シスター-3-
礼拝堂の中はつかさの記憶にあるとおり薄暗く、ステンドグラスを通して差し込む色付の光だけが長いすたちを照らしていた。
木製の大きなドアを開いたつかさを迎えたのは、懐かしいにおいと懐かしい光。
そして、
「こんな朝早くにどうされました」
今となっては捨てるべきしがらみの後ろ姿とその声。
彼女は背を向けたままイエス象のある正面のひときわ大きなステンドグラスを見上げていた。
何をするでもなくただそうしていた。
そこから響いた声にはどこか底知れない包容力とやさしさが込められている。
シスターは、つかさの見知った尼僧服をまとった中年の女性であった。優しげな声、柔らかな物腰。
正面から見たらすこしふけたように見えるかもしれないが…。この人の雰囲気も教会と同じでまったく変わっていない。
つかさにはそう感じた。
しかし、同時に人間は逐一変わっていくものだ。「そう」見える教会もシスターもどこか見えないところが変わっているのだろうとも思った。
正面から見たら老けたことがわかるかもしれない。
十年以上である。
それが彼ら二人を話していた時間なのだ。
それに比べて、一緒にいた時間は半年というほんのわずかな時間。
つかさは改めて、なぜ彼女がリストに載っているのかと疑問に思う。
そんな思考をつかさがめぐらしている間に、シスターはドアを開けたまま返事も忘れていた無愛想な客人を不審に思い後ろを振り向いた。
つかさは何をするでもなく、ゆっくりと振り向くシスターを見送る。
正面を向いたシスターはやはりすこしふけたように思えた。
しかし、そのやさしさをたたえる目だけは変わってはいないように思える。
シスターはゆっくりとつかさに向き直り一瞬目を細めるようにして、そして言った。
「つかさくん?…つかさくんね?そうでしょ?」
シスターは目を見開いてつかさのもとに小走りでよってくる。コトンコトンと靴が木の床をたたく。
「おおきくなったはねぇ。今までどうしてたの?」
シスターはすこし興奮気味につかさに話しかけてきた。
目の前にいるひとりの青年が自分の記憶にある「つかさ」という人間であることの確証もないのにもかかわらず、なぜここまで確信を持って話しかけられるのかつかさには理解できなかった。
そこまで自分の記憶に自信があるというのか。事実つかさも驚いていた。信じられなかった。
本当に憶えているなんて…。
「つかさくんだわよね? 」
シスターは目を見開いてそういった後、小走りでつかさのもとに駆け寄ってきた。まるで、急いで駆け寄っていかないと逃げてしまうのではないかと不安に思っているかのように、すがり付こうとせんばかりに。
「おおきくなったわね。今までどうしていたの?」
シスターは目の前にいる男が自分の知り合いであることの確証を本人から得ていないのにもかかわらず、親しげに話しかける。そんなシスターにつかさは少なからず動揺を覚えていた。
しかし、つかさが驚いていたのはシスターの態度に対してではなかった。
____本当に覚えているなんて。
もう一度、心の内につぶやく。
視界の中だんだんと大きくなっていくシスターをよそに、つかさの思考を支配していたのはその事実だけであった。
「どうしたの?今日は、ひとりでこんなところまで。確か…つかさくんは隣町だった気がしたけど」
ひとり?
その一言つかさはでふと現実に立ち返る。気がつくと傍らにヴァンの姿はなかった。
さっき教会に入ったところまではいたというのにどこにいったんだ。
つかさは内心舌打ちをする。
トランクの中に入っている銃の使い方もよく知らない上に、つかさはこの状況でひとりにされたのだ。
つかさにとって初めての記憶を消すという作業で、トランクを開けて強盗のようにして銃を突きつけ発砲するという行為はできなかった。
大きな声を出されたら、逃げられたりしたらという不安もあったからだ。ここにヴァンがいたのなら、おしゃべりなヴァンのことだからうまく場を取り繕える。さらには記憶を消すタイミングだって考えられたはずだ。
しかし、自分ひとりだけでは結果としてシスターと気まずく長話をしなければならない。理想としては、ヴァンとシスターが話している隙を見て銃を撃ってシスターの記憶を消すというのが一番であったのだが、思っていたよりもややこしくなってしまったとつかさは感じた。
すべて一人でやれということなのだろう。
逡巡はあったが、つかさの瞳に迷はなかった。もとよりこのような苦労もすべて含めて「望み」の代償なのだと諦観した。一人でやらなければかなわない願いだというのなら、それが相応の代償となりうるのなら…やってやる。