたし、もしかしたら泣いて帰ってきたいって言い出したりするんじゃないかなんて思って、そのときのことも考えた」


 シスターは楽しそうに話す。しかしつかさの心には何も響かない。こんな麗句であった孤児全員にかけているようなことなのだ。気を使って口にしたつもりの言葉に、逆に気を使って笑顔を作ったり返事をしたりする自分の気持ちにもなってほしいものだ。


つかさは純粋にそう思いシスターの口からで出る薄っぺらな言葉に吐き気がした。


 シスターの話は続いていた。


「でもね、心配要らなかったみたい。つかさくん、あなたはこんなにも立派になった」


 それはまったく不意のことであった。 


 ふとシスターの手がつかさの頭に触れる。


それは緑からこぼれた陽だまりのように優しく暖かであった。


 つかさは頭に乗せられたものが何であるか初めわからないようであった。


それが何であるか視認するために目だけを動かしてシスターを見る。


シスターは何かいとおしいものを見るようにしてつかさを見つめ頭をなでていた。


それはあまりに自然でいたために触れたことを気づく間さえつかさに与えなかった。


「!!」


 これにはつかさも驚いて目を見開いたがどうしていいのかわからずそのまま黙ってしまう。


「さっき、私がつかさくんのこと背伸びしてるって言ったじゃない?つかさくんはがんばって歩みだした。私が見てもちゃんとそう思うもの。きっと歩んだ先にもいろいろな苦しいことが待っているわ。でも私はつかさくんを信じてる。自分の足で一歩一歩進んでいけるってね。でも_____」


 シスターはつかさの頭をなでながら話す。


 つかさは首もとのあたりからだんだん熱くなって行くのを感じた。


このとき感じた妙な暖かさや次にシスターが言うであろう言葉に対して抱いた淡い期待のような感情をつかさはなんと表現したらいいのかわからなかった。


 シスターは最後に「愛している」とでも言うように一言だけ続けた。


「あんまり無理しちゃだめよ」


 胸の辺りが変な感じだった。鼻の頭が急に熱くなり出した。しかしつかさはそんな自分に恐怖した。なぜならシスターの言葉に対して抱いた感情は「ひとり」になろうと望んで歩き出したつかさにとってはあまりに異質なものであったからだ。


 ソレをつかさは許容することができなかった。


 つかさは何もできずにただ考えた。焦燥感のような何かに追い立てられるかのようにして目の前で起きていることを自分なりに納得しようとした。しかし、答えは一向にして出なかった。ただの一瞬が無限大のごとき体感時間で過ぎ去っていく。


 煮詰まっていく思考の中つかさは右手に冷たいものがあたっているのに気がつく。右手に目をやるとそこには銃がしっかりと握られていた。


 つかさは下を向いたまま前方に銃身を向け標的を見ずにトリガーを引いた。


 大きな口径にしては小さな振動、乾いた音。


 気づくとシスターはテーブルの上に突っ伏していた。銃を向けられた直前のシスターの表情をつかさは知らない。


 恐怖にゆがんでいただろうか、それとも何がおきたのかわからずにほうけていたのだろうか。


つかさは考えようとしなかった。

 


 記憶を消す反動であろうか。シスターはテーブルに力なく伏してしまった。


 倒れざまにひじで突いてしまった紅茶が真っ白だったティーカップと尼僧服を紅く汚す。


 それはまるで血のだとつかさは思った。



 孤児院の設定等、下調べがなっていませんがご了承ください。

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