その後の話3【9】明日は今日より少しいい
「は、はひ。なんれしょう……」
どうにか答えると、フィニスはほっとしたようだった。
濡れた私の髪を手に取り、からまないよう、丁寧にブラシをかけ始める。
そうして、甘い声で問うのだ。
「痛いところは?」
「ない、れす」
「湯加減はちょうどいい?」
「はひ」
なんで酔っ払いみたいな発音しかできないかな!?
はしたない!!
と、私の中の理性が私をぶん殴る。
次に、私の中の感情が立ち上がって怒鳴る。
いくら……いくら私が入浴着を着てるとはいえ、風呂だよ!?
同じ風呂に、フィニスがいるんだよ!?
舌がまともに動くと思うほうが間違いだ!!
心臓が動いてるだけで夢だ、奇跡だ、大喝采だ!!
あーーーーー、どうしよ……。爆発したい。今すぐ爆発四散して、宇宙にこの気持ちをばらまきたい。宇宙中を狂乱に巻きこみたい。そもそもそもそもそもそも、は、は、はず……。
恥ずかしい、んだよ、な……。
そりゃ、フィニスはいいよ。
濡れてようが乾いてようが、汚れてようがぴかぴかだろうが、美しいのには変わりないから。
だけど、私はどうなんだろ。
お化粧も落ちて、びしょ濡れの私は……みっともなくないかな。
そう思うと、振り返る勇気は出なかった。
美しくなる努力は、した。
したけど、足りないよ。
私は、泡の間から、そーっと指先を出してみる。
白い指。うすももいろの爪。全部きれいに整えられてはいるけど……ああああああああ、ささくれある!! ささくれ一個あるよぉ!! もうだめだ、もうきれいじゃない、もう完璧じゃない!!!!
あなたに触れてもらうには、私、全然足りてない……!!
「……不安になってきた」
「えっっっっ」
思わず固まる私。
不安、と、フィニスは言った。
そ、それって……?
「や、やっぱり、その、私……こう……あんまり、ね……? フィニスさまみたいに、アレじゃないですし……???」
「そうだな。わたしとは違う」
「そ、そー…………です、よ、ね…………」
死。死のう。今死のう。すぐ死のう。
幸いここには、死ぬには充分な量の水が!!
わあい、ラッキーーーー!!
「触れると、死ぬんじゃないかと思ってしまう」
「がぼごぼがぼぼぼぼ!? ぶは、だ、誰が死ぬんですか!?!?」
「君だ。というか、溺れかけてたか?」
「今のはわざとだから大丈夫です!! え、なんで? なんで、触られると、死!? そんな、指一本で私を殺す技をお持ちなんですか? まあ、指一本と言わず、一言で殺せるといえば殺せますけど」
まくしたてつつ、振り返ってしまう私。
フィニスは、おそろしく真顔だった。
「死なないで欲しい」
「は、はい」
真顔で両肩をつかまれてしまうと、そりゃ、まあ、うん。
はい、しか、答えはないわけだけど。
でも、なんで?
なんで私が死ぬ話に……?
フィニスはそのまま、奇跡の美貌で私をじっと見つめていた。
ここまで真顔のときは、裏で色々と考えているときだ。
私は待った。
沈黙の中、こぽこぽとお湯が流れる音が響く。
フィニスは、ゆっくりと話し始める。
「死ぬ、というのは、違うのかもしれない。だが……食べたらなくなる砂糖菓子のような気がする」
「砂糖菓子」
美しいのかどうなのか、ギリギリの比喩だな。
ギリギリだけど、なんとなく伝えたいことはわかる……気がする。
私は、うーん、と考えたのち、口を開く。
「つまり……私に触れると、不安になる?」
「そうだな。とはいえ、触れないのもさみしい」
「かわいい。かわいい。かわいいですね。かわいいですよ、フィニスさま」
「そうか。うん」
だだ漏れた本音をぶつけられたフィニスは、なんとなく嬉しそうだ。
素晴らしい器の大きさ。一生推します。死んでも推します。元からだけど!!
「かわいいですけど、それは確かに困りそう。なんでだか、わかりますか?」
私は聞く。
フィニスはまた、考えこむ。
沈黙は長いけれど、私は嫌じゃなかった。
フィニスが、本当のことを言おうとしているとわかるから。
むしろ少しほっとして、お湯に体をゆだねていた。
「――初めてだからかもしれない」
ふと、フィニスが言う。
私は、ゆっくりとまたたく。
「初めて」
私はつぶやき、そっと彼に手を伸ばした。
湯船から、湯と泡が流れていく。フィニスはすぐに、私の手を握ってくれた。
彼の手は優しくて、指が長くて、まだ剣だこが消えていない。
フィニスは続ける。
「いくつもの人生を送ってきた。どの人生も失うほうが多かった気がする。だから、失うことには慣れていた。けれど――君は失うことの先をくれた。君を手に入れた、その先。その先に何があるのか……わたしは、知らない」
ああ、そうか。
わかった。
……ううん。
わかった、気になった。
フィニスは、今までの世界の「やり直し」を、全部うっすらと覚えている。
それは、目の前のひとたちの死を、何度も、何度も見ることで。
失うことに、慣れることで。
明日を思わないことで。
このひとには、期待がない。
「フィニスさま!!」
私は叫び、両手でがしっと彼の手を掴んだ。
フィニスはちょっと驚いて私を見る。
私は恥じらいとかなんとかを全部吹っ飛ばし、浴槽から身を乗り出して叫ぶ。
「いいですか!! 明日、というのは、わくわくするものです!!」
「わくわく」
「そう!! 今日がちょっと冴えない日でも、ものすごく楽しい日でも、明日はもっといい日かもしれないんです。少なくとも、私はそうでした。あなたの肖像画を見た日から、ずっと明日が待ち遠しかった!!」
フィニスの目が、きらりと光った気がした。
そこには私が映っている。
みっともなく大口開けて叫んでいる私が。
みっともない私でも、彼の金眼に映れば、美しい。
だから私は、もっと叫ぶ。
「毎日わくわくして布団に入っていたから、私、諦めなかったんだと思います!! 二度目の人生をやったら、きっと前よりよくなるって信じられたから、頑張れた。全部、フィニスさまがいたからです!!」
「セレーナ」
「いいですか、フィニスさま。私は減りませんし、消えません。あなたに触れていただいたら、そのぶんどんどんわくわく楽しい気持ちが増えます! だから、その……えーっと…………」
だから、どう……どう、言えば……いいの!?
混乱しかけた私に、頭からふかふかの織物がかけられた。
あれっ、と思ったときには、私は織物でぐるぐる巻きになり、フィニスに抱き上げられている。
「ひえっ!? フィニスさま、濡れますよ!?」
「どうでもいい。わたしも砂糖菓子ではないからな」
あ、フィニス、楽しそう。
織物の隙間からのぞくと、フィニスの口元が緩んでいるのが見える。
今にも笑い出しそうな顔。
大好きな、幸せな顔。
完璧な顔ではないけれど、最高な顔。
そんな彼を見ているだけで、私の体はぽかぽかしてくる。たまらなくなる。
好き。あなたが、好き。
あなたのことが、大好き――!!
私は思わず、フィニスの首に抱きついた。
「フィニスさま、あの、私、実は、宇宙で一番フィニスさまが好きなのですが……」
「知っている、と言いたいところだが……」
フィニスは私を抱いたまま、浴室から出た。
浴室の向こうは、真っ白な寝室。
今はほんのり夕日に照らされて、人肌みたいな優しい色に染まってる。
フィニスは抱いた私の頬に、そっと自分の頬をすりつける。
「心臓が、止まりそうだ――」
囁き。
熱いため息みたいな、彼の声。
私の心臓は飛び跳ねた。
どきどきしてる。
どうしよう。
私はあえぎ、彼の胸に顔を埋めた。
「わ、私も、死にそう……」
「まだ死ぬな」
うっ、容赦ない!!
フィニスは私を、床に敷かれたふっかふかもっふもふの毛皮の上に下ろした。
まだ濡れた入浴着を着ていたけれど、私も彼も、そんなことは気にしない。
見つめ合う。それだけで、いてもたってもいられない。
私は慌てて彼に手を伸ばした。
彼にもっと触れていなくちゃいけなかった。
彼も多分、同じことを思っていた。
だから、すぐに指と指をからめてくれた。
唇が重なる。軽く。何度も。
今までとは違う。
しないと、どうしようもないからするんだ。
そういうキス。
キスの合間に、フィニスが囁く。
「もっとわたしだけを見て、わたしの名前を呼んで」
「はい」
すごい。嬉しい。フィニスに、望まれている。
嬉しい。嬉しいな。ほどけちゃうな。
ぼわんとした私の耳を、フィニスの美声がくすぐる。
「君が好きだ。ずっと、好きすぎてどうしたらいいのかわからない。優しくしたい。困らせてもみたい。束縛したくないのに、そばにいてほしい。触れずにいたいが、触れないではいられない。……めちゃくちゃだな」
思い切りため息を吐くフィニス。
私は、笑ってしまった。
もちろん、嬉しくて。
私は目の前の金眼をのぞきこんで囁く。
「全部してください、フィニスさま。私、全部、全部欲しい」
フィニスは崩れるように笑った。
その顔も、もちろん私の、宇宙一大好きな顔。
■□■
やりきった。
俺は完全にやりきった。
暗殺者である俺は、騎士たちをまいて、無事に離宮に帰ってきた。
そしたらもう、アレよ。離宮の使用人たちはお祭り騒ぎよ!!
「やっと……」
「やっと……!!」
しか言えないまま、みんなしんみり酒を飲んでいる。
ってことは、うん。
つまり、収まるところに収まったってことだな。
いやーーーーー、もどかしかった!!
俺! 俺のおかげ!! 大体は俺のおかげ!!
俺がいなかったらどうにもなんもならなかったよ?
感謝して? 金一封して? 遠慮しないで????
はー……いい仕事をした……完……。
じゃないんだよな、うん。
俺の仕事はこれからだ。




